灰と紅 2
『早かったね』
まるで待ち合わせをしていた友人に挨拶するような紅騎士の第一声。
空はいつの間にか曇り、太陽は隠れ、仄かな残月の光だけが淡く残っていた。
「お前なぁ……俺も初めて知ったけどアリエスト平原って言ってもすごく広いんだぞ?」
『……?』
ため息を漏らすルダージュに紅騎士は首を傾げた。
「時間は指定されたけど平原のどこで戦うか、正確な場所を教えてなかっただろ?」
『……あ』
「おかげでこっちはここを見つけるために早めに出発する羽目になった」
紅騎士が指定した約束の時間から二時間ほど早い到着だった。のんびりと移動していた場合、間に合わなかった可能性もある。
昨夜はごたごたと皆が忙しなく動いていたため誰もこの事実に気付かず、今朝方になってようやくセルティアが思い至ったのだ。
『……ごめんなさい』
素直に謝る紅騎士の姿を見上げ、ルダージュは呆れたように息を吐き、次の瞬間には「謝らなくていい」と柔和な笑みを浮かべた。再会を喜び会話を懐かしむように、そして記憶を忘れてしまい変わってしまった彼女の態度を憂うように。
『仲いいね』
手を繋いでいる2人を見て紅騎士は呟く。
決戦の前だというのに、いちゃついている2人に皮肉で釘を刺したかった――というわけではなく、それは単純な疑問だった。
昨日の彼らは酷い顔をしていた。それがたった一晩で驚くほど晴れやかな表情を見せるようになっている。
そして、その2人の姿が眩しく映り、じくじくと胸を締め付けられるような痛みの正体は……いったい何なのだろう。
「ユノさん」
『……私?』
セルティアが空いた左手を彼女に差し出した。
「私は貴女とも仲良くなりたいです」
『!?』
「こっちの手を握ってはくれないんですか?」
『……私はまだユノじゃない。私は幻魔教の騎士――ただの紅騎士。その手を握るかどうかは戦いが終わった後の話』
一縷の望みをかけ説得を試みるが、うまくいかない。
堪らずルダージュが声を上げる。
「悠乃。お前は記憶喪失じゃない。魔法によって記憶を忘れさせられただけなんだ」
『何を、言って――』
「幻魔教はお前をセルティアの元から攫い、過去を忘れさせて都合よく使っているだけだ。俺たちならその魔法を解いて記憶を取り戻すこともできる」
『……』
「戦う必要なんてない。俺たちはもう救われたんだ。あの時の約束が――」
『私はあの子がいたから寂しくなかった』
これ以上、彼の言葉を聞くわけにはいかない。
聞いてしまえば覚悟が鈍ってしまう。
そう自分に言い聞かせるように、紅騎士はルダージュの言葉を遮り、今の自分が持っている思い出を語る。
『あの子のお兄さんが私に居場所をくれたから。今の私が生きている』
「でもそれは……!」
まやかしだ。
そもそも幻魔教がセルティアから悠乃を引き離し、居場所を奪ったのだ。
だが、
『温かいご飯をくれたあの子を……私は裏切れない』
「……」
無機質な声を震わせる紅騎士を前に、ルダージュは何も言えなくなってしまった。
説得できるような段階ではないと悟ってしまう。
「そうだよな……俺たち、化物しか食べられなかったもんな」
『……化物?』
「実は俺も、セルティアたちの進級祝いのパーティーのご馳走……涙が出そうなほど嬉しかった」
『……』
「ルダージュ……」
セルティアは彼のそんな素振りさえ見たことがなかった。
嘘を貫き通すために感動すら押し殺していたということだ。
「セルティア」
「……はい」
「行ってくる。俺たちの戦いを見ていてくれ」
「はい……!」
そして今は感情を押し殺し大切な人と戦わなければならない。
それが紅騎士の望みであり、セルティアの願いだったからだ。
セルティア自身、自分の召喚獣たちが争う姿など召喚士としては見たくない。だが、それが作戦の第一段階であり、苦渋の決断でもあった。
灰色の魔装がルダージュを中心に渦巻き、鎧を形成していく。
『悠乃――いや、紅騎士。お前が戦うことで義理を果たせるなら俺がその我が儘に付き合ってやる』
鎧殻を纏った灰騎士が紅騎士を仰ぐと、彼女は応じるように紅の翼を広げゆっくりと地上へ舞い降りた。
『……幻魔、アメザラシはここからさらに南にある山岳地帯で待機している。私たちの戦いを邪魔する者はいない』
『……そういえば連戦だったな。幻魔のことなんて忘れてたよ』
宣戦布告された時、幻魔の存在を誇示され脅されていた。
それが悠乃と戦う理由の1つでもあったが、今となっては関係のない話だ。
『余裕なんだね。私は強いよ?』
翼を消し、一振りの紅剣を構える紅騎士。
『勝てるさ。俺たちなら』
無手のまま相対する灰騎士はそう言って重心を落とした。
『俺たち? あの娘はただ見ているだけのようだけど……? なんだったら2人同時に相手にしても構わ――』
『紅騎士』
『?』
『もう勝負は始まってるぞ』
『何を――』
疑問を口にしようとした瞬間、後方からキイィーンという鋭く高い音が鳴り、紅騎士の耳を劈く。
『っ!?』
慌てて振り返るとそこには浮遊する灰色の剣とその斬撃から紅騎士を護るように遮る黒い塵が衝突していた。いつものように黒い塵が護ってくれなければ、今頃灰騎士の攻撃であろう灰色の剣に背中を刺されていたかもしれない。
『不意打ちなんて卑怯――』
抗議するように正面を向くと、眼前には灰騎士の姿。
一瞬で距離を詰めた彼はそのまま紅騎士の頭を掴もうとその手を伸ばしていたが、またもや黒い塵に阻まれ攻撃が届かない。
『やっぱりそうなるよな』
攻撃が通らないと知るや否やすぐさま紅騎士から距離をとり嘆息したように肩を落とす灰騎士。
『……』
紅騎士は反射的に構えていた腕をゆっくりと降ろす。
黒い塵があれば防御する必要などなかったのだが、思わず身体が動いてしまった。
『どうした? 固まって……そっちも攻撃してきていいんだぞ? それともまだ……その鎧殻は動かし辛いのか?』
『っ!? どうしてそれを――!』
肘に触れ、解けてしまった鎧の一部を補修する。
紅騎士はまだ自分の鎧を完璧に扱うことができなかった。今でこそ全身を覆うように紅の塵を纏うことができているが突発的な対処を迫られると関節部分が崩れ、中身が剥き出しになってしまう。
『……そうだった。灰騎士は私の過去を知ってるから弱点もお見通しなんだね。でも――』
紅剣の剣先を灰騎士に向け、宣言する。
『私には騎士がいる。この黒い騎士がいる限りあなたの攻撃は通らない』
『……く、っふ、は、ははは』
『な、なにがおかしいの!』
ルダージュは笑うしかなかった。
悠乃が自信満々な声で自分の能力を自慢しているのだ。それは『先輩に護られているから負けない』と公言しているようなものだった。魔装を与えた本人に堂々と宣言してくるのだから気恥ずかしくて仕様がない。
『当然だろ、そんなの』
『え……?』
おそらく記憶を取り戻した後、悠乃は自分の発言に悶絶することになるだろう。
だからその時に彼女だけが恥ずかしい思いをしないように、ルダージュは道連れになることを選んだ。
『お前が傷つくことを、俺が許せるわけないからな』
『どういう――』
紅騎士の疑問は封殺された。
灰騎士の短剣が正面から襲来し、前方に黒い塵が展開されたからだ。
『――っ』
本当によく知っている――と紅騎士は感心する。
黒い塵はあらゆる攻撃を防いでくれる。だが、広範囲に攻撃を受けるとダメージを負うことはないが、目くらましのように視界を遮ってしまうのだ。
(私よりこの能力の扱いに慣れている。それは私の記憶が無いから? 優れているのは彼が私の師匠だったから? それとも――)
何か彼に相応しい呼び方があるような気がしたが、思い浮かぶことはなかった。
その間にも攻撃は止まず、紅騎士を取り囲むように黒い塵が広がり続け、人の形はとうに失い繭のような球体へと変化した。
(焦ることはない。彼は笑ったけどこの盾は絶対だ。絶対に私を護ってくれる)
暗い繭の中で紅騎士は佇む。
そして灰騎士の攻撃の手が止まったのか、霧が晴れるように黒い塵が霧散していった。
『……』
目の前にいたはずの灰騎士の姿が消えている。
だけど焦る必要はない。
攻撃は届かない。護られてから反撃すればいい。
数秒後、今度は真上からガキィンという衝突音が響いた。
『まるで獣ね』
仰ぎ見ると、そこには灰騎士の踵落としが塵によって阻まれていた。灰騎士は塵を踏み台にして宙返りをしながら地面へと降りると、そのまま一直線に紅騎士へと疾走しさらに追撃を行う。
あの手この手と幾度となく繰り返される攻防。
灰騎士の魔装の攻撃は黒い塵によって防がれ、紅騎士に傷一つつけることさえ許さない。
『はぁーっ!』
紅剣を振り応戦する紅騎士。
単調な剣筋は灰騎士に見切られ避けられてしまう。
一見、どちらの攻撃も通用していない戦闘だが、黒い塵によって護られている紅騎士は常に攻勢に打って出ることが可能だ。避けながら戦っている灰騎士より遥かに優勢であり、戦いに余裕があった。
そしてそれを証明するかのように紅剣の刀身が灰騎士の胴体を捉え、弾き飛ばした。
『……は、我ながら恥ずかしいな。まったく攻撃が効かない。どんだけ護りたかったんだよ、俺は』
照れ隠しをするよう譲渡されていた自分の魔装にツッコミを入れる。
(本当は彼女の身体を護るつもりで魔装で覆っただけだったのになぁ……それが全部譲渡されてるんだから始末に負えねーよ)
後悔はしていないがルダージュではやはりどうしようもない不毛な戦いだった。
過去の自分と戦っているようなものだ。堅牢な盾を破る手段をルダージュ自身は持ち合わせていない。
(でも、負ける気はしない)
それは確信ともいえた。
昔の自分より、今の自分の方が強い。
たとえ魔装の量が少なくとも、この世界に喚ばれ『灰騎士』のルダージュと呼ばれるようになった今が最強であると自信をもって言える。
だから、
『これが最後だ』
ルダージュがわざとらしく宣言し、拳を構える。
『……なにをやっても無駄だよ。この盾を破れる人はいない』
紅騎士はそう言いながらも何か奥の手があるのかと警戒を強める。
しかし、盾に信頼を置いているのか身構えようとはせず棒立ちのままだった。
『それはどうかな』
灰騎士が動く。
それは常人ではありえない速度の疾走だった。灰騎士の足元から土煙が舞い、獲物を狙う肉食動物のように紅騎士の側面に回り込み、喉元に食らい付くような――ただのパンチを放った。
『……ふざけてるの?』
『――』
眼前の灰騎士に紅騎士は問う。
大口を叩いておいて何の捻りもないパンチとはいったいどういう料簡なのか。案の定、灰騎士の打撃は黒い塵に阻まれ懐に届く気配すらない。
灰騎士を目で追っていた自分が馬鹿のようにも思えた。
しかし次の瞬間、
「どこを見てるんだ?」
それは怖気へと変化した。
『っ!?』
目の前にいるはずの灰騎士。その彼の声が何故か背後から聞こえたのだ。
『ど、どうしてそこに――!?』
紅騎士が慌てて振り返ると、そこには鎧殻を纏っていないルダージュの姿があった。
彼は腕を引き、灰色の籠手を改めて装着していく。
「器用なもんだろ? それは灰騎士の形をした等身大の人形で中身は空っぽだ。まるで俺が走っているように見せて、今みたいに撹乱や囮に使える小細工だ」
『そんな……私はこの鎧を扱うだけでも精一杯なのに――』
「……魔装の使い方、覚えていないならそんなもんだろ?」
『――っ!』
口を滑らした紅騎士を馬鹿にしたような口調でわざと挑発し、さらに動揺を誘うルダージュ。
彼女はそんな思惑があるなど露とも知らず、鎧殻の内側から不機嫌そうに彼を睨みつけた。
『うるさ――』
「それより……避けなくていいのか?」
『……え?』
ルダージュの腕はまるで怪物のように肥大化し禍々しい形状を模っていた。灰騎士の人形はその巨大な籠手の糧となり灰塵となった。
「射程範囲だ。この一撃は防げない」
『……はったりよ』
「……」
紅騎士は疑心暗鬼になっていた。
彼は能力の使い方を熟知している。“黒い塵”の隙間を縫って攻撃できる手段を心得ているかもしれない。もしくはある一定以上のダメージは防いでくれないのかもしれない。
ルダージュによって様々な魔装の能力を見せつけられたことで、信頼を寄せていた“騎士”のことをやっぱり何も知らないのだと自覚してしまう。
『……』
ジリッとルダージュから距離をとるように紅騎士は一歩だけ後退る。
それが合図だった。
腕を振りかぶったルダージュの一撃が紅騎士を襲い、破砕音が幾重にも鳴り響く。耳障りな音がいつまでも続き、攻撃の手が止んでいないことを彼女に知らせる。
『……終わった、の?』
十数秒後、紅騎士は身構えていた腕を下げ、逆に重い瞼を持ち上げる。
思わず目をつぶってしまった。
今回も黒い塵がルダージュの攻撃を全て防いだようだが、周囲を見渡すまで状況がわからなかった。
『防げない一撃ってなんだったの?』
ひやり、と首筋を寒くしながらルダージュに向かって挑発を返すように強がりを口にする。
紅騎士は気付かない。
警戒するように腕を構えたり、衝撃に備えて目をつぶったりしている時点で“騎士”の不敗神話が彼女の中で崩れ落ちていること。そしてそれは攻戦一方だった紅騎士の戦い方に変化をもたらしたということに、気付かない。
「手厳しいな、なかなか派手な攻撃で吃驚はしただろ?」
ルダージュはそんな彼女の様子を眺めながら軽口を交えつつ、セルティアへと合図――魔装の塊を手の平に出現させる。
2人の騎士の戦闘をじっと観察していたセルティアは次の作戦を実行に移すためルダージュの元へと走り出した。
『ただの嘘つき』
「はは、今の俺には褒め言葉だ」
『……もういい、無駄話はこれでおしまい。今度は私の番』
二振りの紅剣を握り締め、臨戦態勢に移る紅騎士。
そんなもどかしげな彼女に対し、ルダージュは出端を挫くように「待った」をかける。
「選手交代だ」
『……は?』
「聞こえなかったか? 選手交代だよ、交代。お前の最後の相手はセルティアだ」
『ちょっと、何を言ってるのかわからない。説明――』
困惑する紅騎士を余所に、ルダージュは駆け寄ってきたセルティアとなぜかハイタッチを交し、スポーツ選手を交代させるような気軽さを披露する。
『何、これは何なの? 灰騎士……! 私と戦って過去を教えて!!』
「さっきまで戦ってただろ?」
『決着がついてない!』
「疲れたから俺は休憩する」
『はあ?』
「2人同時に相手にしてもいいとか調子付いてただろ? 俺はもう戦わないから、次はセルティアとの戦いだと思えばいい。そういう順番だ」
『なん……なの……』
先程まで紅騎士を翻弄していた灰騎士とは思えないほどの戦意の喪失だった。
紅騎士は自分の挑発がいけなかったのだろうかと不安になったが、すぐさま頭を振りそういう問題ではないと正気に戻る。
灰騎士の意図が読めない。
わざと苛立たせるような言動をとっているのではないかと勘繰る程だ。
『……殺しちゃうよ』
灰騎士をその気にさせるため紅騎士は脅しをかけてみた。だが、
「嘘つき。お前はそういう子じゃない」
あっさりとばれてしまった。
しかも、
(私より私のことを知ったような口を利くなんて……)
無性に恥ずかしく腹立たしく感じた。
彼と会話をするとどうしても感情を突き動かされてしまう。
「悠乃」
『!?』
畳み掛けられるように名前を呼ばれ、紅騎士はたじろぐ。
「俺は戦う事しかできなかったが、セルティアはお前に過去を教えてくれる」
『……』
セルティアは集中するように目をつぶり、そして自分の左手の平に魔法陣を書き始めた。
なんとなく紅騎士はそれが彼らの奥の手であることは察しがついたが、
『私の鎧に魔法は効かない。黒い塵は全ての攻撃を防ぐ。魔法使いに何ができるの?』
紅騎士は自分の鎧が魔法を無効できると仲間から聞かされていた。だから常に戦うときは鎧を脱がないように注意をしている。魔法使いが魔法を使ったところで紅騎士を倒すことなどできない。
セルティアは紅騎士のその台詞を聞いた後、後方へと振り返りルダージュを見やる。少し懐かしそうに目を細めるセルティアに、彼女の言いたいことを理解したルダージュが苦笑を返した。
「1つ訂正します」
紅騎士と対峙したセルティアは堂々と宣言する。
「私は魔法使いではありません」
自信に満ち溢れ、こう在りたいと将来の夢を語る子供のように、彼女の無邪気な声が紅騎士の耳へと届けられる。
「私は魔導都市学園精霊科1年、生徒会会長――召喚士セルティア・アンヴリューです」
『召喚士……』
紅騎士にはわからない。
魔法使いと召喚士の違いも、セルティアの自信に満ちた笑みの理由も。
『どうせあなたも私を倒すことはできない』
「……そうかもしれませんね。でもそれでいいんですよ」
小型の杖を制服から取り出し、紅騎士へと向ける。
「風よ!」
セルティアから放たれた無詠唱のウインド・ランスが紅騎士を襲う。
挨拶代わりの一発はやはり黒い塵によって阻まれ、紅騎士に届くことはない。
(どうせこれも目くらまし。でも無駄、私には騎士がいる。灰騎士と同じように奇襲をしてもあなたは私に触れる事さえ――)
その瞬間。
トン、と紅騎士の背中が柔らかいもので押された。
しかもそれは鎧の上から紅騎士を抱き締めるように腕を回し、絡みついてくる。
嫌な予感を感じながらも紅騎士はゆっくりと首を回して後ろを振り返ると――
「ふふ、ほら……捕まえましたよ?」
召喚士の無邪気な笑顔が目と鼻の先にあった。
『ぇ……?』
引きつったような間抜けな声が漏れた。
だが、それも仕方のないことだった。
灰騎士がどんなに攻撃しても破れることのなかった黒い塵。それを彼女は――召喚士セルティア・アンヴリューはいとも簡単に潜り抜けてしまったのだから。
「ユ~ノさん、これから楽しい楽しい、追いかけっこの時間です」




