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Forgotten Saga 作者:水夜ちはる

第十二章・大戦前夜の断章

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第3話

かつてない規模の戦争が始まろうとしていた。
その足音は確かなものであったが、未だルテティアの街には平和の灯が点っていた。
戦争前夜のひとときが、そこにあった。
 フェルナーデ共和国とそれを取り囲む諸王国は戦争状態に入った。
 疲弊していたとは言え、フェルナーデの国力は周辺諸国に比べても大きいものでその動員兵力は辺境の警備兵力を含めると二十五万を超える。
 ただ国情は不安定でそのすべてを外敵に当てるわけには行かなかった。旧王国派の主立った勢力は姿を消していたが、治安は悪化しており山賊まで頻繁に跋扈する始末である。
 その中でフェルナーデは世界を相手に戦わなければならなかった。
 この時、独自の防衛線を張ってプロキア軍と対峙したヴァーテンベルク伯率いる四万を除き、共和国軍は大きく四つに兵力を分散した。
 対ナヴァール王国戦線に二個師団、二万五千。これには旧王国派ではあったが、革命軍との最後の戦いに善戦した王国軍の指揮官カミール・デ・フィルマンが率いることになった。
「旧王国軍の中でも特に扱いづらい連中を私に押し付けたんだろう。まあ私としてもそのほうがやりやすくはあるが」
 フィルマンはそう言って南東へ軍を進めた。確かに彼の配下には旧王国に属した諸将が中間指揮官として配属されていた。
 南西のタリア王国に対しては革命の誕生の地、レオンに滞在していた老将のトリスタン将軍が率いることになった。王国時代から実績と名声を得ている歴戦の指揮官であり、三個師団四万人を率いる。
 そして北西方面に展開されるであろう、ユグラット連合王国とロイセン王国の連合軍に対しては八個師団十二万人余の兵力が投入される。この二つの国は共和政府へ最も強い敵意を持っており、最も激しい戦闘になることが想定されたからだ。
 残りは首都ルテティアに六万弱の兵力を残すことが決定された。これは各戦線への予備戦力となり、また仮に戦線が突破されたときの最後の砦となる戦力だった。
 レルシェル・デ・リュセフィーヌが司令官に就いた第十八師団は王都旅団の生き残りと、レルシェルが率いたルテティアの戦力の一部、そして徴用された新兵からなる混成の集団であった。
 面倒だが戦力の増強のための兵力をレルシェルに押し付けたといっていい。
 これについては作戦本部で参謀を務めるアルノ・デ・トリュフォーがこう言っている。
「あの統率力は稀代のものだ。当然評価すべきで、彼女ならうまくやってくれるだろう」
 無責任な発言だとレルシェルは怒ったものだが、アルノが彼女を高く評価していたのは確かである。
 その第十八師団は北西の戦線に投入されることが決定されていた。
 第十八師団は戦場が想定される地域に進出するまで、途中にある都市ランシュまでの行程で一ヶ月の訓練が予定されていた。
 たった一ヶ月でレルシェルはこの新編された師団を、前線に投入できる精兵に鍛え上げなければならなかったのである。


「しかし狭いなあ。暑いし。どうにかならんのかテオ?」
「お前が俺の店で良いって言ったんじゃないか。大体これでもかなりの人数に諦めてもらったんだぞ。お前んちでやればよかったんじゃねえのか。広いだろ?」
 ごった返す店内を見渡しレルシェルは文句を言ったが、テオは忙しそうに調理場で色んな料理を同時進行しながら怒鳴った。
 ここはルテティア北壁の下町にあるテオの店、いわゆる大衆酒場だ。
 大貴族の娘であるレルシェルには不釣合いな酒場だが、彼女はことあるごとにここを訪れて酒を楽しんでいる。曰く、宮廷の晩餐会で出される高級ワインや蒸留酒よりも、この雰囲気で飲むエールのほうが旨いそうだ。
「おう、何言ってんだ。レルシェルの家でやったら遠慮してこねえ連中がたくさん出るじゃねえか。第一、俺ですら何を着ていけばいいかわからん」
 隣に現れて言ったのはギャランだ。初めてこの酒場にレルシェルを連れてきたのはこの男であった。
 今日は入り口に貸切の立て札がある。
 ルテティアを離れ、戦場に赴かねばならないレルシェルの送別会だった。北壁騎士団からの付き合いがあるもの、この店で知り合ったもの、出会いはそれぞれだが、レルシェルとの別れを惜しむものがここに集まって店内は満員だった。その殆どは一般庶民である。彼女がどれだけ市民に慕われていたかはこの店の雰囲気を見ればすぐに分かるだろう。
「私の家はそんなに堅苦しくないぞ。みんなにあわせることくらい出来る。なあリズ?」
 レルシェルは心外そうな表情を浮かべて言った。
「そうですねえ……油断しているとレルシェル様なんか下着一枚でうろうろしていますからね」
 リズは素行の悪い娘を見つめるような視線で言った。もちろん彼女のほうがレルシェルより若いはずなのだが。
「なっ……いいかげんな事を言うな、リズ!」
「あら、事実じゃないですか」
「なんだと? それは少し見てみたい気がするな」
 赤面してうろたえるレルシェルを見て、ギャランはあごの無精ひげを撫でながらからかった。
「まったく……しかし我が家で送別会をやれば我が家がホストではないか。何故送られる側がもてなさなければならない。第一、今夜だってどうして私もちなんだ。おかしいだろ?」
「お前と俺達じゃ財布の厚さが違うだろ。しかたねえよ」
 不満げに言うレルシェルを横目に、ギャランは手にした酒を飲み干していいかげんに答えた。
 貴族だって今は大変なんだ、とレルシェルはぶつぶつ言ったが、それは事実だとしても彼女の就いている役職に支払われる給料は下町の面々に比べればそれこそ桁が違う。
 共和制になり、以前のような特権階級との差はいずれ小さくなるかもしれない。だがその差が「桁違い」にでなくなるには遠い未来になるだろう。
「それに送別会と言ってもちょっと戦場に行ってくるだけだ。リュセフィーヌ家がルテティアから引っ越すわけでもあるまいし」
「そうだな。だがお前さんのことだ、何があるかわからん」
 レルシェルの言葉にギャランはにやりと笑って言った。
「どう言うことだ?」
「先の内戦のときのことだ。ちょっと戦場に行って来たお前は敵に捕らわれるならともかく、味方に捕らえられて投獄からの三ヶ月行方不明とか、色んな戦場を渡り歩いてきた俺だがそんな指揮官見たことねえからな」
「うっ……」
 ギャランの皮肉にレルシェルは反論の余地が無かった。
「あのときのレルシェル様は酷かったですねえ」
「リズまで?」
 しみじみと言うリズにレルシェルは衝撃を受け、テオにやや強い酒を注いでもらう。その酒は少し辛く、涙の味がした。
「ま、でもよ。戦場ってやつはそう言うもんだ。全員帰ってこねえってことはないが、全員戻ってくるとは限らねえ」
 ギャランの声色は少しだけ暗くなった。
 彼は声には出さなかったが、革命戦争で帰らなかった親友アンティウスのことを言っているのだろう。アンティウスはレルシェルもまた王都旅団で最も信頼していた部下だった。
 レルシェルは彼のことを思い出し、表情に影を落とした。
「まあそう言うわけで、心配だからよ。俺もついて行ってやるぜ」
 ギャランは重い空気を振り払おうと陽気な声で言った。
 レルシェルは驚いてギャランを見た。
「待て、卿は師団の要員に入っていないぞ」
「そりゃそうだろう。俺は今はただの傭兵だ。正規の軍の管理外だ。だが、傭兵だ」
 ギャランは含みのある笑みを浮かべ、傭兵と言う言葉を強調した。
 ぽかんと口を開けたままのレルシェルだったが、すぐに彼の意図を汲み取った。
「卿らを雇え、そう言うことなのか?」
「さすがレルシェル。飲み込みが早いぜ。俺達傭兵『ガルーダ』はレルシェル・デ・リュセフィーヌと懇意の関係にある。そうだろ?」
 ギャランの言にレルシェルはすぐに答えることが出来なかった。嬉しかった。こんな心強いことがあるだろうか。
 ――しかし。
 レルシェルは表情を厳しくした。
「卿は妻と子がいるのではないか。そのために傭兵稼業を辞め、北壁騎士団に入隊した。そう言ってなかったか?」
「ああ、その通りだ」
「ならば何故――」
「守りたいからだ」
 ギャランはレルシェルの言葉を遮って言った。
 レルシェルは驚いてギャランを見た。
「勘違いするな。そのカミさんやガキを守りたいからだ。今度の戦争はただ事じゃない。俺一人の力であいつらを守れるようなものじゃないと俺も感じている。なら、もっとでかい力を持った奴を助けることで、俺の守りたいものを守れるんじゃないかって思ったんだ。それがお前だよ、レルシェル」
 ギャランはまた酒を飲み干して言った。
 レルシェルはまたも即答ができなかった。彼女は悩んだ。しばらく沈黙してじっと悩んだ。ギャランもそれをただ待った。
 しかし、レルシェルは顔を上げるとギャランをまっすぐに見た。その表情を見てギャランは彼女に正対する。
「ギャラン――。私に力を貸してくれるか」
「ああ、よろしく頼むよ。司令官殿」
 ギャランはいつもの彼のように不敵に笑うと、恭しく敬礼をした。
 二人の様子を見ていた周囲の客からわっと歓声が上がった。
「しかし、本当に良いのか?」
「お前もしつこいな。カミさんには話はつけてあるよ。それに俺は死にゃしねえよ。俺は不死身のギャラン様だ。俺は必ず……ぐほっ?」
「それ以上はダメだギャラン、言ってはダメだ!」
 レルシェルは慌てて拳を振るった。思わず手が出たので狙い定めたわけではなかったが、彼女の拳はギャランのわき腹に食い込んでいた。歴戦の傭兵もそこは筋肉の薄い箇所だ。思わず息が詰まる。
「それ以上言うと帰って来れなくなる。古今東西の物語ではそう言うことになっている。絶対に言うな」
 レルシェルは大真面目で言った。
「レルシェル、お前な……ちったあ手加減しやがれ……」
 見事に急所を食らったギャランは悶絶しながらレルシェルに呪いの言葉のような声で抗議した。


 やがて夜も更け、酒場で騒いでいたものたちも酔いが回って、騒いでいるものも少なくなった。酔いつぶれて帰ったり、寝ているものもちらほらだ。
 いつの間にかリズも机の上に突っ伏して寝息を立てている。
「さて、私もそろそろ限界だ。帰ることにするよ」
 レルシェルもアルコールで赤く染まった顔をあげ、リズの肩を揺らしながら言った。
「そうか、もうずいぶん遅いしな」
 テオはいつものように答えてくれた。レルシェルはそれが少し嬉しかった。
「で、いくらだ? テオ。まったく人の金だと思ってみんな散々飲み食いしたなあ」
 レルシェルは呆れるように酒場を見渡した。机の上には山のように空の皿や瓶が散乱している。
「お代は良いよ、レルシェル」
「うん? どう言うことだ?」
「みんなから貰っている。今日はみんなのおごりだよ」
 テオは愛嬌良く片目を瞑って見せた。
 レルシェルは驚いて酒場の面々を見た。
 みんな酔っ払いで酷い顔をしているが、それぞれが杯を持ってレルシェルを見ていた。
「はやく帰ってこいよ、レルシェル」
「いい土産あったらよろしくな!」
「戦争なんかさっさと終わらしてくれ」
「とにかくお前さんが居ないとこの町はよくならねえよ」
 皆が口々に言う。
 レルシェルは呆然とそれを受け止めた。受け止めてそれが徐々に胸にたまって行く。それは際限なく彼女の中に注ぎ込み、そしてついに溢れた。
「ありがとう……ありがとう、みんな」
 レルシェルは泣いていた。
 人前で泣くのは珍しい彼女だ。この家族のような下町の空気が、彼女をそうさせたのか。彼女自身分からなかったが、とにかく彼女はそれ以上言葉か続かなかった。涙で声を紡げなかったのである。
 そして――。
「帰ったらレルシェルのおごりで戦勝パーティな」
「それはおかしいだろ……ぐすっ」
 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を起き出したリズに拭かれながら、レルシェルはなんとか反論した。
 酒場がどっと笑いに満ち溢れた。


 世界が経験したことの無い規模の戦争が始まる――その前夜のことだった。


大戦前夜の断章 <了>
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