第十五話
翌日、俺と宗古は再び伏見にある徳川家康の屋敷を訪ねた。
人払いを済ませた奥座敷には、主である家康の隣に、むせ返るような芳醇な香りを纏った一人の女が寄り添っていた。家康が最も寵愛する側室、茶阿局だ。
「よう来た。この屋敷は隅々まで調べ上げ、今は鼠一匹忍び込む隙もない。……して、宗古殿。昨日の続きを聞こうか」
家康が重々しく切り出すと、茶阿局がしなやかな動きで家康の肩に白く細い腕を回した。
彼女はわざとらしく着物の襟を崩し、露わになった滑らかなうなじを家康の頬に摺り寄せる。
女装した「さつき」である俺の視界には、彼女の豊かな胸元の曲線が、呼吸に合わせて波打つ様が嫌でも目に飛び込んできた。
茶阿局は妖艶な瞳を俺たちに向けると、慈しむような微笑を浮かべた。
「案じずともよいですよ。私は殿が信じる方ならば、たとえ天からの授かりものであろうと全力でお守りいたします。さつき殿、女の私から見ても貴女の瞳は澄んでいて、何か大きな運命を背負っているのが分かりますわ。困ったことがあれば、いつでも私を頼りなさい」
彼女は家康の逞しい胸板に自身の柔らかな膨らみをしっとりと押し付けながら、俺たちを力強く肯定してくれた。
家康はその茶阿局の腰を太い腕で抱き寄せ、その分厚い手のひらで彼女の肉感的な肢体を愛撫する。
絹の擦れ合う音と、茶阿局の喉の奥から漏れる熱い吐息。俺は刑事としての理性を保つため、必死に視線を正した。
宗古は男装のまま凛として背筋を伸ばし、家康を真っ直ぐに見据えた。
「家康様。私たちは……かつて別の世で生き、再びこの地に生を受けた『転生者』なのです。私は夢のなかで、未来の記憶を、あの文書を確かに目にいたしました。
……信長様から太閤様、そして次に訪れる『新しい王』の時代。私たちはその光景を知っています。私たちが再び未来へと戻るためには、本物の『月の小面』が必要です。
扉が開けば、時代はおのずと家康様の望む形へ動くでしょう。その代わり……私が大晦日までに扉を開いた暁には、父・大橋宗桂を『一世名人』として取り立て、将棋の家元として生活できるようにお力添えを頂きたいのです」
家康は茶阿局の肩を抱いたまま、満足げに喉を鳴らして笑った。
「面白い、その賭け、乗った! 宗桂殿を一世名人として生活できるよう、この家康が保証いたそう。本物の面は、肥前名護屋城にある手がかりから手繰り寄せねばならぬな。……勝吉! 旅の支度をせよ。これより肥前名護屋へ向かう!」
徳川の威光に守られた肥前への旅路は、拍子抜けするほど穏やかだった。
だが、俺たちにとっての本当の緊張は、宿での夜にあった。
狭い一室で宗桂のおっさんと雑魚寝を強いられる中、行灯の消えた暗がりに、衣擦れの音がかすかに響く。宗古がさらしを解き、薄い小袖一枚になった姿が、月明かりにうっすらと浮かび上がった。
少女特有の華奢な肩のラインと、未成熟ながらも瑞々しい肌の質感が、闇のなかで妖しく光る。
彼女は俺の視線を感じると、少しだけ身をねじり、不満げに鼻を鳴らして布団に潜り込んだ。
俺は、その微かな熱と芳香を意識しないよう努めながら、限界に近い理性を保つ夜を繰り返した。
そして一行は、ついに巨大な要塞、肥前名護屋城へと到着した。
そこは欲望と狂気が渦巻く魔窟だった。
広間に並ぶ顔ぶれは、まさに事件の全貌を暗示していた。
狂気を孕み始めた太閤秀吉。
冷徹な淀殿。忠実な大野修理。
能楽師の来電、碁打ちの算砂と、殺気を隠し持つ娘、月。さらに「雪」と「花」の面を持つ新たな能楽師たち。
「役者は揃ったわね」宗古が俺の腕を強く掴んだ。
彼女の手のひらは熱く湿っている。
そこへ宗桂のおっさんが駆け寄ってきた。
「おい、宗古、婿殿! 朗報じゃ。あの『石山安兵衛』という木箱職人、今は肥前名護屋の城下町に隠れ住んでおるらしいぞ」
宗古の表情が鋭い勝負師のそれに変わった。
「石山安兵衛……月の小面を納める箱に細工をした男。これで、あの堅牢な蔵から『消えた』トリックが暴けるわね」




