幻魔討伐作戦 ① 開幕
舗装されたわけではない獣道のような帰路。生徒たちはデュカリオン大森林を抜けるため一昨日に通った道を黙々と逆走する。その時はこんなにも早く合宿が終わってしまうとは誰も想像していなかった。本来であれば訓練が終わったことに対する寂しさや嬉しさを各々が感じながら通るはずだった帰り道、そのような余裕など誰一人として持ち合わせていなかった。一刻も早く脱出し、胸にひた隠しにした恐怖を外に吐き出したい。その衝動に駆られ、彼らはひたすら足を動かし続けた。
召喚士になりたてのひよっこが幻魔という災厄に立ち向かうには経験も度胸も覚悟も何もかも足りていない。しかしそれは教師たちも同様だ。彼らも一介の教育者に過ぎず、幻魔との戦闘経験なんてものは皆無だった。
だが生徒の安全と幻魔の対処に板挟みにされた教師たちは間違いが起こらない選択を常に迫られていた。
「……杞憂で終わればいいが」
ぽつりとアーネが呟く頃には先頭は森を抜け、馬車の停留所までたどり着いていた。
最後尾だった彼女が停留所に到着すると、先頭を走っていた先輩教師の元へ駆け寄りはぐれた生徒がいなかったことを報告する。
教師たちの指示は迅速で的確だった。
班ごとに人数を確認し馬車に詰め送り出していく。名簿にチェックを入れ漏れた生徒がいないか入念に確認していく。
そして最後の馬車に三班目であるセルティア班を押し込もうとした時――それは訪れた。
「先生! あれを!」
馬車に乗っていた女子生徒の1人がアーネの後方上空を指差し叫ぶ。
緊迫した表情に声、振り向かなくてもわかる。
幻魔が襲ってきたのだと。
だが、なぜだ?
なぜ自分の聴覚で捉えられなかったのかとアーネは自問する。
ウルフ系獣人で狩りに特化しているこの私が、幻魔が森を闊歩する騒音を聞き逃すはずがない、と。
答えは簡単だった。
「……まいったね、こいつは」
振り返り、呆れたような渇いた笑いが思わず漏れでる。
そもそも女子生徒が上を指した時点でおかしいとは思っていた。超大型ではなく中型の幻魔だと情報が回っていたのに大きすぎると。
「空を跳んできやがった……!」
オルガが叫ぶ。
ぐるぐると車輪のように回転する物体がこちらに向かって落下していた。森を突っ切るのではなくその上空をひとっ跳びされては打つ手はない。
セルティア班も初めて見る幻魔の挙動に動揺を隠せない。
地面と激突して轟音を響かせながらも鮮やかに着地する化物に一同は言葉を失う。こんなわけのわからない化物と人型精霊は戦って生還したのかと戦慄する。
生態が未だに解明されていない幻魔は予測不可能な自然災害のようなものだ。こんな登場をされては対策など無意味であり、警戒しても通り雨のように降って来られては避けようがない。
「さて、ここからどうする」
この奇襲が夜中でないことに感謝しつつ、どの道強襲されるこの運命をアーネは呪った。
下手に動くことはできない。
ここに登場したということは狙いは自分たちだと確信している。視界が広いにも関わらず街道を進んで逃げている他の馬車に関心を示さないのはさらに目の前の獲物に標的を絞っているからだ。
先に動いたら狙われる……いや、むしろそれなら囮となるべく行動すべきではないのか。
そんな束の間の逡巡の中、飛び出す2つの影がアーネの視界に映る。
「穿て! ロック・ランス!」
「焦がしてグレンラタン……」
セルティアとティーユだ。
魔法が効かないといっても土魔法による間接的な物理打撃は有効であり、ダメージは微量でも土塊の槍でよろめかせることぐらいはできる。その隙をつきティーユが精霊の杖をハンマーのように振りかぶり幻魔の頭に叩きつけた。
「なんて、無茶を……!」
今の行動で標的は定まってしまった。
「……」
重く喉を鳴らし、ゆっくりと幻魔が面を上げる。
そして獲物を見据え、前進しようとした瞬間――違和感を得る。
後ろ足が動かない。
これは――
「残念ですわ。もう気付かれてしまいましたの?」
強がってはいるがアリージェの声は震えていた。
拘束するためにスライムのツィーペルターを幻魔の足にあてがっていたところだった。本当は魔物の首を切り落としたときのように足首を切り落とすつもりで蹴り飛ばしたのだが、全くの無傷で気づかれることもなかったので予定の変更を強いられた状況だ。
幻魔を足蹴にしているお嬢様というはしたない絵面だが、本人はそのような些末なことを気にしている余裕などない。幻魔の足にくっついているスライムが空気も読まず『まずい!』と幻魔の味の感想を垂れているなど知る由もないだろう。
「くっ、焼石に水……ですわね」
スライムの粘着性で足止めをするつもりだったが一蹴されツィーペルターが弾け飛ぶ。無論、スライムなのでダメージはなく、アリージェも召喚獣の心配をするつもりはなかった。
「お嬢!」
靴が飛び散ったことで素足に近い形となったアリージェをオルガが抱っこし、その場を離脱する。
精霊で足止めすることはかなわなかった。やはり当初の予定通り――
「セルティア! 逃げますわよ!」
「はい!」
セルティア班の方針は決定した。あの時は動かなかった身体が嘘のように軽くなっていた。
恐怖はある。
消えるわけがない。
だが、彼らは仲間と精霊――そしてルダージュがいることを知っている。
それが召喚士としての使命を後押ししていた。
「だから君たちは先行し過ぎだ。僕だっていつも柔軟に動けるわけじゃないんだぞ」
ヘルエルが魔法で幻魔を拘束する。
ただの魔法では意味がないため、植物を急成長させてロープのように扱い絡めとる魔法を使用した。それが魔法である限り幻魔にとっては子供騙しのような技だが、何もしないよりは増しだという判断だ。
「だー! 確かに私は囮になれと言ったが……!」
巻き付いている植物を引き千切っている幻魔にアーネは2本のポーションを投げつける。
幻魔の足元で割れたポーションは中の液体が飛び散り、混ざった瞬間に大量の煙を吐き出した。
煙幕だ。
「引き返すぞ! ティア班は私と共に森の入り口まで戻る。……キミたちは先に合流しろ。報告を忘れるんじゃないぞ」
セルティアたちに逃げる方向を指定し、馬車に乗っていた生徒たちを連絡役に抜擢する。少数精鋭の方が指示も与えやすく犠牲も――と馬鹿なことを考えアーネは頭を振った。
「せ、先生……?」
女子生徒が不安そうに呼びかける。たぶん酷い顔をしていたのだろう。
「なんでもない。行ってください」
御者が待ってましたと言わんばかりに馬車を急発車させる。
私も逃げたいなぁと情けない感想が湧いてくる。だが生徒が立ち向かっている相手に対して教師が背を向けるわけにはいかなかった。
「あーもう、馬鹿なこと言うんじゃなかった……」
囮や足止めをしろなんて無茶な要求を生徒にしていたことを悔んだ。実際に生徒が幻魔と戦う姿など心臓に悪すぎる。こんなことならば自分1人で戦っていた方が心穏やかでいられた。そんな心境が彼女を押しつぶしていく。
あの口止めはこういう意味だったのか、とアーネはオリヴィエの指の感触を思い出し気づかされる。
それはオリヴィエの過去の後悔による助言のようなものだったが、そこまでの背景を知るのはあの時に何も語ることのなかった妹ぐらいだろう。
「たまには私も本気を出すか」
バシンっと軽快な音が鳴る。
アーネが気合を入れるため両頬を叩いた音だ。
「アーネ教諭?」
「エル。全員に精霊の身体強化は施したかい?」
「すでに終わっています」
「流石ね」
煙幕から姿を現した幻魔はすでにセルティアとティーユに狙いを定めていた。
2人は自分たちが狙われていることをわざわざ確認してから走り出す。
「そこのバカップル主従とエルは私についてきなさい! 2人を逃がすサポートをするよ!」
ローブの内側に両手を突っ込みありったけのポーションを指の間に挟んで取り出す。その途中で「誰がバカップルですの!?」と抗議の声が上がったがアーネは耳をぴくぴく動かし聞こえなかったことにした。
さぁ、
「追いかけっこの始まりだ」




