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奇譚師  作者: 日向宮子
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最終章 奇譚師

 四つ首様を知っているだろうか。

 それは山に棲んでいる。それは願いを叶える生き物である。それは四つ首様、四つ首様、と唱え呼び出すと、現れる。願いを姿は大きく、人の数倍もあり、毛むくじゃらの脚を持ち、そして、首がない。四つ首様は願いを叶える代わりに、首を要求するのだ。首を捧げなければ、願いはなかったことになる。全てがなかったことになる。しかし首を捧げれば、願いは必ず叶う。四つ首様が叶える願いは一つだけ。捧げる首も、一つだけ。どんな首であれば、代価に相応しいだろうか。


 願いを叶える者として存在しているのにもかかわらず、願いを聞き届けない者がいてはならない。そうであるのだが、そういった者がいることが小泉の目下の悩みであった。再定義した四つ首様の噂は徐々に増幅し、人付き合いの悪い小泉の元へ届くまでになったが、何やら知らぬ情報が付け足されているのである。曰く、四つ首様は願いを叶えようとしない、と。それは定義に反する行為だ。四つ首様を自称して、自認して、そうであるのにそうしないのは、明確な規律違反だ。ともすれば、四つ首様自身の存在も危うくなる。

 心配、ともまた違うが、四つ首様は小泉が再定義した怪異だ。様子を伺うのも責務のうちだろう、とシャドウに山へ向かうことを提案した。シャドウはそれを聞き、嫌そうなそぶりを見せて、それから、やれやれ、といった風に肩を落とすジェスチャーをした。

「君は相変わらずだな。律儀と言えば聞こえがいいが、些か厄介ごとに首を突っ込みすぎる」

「厄介ごとの代表が何を言ってる」

「私のことか? ううん、さもありなん」

 ともあれ、反対するだけの理由もないのだろう。シャドウは近場の山へ向かおうとする小泉を止めなかった。

 万が一のためにも人目を憚り、深夜の決行にした。罰を下したのと同じ山に登り、同じ文言で四つ首様を呼び出す。何もなかったはずの暗闇から、脚が一本生える。長く鋭い爪は地を引っ掻き、傷をつけた。鼻が曲がるような獣臭さを纏い、湿った呼気を吐き出しながら、四つ首様が姿を現した。いかにも恐ろしげに見せかけた演出もなく、億劫そうで、気怠げであった。以前とは打って変わって萎れた風貌に目を丸くする。それは、付け足された噂の一片と関係があるのかもしれない。

 四つ首様は、小泉を見て、シャドウを見て、ああ、と頭もないのに項垂れた。呻いて、嘆いて、足元に縋ろうとする。自己顕示欲が強く、小心者な四つ首様らしからぬ態度であった。

「奇譚師様、どうか、お助けください」

 その声があまりにも憐れで、心があるようで、小泉は押し黙った。少し悩んで、シャドウを振り返る。舌打ちでもしそうな様子のシャドウは、頭を片手で押さえ、それはもう盛大にため息をついた。お人好しめ、と言いたげな空気が漂っている。何と言われようとも、性分は変わらない。小泉としてはこれは優しさでも責任感でもなく、ただ、目の前の者を見捨てられないだけだった。しかしまあ、それを他人は善意と呼ぶのかもしれない。


 聞き出すまでもなく、四つ首様は勝手に吐露した。べそをかきながら、弱々しく、地べたに伏せっている。

 初めは選り好みをしていたのだと言う。この身に授かった力が、それが発揮されるのが一度限りであるのならば、見合っただけの願いと、欲する首を要求しようと。それもまた激しい思い上がりだが、責められるところではない。小泉は怪異を縛る存在ではないのだ。首を代価に、願いを。端的に表せばそれが四つ首様の存在意義であり、核となる定義だ。

 人間は欲深い生き物だが、首をと命を天秤にかけようとする者はそういない。確実性はあれども身を滅ぼす危険は冒さないのが人間という生き物でもあった。我が身が可愛いのである。自分の首か、他人の首か。どちらを選んでも明るい未来は見えない。現代社会においてはそのような力を盲信する者もそういなかった。

 ただ、子供というのは無邪気で残酷である。ある子供が噂を聞きつけて、山へ登ったのだ。四つ首様を幼い声で呼び出し、願いを言った。この首を代わりに、あの子の脚を治してくれ、と。

 四つ首様は小泉に語った。ある子供、ある少女の願いを。

「突っぱねたのです。そんなちゃちな願いは叶えられないと。小さな首はいらないと。それでも毎日来るのです。飽きもせず、いらぬ話ばかりして、最後に願いを告げて去る。そんな日が続きました」

 四つ首様は人間に深く関心がない。興味がない。だから、少女が身に纏うものが何であるかを知らなかったし、知ろうともしなかった。少女が来ていた白い服は病院着であった。この街にある大きな病院の、その裏にある小山。そこで、四つ首様と少女は会っていた。

 いらぬ話とは、子供がよくするもので、身の回りのことも思いも何もかも、気に留めることなく平気で投げてくるものだった。院内で会うあの子に仄かな恋心を抱いていること。四つ首様はそれを一笑に付した。同い年の子のように走り回ることができず、病院の中で過ごし、たまの合間に外へ出ることが唯一の自由であること。四つ首様は理解もせず粗雑な返事をした。

 四つ首様は人間の感情を知らない。恋心、というのがどのようなものかわからなかった。それは何なのだ、と少女に問うたこともある。少女は目をぱちくりとさせ、得意げになって言った。笑顔を見たいと思うこと、会いたいと思うこと、一緒にいたいと思うこと、それらを向ける相手がいて、恋があるのだと四つ首様に教えた。

 走り回ることの何が楽しいのかも四つ首様には理解できなかった。四つ首様にとってあらゆる山は己の領域であり、好きに歩くことができる。だがそれに楽しさを見出していなかった。そのことを、少女は贅沢ね、と呆れていた。簡単にできることに憧れは抱かないのだと、自分の持たないものだから憧れて、焦がれるのだと言った。

 自由とは何なのかも、少女は四つ首様に教えた。誰にも怒られず、縛られず、好きな場所へ行き、好きなほど歩いていけることを自由と呼ぶのだ。だけれど、それは少しの寂しさもある。その寂しさが大きくなりすぎたとき、自由は自由でなくなる。少女はそう語った。

 いつか元気になって、あの子と公園で遊びたいと少女は言った。それがどれほど難しいことなのか、四つ首様はわからなかった。恋も、自由も、そういうものだと知っても、うまく噛み下せなかった。咀嚼できなかった。飲み込んで自分のものにするには、あまりにも眩しく、大切に思えたのだ。

「あの子供は、よく笑い、よく喋りました。それを見るのは、風が木の葉を揺らすのより、月夜を見上げるより愉快でした」

 四つ首様はいつしか少女が来るのを楽しみにしていた。だが、ある日を最後に少女は来なくなった。最後の日に、こう告げたと言う。

「どうせ、長くないのだからと。誰のために生きたか、自分で決めたいと。子供は、笑っていました。けれど、その顔は愉快なものではありませんでした」

 そうして今に至る。きっと少女は自分を恨んでいるのだと四つ首様は嘆いた。願いを叶えないからと、役に立たないからと、そうだから会いに来ないのだと泣くように言った。首のない四つ首様には目も当然ない。涙などありはしないのだが、湿った地面は泣いた跡のようだった。

 小泉は沈黙する。四つ首様の中で育っていた心を如何すべきか迷っていたからだ。シャドウも無言でいる。だが、闇夜に溶け、感情は見えなかった。

 怪異は、人間と相容れない。別の世界で生きる者たちである。深く関わるべきではなかった。長くいるべきではなかった。そのような境界線など、生まれたての怪異と幼い子供にはわからない。

 四つ首様は恐らく少女の言葉の意味を理解していない。感情も、少女が抱える困難も。だが、悲しいと泣く心があり、寂しいと嘆く情があった。少女の首を貰えば、少女がいなくなることだけは知っていた。そうしたくない理由を、四つ首様自身も見えていない。何故泣くのかもわからないで泣いている。それは幼さの象徴でもあり、この怪異が未発達な情緒を抱えている証拠であった。

 誰かが語り、小泉が再定義し、四つ首様が育てた物語は、どのような結末を迎えるべきだろう。それを決めるのはきっと小泉ではない物語は、なるようにしかならない。歪めるべきではない。それでも優しい物語であるよう、幸せな物語であるよう書き加えたくなるのは、傲慢だろうか。小泉にはそうできる力がある。創造神すら騙し、己を書き換えた。だが、独立した物語を好きに変えようというのは、創造神が小泉たちを罪人としたことと変わらない。小泉は、人ではなくとも、神になり得ない。

「……お前は、別れが惜しいか?」

 小泉は、四つ首様に問いかけた。すぐには返答がなかった。四つ首様は黙りこくり、地面を爪で引っ掻いた。ざり、ざり、と土が捲れる。言葉を選んでいるようだった。知らないものだらけの中で、知っていることから一番近しいものを取り上げて、組み立てている。子供が積み木を積むように、感情の入った箱をひっくり返して漁っている。

「あの子供の首を奪い、願いを叶えた先で……いつか、あの子供を忘れることがあれば、それを惜しく思います」

 怪異にとって、忘却こそが死だ。本能でそれを恐れている。だが、人間にとっても言えることだ。肉体の死が一度目の死であれば、忘却が二度目の死である。四つ首様は、死に別れることよりも、自分が忘れることを惜しんでいた。それらは同じようで違う。記憶を重ねれば、忘却は遠のく。途絶えれば、いずれ忘れる。生ある限り記憶は重なり、死すれば途絶える。四つ首様は、別れをそのように表現した。

 誰しも抱える痛みと、そう諭すことは簡単だ。だが、普遍的であることはその痛みを軽視していい理由にならない。痛みをなくせないのは、その別れは誰もが抗えないものであるからだ。

 シャドウは、別れが辛いから、耐えられないから、そうできる力があったから、離したくない魂を現世に繋ぎ止めた。だから、無口であるのだろう。いつもは饒舌な口は閉ざされていた。

 小泉は答えを出し渋っていた。全ての災難を取り除くことは不可能ではないが、非現実的だった。災難はなくしたと思っても後から出てくる。誰かの幸福は、誰かの不幸に成り立っている。世界は仕組まれてそうなっている。創造神が、そう決めずとも。

 選択肢は無限にあった。語ること。書き換えること。消すこと。しかし、小泉は握ったペンを、置いた。何もしない、という選択肢をとった。これにおいて、奇譚師は何もしない。手を加えない。そうした。ここにあるのは、奇譚ではない。ここにあるのは、誰かの恋心と、誰も見つけていない親愛と、一人の少女の決意。それはまだ生きている。死なずあれるかは、定まっていない。ただ、些細な助言を、短い言葉を残すことくらいは、ただの小泉叶がしても許されることだろう。

「忘れたくなければ、語り、思い出せ。俺が定義せずとも、お前はそれができる」

 語ることは特権ではない。言葉を持つ者ならば平等にできることだ。誰かを思い、それを語れば、命になり得よう。四つ首様は嘆きを落ち着かせ、ぼんやりとしていた。小泉は助けを求められたが、救いを与えてはいない。小さな導を一つ灯しただけだ。それが救いになるかならないかは四つ首様次第である。けれども、導があれば立ち止まった足も前へ進められる。行先を決められる。小泉はそう信じていた。


 小泉は黙ったままのシャドウと共に下山した。夜、街頭の少ない道はシャドウも闇に溶けて顔が見えない。今、何を思っているのか、何を考えているのか。わからなかったが、わかろうとした。こうして隣立っていられるのは、小泉が小泉として生まれたのは、シャドウが創一との別離を惜しんだからである。しかし、シャドウは創一との別離を二度経験した。一度は死に別れたとき、二度目は小泉が創一と同一ではないと知ったときだ。三度目の別れは、来るのだろうか。小泉は創一であって創一ではないから、変わらぬ記憶を重ねられない。小泉叶としての記憶しか積むことができない。それは、三度目の別れ、忘却の引き金を引くのではないか。一度そう考えると、心臓に氷を入れられたようだった。血が滞る。息が詰まる。小泉は、シャドウが創一へ抱いていた友愛を尊重したかった。

 無言のまま、冷えた夜を歩き、家路につく。暗澹たる息が重く吐き出され、落ちる。

 歩いているうちに、分厚い雲が流れ、隠していた月を空に広げた。月光が降る。涼やかな光は小泉を照らし、見えないでいたシャドウの表情を映し出した。口を小さく一文字に引いている。盗み見ていることを悟られたくなくて、すぐに前を向いた。シャドウは歩調の乱れる小泉の隣にぴったりと着いてきていた。

「……彼は、月明かりが好きだった。照明も付けずに、その明かりだけを浴びて酒を飲むのが好きだった」

 シャドウはぽつりと語った。彼、が誰を指すか、わかっている。小泉は、敢えて相槌を打たなかった。その光景のことは知っている。夢で見たものだ。日を変えて、何度も見た。創一は口癖のようにいい月夜だ、と月に向かい盃を掲げ、美味しそうに酒を飲んだものだ。縁側では庭先がよく見えた。草花が夜露を纏い、それが月光に照らされていた。それらは地上にある星のようで、一粒の煌めきを愛おしそうに創一は眺めていた。その横顔をシャドウは見つめ、ぽつりぽつりと話をする。何気ない話を、よくしていた。妻の話をした。愛する者のことを語る創一は、眩しそうに目を細めていた。怪異の話をした。生み出したそれらを、創一は我が子のように思っていた。シャドウは全てを聞き、影で作った杯を傾け酒を飲む真似事をした。あれは、同じことをして分かち合いたいという気持ちの表れだったのだろう。創一は真似事をするシャドウを見て、嬉しそうに目尻に皺を作っていた。

「月見酒だ、とよく言っていたよ。でも、雨の降る夜だって酒を飲んでいた。雨音を肴にして。ああ、毎夜呼び出されたものだ」

 小泉は自分の吐いた言葉を反芻する。あれは、自分にも聞かせていて、シャドウも聞いていた言葉だった。忘れないために、語り、思い出す。過ぎ去った景色を確かなものだと証明するために、輪郭をなぞる。繰り返し、繰り返し。そうして、記憶は補強され、思い出になっていく。

 この夜も、いつかは思い出になるのだろう。いつの日か、懐かしく語る日が来るのだろう。そのためにも、今夜の夜空を覚えていたい。銀色の月、青白い雲、深い紺の空。サテンの布に細やかなビーズを散らしたような星々も、目に焼き付ける。同じ空は二度と来なくとも、思いを馳せられる空は来る。その日に、今抱いた感情を預けておきたい。

 語る。重ねる。連ねる。歌うような声を心地良く耳に入れながら、家を目指す。足は、先ほどより軽くなっていた。静かな思い出話は胸にこびりついた煤を払っていく。小泉は酒をあまり嗜まない。だけれど、こんな夜に飲む酒は美味しいのだろうと思えた。それは、創一を思うことに繋がっている。

 ここに語る者がいて、聞く者がいる。引き金はまだ遠い。


 奇譚師とは、人の世と怪異の世の間に立つ調停者である。語られることで生まれた怪異を語り直し、再定義する。そうすることで、秩序を保つ。人として生まれ、生き、元から怪異であったと再定義を果たした小泉は、人と怪異のどちらの肩入れもしない。そうでなくては調停者たれない。どちらでもあり、どちらでもない小泉だからこそ、その役目は背負える。

 奇譚師は語ることに意義があるが、語らない自由もある。物語とは語られた瞬間に生まれた新世界であり、独立した命だ。語り直すことが物語を捻じ曲げることにならないようにしなければならない。

 時に、巷で流れる噂を知っているだろうか。奇譚師、というその存在は、ここにある形を情報として分裂させ人の口で語られる。怪異の専門家である。影の姿をした異形を連れている。背の高い青年である。ノートにペンを走らせ、怪異を捉え、語り直し、それを真実とし、秩序を取り戻す。そのような存在である、と。巡り巡ってそれは小泉本人の耳にも入ってきた。情報源はシャドウだ。どこかしらから会話を盗み聞きし仕入れたもので、そういった芸当はシャドウにしかできない。小泉は怪異でありながら純粋な怪異ではない。それ故普通の人間にも視認できてしまうのだ。

「そのうち依頼が来るかもね。事務所でも建てたらどうだい? 小泉怪異事務所、って」

 聞きつけてコンタクトを取ろうとする者が現れるのも時間の問題だろう。特に怪異に造詣の深い者ならば、既に名前は知っているはずだ。そのような相手と同じ席を共にする場所があってもいい。小泉は一つ考えた。

「……それもありだな」

「冗談のつもりだったんだが」

 それはわかっていたが、小泉は本気であった。生身の体がある以上は全国各地に出没するのも手間である。異界にでも事務所を建てれば、人間界から隠れて平穏に暮らすことができる。無論大学を卒業してからの話ではあるが。都合のいい異界の当てはある。恐らく今頃大きな猫がくしゃみをしているだろう。あそこは創一が語った村だ。ならば、その地を少し借りることも許されよう。創一とは己でもあるのだから、と、小泉は創一の魂を好き勝手に利用していた。

「本気で構えるつもりならば、私も口出しさせてもらおうか。まず、インテリアの類は私が選ぶ。これは決定だ」

「別にそれでいいが……お前、そんなに拘りがあったか?」

「君に拘りがなさすぎるんだよ。この部屋で何年暮らしたと思ってる? 一向に殺風景なままだ」

 確かに小泉は拘りのない方であるが、殺風景ではなかろう。机があり、椅子があり、本棚がある。十分だ。そう思うのだが、シャドウには不満らしい。美的センスの欠片もない部屋だ、と貶される。流石にむかっ腹が立ったが、美的センスに自信があるわけでもなかったので押し黙った。大層な自信があるらしい。ならば特段興味のない小泉より張り切っているシャドウに任せるのが得策だろう。

「わかった。お前に全部任せる」

「で、場所の当てはあるのかい?」

「お前もよく知るところだ。また、タマミケ様のお世話になろう」


「お前たちと会うのはあれっきりだと思っていたよ」

 タマミケ様は呆れたように言った。やつくも村は入る方法が不明な異界だ。縁があったからこそ予定通り迷い込むことが出来たが、小泉もあのときはここにまた足を踏み入れることになろうとは予想もしていなかった。着くなり社に案内され、タマミケ様が小さくなる。小泉に早く座れと急かし、床に尻をついて胡座をかいたところにタマミケ様が飛び乗った。そのまま丸くなってぐるぐると喉を鳴らしている。そうしていると普通の猫のようだった。

「やつくも村の本体はどうしているんだ」

 小泉はあれの姿を見たことはない。インターネットの掲示板上で存在を確認しただけだ。一度は敵対した者が易々と何度も侵入しているのは相手には心地が悪かろう。だとして遠慮などは一切湧かなかったが。

 気になって問いかけると、タマミケ様は興味なさげに大欠伸をし、答えた。

「あれは本来ただの案内役。この間の一件できつく叱っておいたから大人しくしてるさ」

 あっさりと明かされた真実だが、シャドウの予測が当たっていたらしい。この間の一件とは、あの舌戦のことを話している。やつくも村は恐ろしい異界でありたいと考えていたが、タマミケ様は良いようには思っていなかったらしい。タマミケ様のお叱りは厳しそうだ。当分は大人しくしていることだろう。

 社の中で、ぐるりと見渡し上を見上げる。これは、誰が建てたものでもない。社があると、そう語られたから出来たものだ。ならば事務所とて、同じようにすればいい。うん、と小泉は頷いた。引っ越し計画は順調である。

「それで、やつくも村に引っ越すって?」

「ああ。ここは創一が作り出した村だからな。いわば俺が村長だ。片隅を借りて事務所を構えても、文句は言わないだろう?」

 タマミケ様はまお、まお、と鳴きけたけたと笑い出した。心底愉快である、と言いたげに腹を抱えている。

「ああ、全く。お前は創一に似て、似ていなくて、やはり似ているな」

 一頻り笑い転げたあと、タマミケ様は小泉の膝に擦り寄った。ごろにゃんと甘える姿は愛らしかったが、おいそれと撫でる気にはなれなかった。

「いいだろう。そのように、語れ。そのように、聞け。お前たちの作るものが、真実だ」

 やつくも村の真の主と自称しているタマミケ様にも許可が出た。これまた順調な滑り出しだ。うんうんと頷き小泉は満足だったが、シャドウは何とも言い難い顔をして身を一つ引いていた。

「彼の悪いところと、小泉くんの悪いところが合体して、更にたちが悪くなってる……」

 小泉にとって、シャドウのその台詞は心外だ。小泉は利用できるものは全て利用することにしたのだ。強かに、強引に、傲慢に、そうすることも悪くないだろうと思うようになったのだ。自分では、いい変化だと思っている。それをたちが悪いなどとは随分な言い草だ。小泉叶がどのような男であるかは、未だ更新中なのだ。

 シャドウは大仰に頭を抱えながら言った。ついでのように大きなため息もついて、全身全霊で嘆いている。

「ああ、全く。君に振り回されるのもこれで何度目だろうか」

「お前が勝手に踊ってるだけじゃないのか」

「ほら、その口の聞き方! 彼そっくりだ!」

 そっくりも何も、血縁であるし、別個体だが、創一本人でもある。何を今更、と小泉は鼻を鳴らした。それが気に食わなかったのか、シャドウは口に油を差したようにくるくると喋り出す。

 あれもこれも、やつくも村のことも、地獄のときも、あれだってこれだって、とシャドウが反論する。どれもこれも身に覚えはある。だがそれは小泉がそうしたくてした結果だ。何か別の要素があったとしても、小泉は同じことをしただろう。もしもあの場にいれば、創一も同じことをするのかもしれない、と考えると中々に愉快だった。思わず含み笑いをしてしまう。これはよくない。シャドウの悪癖が移ってしまったようだ。愉快なのはいいことだが、それを主義にしてはいないのだ。

 ぎゃあぎゃあと騒がしいシャドウを制し、小泉はノートを取り出す。書き出す言葉は、奇譚師。それに纏わる話。自分のことを語るのは、今では、何よりも得意だ。小泉は既に己を知っている。理解している。誰だって、自分が主人公の物語は容易く紡げるものだろう。

「シャドウ。いいか、よく聞け。知れ。お前が聞くものが、真実だ」

「……はいはい、わかったよ」

 そうして小泉は奇譚師の新たな物語を語った。再定義した。そのように、あるように。シャドウは小泉の隣に立って、文句を言いながらも聞いている。その様は、他者からすると相棒のように映るのかもしれない。そうであれば、どうだろうか。嬉しく感じるだろうか。否定したくなるだろうか。まだそこに名前をつけていなかったが、遠くない未来、互いを相棒と呼べる日が来るだろう。このことは、語らなかった。定義される真実より、不確定な未来にコインを投げてみたくなったのだ。

 今は友愛ではなくとも、親愛でなくとも、名前のない情だけを受け渡す間柄でも。それでもいつでも隣にあり、同じ存在としている者を、世界は相棒と呼ぶのではないだろうか。などという希望的観測は、気恥ずかしいので声にはしない。そうっと、胸中でコインを投げるばかりだ。表が出るか、裏が出るか。それを見るのは、未来の自分だ。それに託す。今はまだどれでもあってどれでもない情の行先を、先へ放る。放った放物線は、どのように描かれるだろうか。それをまだ知らず、語らず、定義せずいることを楽しく思う。これは、シャドウから移った悪癖でありながら、小泉自身も悪くはないと思っている癖だ。

 何せ、全ては物語だ。小泉たちは語られる世界の中で生きている。どうせならば、楽しまなければ損ではないか。そうだろう、創造神よ、と上を向く。当然返事がくることはなかったが、今もまだ矢のように視線に射抜かれている。遙か上空で、物語の枠外で、見ているがいい。創造神とて、見ているならば、読者と同じだ。読者は物語に介入できない。邪魔をできない。物語を消せない。どうかそれに縛られてくれ、と意地の悪いことを祈った。

 これからも小泉の物語は続く。きっと長く、永く続く。その先がどうあれ、もう、進むべき道は決まっていた。隣立つ者もいた。導もある。光はある。もしも結末を迎える日が来るのならば、最後までペンを手放さずいよう。ラストシーンを描くのならば、己の手がいい。そうして最後に、読点を打つのだ。これが、小泉叶であったと、そのような男であったと、胸を張れるよう。

 その本は、シャドウの載るページが多いのだろうなあ、と考えて、小泉は笑った。どうにも、小泉叶の物語は、シャドウなしには語れないようなので。きっとシャドウの物語にも、小泉は多く出るのだろう。互いの本に、ペンを走らせよう。意味を加えて、これは、幸せで、優しい物語であったと言えるように。

 

 *


 子供達の中。少年少女の間。口伝承。インターネットの掲示板。それらに、こんな話がある。

 怪異の魔の手が伸びたとき、夜道を歩くといい。自然と知らぬ道に入り込み、森の奥、ある館に辿り着く。小泉怪異事務所、と文字の彫られた銅看板がそこにある。ここに誰かが来ることを予め知っていたかのように門は開き、招かれる。そこに、奇譚師がいる。影の怪異が、榛色の瞳をした青年が。迷える人間を導くため、待っている。その館のある村は、いつも夕暮れの空をしている。遠く、遠くの方から微かに祭囃子の音が聞こえる。それを気にすると、どこからともなく猫が足元に擦り寄ってくるのだ。お前の行く場所はこちらだ、と言いたげに案内をする。

 猫は案内を終えると煙のように消えてしまう。扉の前に呼び鈴はない。軽くノックをすると、返事代わりに扉が開く。豪奢な作りの階段を登ると、そこにいるのは人ではない者たち。人の形を模した影と、人間のようであるが、ただならぬ雰囲気を醸し出す青年。その榛色の瞳は、何もかもを見透かすようでもあった。

 内装は古めかしい洋館のようで、華美になりすぎない調度品が置かれている。中央には、事務所には不釣り合いな文机。その上には、羊皮紙と、万年筆。迷える人間をソファに座らせ、恭しくティーセットを運んでくるのは影の怪異。青年は静かに依頼人を見据えている。そこでは嘘が許されない。隠し事が許されない。何もかもを、正直に話さなくてはならない。注がれた紅茶を躊躇いなく飲んでしまっては、誤魔化しもできなくなる。そこで白状させられた奇譚を元に、奇譚師はペンをとる。必ず、隣に影の怪異を立たせて。

 そうして、影の怪異は大仰に胸を張り、かくりと背中を折って一礼するのだ。

「我々にお任せを。この奇譚師が、全てを解決してみせましょう」

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