第六十九話
京都伏見稲荷大社、闇夜に浮かび上がる朱塗りの迷宮――千本鳥居。冷え切った冬の空気が肺を突き、二人が吐き出す息は白く混じり合っては消えていく。
「……もうすぐ新年ね。私、あと数時間で十六歳になるわ」
想子は吉川を振り返り、悪戯っぽく、それでいて射抜くような瞳で見つめた。戦国時代を共に生き抜いた「宗古」としての記憶が、その瞳の奥で熱く揺らめいている。
「真女流名人戦はどうだった?」
「一勝一敗。明日の元旦、京都能楽堂で決着よ。……非公開だけど、貴方は来るんでしょ?」
「ああ。警察庁から現場再現を兼ねた警備要請が出ている。俺も現場に立つ」
吉川は声を潜め、捜査の進捗を切り出した。
「加納月の胎児のDNA……鑑定を拒否したのは三人だ。市会議員の大野春長、囲碁棋士の日海与三郎、そして能楽師の安宅来電」
「動機につながる接点は?」
「加納がパパ活に使っていた古いSNSアドレスを特定した。彼女は身元が割れるのを恐れ、ネットカフェを渡り歩いてやり取りしていたようだ。……その中で頻繁に出てきたワードが『雪月花』。左京区にある同名のホテルだ。そこで彼女と密会していた男がいる」
吉川はスマホの画面を想子に見せた。監視カメラの粗い映像に映る、影のような男の姿。 想子はその顔を凝視すると、吉川の耳元に唇を寄せた。熱い吐息が耳たぶをくすぐり、凍てつくような夜気の中でそこだけが火を噴くように熱くなる。むせ返るような少女の香りが吉川の理性をかき乱した。
「……実行犯はわかったわ。でも、黒幕はもっと深いところにいる」
想子が囁いた名を聞き、吉川は驚愕に目を見開いた。
「証拠がないだろう」
「だから、これからそのホテルへ行くのよ」
「……あそこはラブホテルだぞ? 未成年の君が何を……」
「予約も済ませたわ。今日は大晦日。もう宿なんてどこも空いていないし、明日の対局に備えて私もそこに泊まる。……付き合いなさいよ、刑事さん。明日になれば私は十六歳。結婚だって合法なんだから」
その刹那、伏見の空が急速にどす黒い暗雲に覆われた。凄まじい暴風が千本鳥居を揺らし、バリバリと空を引き裂くような地響きとともに雷鳴が轟く。
吉川は反射的に想子の細い腰を引き寄せ、その体を守るように強く抱き締めた。厚手のコート越しでも伝わる、想子のしなやかで弾力のある肉体の鼓動。恐怖か、あるいは高揚か、彼女の体温が急激に上昇し、密着した二人の間に濃密な熱気が立ち込める。柔らかな双丘の感触が吉川の胸板に押し当てられ、剥き出しの首筋から伝わる瑞々しい肌の熱が彼を酔わせた。
想子のスマホが、網膜を焼くような黄金の光を放った。
『LEVEL 10 / 10 ―― 完遂:タイムリープ解放』
画面には狐の神使と共に、葛の葉からの最後のメッセージが浮かび上がる。
『歴史が戻ったとき、これを使用せよ。これが最後……』
雷鳴が止み、二人は左京区のホテル『雪月花』へと向かった。ビジネス利用も可能なそのホテルのフロントで、吉川が警察手帳を見せて聞き込みを行う間、想子は横で当然のような顔をしてチェックインを済ませた。
「……想子、俺は一度府警に戻らなければならない。君はここで休んでいろ」
「何を言ってるの? 未成年の婚約者を一人にする気?」
想子は吉川の腕に強引に絡みつき、その豊かな胸の膨らみを腕に押し当てるようにして彼を真っ直ぐに見上げた。戦国時代の江戸城で、すべてを投げ打って激しく合わさったあの夜の記憶が、今の彼女の瞳にも鮮烈に宿っている。
「ダブルの部屋なんだから、料金は一緒よ。……もうすぐ除夜の鐘が鳴るわ。十六歳になった私を、また放っておくつもり? 江戸城であんなに情熱的に、壊れるほど抱きしめてくれたのに……今さら逃げるなんて許さないわよ」
遠くから、重厚な除夜の鐘の音が響いてきた。運命の元旦まで、あとわずか。




