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第7話 妹の三日間 前編

 それは、三日前のこと。

 外で歌の練習をしていたアトリが、駆け込むように家に帰ってきた。


「リィス~!」

「どうしたの、アトリ? 私のことはお姉――」

「わたしね、ごさいなったら、ぎしきする!」


 寝具の上で休んでいた私は、突然のアトリの言葉に一瞬呆けてしまった。


 まるで重大発表であるかのように言い放ったけれど、五歳になったら儀式をするというのは当然のこと。


 ……なんとなく言いたくなっただけかな?


 微笑ましい気持ちに頬が緩むのを感じながら、私は定型文となった言葉を返す。


「そうだね。そのためにも、お歌の練習がんばらないとね」


 いつもならこの後、アトリのきれいな海色の髪を撫でて、嬉しそうに輝く笑顔を眺めて、それから優しく抱きしめてあげている。


 けれど、この日のアトリはそうさせてくれなかった。


 私の伸ばした手は、アトリの小さい手によって降ろされていた。


「すぐに、したいの」

「すぐに? いつくらい?」

「ごさいになったら」


 そのときの声は、今でも覚えている。

 一点の淀みもなく澄んでいて、真っすぐに私の胸を突き刺すような声。


 こんなにも真剣なアトリの声なんて、初めて聞いた。


「えっと、五歳になったらってことは……明日ってこと!?」

「うん」


 予想外のアトリの発言に、私は波に酔ってしまったような感覚を覚えた。


 確かに、儀式は五歳になったら執り行うものだ。

 けれどそれは五歳のうちにするという意味であって、五歳になった日にするという意味ではない。


 それに五歳の儀式は、数ある儀式のうちの一つ。


 この儀式は、これからの儀式の日程を決める重要なものとなるから、早くに行うと、それに合わせて他の儀式の日程が早まってしまう。


 儀式はどれも質が重要視されるから、練習時間は長い方がいい。


 そのことを今一度アトリに伝えたけれど、「すぐがいい」の一点張り。


 ……うーん、どうしよう。


 儀式には危険がつきまとう。

 精霊様に歌を捧げ、巫女としての力を授かるこの儀式では、絶対に途中で歌を止めてしまったり間違えたりしてはいけない。


 もし歌が途切れようものなら、その瞬間流れ込む力に耐え切れず、泡となり消えてしまう。


 現にそうなった人を、私は知っている。


「ちゃんと練習してからじゃないと危険なんだよ?」


 五歳の儀式で捧げる歌は簡単なもので、今のアトリはもう歌えるようになっている。けれど、それが心配しなくていい理由にはならない。


 ……どう言えば、アトリを止められる?


 私は必死になって、儀式を遅らせるように説得しようとした。


 絶対に失敗してほしくないから。

 アトリまで失いたくないから。


 なのに、アトリは一向に首を縦に振ってくれない。

 終いには、「じょうずにうたえたら、いい?」と言い出す始末。


 もうこうなったら、アトリは絶対に意志を曲げない。


「ホントに頑固なんだから……」


 わかったよ、と私が折れると、アトリはその場で自信満々に歌い始めた。


 まだ幼い顔は真剣そのもの。

 いつもの少し気の抜けた声は、歌い始めると急に芯を持ってその旋律を刻む。

 清流のように紡がれていく、精霊様に捧げる言葉たち。


 ――悔しいくらいに、上手だった。


 わざとダメ出しをし、もっと練習させて儀式を先延ばしにする。


 そんな姑息なことを考えていた自分が恥ずかしくなるほど、歌い終わって合否を待つアトリの瞳は純粋で真っすぐだった。


「……いいよ、合格。よくできました」

「やった!」


 よほど嬉しかったのか、ヒレを振って私に抱きついてくるアトリ。

 満面の笑みのアトリを見て、私もつられて口元が緩んだ。


 ……抱きつかれて嬉しかったからとかじゃないよ、うん。


 私はしっかりとしたお姉ちゃんだから、浮かれる妹に注意することも忘れない。


「でもね、アトリ。儀式をしてもいいけど、それは二日後ね」

「え、なんで?」


 ……私のことを、嘘つきを見るような目で見ないでよ。


「儀式はすぐにできるものじゃないの。儀式の前の日に、精霊様に『明日、儀式をします』って伝えなきゃいけないって、この前教えたよね?」

「あ……」

「アトリがもっと早くに言ってくれれば、今日精霊様のところに行けたんだよ」


 窓の外はまだ明るいけれど、空はやや赤味を帯びてきている。

 精霊様の御社に着く頃には群青に染まってしまっているだろう。


 夜中に伺ってご機嫌を損ねようものなら、泡にされてしまうかもしれない。


「アトリ、わかった?」

「……うん」


 アトリは不満を顔に出しているけど、精霊様は絶対的な存在。

 特に巫女である私たちは、そのしきたりに逆らうなどあってはならない。


 私も理不尽だと思っていた時期があったから、アトリの気持ちはよくわかる。

 床に沈んで不貞腐れているアトリの気を紛らわすため、私は声を掛けた。


「少し早いけど、ごはんにしよっか。お歌がんばったからお腹空いたでしょ」


 壁に掛けた網から二人分の貝を取り出し、力の弱いアトリのために殻を割る。

 すると匂いにつられたのか、後ろの方からお腹が鳴る音が聞こえた。


「はい、お待たせ」

「え、ふたつだけ?」

「一度に三つも四つも持てないでしょ。足りなかったらまた割ってあげるから」

「はーい」


 ……もう元気になったみたい。


 好物の貝をあげればすぐに機嫌を直す妹を微笑ましく思いながらも、私の胸の中には二日後の儀式への不安が渦巻いていた。


「おかわり!」

「もう食べちゃったの? ちょっと待ってね」


 自分の儀式のときよりも、アトリのときの方が心配になるなんて。


 ……何事も起こらないといいんだけど。


 胸の中で精霊様にお祈りをする。


 どうかアトリの儀式が成功しますように。

 何事も起きず、無事に帰ってきますように、と。


 けれど、このときの私は、すでにアトリの身に『何か』が起こっていたことに気づいていなかった。



 空の色が黒から白、そして明るい青へと変わった頃。

 アトリの髪を結いながら、私は今一度説得を試みていた。


「ねえ、アトリ。本当に行くの? そんなに急がなくていいんだよ?」


 今日精霊様のところへ行けば、明日の儀式は免れない。

 少しでも儀式を遅らせたい私は、この期に及んで、あの手この手を使ってアトリを家に引き留めようとしていた。


「私は六歳になる前の日に儀式をしたんだよ。アトリもそうしない?」

「やだ」


 つまり、もう一年待とうよ、と。

 当然アトリが首を縦に振るわけがなかった。


「じゃあ、私と同じ日にする? そしたら、お姉ちゃんと一緒に儀式行けるよ」

「やだ」

「ひ、ひどい……」


 私と一緒に行きたくないなんて……、と胸に鋭い痛みが走った。

 これが世に聞く、反抗期というものだろうか。


 と、冗談はさておき。


「……どうして、すぐに儀式したいの?」


 素朴な疑問。

 結局聞けずにいた、アトリが儀式を早くしたがる理由。


 お出掛けの予定を入れたときくらいしか、アトリは「はやくいきたい!」とは言わない。


 面倒ごとを先にこなすような性格じゃなかったはず。


 もしかして、儀式をお出掛けか何かと勘違いしているのかな……?


 そう勘ぐった私だけれど、アトリの口から出た言葉は意外なものだった。


「おいでって、いわれたの」

「…………え、誰に?」


 思わず服を着せていた手が止まる。

 驚きに硬直していた私に、アトリは平然とした顔で「わからない」と告げた。


 ……誰かにおいでって言われたから、儀式をしようとしてるの?


 それはあまりにも怪しすぎて、危険な香りがした。


「ねえ、アトリ。やっぱり今日はやめておいた方がいいんじゃない?」

「いいよって、いったのに……」

「うっ……」


 嘘つきを見るような目で、また睨まれてしまった。

 澄み渡った青の瞳は、不正は許さないとでも言わんばかりに真っすぐだ。


 ……昨日歌わせる前に、もっとちゃんと話しておけばよかった。


 けれど、今となっては後の祭り。昨日の自分を今更恨んだって仕方ない。

 それにもう、出発の準備はできてしまった。


「いってくるね!」

「……はぁ。寄り道しないで、終わったらすぐに帰ってくるんだよ」

「はーい」


 重い玄関扉を開けると、アトリは勢いよく泳ぎ出していった。

 銀色のヒレの影が小さくなるにつれ、私の不安は大きくなっていく。


「……私もそろそろ行かないと」


 本当はアトリの帰りを家で待っていたかったけれど、残念なことに学び舎に行かなければならない。

 学び舎は好きだけど今日に限っては行きたくない気持ちが大きくなっていた。


 ……一応、家は開けておこうかな。


 アトリの腕力では、まだ家の扉は開けられない。

 私より先に帰って来ても大丈夫なように、アトリが通れるだけの隙間を開けておいた。


「それじゃ、行ってくるね」


 誰もいなくなった家を一度だけ振り返り、私は学び舎へと泳ぎ始めた。



「それで、妹はちゃんと戻ってきたのかい?」


 私が話しやすいように、ノッツは相槌を入れながら聞いてくれていた。

 話が逸れそうになったときも、さり気なく軌道修正してくれている。


 いつの間にか明るくなり始めていた空を見上げながら、私は頷いてみせた。


「私が帰るより先に、アトリは家に着いていたんです。私の心配を返してーって思いましたもん」


 学び舎での私は、ずっと上の空だったらしい。

 確かに、何度か先生に「どこか具合でも悪いの?」と聞かれた覚えがある。


「ちゃんと精霊様の許可をもらえたそうで、ずっと楽しそうにしてました」

「それじゃあ、昨日は儀式に?」

「そう、なんですけど……」


 昨日のアトリの様子が脳裏に浮かび、思わず言い淀んでしまった。

 というのも、アトリの今の状態を言葉にしてしまったら、それが現実だと認めてしまうような気がしたから。


 アトリはいつもと同じ。そう思い続けていたかったから。


 私の言葉を待つノッツの視線を感じ、やむなく「私の気のせいだったらいいんですけど」と前置きして重い口を開いた。


「昨日から、アトリの様子がさらにおかしくなったんです」

「おかしい……? まさか、儀式に失敗して?」

「そ、それは!……ないとは、言い切れないですけど……」


 儀式に失敗したなんて、考えたくはなかった。


 アトリ自身は無事だったから、完全に失敗というわけではなさそうだけれど、成功したようにも思えない。


 ただ分かっているのは、儀式で『何か』があった、ということ。

 そして、儀式の前から『何か』は起き始めていたこと。


 これだけは間違いない。


 もっと異変に早く気付けていたら、アトリは変わらずにいられた?

 有無を言わせず、儀式を遅らせていれば――


「それで、おかしくなったって、どんな感じに?」

「……え、あー。そうですね」


 私の思考を遮るように、ノッツが横から声を掛けてきた。

 悪い方向に考え始め、口が止まっていた私は、その声に顔を上げた。


 ……しっかりしなきゃ。


 さっきまで穏やかに光っていた白水晶は、長時間の使用には耐えられないのか小さく点滅を始めている。

 話が途中で切れてしまっては、情報不足でアトリが治らないかもしれない。


 胸に溜まった黒いものを吐き出すように、私は冷たい風の中で深呼吸する。


 そして、問題の昨日の出来事を慎重に思い出しながら語ってみせた。



私情にて、しばらく更新頻度が下がります><

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