黒衣の従者
ミカルガの町。
リューゼル湖の東に位置する港町であり、漁業はもちろんカジノなどの娯楽施設やリゾートホテルなどが立ち並ぶ歓楽街としても有名な場所だ。
アリアデュラン王国と近いことから遊楽のために足を運ぶ者も多く、水中都市アクアリゼルとの貿易も盛んに行われている。
王国と水中都市の中間に位置している関係から橋渡し的役割も担うことが多い。
現にセルティアの元に届いた幻魔討伐依頼の手紙はミカルガを経由して送り届けられている。
ルダージュたちがミカルガの町ではなく南ペリオル町に立ち寄って水中都市へ向かったのは単純に位置関係の問題だ。学園都市から最も近い港町が南ペリオルだったのだ。
『賑わってますね』
「ミカルガは観光地として有名な町よ。少し前までは自粛ムードで人の波も控えめだったようだけど……リューゼル湖の幻魔が倒されたことで活気が戻ったようね。誰かさんの功績はここでも反映されてるってこと」
椅子に座っている人魚の女性が背後にいる従者らしき男と会話をしている。
地上で人魚を見かけるというのは非常に珍しい光景だ。
理由は明白だ。
人魚には足がないため陸を歩くことができないからだ。
それは水中都市と交流のあるミカルガの町といえども例外ではない。
人魚は普通、陸地にはいないものなのだ。
『……やっぱり怪しすぎたかな』
「怪しい?」
『周囲から注目されている気がして……身バレ防止とはいえ全身黒づくめはやり過ぎたかもしれません』
その言葉を聞き、人魚の女性は改めて従者の姿を頭からつま先まで確認する。
黒いフードで頭を隠し、漆黒の装衣で全身を覆う黒衣の従者。顔を覗こうとするとそこにはまた灰色の仮面が素顔を隠していた。
正体を知られたくない――という意思だけは隠そうとしない。
そんな姿だ。
「怪しくないといえば嘘になるわね」
『……』
「でもどちらかといえば注目されているのは貴方ではなく私かしら」
『美人なお姉さんだから』
「よくわかってるじゃない――と言いたいところだけど少し違うわね。私が人魚だからよ」
ピンクブロンドの美しい長い髪が風に揺れ、灰色の膝掛けの隙間から薄紫の鱗が見え隠れしていた。
巷では『深層の人魚姫』と称されるほどの美貌を持つ水中都市の人魚――ハザクラが解説を続ける。
「水中都市と交流のある施設は湖側に集中していて陸地とは別の窓口が用意されているの」
『つまり陸に上がる必要がない、と』
「そういうことよ。だから町のど真ん中で人魚を見かけるなんてリューゼル湖の港町といえどありえない。あとは……それを可能にしているこれの所為かしら」
ハザクラはそう言って体を預けるように椅子に深く腰をかけた。
彼女が座っている椅子は普通の椅子ではなかった。
椅子の両側に車輪が一対、足元には小さな車輪が一対の計四輪。
車椅子と呼ばれる椅子だった。
足が不自由になった者は寝たきりの生活を強いられるか杖をついて自力で歩くしかない。もしくは魔法を使って治療するものだ。
車椅子はアリアデュラン王国では珍しい代物であり、物珍しさから注目を集めてしまうのは致し方のないことだった。
そして珍しい代物とは入手が困難であると同義でもある。
いったい誰が用意したのか。
それは車椅子と同じ色の装衣を纏う従者が答えを握っているのだろう。
『悪目立ちしているわけじゃないならいいか』
「堂々としていましょう。いずれ関心もなくなるわ」
『りょーかいです。ちなみに座り心地はどうですか?』
「驚くほど快適。さすが貴方のお手製ね。揺れないし、振動も感じない」
従者の男は安心したように頷き、車椅子を押し続けた。彼がハザクラの隣ではなく後ろに控えていたのは車椅子を操作するためだ。
この黒い車椅子は普通の車椅子とは違い、車輪はただの見せかけだった。実際は地面すれすれのところで浮遊し、空中をホバー移動している。
だから揺れないし振動もない。
魔導具や魔法には頼っていない。それこそまさに従者の“お手製”によるものだった。
「でも、残念ね」
『残念?』
「運ばれるなら貴方に抱っこされるのも捨てがたかったわ。初めて会った時のように」
期間でいえば直近の話ではあったが、ハザクラは懐かしむように目を閉じた。その頬はイタズラな笑みを浮かべてはいたが後ろで車椅子を押している従者には見えなかった。
『勘弁してくださいよ。それこそ悪目立ち一択だ。これはあの反省を活かした結果なんですから。ただでさえ抱っこはもう……』
「もう?」
『いえ、なんでもないです』
あからさまな「やってしまった」という態度の従者にハザクラは訝しげな表情を送った。
「何を言いかけたのかしら。白状しなさい」
『大したことじゃないですよ。それより早く目的地に向かいましょう』
しつこく問いただすつもりはないのかハザクラは肩をすくめて「あっちよ」と位置を示す。
従者の男は安堵したように歩みを進めた。
ただ、その視線の先には腰に帯びた禍々しい装飾の直刀があり、それは黒色の鞘に静かに収まっていた。
±
「私を連れて行って?」
ルダージュの言葉にシルヴィエがこくりと頷く。
ある日の夜。
それはハザクラたちがミカルガの町に出向いた日の、前日の夜のことだ。
シルヴィエが『2人っきりで話がしたい』とルダージュを呼び出した。
場所はアクアリゼルを初めて訪れた時に案内された広場。幻魔討伐を祝った宴会場はあの日の活気とは打って変わり沈黙をついていた。
人魚の園の民たちは寝静まっているのだろう。
人の気配はなく、世界にはルダージュとシルヴィエしかいないのではないかと錯覚させる。
ただそれは、裏を返せばルダージュにはシルヴィエがいてシルヴィエにはルダージュがいると思い知らせているようだった。
「2人っきりでって話だったから何事かと思ったよ。東の港町――ミカルガ、だったかな? そこにシルヴィエも行きたいってこと?」
沈黙を破ったのはシルヴィエの第一声『私も連れて行って』という一筆だった。
ルダージュはそれを読み返し明日の付き添いのことだと当たりをつける。
読みは当たっていたのだろう。
シルヴィエが静かにまた頷き、ルダージュを見つめ返した。
「それは別に構わないけど……」
2人っきりで話す必要はないな、とルダージュは正直思った。夕食どきに世間話のついでに提案してくれればいいだけの内容だ。
でも、だからこそこの話には続きがあると確信できた。
「……」
それを証明するようにシルヴィエが無言で筆を走らせた。
そして、
『貴方が目的を達するまで私は刀として貴方についていく』
シルヴィエの言葉にルダージュは目を丸くした。
彼女は“人”としてではなく“刀”としてルダージュの側にいると語った。それはつまり聖刀シルヴィエとしてルダージュの武器になるということだ。
ハザクラがミカルガの町へ出向くのは地上にあるギルドに湖賊退治の協力要請をするため。ルダージュはその手助けをする約束になっている。
ただ、シルヴィエが語る“ルダージュの目的”は協力要請のことではない。
湖賊退治――つまりは湖賊を制圧、殲滅……あけすけに言ってしまえば“人を殺すこと”。強くなるためにその手を血に染め、異世界の常識に染まることが目的だ。
『1人で抱え込まないで。私がずっと貴方のそばにいる』
一緒に血で染まろう。
罪を分かち合おう。
私が貴方を隣で支えるから。
シルヴィエが綴る言葉から彼女の想いが伝わる。
「……ありがとう、シルヴィエ」
ルダージュは目を閉じ、一瞬だけ口を開きかけた。だがすぐに思い直し、見つめ直した。
「お願いできるかな?」
「……! っ! っ!!」
シルヴィエが嬉しそうに頷き、ルダージュも釣られて顔を綻ばせる。
ルダージュ自身は気づかなかったが、その笑みには安堵したような柔らかさがあった。
強くなることを決心していたとはいえ全ての不安を拭うことはできていなかったのだろう。
その様子を間近で見ることができ、頼られたシルヴィエとしては喜びもひとしおだ。
「なにかお礼がしたいな」
「?」
律儀なのねと思いつつ、シルヴィエは水臭いことは言わなくていいよと首を振るつもりだった。だが少し魔が差した。
彼が甘えてくれたのだから自分も甘えていいのではないか。
そういえば彼の知らないところでハザクラと話をした時、羨ましいと思ったことがあったな、と。
「シルヴィエ?」
シルヴィエは近くにあったベンチに腰をかけ足元の水をちゃぷちゃぷと鳴らす。まるで水が冷たいからこれ以上浸かっていたくない、と語るように。
そしてルダージュを見上げ、彼に向けて両手を広げた。
「それは、どういう――」
「ん……」
察してほしいから教えるつもりがないのか。シルヴィエは可愛らしく唸るだけで筆を取ろうとはしなかった。もしくはただ単純に願望を言葉にするのが恥ずかしかっただけかもしれない。
「いや、待てよ……」
ルダージュは逡巡し、躊躇いがちに口を開いた。
「……似たような光景を最近見たけど、もしかしてハザクラさんから何か聞いてる?」
シルヴィエからの返答はない。
その代わり口元を隠す仮面の下に少しだけ赤みが差した。
「まいったな」
ルダージュの決断は早かった。
シルヴィエの背中と膝の下を両腕で支え軽々と持ち上げる。
冷たい水から救い出された足が外気に触れ、滴り落ちる雫が波紋を作った。
2人の顔はいつぞやの学園祭の時のように急接近を果たした。
「……今夜は、冷えるから」
気が利かなかったと言い訳するようにお姫様抱っこを実行したルダージュ。
これがお礼になっているのか疑問視したいところではあったが、シルヴィエの腕が抱きつくように彼の首に回されたことで要らぬ心配だったと証明してくる。
「……」
「……」
しばしの沈黙が流れた。
本題は話し終えているので後は部屋に戻るだけだ。だがそれだけでは味気ない――勿体無いのではないかという葛藤が2人の中であった。
特にルダージュは彼女たちとの未来を前向きに考え始めたばかりだ。蜜月――というにはあまりにも清すぎる時間ではあったが、せっかくの2人きりの時間をこのまま終わらせるのはあまりにも不誠実だと思うようにはなっていた。
「……聞き忘れてたことがあった」
「?」
だからだろう。
先に沈黙に耐えかねたのはルダージュの方だった。
「聖刀を振る時、刀身を魔装で覆いたい」
「………………?」
ルダージュの言葉の意味がわからなかったのだろう。シルヴィエは仮面で隠れていない目をぱちくりとさせると、こてんと首を傾げた。
補足するためにルダージュが言葉を続ける。
「敵を斬れば返り血を浴びることになるだろ? 湖賊の血でシルヴィエの刀身が汚れるのは……なんか嫌だ」
「ん」
シルヴィエは思わず笑いを堪えるように鼻を鳴らした。昔、弟のアルフォスも同じようなことを言っていたなと思い出したのだ。
なんか嫌、という素直な理由を聞くと改めて彼が年下の男の子なのだと実感してしまう。
「……あの、シルヴィエさん。どうして俺の頭を撫でているのでしょう」
さわさわとルダージュの髪に触れながらシルヴィエが微笑む。彼の感情と気遣いは正直嬉しい。
「いたっ」
だが、それと同時に譲れないものがあったので彼のおでこをぴんと指で弾いた。
「えっと……」
戸惑うルダージュの横でさらさらと筆を進める。
「セルティアには、許可を、とらずに、魔装で覆っていたよ……か」
文字を読み、いつの話だろうとルダージュは頭を悩ます。
そんな彼にシルヴィエは両手をぐっぱと握り開いてヒントを与える。
「――ぁ、手袋。たしかに手が冷えるからって図書洞窟で渡してたか」
有無を言わさずセルティアの手を魔装で覆ったのは事実だ。だがセルティアとシルヴィエでは事情が異なる。
魔装は幻魔の力だ。
そしてシルヴィエとオリヴィエは幻魔との因縁がある。それを鑑みれば無遠慮に魔装で体を覆うことなどできるはずもなかった。
(でも、その気遣いが無用だって話だよな)
遠慮しないことも信頼のひとつだ。
セルティアにやったような強引さがご所望というのならルダージュとしてはその期待に応えるだけである。
「わかったよ、シルヴィエ。今回の依頼では柄以外を魔装で覆うことにする」
確定事項のように言い切る。
シルヴィエもそれでいいと受け入れるように目を細め頷き、唐突に仮面を外す。
「――え?」
素顔を晒したのは一瞬。
次の瞬間にはルダージュの頭を抱えるように引き寄せ、仮面の代わりにルダージュの額がシルヴィエの口元を隠していた。
±
「着いたわ」
『――っと、ここがそうなんですね』
ハザクラと従者の男が立ち止まり目の前の建物を見上げる。
「ミカルガの冒険者ギルド。リューゼル湖東支部ね。……ぼーっとしていたようだけど何か考えことでもしていたのかしら?」
『ちょっとだけ』
内容を語るつもりはないのか仮面の一部をさするだけで言葉は続かなかった。
「ふ〜ん? ま、いいわ。昨日打ち合わせた通り中に入ったら私が話を進めるから貴方はどっしりと構えていてね」
『ああ、任せてくれ。荒くね者が現れたら俺が全部片付ける』
「頼もしいのね。じゃあ入りましょうか、グレイ」




