そして新たなバイトが一人
意識が……思考が。
急速に闇の底へと沈んでいく。
気が付けばカーキ色の軍服の男は真っ暗な場所に立っていた。
どこを見ても視界は漆黒。
立っているのか、それともいまだに沈んでいる途中なのかもわからない。
(敗れたか……。俺は死を迎えようとしているのだな)
この瞬間のことはこれまでにも何度も頭に思い描いてきた。
自分が敗北して死ぬ時のことを。
(これが魔人の王と恐れられた俺の……ゼクウの最期か)
しかし自分が想像していた程の激しい感情の揺れ動きはない。
静かで淡々としていて……やや乾いた思いを胸に自分は今消えていこうとしている。
思えば自分の生涯は常に戦いだった。
敗れた者が消えゆくのは常だ。
それが自分の番になったからといっても別段騒ぎ立てるようなものでもない。
……だが心残りが全くないかと言われればそうではないようだ。
死ねば一切合切が無に還る。それだけの事だと思っていたが……。
(今になって俺の中に残ったものがあるとはな……。では最期に俺はこれを力と共に遺すことにしよう)
誰かが……この力とともにそれを受け継いでくれれば。
自分の生涯にも何らかの意味はあったと言えるのではないか。
闇の中で目を閉じるゼクウ。
その手の中に赤い光が生まれ、それが闇の中を何処かへと飛び去って行った。
それを見送り魔人の王が目を閉じる。
そして……全ては漆黒に塗り潰されていった。
……………。
突然の轟音。
倒れていたゼクウの胴体が爆ぜた。
木っ端微塵に砕け散った魔人の身体が周囲に降り注ぎ白い灰になって崩れ落ちていく。
巻き起こる深紅の大爆発と同時に凄まじい勢いで天へと赤い雷が駆け上っていったのだが、ユカリを始めとしてその場でその現象を視認できた者は一人もいなかった。
「ぎゃああ!!! ちょっと!! 何よまだ何かあるの!!!??」
爆風で吹き飛ばされたユカリは地面をゴロゴロ転がりながら悲鳴を上げている。
体勢を維持するには消耗が激しすぎた。
「……!」
転がった先でうつ伏せで倒れ……そしてゆっくり顔を上げたユカリは気が付いた。
周囲が……草地ではない。
舗装された道路だ。近代的な街並みに辺りの風景が戻っている。
見慣れたいつもの火倶楽の姿がそこにあった。
全身を襲う痛みに耐えつつ頭を持ち上げて見上げればそこにはもう大樹は無く……。
夜空を背景にして半ば崩壊した巨大なビルが無残な姿を晒している。
「……あは」
どうやら……あの見知らぬ美女たちはやってくれたようだ。
いや、これはこれで十分大惨事ではあるものの。
少なくとも目前に迫っていた火倶楽消滅の危機は去ったらしい。
間もなく……時刻は夜明け。
東の空が若干白みかけている。
「よ~し、みんな帰ろっか……いたたた……」
苦笑してユカリが座り込んでいるルクシエルたちの方へと歩いていく。
見上げてユカリを見る仲間たち……。
だけどもう皆立ち上がるどころか一言発する元気も残ってはいないようだ。
「いやぁ、大変な夜だったね……」
そんな風にボヤいて引き攣り笑いの顔を見合わせたユカリたちであった。
………………。
この夜の事は公式の記録ではテロ組織による火倶楽統治局本部ビルの襲撃事件であるとされている。
火倶楽では未曽有の大事件であり報道も盛んにされたが、どこにも大樹の話も樹海の記録も残されてはいない。
ほんの一部、ネットにそういうものを見た。遭遇したという話が出回ったものの世間一般には妄想やデマ、陰謀論の類とされて徐々に忘れられていった。
都市伝説かデマと言えば、この日にあった事としてもう一つ別の話が一時期SNSを賑わせた。
明け方の極々短い時間、空が黒雲に覆われ赤い雷が落ちて赤い雨が降ったというものだ。
その雨に打たれたという者が言うことには不思議なことに濡れても衣類に赤い染みは残らなかったという。
……これもまた、妄想か何かの間違いとして片付けられその内に聞かれなくなっていった噂話だ。
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シャッターを開けて開店準備に取り掛かる。
「おはよ~、イチロウさん。あいったた……」
顔を顰めるユカリ。まだ全身のあちこちが痛む。
あの激闘の夜から半月が経過していた。
今日も変わらずに『のすたるじあ』の店の前には巨大な焼き物の狸が鎮座している。
「座ってていいよ。私がやるから」
そんなユカリを心配そうに見ているルクシエル。
「や~、私の場合少しは身体を動かしてた方が調子がいいから」
店の前の道路を掃き掃除しながらユカリが笑う。
「……………」
そんな彼女を見ているルクシエルの表情が少しだけ曇った。
ユカリは嘘を言っているわけではない。
店は……商売は彼女が好きでやっている事だから仕事をしていれば活力が沸いてくるというのは事実ではある。
ただ今彼女が仕事に集中しようとしているのはそれだけが理由ではない。
それをルクシエルは知っているのだ。
……………。
魔人ゼクウとの戦いの後、負傷と消耗の激しかったユカリは数日入院する事になった。
彼女が白い病室の住人になって二日後……。
総合病院の前に何台もの厳つい装甲車が乗り付ける。
彼らは護衛である。本命の二人は黒色の大型高級車の中だ。
多くのSPに囲まれて車から降り立った二人。
一人は体格の良いスーツ姿の中年男。角ばった顔にブロンドを品良く撫でつけたその男はガイアード・カグラ社の社長ガストン。
そしてもう一人は白いローブ姿の長身で痩せた老人。銀の混じった長い白髪をオールバックにしている彼は表情筋が凍り付いてしまっているかのように無表情だ。
統治局局長のエンリケである。
二人の火倶楽の支配者の来訪に大病院が緊張でピリ付いている。
……………。
「大活躍だったようだな、ユカリ~ぃ! 私もキミの友人として実に鼻が高いよ!」
厳めしい顔で廊下を歩いていたかと思えば病室に入るなり相好を崩して上機嫌にテンションを上げるガストン。
脇に立つ秘書が「社長、病院ですので」と声量を落とすように促すが彼は聞いてはいなかった。
ユカリは痛みに時折表情を歪めつつ社長ににこやかに対応している。
……こっちはいいのだ。こっちのオッサンは慣れているし扱い方は大体把握している。
問題は……。
「…………」
チラリともう一人の男の顔を窺うユカリ。
「氷の男」と評されるその瘦せた老人の表情はユカリの視線を感じてもわずかにも動かない。
局長エンリケ……この男とは初対面だ。
潜りの超人であるユカリとしては正直あまり顔を合わせたい相手ではない。
「君の貢献に統治局を代表して礼を言わせてもらおう」
ガストン社長とは対照的に感情をあまり感じさせない声音で淡々とそう告げたのは白いローブの老人。
「お忙しい中わざわざお越し頂きまして……」
愛想良く対応するユカリではあったが、内心では「あちこち痛いし凄い疲れてるから早めに帰ってくれないかな……」とかちょっと思っていたりもする。
「あぁ、もう社は大わらわだよ」
二人の会話に強引に割り込んだ……つもりは本人にはなくナチュラルに彼はこんな感じなのだろうが……ガストンは大袈裟にため息をついた。
「まさか我が社にあんなにネズミが入り込んでいたとはな! 安心、安全、信頼できる仕事がガイアード・エンタープライズ・カグラ社の社是でというのにだ……恥ずべき事だ、まったく! この機会に徹底的に膿を出し切ってしまわなければ!」
事件の後、ガイアード社と統治局に密告があった。
『緑の聖域』に潜入していたクロカワによって組織の者たちの名簿が流出したのである。
統治局各部署やガイアード・カグラ社内の大勢の内通者が捕らえられたらしい。
ガストンの言うように関係各所はきりきり舞いであろう。
「あの……」
しかし、ユカリにはそんな事よりもずっとずっと気になっていることがある。
「えっちゃ……エトワール・ロードリアスはどうなってます……?」
「今のところは大人しくしている。取り調べにも素直に応じているようだ」
低い静かな抑揚のない声で答えるエンリケ。
「ロードリアス財団からは再三身柄の引き渡し要求が来ているが……そういう訳にはいかない。彼女にはこの街できちんと裁きを受けてもらう」
「あの子……彼女は私を助けてくれたんです。だから、どうか……寛大なお裁きを」
ベッドの上でユカリは頭を下げる。
「その話は報告は受けている。しかしだ壬弥社君、罪というものは善行を積んだからといって帳消しになるものではない」
「……………」
頭を下げたままユカリは辛そうな表情をした。
それはこの老人の言う通りだ。
「なぁ、局長……ユカリは我々にとっても火倶楽にとっても恩人なんだぞ? もうちょっと、こう……何ていうか融通を利かせてやったっていいんじゃないのか?」
「ガストン社長、私は法を定め皆にそれを守らせる立場の人間だ。その私が法に例外を認めれば示しがつかない。彼女の功績は功績。エトワール・ロードリアスの罪は罪だ。その二つは同一に語られるべきものではない」
やはりダメか……。
肩を落とすユカリ。
ガストンはエンリケには見えない角度から表情を歪めて舌を出している。
「……あっ」
不意に声を上げたユカリを見る二人の火倶楽のボス。
「それなら、こういうのはどうでしょうか……!!!」
……………。
一台の自動車が『のすたるじあ』の前に停車した。
掃除の手を止めてそっちを見るユカリとルクシエル。
車は統治局のものだ。
助手席から降りてきたのは……。
「や、どーもでーす。結局思いっきり死に損ねた天才美少女のエトワールたんでごぜーますよ」
スカジャンの美少女、エトワールがやや遠慮がちに二人に挨拶をして軽く頭を下げた。
ややばつが悪そうに見えるのは二人の見間違いということもないだろう。
「えっちゃん……」
「何か今日になって、急におねーさんと暮らせば放免だとか言われたんですけども……。どーゆー事なんですかねこれは?」
ふらふらとブロンドの少女に歩み寄るユカリ。
そしてやおら彼女はガバッと力強くエトワールを抱き締める。
……………。
「……ほ、ほごっ、保護観察です! あの子、私に預けてくださいッ! 必ずどこへ出しても恥ずかしくないように立派に更生させてみせますんで!! ネットリと!!」
「……………」
ユカリの剣幕に若干気圧されたのか、やや顎を上げたエンリケはしばしの間無言であった。
「考慮はしよう」
やがて、老人は静かにそう告げたのであった。
……………。
そんなユカリの我儘をどうやらエンリケは通してくれたようだ。
「……そっか、おねーさんが何か言ってくれたんですか」
ユカリの腕の中のエトワールがフッとほろ苦く笑う。
「いいんですかね。私は罪人だし相変わらず心がカラッポなんですけどね」
「いいに決まってんでしょ~。私がそうするって言ったんだから。今はカラッポかもしれないけどさ。これからそこに何か楽しいこととか幸せなもので埋めていこうよ。トンカツとか!!」
ペットを可愛がるかのように抱きしめたエトワールの頭を滅茶苦茶に撫で回しているユカリ。
そんな二人をしょうがないな、みたいな顔で見ているルクシエル。
はしゃぐ店主と二人の娘の背景には今日も変わらない穏やかな煌神町の街並みがある。
それを黙って見つめ続ける店先のイチロウさんであった。




