─第二話(最終話)─ 理由は、なんとなく
それから長い年月が流れた。
海は変わらず、人だけが変わった。
時代が進むほど、戦争の記憶は風化していく。
──そんな日本を守る組織に、ある男がいた。
これは、そんな男の、ちょっとした小話である。
※作中に出てくる戦艦は架空の戦艦です。
机に積まれた書類を見て、ため息が出た。
終わらない。終わる気もしない。
「……なんで俺、ここにいるんだろうな」
ふと漏れた言葉に、自分で少し驚く。
あのときは、確かに理由があったはずなのに。
ペンを置いて、椅子の背に体を預ける。
蛍光灯の白い光が、やけに冷たい。
──最初は、陸自だった。
特別な理由なんてない。
一番身近で、一番分かりやすかったからだ。
体力もそこそこあったし、周りにも勧められた。
流れに乗った、というのが一番近い。
それでも、間違いだとは思っていなかった。
けれど──
「……なんで、海自にしたんだっけな」
ぽつりと呟いて、自分で首を傾げる。
思い返せば、きっかけは曖昧だ。
パンフレットを見たとか、説明会に行ったとか、そんな程度のはずだ。
広い海。
巨大な艦。
どれも、珍しくはあるが、それだけで進路を変える理由になるほどのものでもない。
なのに、妙に引っかかった。
「……まあ、なんとなく、か」
結局それで片付けて、俺は陸を離れた。
周りには驚かれたが、自分の中ではそれほど大きな決断でもなかった。
ただ、そっちの方がしっくりくる気がした。それだけだ。
──今思えば、その“しっくり”が何だったのかは、よく分からない。
書類を一枚めくる。
インクの匂いが、わずかに鼻についた。
ふと、どうでもいいことを考える。
あの頃は、もう少し──
単純に、何かを楽しめていた気がする。
「……はぁ」
また、ため息が落ちる。
理想なんて、とっくに擦り減った。
残っているのは、責任と、判断と、終わらない仕事。
それでも、完全に空っぽかと言われると、そうでもない。
時々、妙な感覚がある。
理由もなく、何かを懐かしいと思うような──
「……なんだよ、それ」
小さく笑って、首を振る。
考えても仕方がない。
今やるべきことは、目の前の書類を片付けることだ。
ペンを取り直す。
そのとき、ふと──
「……腹、減ったな」
無意識にこぼれた言葉に、自分で苦笑した。
──────────
休日。
特に予定はなかった。
起きたのは昼過ぎで、部屋の中はやけに静かだった。
腹が減っていることに気づいて、キッチンを覗く。
何もない。
「……まあ、外でいいか」
そもそも料理なんかできないし。
適当に上着を羽織って、外に出る。
空はよく晴れていたが、眩しさを心地いいとは思えなかった。
むしろ、目に刺さるようで、少しだけ顔をしかめる。
──そういえば、この辺りの店、全然知らないな。
配属されてまだ日が浅い。
平日は忙しく、休日は寝て終わる。
気づけば、周囲のことをほとんど知らないままだった。
スマホで調べる気にもならず、あてもなく歩き出す。
足取りは重い。
というより、どこかふらついている。
ここ最近の疲労が、抜けきっていない。
「……どこでもいいから、飯……」
独り言のように呟きながら、視線を上げる。
そのとき、不意に匂いがした。
スパイスの、少し刺激的な香り。
視線の先に、小さな店があった。
看板は古く、色もところどころ剥げている。
だが、不思議と嫌な感じはしなかった。
──まあ、ここでいいか。
特に深く考えることもなく、扉を押した。
小さな鈴の音が鳴る。
店内は落ち着いた雰囲気で、昼時を過ぎているせいか客は少ない。
空いている席に腰を下ろし、メニューに目を落とす。
「……カレー、でいいか」
他を見る気にもならず、そのまま注文する。
しばらくして、目の前に皿が置かれた。
「お待たせしました」
顔を上げる。
年配の店主だった。
軽く会釈して、視線を皿に戻す。
そのとき、ふと手が止まった。
スプーン。
銀色はくすみ、細かな傷が無数についている。
皿も同じで、白地の縁にわずかな欠けがあった。
「……ずいぶん、年季入ってますね」
思わず口にすると、店主が少しだけ笑った。
「ああ、それですか。開店当初から使ってるやつなんですよ」
「開店当初……」
「もう80年くらい前になりますかね。なんなら、店を始める前から使ってたものも混ざってます。なんせ、このお店は最初、闇市で出店しましたからね」
さらりと言われた言葉に、少しだけ驚く。
だが、不思議と嫌な感じはしなかった。
むしろ、どこか落ち着くような感覚がある。
「……そうなんですか」
短く返して、スプーンを手に取る。
ひんやりとした感触が、やけに手に馴染んだ。
そのとき。
「よかったら、ですけど」
店主がふと思い出したように言った。
「2階に、ちょっとした資料をまとめた部屋があるんです。この店の歴史とか、昔の写真とか」
「資料……ですか」
「ええ。興味があれば、自由に見ていってください」
一瞬、迷う。
正直、そんな元気はないはずだった。
食べたら帰って、寝るつもりだった。
なのに──
「……じゃあ、あとで少しだけ」
気がつけば、そう答えていた。
自分でも、理由は分からない。
ただ、なぜか。なんとなく──
──────────
カレーを食べ終えたあと、しばらく席に座ったまま動かなかった。
平均的な味よりかは全然おいしかったが、特別、感動したわけではない。
ただ──
「……なんだろうな」
言葉にできない違和感が、胸の奥に残っていた。
スプーンを置き、軽く息を吐く。
立ち上がると、そのまま店の奥へと視線を向けた。
さっきの話。
「資料、か……」
興味があるかと言われれば、正直よく分からない。
だが、行かないという選択肢も、なぜか浮かばなかった。
店主に軽く声をかけ、案内された階段を上る。
古い木の階段は、足を乗せるたびに小さく軋んだ。
二階は静かだった。
外の音も、店内の気配も、どこか遠い。
小さな部屋。
壁には写真や資料が並び、簡素な机の上にもいくつかの冊子が置かれている。
その一つに目が留まった。
少し黄ばんだ紙に、丁寧な字で説明が書かれている。
何気なく、読み始めた。
──
『本店のカレーのレシピは、当時、店主の親戚であった海軍の主計兵と共に作られました。
開店の準備は順調でしたが、太平洋戦争が激化し、店主は開店を断念しました。
そして戦争は終わり、深刻な物資不足と配給制度の機能不全を背景に、全国各地で闇市が普及しました。
店主は、その闇市で営まれていた飲食店でカレーを食べましたが、その味に満足することはできませんでした。
だからこそ、思ったのです。
──自分たちの美味しいカレーで、人を笑顔にしたい。
その想いから、店主は、昔に計画していた飲食店の開店を決意しました。しかし、開店をしようにも、客を入れる建物は当然、空襲で焼き払われていました。ですので、開店先は闇市でした。
これが、当店「叶カレー」最初の産声です。』
──
「……叶、カレー……」
小さく、口に出していた。
さっきまで、店の名前すら気にしていなかったことに気づく。
なぜか、その響きだけが、妙に引っかかった。
視線をずらす。
すぐ横に、別の紙があった。
手書きのレシピ。
材料と手順が、簡潔にまとめられている。
「……これが」
無意識に、少しだけ身を乗り出す。
どこにでもあるような内容だった。
特別、変わったことが書かれているわけでもない。
なのに──
「……ああ」
小さく、息が漏れた。
なぜだか分からない。
ただ、妙にしっくりくる。
知らないはずなのに。
初めて見るはずなのに。
「……なんだよ、それ」
苦笑して、目を逸らす。
考えても意味はない。
ただの偶然だ。
ただの、よくある話だ。
それでも。
ページから目を離すのに、少しだけ時間がかかった。
──────────
そのすぐ横に、もう一枚、別の説明書きがあった。
『店名の理由』と、小さく見出しが打たれている。
何気なく、視線を移す。
──
『冒頭でも書かれていた通り、当店のカレーのレシピは、当時、店主の親戚であった海軍の主計兵とともに作られたものです。
その海兵は、戦艦「白根」に乗船しており、白根の沈没とともに、海に沈みました。
店主は、そんな彼が考えてくれたカレーをお披露目したのが“闇市”という非合法的な場所であったことから、彼に対する申し訳なさと敬愛の意味を込めて、店名に彼の名前「遠和叶」の文字を入れ、「叶カレー」としました。
彼の名を、後世に残すために。』
──
「……遠和、叶……」
無意識に、口の中でなぞる。
その瞬間。
わずかに、呼吸が止まった気がした。
理由は分からない。
胸の奥に、何かが引っかかる。
痛いわけでも、苦しいわけでもない。
ただ──
「……なんだよ」
小さく呟いて、目を逸らす。
知らない名前だ。
聞いたこともない。
それなのに。
ほんの一瞬だけ、妙に現実感が薄れた。
視界の端で、光が揺れた気がした。
波の音のような、何か。
「……気のせいか」
軽く息を吐いて、肩の力を抜く。
考えすぎだ。
ただの、昔の話。
ただの、他人の人生。
自分には関係ない。
そう思いながら──
それでも、もう一度だけ、その名前に視線を戻した。
「……叶」
今度の声は、空気に消えた。
「...なかなか珍しいでしょう。当店の歴史」
「ほかのお店の歴史を知らないので何とも言えませんが...」
「それもそうですね」
──────────
「ご馳走様でした。また来ます」
「こちらこそ、またのご来店、お待ちしております」
今日は色々と不思議な感情になった気がする。
「──仕事、頑張ってみるか」
それに、少しだけ、前を向けた気がする。
理由は......なんとなくだけど。
──────────
「おはようございます!!」
「ああ、おはよう」
「っえ、あんなにいつも疲れてた桐本三尉が、こんなに爽やかになってる...!?」
「上官に対して失礼だぞ」
「でも、自分のほうが二歳年上です」
「階級に年齢は関係ない」
「言い返せない.........あ、あれ見てくださいよ、最近、この花の名前をテレビで見たんですよ」
「そうなのか?なんて言う名前なんだ」
「山茶花です。花言葉は......忘れました」
「肝心なところを忘れるなよ。まったく...」
いかにも、登和三曹らしい理由だな
この作品は一応これで完結です。めっちゃ短かったですが、読んでくださりありがとうございました。
番外編あります。




