【おまけ】帰る場所、戻る場所
「うわ……眩しい……!」
反射的に手で顔を覆った。それでも、指の隙間から上を見る。
木々の間に切り取られた――空。
空だ。
つまり、ここは本当に外なんだ。
深呼吸する。
今までとはまるで違う、澄んだ空気を思いきり肺に吸い込んだ。
俺がダンジョンに囚われていたのは、おそらく二ヶ月ほど。
だが、体感ではもっと長い。
最初は――
二度と外へ出られないかもしれない、という絶望。
後半は――
いつまで俺は飯を作らされるんだ? という、終わりの見えない困惑。
結論を言えば、ダンジョン生活の半分以上は――魔王のせいだ。
巨大なオークキングの肉。
あの肉の塊は、厚めに切っても数百人分はあった。
はじめて、その最高級肉でとんかつを揚げたあの日から……なんと俺は、毎日とんかつを作らされた。
オークキングの肉で作るとんかつは、確かに別格だった。
前世を含めても、あんなに美味いとんかつは食べたことがない――本気でそう思った。
だが……。
さすがに、毎日は飽きないか?
俺とリリスは三日目あたりで「違うものが食べたい」と思い始めたが、魔王は毎日、何の疑問もなくとんかつを食べ続けた。
それだけでは終わらない。
とんかつを皮切りに、魔王が呼び出した魔物を鰤出刃で捌かされ、前世の料理を次々とドロップさせられ、挙句の果てには、どこからか入手した上質な食材で料理を作らされ――
気づけば、俺は魔王専属の料理人になっていた。
「いい加減、俺を家に帰してくれ!」
我慢の限界だった。
正直に言えば、魔王の城での生活は快適だった。
あの異様に快適なベッドに、ちゃんとしたシャワー。
食事だって、魔王が独り占めするわけではない。
俺とリリスの分まで、リクエスト通りの魔物を召喚し、材料も用意してくれた。
飯マズが当たり前のこの世界で、前世と遜色ない食事ができる環境なんて、正直ありえない。
……それでも。
俺の心に、ずっと影を落としていたのは――おじさんのことだった。
幼い頃に両親を亡くした俺――フェルン。
本来なら、孤児院に行くはずだった。
けれど、叔父――父さんの弟だったおじさんが、俺を引き取ってくれた。
それで、孤児院行きは免れた。
だが、若く独身だったおじさんはいきなりの子持ちとなった。
その頃、前世の記憶もなかったフェルンは、
両親を失った寂しさもあり、わがまま放題だった。
それでも、子育てなんてしたこともないおじさんは、精一杯フェルンと向き合ってくれた。
独り身だからと、Bランクパーティーに所属し、
自由に国中を旅していた生活。
それを捨てて、兄夫婦が遺した家に戻り、
その息子を育てる道を選んだ。
そして、格下のDランクパーティー――
「フェニックス」に入り直した。
子どもだった頃のフェルンは、
その意味を深く考えていなかった。
だが、前世の記憶を思い出し、
中身だけは中年男性になってしまった今の俺には――
その決断が、どれほど重いものだったのか、痛いほど分かる。
もし、前世の俺が、おじさんと同じ立場に立たされたとして。
同じ選択ができるかと問われたら、迷わず「はい」と答える自信はなかった。
おじさんには、いくら感謝しても頭が上がらない。
そんなおじさんに、俺が生きていることすら伝えられないまま――呑気に魔王の城で料理を作り続けるわけには、もういかなかった。
絶対に、心配している。
今も、俺のことを気に掛けている。
転移トラップを踏んでしまったときの、おじさんの悲痛な顔と、俺の名を必死に呼ぶ光景が、脳裏に蘇る。
「……フェル!?」
そう、そんなふうに俺の名前を必死に――
「フェル……っ! フェルだよな!?」
――え?
声の方を振り返ると……
そこには、今にも泣き出しそうな顔をしたおじさんの姿があった。
「おじ……さん?」
呆然と呟く。
するとおじさんは顔をくしゃりと歪め、俺に駆け寄ってきた。
あっという間に、気がつけば俺はおじさんの腕の中にいた。
しばらく、何も言えなかった。
おじさんの腕は、少し震えている。
「……よかった……本当に……」
掠れた声。
俺の背中に回された手に、力がこもる。
「もう……会えないかと……」
言葉の途中で、声が詰まった。
ああ。
本当に、心配させてしまった。
「……ごめん」
やっと、それだけを口にする。
すると、おじさんは俺の頭をくしゃりと撫でた。
いつもと変わらない、少し乱暴で、でも優しい手つき。
「謝るな……帰ってきたなら、それでいい」
それだけでいい。
そう言われて、胸の奥がじんと熱くなる。
「生きてて……よかった……」
その一言で、堪えていたものが溢れた。
「……俺も」
短く、そう答えるのが精一杯だった。
視界が滲む。
胸が詰まり、言いたいことがあったはずなのに何も言えず、おじさんの背に腕を回すことしか出来なかった。
しばらくして、ようやくおじさんが俺を離す。
赤くなった目を、照れ隠しのように拭いながら。
「……で」
少しだけ、いつもの調子に戻った声で言う。
「どういうことだ?
突然消えたと思ったのに、森の奥からひょっこり出てきて」
俺は、苦笑いする。
そりゃ驚くよな。
数日分の食料しか持っていなかった俺が、二ヶ月も行方不明だったのだから。
……死んだと思うのが、当たり前だろう。
「……長くなるけど」
「ああ」
即答だった。
「話してくれ、ちゃんと聞く。だが……疲れただろ?」
そう言って、気遣う視線で俺を見る。
……言いづらい。
おじさんは、俺がダンジョンで死闘を繰り広げてきたと思っているのだろう。
まさか、その半分以上を魔王の城で快適に過ごしていたなんて。
「早く、帰ろう。俺たちの家へ」
やさしくそう言われ、思わず鼻の奥がツンとした。
うん。帰ろう。俺たちの家に。
だが、そう思ったとき――
今度は、あの二人の顔が脳裏に浮かんだ。
――リリスと、魔王。
出会って、たった一、二ヶ月。
それなのに、すっかり彼らは俺の――
……なんなんだろう。
友達でも、恋人でもない。
もちろん、家族でもない。
だが――
まるで、ひな鳥だ。
目を開けたとき、最初に見た存在を親だと思い込む、あの感覚。
前世の記憶を取り戻したあと、最初に出会ったのが彼らだったからだろうか。
すっかり、俺の一部のような、なくてはならない存在になっていた。
彼らにとって、俺は飯炊き要員に過ぎないのかもしれない。
それでも――
「帰りたい」と言えば、当然引き止められた。
だが、おじさんのことを話し、
「とりあえず一度帰らせてくれ」と頼んだ。
そして、
必ずまた戻ると約束して、俺はここにいる。
「……君たちは……?」
おじさんの戸惑うような声に、顔を上げる。
「……は?」
そこには、可愛らしい少女――リリーの姿をしたリリスと、魔王……だと思われる、目の色はオレンジ色だが黒髪で黒づくめの美青年が立っていた。
男は、穏やかな笑みを浮かべて言う。
「貴方が、フェルンくんの叔父上ですか」
フェルン……くん?
慣れない呼ばれ方に、むず痒さを覚えて黙り込む。
その間にも、おじさんと魔王の会話は続いた。
「は、はい……私はフェルンの叔父ですが……あなた方は?」
「私どもは、フェルンくんとダンジョン内で知り合った者です。
最下層で彼と会い、共にダンジョンを攻略しました」
沈黙が落ちる。
おじさんが、完全に固まった。
「……最下層を……攻略……!?」
「はい」
魔王は、なんてことはないように笑顔で頷いた。
「最下層って……
なんで、そんなところに!?」
「私たちは攻略のために潜っていたのですが、フェルンくんは転移トラップを踏んでしまったようでして……」
おじさんが、確認するように俺を見る。
俺は、ただコクコクと首を縦に振ることしか出来なかった。
おじさんは頭に手をやり、みるみる顔色を悪くする。
「最下層なんて……よりによって、フェルンが……」
そう言いかけたところで、魔王が静かに一歩前へ出た。
「これでも一応、腕に覚えはありますので」
そう言って差し出したのは、
プラチナ色に光を放つ――Sランクの冒険者証だった。
一瞬、時が止まる。
……なんで、魔王がそんな物を持ってるんだ!?
おじさんは目を見開いたまま固まり、次の瞬間、勢いよく頭を下げた。
「ありがとうございます!
あなたが、フェルンを助けてくださったのですね!」
「いえ、とんでもない。
フェルンくんも戦ってくれましたし、
何より食事のことで、こちらこそ大変お世話になりました」
魔王はそう言って、隣を見る。
「なぁ、リリス」
「はい。フェルンさんのごはん、とても美味しかったです」
二人は顔を見合わせ、楽しそうに笑った。
……うん。
確かに、食事の世話はした。ものすごくした。
「そ、そうですか……。
フェルンの料理は確かに美味いですが……Sランクの冒険者様が助けてくださったのなら、最下層から生きて戻れたのも、納得です」
そう言って、おじさんはようやく笑顔を見せた。
するとリリスが、ぱんっと両手を叩く。
「こんなところで立ち話も何ですし、早く町へ戻りましょう!」
その明るい声に、おじさんも頷いた。
「それもそうですね。
フェルンが無事戻ったこと、早く冒険者ギルドに報告しなくては……町へ戻りましょう」
そう言って歩き出すおじさんの後ろを、魔王とリリスが追う。
そして、少し歩いたところで、二人が振り返った。
「ほら、フェルン。早く行くぞ」
「…………ああ……」
おじさんがいる手前、そう返すしかなかったが――
あとでどういうことか、ちゃんと話を聞かせろよ!?
心の中でそう叫びながら、俺は三人の後を追った。




