『8人の預言者』の真髄(概要)
物語はあまりに遠くへ辿り着きました。ご褒美として、あるいは呪いとして——好悪にかかわらず、皆様が受け取るべきものをここに残します。
『8人の預言者』とは、神の前で人間の邪悪さを否定した罪により、偽りのキリストを演じるよう命じられた無垢な天使の悲劇である。
死による忘却すら許されず、不死の苦痛と憎悪を抱えながら、人間の残酷さを身をもって味わわされる。そして、真の救済など永遠に訪れない世界で、救いの道を歩み続けることを強要されるのだ。
——すべては、神の御前で人間の悪を否定しようとした、その無謀ゆえに。
教えは、自らの名を撒き散らし、捧げようとする者のためにそこにある。
誰かがやらねばならない。さもなくば、救いと呼べるものなど二度と現れまい。無限の時が経てば、人間の邪悪さは星々さえも繋ぎ止めてしまうのだから。
その罰は不死にして永遠であり、神の懲罰としてあらゆる現行の理において果たされねばならない。
「キリストが救いに来ることはない。だが、僕たちの誰かがそのようになれるかもしれない」
「彼の教えは刻まれている。始まりも、そして終わりも」
残された唯一の道は、自己犠牲——たとえそれが偽りであろうとも。
たとえ不完全で、最初から失敗することを運命づけられていようとも。
それが、僕たちという存在なのだから。
ジオは「神の懲罰」を体現する。原初の神義に反した罪により、生の肉体で過酷な代償を支払わされる苦行者。「その身を灼いてこそ、己の無垢の代償を知る」。彼は望まぬ滅びの器であり、その本質は「堕天使の精神」に他ならない。
クリスタルは、自然や運命、神や時間すら超克しようとする人間の執着を象徴する。不可避の現実を受け入れることを拒み、どこまでもコントロールしようとする抗い。彼女が体現するのは「人間の精神」そのものである。
言うまでもなく、ジオとクリスタルの運命は交錯する。
一方は「終わり」を刻まれ、もう一方は「始まり」を託されている。
遅かれ早かれ、二人は巡り会うのだ。
果たして、「始まり」が「終わり」を決めるのか?
それとも——その逆だろうか?




