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第42話 窓際社員だった俺は、社員証を返した



 採掘従機整備庫を部分復旧した日の夜、俺が風呂から上がる頃には、第九十一号の自動整備が終わっていた。


 スマートフォンには、イリス経由で送られてきた報告が表示されている。


『採掘従機第九十一号――整備完了』


『総合損傷率 二十三・四パーセント→五・九パーセント』


『自立歩行確認』


『第一整備系統――異常なし』


「ちゃんと直ったんだな」


 ソファの背にもたれながら画面を見ていると、隣でコレットが満足そうに頷いた。


「試験運転としては成功です。ただし、すぐ二機目を流すつもりはありません。第九十一号を数日間観察して、自動整備後に遅れて出る不具合がないことを確認します」


「一機直ったからって、百二十六機を連続で突っ込んだりはしないと」


「当然です。失敗を百二十六回自動化しても意味がありませんから」


「それは確かに嫌だな」


 コレットは設備の稼働記録を保存すると、今度は別の予定表を開いた。そこには、第二採掘集積拠点の調査予定より上に、もっと身近な予定が表示されている。


『東都ダンジョン資源開発株式会社――最終出勤日』


 明日だった。


「社長。明日は通常どおり出勤し、引き継ぎ確認と貸与品返却を終えてください。退職後に会社所有物が見つかると面倒です」


「分かってる。社員証、入館カード、会社端末、資料室の鍵だろ?」


「加えて、会社名義の認証媒体が二点あります」


「そんなのあったっけ?」


「机の右下二段目に入っています」


「……何で知ってるんだ」


「以前、社長が『これ何に使うんだっけ』と言いながら入れました」


 よく覚えている。


 というより、俺より覚えている。


 向かいではラヴィが、明日の予定を聞いて少し不満そうに頬を膨らませていた。


「最後の日なら、わたしたちも会社まで行かなくていいんですか? マスターを迎えに行くとか」


「必要ありません」


 セラが即座に答えたものの、以前のように短く切り捨てるのではなく、少し考えてから続ける。


「直人様にとって、あそこは五年間働いた場所です。最後くらいは、ご自身で区切りをつける時間があってよいと思います」


「じゃあ帰ってきたらお祝いですね!」


「それは賛成です」


 フィオナも微笑みながら頷く。


「ただし、退職祝いだからといって夜更かしは認めませんよ。翌日から会社がなくなるわけではありませんから」


「俺、辞めた翌日くらい休んでもいいんじゃない?」


「休む予定は入っています」


 コレットが予定表を切り替えた。


「午前中です」


「半日だけ?」


「午後から探索者協会との契約移管確認があります」


「もう働くのか……」


 すると、俺の膝へ寄りかかっていたイリスが目を閉じたまま呟いた。


「なおと。会社、辞めても仕事は辞めない」


「そうなんだよな」


 考えてみれば、当たり前のことだった。


 会社員を辞める。


 それは働くことをやめるという意味ではない。


 むしろ、これからは自分で選んだ仕事を続けていくことになる。


     ◇


 翌朝。


 俺は五年間使った社員証を首から下げ、いつもと同じ本社ビルへ入った。


 入館ゲートにかざすと、聞き慣れた電子音が鳴る。


 昨日までなら何とも思わなかった音なのに、今日だけは少し耳に残った。


 地下へ降りるエレベーターの中で、社員証を指でつまんで見る。


 名前。


 社員番号。


 所属。


『第五資料室』


 何度も異動した末に送られた場所だった。


 最初は、ここへ来た時点で会社員として終わったのだと思っていた。


 実際、仕事らしい仕事を任されず、古い資料と廃棄予定品ばかりを相手にしていた時期も長い。


 けれど、その地下で。


 六機と出会った。


 正確には押し付けられたのだけれど、今となっては、その違いはあまり重要ではなかった。


「おはようございます」


 第五資料室へ入ると、後任の社員が既に来ていた。


「おはようございます。今日で最後ですね」


「そうなるな。分からないこと残ってない?」


「ほとんど大丈夫です。ただ、この古代資料の分類だけ、白石さんのメモが一番詳しくて」


 机の上には、俺が何年もかけて作った分類表が開かれていた。


 以前なら誰も見ていなかったものだ。


「この記号は出土地区。こっちは搬入部署。古代遺物っぽく見えても、現代製の模造品が混じってるから、そこだけ注意して」


「はい」


「それと、本当に分からない物は勝手に廃棄しない方がいい」


 六機の顔が頭に浮かんだ。


「会社でも、最近その方針になったって聞きました」


「なら安心だな」


 俺が笑うと、後任も少し笑った。


 それから午前中いっぱいを使って、最後の引き継ぎを終えた。


 昔の俺なら、自分しか分からない仕事を残すことに、どこか価値を感じていたかもしれない。


 今は逆だった。


 俺がいなくても回るようにしておく。


 それが引き継ぎだし、会社の仕事だ。


 山の中で整備設備を直した時と、少し似ている。


     ◇


 昼過ぎ、人事部へ呼ばれた。


 机の上へ、会社から借りていた物を一つずつ並べていく。


 社員証。


 入館カード。


 資料室の鍵。


 会社端末。


 認証媒体。


 人事課長が一覧と照合し、最後に社員証を手に取った。


「これで貸与品は全部だ」


「はい」


「残っている経費精算も処理済み。退職後の連絡先も確認した。魔道人形の残額は、来月から登録口座による自動振込へ切り替わる」


「分かりました」


「念のため言っておくが、六機の所有権について会社から何か追加請求することはない。契約どおりだ」


「ありがとうございます」


 今さら疑ってはいなかったが、正式に確認できるのはありがたい。


 人事課長は書類を閉じると、少しだけ姿勢を崩した。


「白石君。五年間、お疲れさま」


 その一言は。


 思っていたより、胸へ残った。


「……ありがとうございます」


「最初からもっと適切に評価できていれば、と考えないわけではない」


「俺も、自分のことを分かってませんでしたから」


「それでも会社側の問題は会社側の問題だ」


 以前なら、そんな言葉を聞くことはなかったと思う。


「退職後も取引は続く。完全に縁が切れるわけではないが、今後は立場が違う」


「はい」


「次にここへ来た時は」


 人事課長が、返却された俺の社員証を見る。


「社員証では入れないからな」


「来客受付を通ります」


「忘れてゲートへ突っ込むなよ」


「一回くらいやりそうですね」


「やめてくれ。警備記録に残る」


 二人で少し笑った。


 それくらいの終わり方で、よかった。


     ◇


 人事部を出ると、廊下で黒川部長と会った。


「終わったか」


「はい。全部返しました」


「そうか」


 黒川部長は俺の胸元を見た。


 いつもあった社員証が、もうない。


「白石」


「はい」


「古代遺物解析の見積もり、購買から上がってきた」


「早いですね」


「辞める日の話題じゃない気もするが、来月から正式発注になる」


「ありがとうございます」


「礼を言うのはこっちだ。仕事を受けてもらう側だからな」


 妙な感じだった。


 今日までは上司。


 明日からは、取引先の部長。


「値引きは?」


 黒川部長が冗談めかして尋ねた。


「コレットが聞いたら怒りますよ」


「分かっている。言ってみただけだ」


「俺にも止められないですから」


「社長なのに?」


「金額関係は特に」


 黒川部長が笑う。


「いい担当を持ったな」


「はい」


 それだけは、迷わず答えられた。


     ◇


 最後に第五資料室へ戻った。


 机は、もうほとんど空になっている。


 私物は小さな紙袋一つで収まった。


 五年間働いた結果がこれだけなのかと思うと、少し寂しい気もする。


 けれど。


 持って帰るものが少ないだけで、何も残らなかったわけではない。


「白石さん」


 後任が立ち上がった。


「お疲れさまでした」


「ありがとう。困ったら主任に聞いて」


「白石さんに聞いたら駄目ですか?」


「仕事として依頼されたら、ヘクサ・リンクへどうぞ」


「有料なんですね」


「そこはコレットに交渉してくれ」


「絶対負ける気がします」


「俺もそう思う」


 そのやり取りを最後に、第五資料室を出た。


 照明を消す必要はない。


 もうここは、俺だけの部屋ではないからだ。


     ◇


 一階へ降りる。


 いつもなら、そのまま社員用ゲートを通って外へ出るところで足が止まった。


 社員証はもう返している。


「あ」


 危うく、いつもの癖で胸元へ手を伸ばしていた。


 警備員がそれに気づいて笑う。


「白石さん、今日で最後でしたね」


「もう使えないの忘れてました」


「こちらからどうぞ」


 退職者用にゲートを開けてもらう。


 五年前は。


 ここへ入るための社員証を受け取った時、少し誇らしかった。


 大きな会社へ入った。


 これで安心だと思っていた。


 五年後。


 その社員証を返して外へ出る自分が、まさか不安より楽しみを強く感じているとは思わなかった。


 自動扉が開く。


 外はまだ明るかった。


 定時退社だから当然なのだが、それすら少し不思議に感じる。


 スマートフォンが震えた。


 最初に届いたのはセラからだった。


『直人様。五年間、お疲れさまでした』


 続けてラヴィ。


『マスター! 帰ってきたらお祝いです! 魔法は使いません! たぶん!』


 シエル。


『退職手続き完了を確認。直人の所属情報更新が必要』


 フィオナ。


『直人さん、お疲れさまでした。今日は帰ったら何もしなくて大丈夫ですよ』


 コレット。


『社長。東都ダンジョン資源開発株式会社との雇用関係終了を確認しました。明日以降は取引先として対応します』


 そして最後に。


『なおと。おかえり』


 まだ家にも着いていない。


 けれど。


 イリスらしいと思った。


 俺は一度だけ振り返った。


 五年間通った会社の建物は、何も変わっていない。


 嫌いになったから辞めたわけではない。


 追い出されたわけでもない。


 条件が悪かったから、その場の勢いで逃げたわけでもなかった。


 ここで働くより。


 六人と直したいものができた。


 それだけだった。


 だから俺は、そのまま前を向いた。


 明日から。


 俺はもう、魔力値一の窓際社員ではない。


 ヘクサ・リンク株式会社。


 代表取締役、白石直人。


 まだ社員一人の、小さな会社の社長だった。


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