第四十一話
東から西へと奔る夜風が、浜松城の天守を激しく揺らす。地上四十メートルの断崖、格子の外れた換気孔から身を乗り出す吉川の元へ、宗古が弾かれたように駆け上がってきた。
「刑事さん、これを使って! ぐずぐずしてたら小那姫がバラバラになっちゃうわ!」
宗古が差し出したのは、鈍い銀光を放つ巨大な「水蜘蛛」だった。だが、ただの忍具ではない。底面には超小型のインペラが緻密に配置され、中心部には未知の輝きを放つクリスタルが埋め込まれている。
「『空中水蜘蛛』……まさか、空を飛ぶってのか!」
「私が後ろから『風神』の加護を叩き込むわ! 刑事さん、私を背負って。絶対に放さないでよ!」
吉川が水蜘蛛を両足に装着し、宗古がその背中にしがみつく。男装の下に隠された彼女のしなやかな肢体が、熱を持って吉川の背に密着した。さらしで抑えきれない豊かな双丘の弾力が、吉川の背中にめり込むように押し当てられ、彼女の焦燥を含んだ甘い吐息が首筋を火照らせる。
「起動……風神、解放!!」
宗古がスマホのアイコンを猛烈な勢いでスワイプした瞬間、深夜の静寂は粉砕された。
吉川の足元から、眩いばかりの青白いプラズマが迸る。スマホから放たれた「神の風」が水蜘蛛のインペラに超高回転の命を吹き込み、周囲の空気を爆発的に圧縮した。バチバチと火花が散り、デジタルな光の幾何学模様が夜空に回路を描き出す。
「うおおおっ!?」
重力を嘲笑うような圧倒的な推力。二人の体は、まさに「人間ドローン」と化して虚空へと射出された。風を切る音が衝撃波となって鼓膜を叩き、眼下の城下がまたたく間に遠ざかっていく。
その時、夜空の彼方で無情な鋼の音が響いた。忍びの月が、小那姫を吊り下げていた糸を切り裂いたのだ。
「小那姫、さらばよ。地獄で後悔なさい」 「……殺して……やる……月ぃぃぃ!」
糸が断たれ、意識を失った小那姫の体が、吸い込まれるように城下の古井戸へと墜落していく。堀尾吉晴の絶叫が、遥か下方から微かに聞こえた。
「加速!!」
宗古がスマホを前方に傾けると、空中水蜘蛛がキィィィィィンと高周波の咆哮を上げ、青い光の尾を引いて急降下を開始した。猛烈な風圧に小袖が激しく翻り、吉川の視界はアドレナリンで真っ赤に染まる。
「捕まえるぞ、宗古! しっかり掴まってろ!」
墜落する小那姫の体が、井戸の縁に激突するまであと数メートル。吉川は空中で体をねじり、限界まで右腕を突き出した。
ガシッ!!
間一髪、激突の寸前で、吉川の剛腕が小那姫の帯を鷲掴みにした。凄まじい衝撃が腕を襲うが、空中水蜘蛛の姿勢制御が火花を散らしてそれを相殺する。
「ふぅ、首の皮一枚ね」
宗古がスマホを水平に戻すと、荒れ狂っていた風は一転して柔らかな羽毛のような浮力に変わり、三人をお地蔵様が鎮座する庭園へと静かに舞い降ろした。
「う、ううん」
腕の中で意識を取り戻した小那姫が、荒い息を吐きながら吉川を見上げた。激しい落下で着衣は大きく乱れ、はだけた小袖の隙間から、大人の女の熟れた、月光を浴びて白く輝くような双丘が露わになっている。 彼女の指先が、女装した吉川の首筋に熱く絡みついた。
「そなた、やはり男であったか。だが、それゆえに愛おしい。
さあ、私をその逞しい腕で、もっと、奥まで」
「ご無事で何よりです、姫様」
吉川は視線をそらし、そっと彼女の小袖を整えたが、背後から宗古の冷ややかな、けれど独占欲に満ちた熱い視線が刺さるのを感じて、生きた心地がしなかった。
その時、吉川の目が、遥か上空を逃れる大凧を捉えた。 「逃がすか!」 吉川は着物から短筒を引き抜き、片目で照準を固定する。
放たれた弾丸は忍びの月の右腕を正確に貫いた。衝撃で月の手から「小面」がこぼれ落ち、ひらひらと闇の中へ舞い落ちていく。大凧は制御を失い、西の林へと吸い込まれていった。
「あんな無茶な。でも、刑事さんのおかげで本物は守られたわね」
宗古が吉川の背中に再びぴたりと寄り添い、勝利を確信したように微笑んだ。浜松城の激動の一夜が、ようやく明けようとしていた。




