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Forgotten Saga  作者: 水夜ちはる
第十三章・戦場の姫君
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第1話

大陸各国を巻き込んだフェルナーデ共和国包囲戦争。

最も激戦が予想される北東戦線にレルシェルはいた。親フェルナーデのヴェルア王国において戦いは始まり、迫るロイセン王国の大軍の前にレルシェルは――。

「今だ! 突撃! 敵軍をこの丘から追い落とせ!」

 大音量の声が戦場を駆け抜ける。大声量にも関わらず、澱みのない美しい声だ。それは戦場において極めて珍しいものだった。

 フェルナーデ共和国軍・第十八師団の司令官、レルシェル・デ・リュセフィーヌは十九歳の少女であり、そして前線の真っ只中にいた。

 兵士達の吶喊の声、各々が銃剣やサーベルを持って敵兵に雪崩打つ。その兵士達と共に少女も自らの剣を抜いて突撃をした。

 若く美しい少女、貴族の息女である彼女が戦場で泥と埃に塗れる姿は兵士達に勇気と戦意を与えた。

「馬鹿な……! なぜ奴らがここにいる! 報告と違うぞ!」

 丘を守備していたロイセン軍の指揮官は狼狽して言った。

 本隊から離れ丘を守備していた三〇〇名ほどの守備隊は、レルシェル率いる第十八師団の軽装だが火力と戦意が十分な精鋭歩兵二〇〇〇に急襲された。

 確かにフェルナーデ軍第十八師団がこちらに向かっている報告を彼らは受けていた。だがその部隊がこの地にたどり着くにはまだ数日の猶予があるはずだった。

 彼らはその第十八師団に備えるべく、この丘に陣地を作るための設営部隊だった。もちろん、訓練された兵士であることは間違いなかったが、陣地はまだ構築途中であり、十倍近い戦力に奇襲を受けたのではひとたまりもない。彼らはたちまち潰走に至った。

「丘を占拠せよ。逃げる敵兵は深追いするな!」

 戦いの帰趨が見えても、レルシェルは指揮を緩めなかった。

 彼女の部隊は大きな旗をそこに打ち立てた。フェルナーデ共和国旗である。フェルナーデ共和国軍が占領したと言うことを遠くからも良くわかるようにだ。

 規律の取れたフェルナーデ共和国軍は、丘を占領してそれ以上の進撃を止めた。

 いや、正確にはそれ以上の進撃は難しかったと言えよう。

 本来一万名を超える師団のうち、快速性と隠密性に優れた精鋭を抽出したレルシェルは、急行に急行を重ねてこの丘を襲った。

 部隊の疲労度は限界を超えいた。これ以上進むことは難しく、また作戦上の目標もこの丘を占拠することだった。

「皆疲れていると思うが、交代で休憩しつつ、陣地の構築を頼む。まあ幸いなことに陣地を構築するに彼らの置き土産は役に立ちそうだし、予定よりは楽になったかもな」

 レルシェルは辺りを見渡して言った。周りの将兵はそれを聞いて大きく笑った。第十八師団にとってこれは初めての戦闘であり、その作戦が成功したことは疲労を精神面で大きく和らげた。

 また彼女の言うとおりロイセン軍の設営隊は資材の回収も侭ならず逃走したため、陣地を構築する物資はあたりに十分にあり、彼女の立てた作戦の第二段階に移るには好条件であった。



 王国を倒し、共和政を打ち立てたフェルナーデに対し、周囲の王政諸国はフェルナーデに反発して対共和政同盟を結んだ。

 フェルナーデは国家総動員をかけ、各国に対応しなければならなかった。

 特に対共和政同盟の盟主的存在で、近年国力を急激に高めつつあるロイセン王国と、古くから国境を争ってきたユグラッド連合王国と対峙が予想される北東方面には八個師団、十二万人規模の兵力が配備されていた。レルシェルの第十八師団もその一つである。

「今のフェルナーデには兵も将も在るが、帥がいない。オリオールとリシェールという男がつまらんことで死ななければ、面白かったかもしれないがな」

 現状をそう評したのはフェルナーデ東部に広い領土を持ち、半ば独立した戦力を持つヴァーテンベルク伯オスカーだ。数々の戦場を渡り歩いた戦争の天才と評価を受けている男である。実際、現在も東部の国境を接するプロキア軍に睨みを利かせている。

「軍事面だけであればリシェールと互角に戦ったフィルマンと言う男にも可能性があったかもしれない。ただ、王国側に居た人間に総帥権を与えるほど、共和政府に度量は無いだろうな」

「レルシェル・デ・リュセフィーヌはどうでしょうか?」

 オスカーにそう問いかけたのは彼の補佐を勤める女、イリアである。公私共に最も彼に近しい人物だ。

「ふむ」

 オスカーは面白いと言う顔をした。ルテティアであった、あの鋭気と知性に溢れる少女の顔を思い出す。当時の彼女は北壁騎士団の長で、名を上げ始めたころだった。

「面白い。面白いが……まだ若い。戦場での閃きならば、あるいは俺とて後れを取るかもしれん」

 オスカーは革命戦争でのレルシェルの活躍を知っていた。その高い評価にイリアは少し驚いた顔を向けた。

「だが、やはりまだ視野が狭いかもしれないな。あくまで戦術家としては天性の才の持ち主だろう。だが戦略家としては……ま、そもそもまだ一軍の将でしかないからな、戦場を選ぶほどの余地がいまだかつて彼女にはない」

 だが面白い、と思う彼である。

「ならば、あなたであればどうなのです?」

 イリアの言葉にオスカーは少し目を細めて笑った。

「俺か? そうだな、俺の出番は……もう少し後だ」



 ヴァーテンベルク伯オスカーとレルシェル・デ・リュセフィーヌは共にフェルナーデの民衆や兵士に圧倒的な支持を得ている時の英雄であることは間違いない。

 この時点でレルシェルは十九歳、オスカーは三十歳であり、その経験の差は能力の差となっていたが、二人の英雄の最も大きな差異は内に秘めた「野心」があるかないかであった。



 フェルナーデ共和国軍が北東方面に投入した戦力は、他の方面に比べて格段に大きいものだった。ロイセン、ユグラットの戦力もさることながら、この地域に流れるライル川流域には小規模な国家や独立貴族領が点在し、元々これらはフェルナーデの従属国、あるいは衛星国であった。 これらの小国は大国の国境地帯に存在し、大国の侵入に対して抵抗できる軍事力をもたない彼らは、常に周辺の大国の諸事情に付き合わされる運命ある。

 この時の彼らも大いに揺れていた。

 もちろん王政、君主制を取る彼らにロイセンを始め同盟側は共和政に敵対するように求めた。

 しかし彼らはフェルナーデに国境を接しており、フェルナーデから離反すれば、真っ先に攻撃を受ける立場にある。ロイセンやユグラッドが援軍に駆けつけると約束しても、まず矢面に立たなければならない。

 フェルナーデが大軍をここに配置した理由の一つは、彼らを保護すると言う名目の上で離反を避けるための圧力でもあった。だが十二万と言う数字は、ロイセン・ユグラットの連合軍を想定するとやや心許ない数字である。しかし、現状フェルナーデがこの方面で動員・運用が可能な限界の数字でもあった。

 どちらにつくか各国が揺れる中、ライル川下流域に比較的広い領土と人口を持ち、豊かな農産物と陸路と水路の中継地点として経済的中心でもあるヴェルア王国は、いち早くフェルナーデに組することを宣言した。

 ヴェルア王国がフェルナーデについた理由は幾つかある。最たる理由は近い過去においてフェルナーデとユグラットの国境紛争の折、ヴェルア王国も戦場が近かったこともあってフェルナーデの同盟国として参戦していた。しかしヴェルアにはユグラッドからの密約を持ちかけられる。 ヴェルアは戦場に赴くものの、傍観に徹し、またフェルナーデ軍に補給すべき物資を意図的に滞らせた。ヴェルアは国力の衰退が隠せないフェルナーデを見限り、ユグラッドの密約を受け入れたのだ。

 そして紛争はユグラッドの勝利に終わった。フェルナーデはユグラッド領内にあった植民地の大半を失うことになり、その一部がヴェルアに割譲されるはずだった。

 しかしユグラッドは敗走するフェルナーデ軍を追撃の際、ヴェルア軍も攻撃した。

 泡を食ったのはヴェルア軍である。勢いに乗るユグラッド軍の追撃に交渉も降伏も侭ならず、兵力の過半を失い、自ら陣頭指揮を行なった国王すら戦死してしまう。

 領土割譲の約束も反故にされた。

 激怒したのは残されたヴェルアの首脳部だ。

 だがヴェルア一国でユグラッドに戦争を仕掛けることは出来ない。国力があまりに違いすぎた。

 かと言ってフェルナーデを裏切るユグラッドの密約を受け入れたことを公表すれば、フェルナーデからも敗戦の責を問われかねない。

 結局、ヴェルアは泣き寝入りをする他なかった。

 この過去の遺恨を鑑みれば、ヴェルアがフェルナーデ側につくことは当然とも言えた。

 そのヴェルアに対して、ロイセン・ユグラッドの連合側も黙っていなかった。主力から三万の兵力を抽出し、真っ先にヴェルアに矛先を向けたのである。



「殿下! アルベルト殿下! 南西の丘にフェルナーデの軍旗が! 援軍だ、援軍が来ました!」

 ヴェルア王国アステルの砦はライル川河岸、隆起した台地の上に立つ古城である。小規模で古い砦でありながら、大河と台地の地形を活かした造りで大砲も届かず、防衛拠点として優秀な働きを見せていた。

 事実、城に篭る五百名ほどの戦力でその十倍のロイセンの先鋒部隊の攻撃を凌いでいた。

 見張りの兵士の声に反応したのは、守備隊の指揮官、アルベルト・フォン・ヴェルアである。名前が示すとおりヴェルア王国の王族で、現王の弟である。

 彼は身軽に見張り台に上ると、南西の丘を見た。

 台地の上に立つこの城の見張り台からはライル川が作り出した平野を見渡すことが出来る。

 南西の丘陵地帯の一角には確かにフェルナーデ軍の軍旗が、そしてそれに並んで立つ様にリュセフィーヌ家の旗もあった。

 これにはレルシェルの意図があった。

「フェルナーデの援軍……第十八師団がこちらに向かっていることは聞いておりましたが、さすがに速すぎます。罠、と言うことはありませんか?」

 見張りの兵士が我に帰ったような表情で言った。

 それを聞いたアルベルトは疲労が濃かった表情を一変させて笑った。

「安心しろ、それはない」

 アルベルトはこの時未だ十六歳。少年の面影を十分に残した幼い顔立ちであったが、十分に説得力を備えた声で力強く言った。

「軍旗のとなりにあるのはリュセフィーヌ家の家紋の旗だ。僕はあの家紋を良く知っている。あそこには義姉さんがいる。レルシェル義姉さんが来てくれたんだ――!」

 アルベルトは目を輝かせて言った。

 アルベルトはレルシェルと面識がある。いやアルベルトは十歳から十二歳の間ルテティアに留学しており、その際にリュセフィーヌ家に預けられている。二年間ではあったが、レルシェルとアルベルトの仲はすこぶる良好で、実の姉弟のようであった。

 さらにアルベルトの兄、すなわちヴェルア現王ヨルグの妻はレルシェルの姉、リュセフィーヌ家の長女マリエルである。

「あのレルシェル・デ・リュセフィーヌが援軍に着たぞ! あの英雄レルシェルだ。皆、あと一分張りだ! がんばれ!」

 アルベルトは見張り台から大声を張り上げて叫んだ。

 やや芝居がかり、煽る口調であったが、大軍の波状攻撃に疲労の色が隠せなかった兵士達久しぶりに活気が戻った。ヴェルア王家の親族であり、フェルナーデの若き英雄の名の登場は、心理的に彼らを高揚させるに十分だった。

 歓声が上がる兵士達を見てアルベルトは頷いて言った。

「敵は動揺しているだろう。一時的な反撃を加える。同時に撤退の準備を進めてくれ」

「撤退ですか? フェルナーデ軍と挟撃ではなく?」

 兵士は驚いてアルベルトを見て言った。

「うん、レルシェル義姉さん――いや、フェルナーデのあの部隊は第十八師団の一部だ。おそらく快速の兵だけを抽出して先行させたんだろう。この城を囲む敵を駆逐できるだけの戦力は無いと思う」

「ではどうして……」

「あの丘は、僕らを攻撃する部隊と敵の本体との補給線を狙える位置にある。あそこを確保されたら敵は無視できない。おそらくこの城の攻撃を一旦中止して確保を優先するだろう。そうでなければ補給を断たれた上に、背後から攻撃を受けるハメになる」

「なるほど、その隙ならば……」

 アルベルトは頷いた。そして目を細めて小さくため息をつく。

「しかし……レルシェル姉えは本当に英雄なんだな――」

 低く呟いたアルベルトの言葉には羨望と同時に苦痛も含まれていた。

 レルシェルが率いてきた兵の数は二千、この城を取り囲むロイセン軍は五千。正面からぶつかり合えばレルシェルの苦境は目に見えている。

 その自己犠牲的な行動が彼女の「英雄」たる所以なのか――。

 アルベルトは奥歯をかみ、両の拳を目一杯握り締めてたなびくフェルナーデ軍旗を見つめた。

 

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