囚われの人魚姫
「がーっはっはっは! 笑いが止まんねーなぁおい!! 俺たちは最高についてるぜ! なぁ? 野郎ども!!」
船上からドスの効いた笑い声が上がり、それに同調するように下卑た歓声が周囲から溢れた。
3隻の漁船が海原の上で連なるように停船している。
漁船は何の変哲もない木製の船だった。甲板には漁に使用するであろう魚網があちこちに積まれ、船員らしき男たちが一仕事を終えたとばかりに片付けを始めていた。
不思議なことに網の中に魚などの水産物の姿はどこにもなく、側から見れば不漁にしか見えない光景だった。しかし、男たちは顔を曇らせるどころか満足そうな下種な笑みさえ浮かべており、どこか浮き足立っているような空気があった。
「……騒がしい人たち」
そんな中、水を差すような冷たい女性の声が凛と響いた。
「人と魚の区別もつかないぼんくら。湖賊に堕ちると視力も落ちてしまうのね。魚を捕まえたいのなら他所でやってもらえるかしら?」
「あ~ん? 何言ってんだ? ねえちゃん。どう見ても俺たちゃ大物を1匹捕獲できてるじゃねえか。それとも何か? 鏡でも持ってきて現実を教えてやった方がいいか?」
先程、音頭を取っていた男が集団を代表するように声に応える。おそらく長なのだろう。蓄えた髭と肥えた腹には威厳のようなものが詰まっていた。
男は甲板の上で唯一吊り下げられた網を見上げる。
――そこに彼女はいた。
「必要ないわ。人を魚扱いする節穴たちの鏡なんて汚くて身だしなみすら整えられないもの」
「イキのいいねえちゃんだねぇ。自分が置かれている立場ってものを理解できてねぇみたいだな。それにおめえは――」
「せんちょー、めんどくせーんでヤっちまいましょうよ! 俺たちで一周している間にどうせ喋る元気もなくなっちゃいますぜ?」
取り巻きの船員の1人がいやらしい顔をしながら提案すると、周囲の船員たちからも賛同するような声が上がった。
「ゲテモノもたまになら食いたくなるしな!」
「おいおい! お前そういう趣味だったのかよ! 女だったらなんでもいいのかぁ~?」
「上半身は美人だからいけるいける!」
ゲラゲラと下品な会話が囚われた女性の前で繰り広げられた。彼女はその不躾な視線から逃れるように身を捩ると、その姿に嗜虐心をくすぐられたのか、数人の男が口笛を吹き囃し立てた。
だが、船長と呼ばれた髭の男は、盛り上がる部下たちとは裏腹に眉を顰めた。そしてじろりとその部下たちを睨め付け、制するように声を荒げる。
「馬鹿野郎! てめえらにはこいつの価値がわからねえのか!! 傷物にでもしてみろ、上から大目玉を喰らうどころじゃねえぞ!」
「価値ったってただの――亜人じゃないですか。少し前に奴隷商に卸したときは獣人の女より少し高いだけだったし、今回は顔は美人ですが所詮さかな――」
「だからてめえらは駄目なんだ。いつまでも盛ったガキみてえに女の身体ばかり見やがって……こいつをよく観察してみろ。特に下を、な」
船長の言葉に従い船員たちは網の中の女を覗いた。
女は美しかった。憂いを帯びた涼しげな目元に泣きぼくろ。ピンクブロンドの長髪は肩から胸元へと流れ、その艶やかな肢体を隠している。服は民族衣装の名残なのか、踊り子のようなひらひらとした服と口元を覆うフェイスベールで着飾っている。それはまるで客人をもてなすためのお洒落の様にも見えた。
「唆るねぇ」
「後で邪魔な布は剥いちまおーぜ! なあ!?」
いつまでも舐め回すように値踏みする部下たち。
痺れを切らした船長が「下を見ろ、下を」と催促すると、ようやく彼らの視線が下がる。
その先には女性のしなやかの足――ではなく、薄紫色の鱗に覆われた魚の下半身があった。
女は人魚だったのだ。
「普通の体だったらもっとよかったのによう……」
一人の男が明らかに落胆した様子を見せる。そこには差別的な態度も含んでいた。
「――っ!」
湖賊の言葉に女はキッと目つきを鋭くする。
男たちはそんなもの慣れているのだろう。軽蔑するような視線を受けても、彼らは意に返すどころか「でも魚なのは股下からだろ」「やれば同じや」と低俗な会話を続けた。
そして、
「あ、もしかして……」
部下の一人が何かに気づき振り返る。
「船長! もしかしてこの女――『深層の人魚姫』っすか!?」
「……なんだ、それ?」
他の船員が首を傾げる。
「バカ、お前知らないのか。リューゼル湖には裏で懸賞金がかけられてる獲物がいて、それが深層の人魚姫って呼ばれてんだよ。水中都市と交易してる商人すら噂話しか聞いたことのない幻の人魚で、実在するのかすら怪しいって話だ」
「へぇ」
「なんでも帝国のお偉いさんが航行中にたまたま見かけて、その美しい桃色の髪と紫の鱗を忘れられないんだと。今でもアホみたいな額がギルドで提示されてるぞ」
指を立て賞金の額を示すと周囲の仲間達がどよめくような歓声をあげた。
湖賊が言葉にするギルドというのは所謂“裏”ギルドのことであり、法に抵触する依頼――殺人や窃盗など、またはそれらによって得られた盗品等を扱う場所のことである。
つまり彼らは図らずも懸賞金付きの人魚を捕獲することに成功していた、というわけだ。
「やーっと足りねぇ頭で理解できたみてえだな」
船長は呆れたようにわざとらしくため息を吐き、ずんずんと人魚の女性に近づいた。
「これは今までの商品の中でも最高級の品になるかもしれねえ人魚だ。てめえらの汚ねえ液で匂いでも付いてみろ! ただでさえ泥臭え女が磯臭くなっちまうだろうが! そうなったら売れるもんも売れねえだろ!」
船長の言葉に周囲から笑いが漏れた。
「ここに見張を立てる。血迷ってもつまみ食いするんじゃねーぞ! 怪しい動きをした瞬間にイチモツは魚の餌になると思え! いいな!!」
『へぇ~い』
気のない返事だが守るつもりはあるようだ。反発するような者は現れなかった。
「……我らの部族は綺麗好きと言われている」
「あん? なんだそりゃ?」
ポツリ、と唐突に人魚が語り始めた。
「水と共に生きることになってからリューゼル湖の水質は我らロォダン族が徹底的に管理している。外部からの汚染は御法度。協定にも反する」
「つまり何が言いてえんだよ」
難しい話なんてわからねーぞ、とばかりに船長はわざとらしくアホ面を作り、船員たちもそれに続いた。
人魚は、そんな彼らを侮蔑するように言い放つ。
「私の前でお前たちの汚らしいモノを水に落としてみなさい。幻魔の代わりに私がお前たちを八つ裂きにしてあげるわ」
「はっはっは、聞いたかおめえら! 人魚姫様のありがたいご高説を! さすが網に吊り上げられて高い位置にいるやつは言うこともちげえなぁ!! こええこええ!」
人魚の脅しを歯牙にも掛けず、船長はおちょくる様に大袈裟に怖がってみせた。
そして、
「そんな状態で啖呵を切れるのは度胸があるのかバカなのか」
「――っく!」
網の隙間に腕を滑り込ませ、フェイスベールに包まれた人魚の顔を鷲掴みにした。
「禁忌に触れた呪われた一族が偉そうな口きいてんじゃねーぞ。襲われねーからって調子に乗っちまったか? お姫様?」
「っ、我らの部族に王族はいない。私は、人魚姫ではない……!」
嘘ではない。水中都市アクアリゼルは多民族国家であり議会統治の体制を敷いている。
当然、王もいなければ王女としての姫もいない。
「そんなことどうでもいい。お前は『深層の人魚姫』だ。商品の名前なんて売り手と買い手が勝手に決めるもんだしな。俺はお前が高値で売れれば満足なんだからよう。せいぜい自分がお姫様であることを祈ってるんだな。もし人違いでお偉いさんに売れなかったら……そん時は俺たちで遊んでやるからよ。終わった後はその綺麗な鱗を剥いで売っちまうのもいいな」
「下郎が……っ」
人魚姫の顔が歪み、釣られる様に船長の口角がつり上がる。
「はっ、人魚の身体に興味なんてなかったが、いい表情するじゃねぇか。……おい、てめえら! 手始めに湖を汚してやれ!」
「――っ!? どうして――っ」
「ただの余興だ。このお姫様の顔をもっと歪ませてやれ」
「そんなつまらないことで――」
「あ、じゃあ俺、もよしてたんでしょんべんしまーす」
「やめなさい!」
船員の一人が手を上げながら宣言すると、周囲の仲間が「いいぞ!」「やれやれ!」とバカ騒ぎをし始めた。
背中を走る嫌悪感と寒気に引き絞られるように、人魚は「お願い! やめて!」と悲鳴のような叫び声をあげる。
だが、船員の足取りは止まらず幼い子供のようにズボンを脱ぎながら甲板のふちに立った。
そして、次の瞬間――
轟音と共に船体が大きく揺れた。
まるで船同士で衝突したかのような衝撃に湖賊たちはバランスを取れずに床を転がり始める。
「うおっ」
「ぁ、やべっ――」
「な、なんだ!?」
不意の出来事だったため身構えることもできず、ほとんどの船員が尻餅をついたり四つん這いになったりと醜態を晒していた。
ふちを歩いていた船員はそのままバランスを崩して船の外へ投げ出されてしまう。だが、何故か水に落ちる音はしなかった。その違和感に気づけた者はいない。
「どうした! 何があった!? 誰か説明できるやつはいるか!!」
船長が立ち上がり周囲を見渡す。
「船長!」
「なんだ!」
「揺れる前に灰色っぽい飛翔体がこっちに飛んでくるのが見えました……!」
「馬鹿野郎! なんで先に言わねえんだ!」
「無茶ですよ! めちゃくちゃ早くて気づいた時にはぶつかってたんですぜ!?」
腐っても湖賊。
場数だけなら踏んでいて今の今まで冒険者や他国の役人たちから逃げ延びた者たちだ。
すぐに立ち上がり得物を抜き警戒態勢を取ると情報の共有が始まった。
「灰色っつーと何の魔物だ?」
「飛べるやつだとエネアードか。全身が金属みてーに硬くて群れで行動する鳥型の魔物だ。あと肉が不味い」
「群れは……いねえな。肉眼では確認できねえ」
「最初の一匹だけでちょっかいかけてきたってこと、か? ……おい、待て! その一匹は今どこにいる!?」
会話が入り乱れ誰が発言しているのか全くわからない状態だったが、1人の疑問に機に一同は静まり返り、1つの共通認識が生まれた。
「……船体に穴が空いてる。たぶん中に侵入して――」
『ぎゃああああああああああ!』
まるで答え合わせをするかのように床下――船内から仲間の断末魔のような悲鳴が響いた。
1人だけものもではない。中で待機していた船員たちの叫喚がまるで合唱をするかのように重なり合う。その声はどれも『や、やめてくれ!』『ば、ばけも――』『ひっいいいいいい!』と逃げ惑うものばかり。話の通じない相手と対峙しているのは明らかであり、戦おうとすらしていない。
ごくり、と船上に集まっていた湖賊たちが息を呑み足を止める。
皆、思い出していたのだ。近頃リューゼル湖には水棲型の幻魔が現れ、近隣諸国の住民の頭を悩ませていると。その脅威により地元の漁師は漁にあまり出られず、近隣国の巡視船も幻魔は専門外のため巡回の頻度を減らしているほどだ。
だが、だからこそ南側まで渡ってきたのだ。コソ泥のように隙を狙って警戒網を掻い潜り、獲物を盗みにきたのだ。
そんな自分達が幻魔に襲われたとなっては「話が違うじゃねえか」と無意識に文句も出るというもの。
「せ、船長! まさか幻魔が入り込んだわけないっすよね!? 目撃情報は中央から上側、東から北にかけてって言ってたっすもんね!? 南側のここなら安全だって」
「うるせえ!! 泣き言なんて言ってねーでさっさと下に向かえ! まだ相手が幻魔だとは決まったわけじゃねえ! 追い払うぞ!」
「そんな無茶な――」
船長命令に歯向かうものまで現れ統制が機能しなくなり始めたその時、バンッと船内へと繋がっている扉の1つが勢いよく開かれ、中から船員の1人が血相を変えて転がり出てきた。
「た、助けてくれ……!」
「お前、中で何があった! さっさと報告しろ!」
「バケモンだ! 灰色の触手のバケモンが中に入り込みやがった! 硬すぎて剣が通じねえ! それに、魔法も弾かれてた!!」
「触手のバケモンだあ? 聞いてた話と違うぞ」
水棲型の幻魔は魚に似通った外見をしていると船長は情報を仕入れていた。特徴的な触手があるなんて話は一度もなかった。
「……おい」
「嘘じゃない! 船長信じてくれ! もう中にいたやつはあのバケモンに叩き潰されて――」
「お前の足に絡みついてるのはなんだ?」
「――へ?」
視線を落とすとそこには灰色の触手が男の左足の足首に巻きついているところだった。
「やめ」
言葉は続かなかった。
触手が勢いよく男の足を引っ張ると、男は堪らず体勢を崩し顔面を床に打ちつける。
「いやだ! 死にたくない!」
鼻血を出しながら叫ぶがその願いが叶えられることはなかった。次の瞬間には宙に浮くほど勢いよく体を引っ張られ、そのまま扉に吸い込まれていく。
最後は悲鳴をあげる暇もなく暗い船内へと消えていった。
『――』
残された湖賊たちは呆然とすることしかできなかった。
少しでも身じろぎをすれば次は自分の番なのだと、思考に囚われ身体すら動かすことができない。
だが、それすらも無意味だと嘲るように船員が1人、また1人と小さい悲鳴を残して姿を消していった。
「何が起こっていやがる――っ」
船長が周囲を見渡すとちょうど消える――いや、落ちそうになっている部下を見つけた。
いつの間に床に穴が空いていたのだろうか。
部下の男は穴の空いた床に落ち、船内に引き摺り込まれそうになっていたのだ。
「せ、船長……! 足に何かが絡みついて抜けられないんですよ。引っ張り上げてくだ――」
やはり言葉は最後まで続けられなかった。
床に引き摺り込まれていた男はその小さな落とし穴に落ち、最後には断末魔のような叫声が穴の奥から吹き出した。
それが合図だった。
残された湖賊が蜘蛛の子を散らすように我先にと逃げ回る。だがここは世界最大の面積を持つリューゼル湖。その船上でいくら足掻こうと逃げ道などない。
一部の船員が湖に逃げようと身を投げ出すが、灰色の触手がどこからともなく現れ鞭のようにしなりながら彼らを船上へと打ち返していた。誰一人として見逃すつもりもないのだろう。湖賊たちは瞬く間に触手の餌食となっていった。
拘束され動けない者、叩き潰されて気絶している者、鞭打たれて痛みに喘ぐ者。
いつの間にか船長の周囲には片手で数えられるほどの部下しか残らず、他の者は地に伏していた。
「……」
そして一瞬の静寂が訪れたその直後、船長を含む湖賊たちの前にそれは現れた。
灰色の化け物だ。
少なくとも湖賊たちにはそう見えた。
まるで人間が前傾姿勢をとっているような二足歩行の生物。全身が灰色で、鎧を纏っているのではないかと錯覚するほどの重装甲。竜のような威圧的な頭に長い首、鋭い爪と丸太のように太い腕。そして背中から広がる翼のような触手。全身凶器の化け物――幻魔にしか見えなかった。
「ったくよ……最高についてねーぜ」
船長が諦めたようにため息を漏らし、周囲の船員たちが覚悟を決めたように対峙する。
そんな中、
「灰、色……?」
囚われの人魚姫だけは何故か恐怖を感じなかった。それどころか危機感すら抱くことができない。
「なぜ……いえ、もしかして――」
それ以上は言葉にせず、人魚はその違和感の正体を探るべく、鎧の竜を見つめ続けた。
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