第九話 巣
誰も動かなかった。
白い糸。
吊るされたオーク。
干からびた騎士。
風が吹くたび、死体がゆっくり揺れる。
ローヴァンだけが静かに歩き出した。
「おい!」
タクミが思わず声を上げる。
「近付くのかよ!」
「調べる」
短く答えた。
吊るされた一体のオークへ近付く。
タクミが大剣で糸を切ろうとした。
キィン。
乾いた音だけが響く。
切れない。
「硬ぇ……」
タクミが目を見開く。
ローヴァンは糸ではなく、木へ剣を当てた。
木を斬る。
ズドン。
倒木と共に、オークの死体が地面へ落ちた。
しゃがみ込む。
腕を持つ。
皮膚は紙のように軽い。
胸へ触れる。
「血がない」
腹を見る。
小さな穴がいくつも開いている。
「吸われたか」
キャサリンが顔をしかめた。
「最悪……」
ローヴァンは周囲も調べる。
他のオークも同じだった。
傷は少ない。
だが血だけがない。
「食ったんじゃない」
「吸った」
誰も返事をしない。
騎士の死体も確認する。
折れた剣。
砕けた盾。
鎧には大きな傷が残っていた。
「戦っている」
ローヴァンは地面を見る。
足跡。
引きずった跡。
血痕。
すべて確認する。
「逃げ切れなかったか」
タクミが息を呑む。
「これ……何人だ?」
ローヴァンは辺りを見渡した。
「三十はいる」
「もっと奥にもある」
リサは思わず目を逸らした。
「見たくない……」
キャサリンは森の奥を睨んだ。
「違う」
「何がだ」
「さっきから匂いが変わってる」
ローヴァンが足を止めた。
「どっちだ」
キャサリンが森の奥を指す。
「あっち」
「甘い匂いがする」
「近付くほど濃くなってる」
リサが空を見上げた。
「私、上見てくる」
「気を付けろ」
弓を背負ったまま、大木を登り始める。
枝。
枝。
さらに上。
ようやく周囲が見えた。
そして。
言葉を失う。
「……嘘」
見渡す限り樹海だった。
山も見えない。
空もほとんど見えない。
ただ巨大な木々だけが、どこまでも続いている。
その時。
何かが光った。
白い糸。
一本ではない。
森中に張り巡らされている。
「ローヴァンさん!」
下へ飛び降りる。
「糸!」
「森全部です!」
「全部、蜘蛛の糸!」
ローヴァンは静かに頷いた。
「そうか」
ステファンが近くの糸へ近付く。
盾を構えた。
「試す」
全力で押す。
ビクともしない。
今度は斧で叩く。
ガンッ!!
糸は揺れただけだった。
「切れない」
盾を下ろす。
「これ、人間には無理だ」
ローヴァンは森を見回した。
吊るされた死体。
張り巡らされた糸。
巨大な木々。
静かすぎる森。
小さく息を吐く。
「ここは狩場じゃない」
四人がローヴァンを見る。
ローヴァンは森の奥を見つめたまま言う。
「巣だ」
全員の背筋に寒気が走った。
日が沈み始める。
ローヴァンは周囲を確認した。
「今日はここまでだ」
タクミが驚く。
「ここで寝るのか?」
「ああ」
「正気か?」
「巣だ」
「ここが狩場だ」
ローヴァンは吊るされた死体を見る。
「向こうから来るなら」
剣へ手を置く。
「探す手間が省ける」
「……マジかよ」
全員が黙った。
干し肉だけを口へ運ぶ。
誰も笑わない。
夜は静かだった。
静かすぎた。
ガサ……
全員が剣を握る。
風だった。
また静寂。
しばらくして。
バキッ。
遠くで巨大な木が折れる音が響いた。
タクミが飛び起きる。
「何だ!」
誰も答えない。
バキ……
また一本。
巨木が倒れた。
ローヴァンは静かに耳を澄ませる。
そして、小さく呟く。
「……歩いてる」
その音は。
一歩。
また一歩。
確実に、こちらへ近付いていた。
誰も眠れなかった。
東方樹海の夜は。
まだ始まったばかりだった。




