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エピローグ2 明日へ

 幾日過ごしたのか。すっかり馴染んだ病院区 第2類病院 415号室。

 魚のいない水槽。役目を果たせず抗議をしているかのような、くぐもったモーター音もいつしか日常となった。


 あれからクラスメイトが見舞いに来てくれもした。あの日aクラスとの全面対決は、すぐに生徒会(エンジニア)に止められ、けが人もなく大事にはならなかったらしい。何人かは調停に現れた会長(チーフ)に鉄拳を食らったらしいが…。

 それから、事件解決後、学院は元通りになりつつあること、授業で起こったハプニング集、食堂でやらかした事件などなど。


 未だ京介は体が動かず、クラスメイトの話を聞くのもベッドに寝かされたままだった。そんな情けない姿を見せるのが恥ずかしかったが、皆茶化したりせず心配してくれたり、時に冗談を混ぜて、色々な話をする。そんな優しい時間が過ぎていくのだった。


「はあ、これは退院したら追いつくの大変だな……」


 天井に向かってぽつりと呟く。入院してから随分と独り言が増えた気がする。


「だって、やることないんだもんな~」


 そう言って京介は本日何度目かのまどろみに溶けて行く。


 目を閉じると何も見えなくていい。考えなくていいのだから。


「随分と退屈そうだな、京介」

「――――!?」


 良く知った声。京介は何とか首だけを起こして、病室の扉を見遣った。


「良かった。退院したんだ! …あ~あ。また朔に先越されたな」

「……」


 朔は何も言わず、じっと京介を見つめていた。沈黙が、痛い。


「えっと、もう回復したんだろ。俺は見ての通り、まだ体が動かなくてさ。…はは。カッコ悪いな。あんまり見るなよ」


 京介はバツが悪そうに曖昧に笑って、それだけ口にした。あれから、もう何度口にしたのか分からない台詞。自分の感情と切り離した、機械的な単純作業。


「いつごろ退院できそうなんだ?」


 ばっさりと会話の流れを断ち切るような口調。京介は少し気後れながらも


「どうだろうな。俺、熱暴走とかいうのになって、まだそれが後引いてるらしいんだよ。だからまだ、体が動かなくてさ。いつ治るのかは分からんな…」


 さっきから、どうも会話がかみ合わない。京介は戸惑いを覚える。

 朔の意図が掴みきれないまま、それでも言葉を重ねた。嫌な汗が首筋を伝う。


 一時の沈黙。朔はただじっと京介の目を探るように見つめている。

 やがて京介はそれに耐えきれず、視線をそらした。


 しばらくして、朔はため息を吐き、ようやく重い口を開いた。


「……さっきそこの廊下で、エマに会った」

「………え?」

「正確にはすれ違っただけだが。今のエマは俺を覚えて…いや、俺を知らない。まるで逃げるようにこの病室の前から走って行ったので、京介と何かあったかと思ったが。その様子だと、どうも違うらしいな」

「あ、え、っと」

「あの後何があったか。俺は京介がクロトを撃退したことも、事件の顛末も全て聞いたよ。彼女に何があったのかも、な」


 朔の表情からは何も窺えない。

 それが、京介にとっては咎められているように感じられた。でも、京介にとってはそれで良かった。


「すれ違いざまに見た彼女の表情は、何と言うか、見ていられなかった。彼女は本当に、過去も、自分も、自らの礎も、全てを失ったんだな」

「………」

「もう一度だけ言う。京介、お前はいつ退院できるんだ?」


 その言葉は京介の胸を抉るには十分な鋭利さだった。


 自然、京介の目から涙が一筋伝った。自嘲気味に笑い


「……あいつ。エマは、俺が自分の記憶を全て奪ったと知って、それでも俺を責めなかった。それどころか、友達になろうって、言ったんだ」


 言葉が、涙が堰を切って溢れ出す。胸に渦巻くのは後悔と諦観。そして恐れと理不尽な結末への怒り。そんな感情の泥を掻き出すように、京介は涙でぬれたぐしゃぐしゃの声で、それでも言葉を重ねる。


「俺は、取り返しのつかない事をしたんだ。やっぱり、俺は魔法使いなんかじゃなかったんだよ。救える訳ないのに、調子に乗って……。俺、あいつに向き合うのが怖いんだ。エマはあんなに嬉しそうにして。少しも俺を非難しない。俺、恨まれても当然の事をしたのに! なあ、朔。俺はどうしたら良いんだ。この感情はどこに置いて行けばいい。俺の――」

「それを俺に言うのは卑怯だな。お前は誰かに叱責されることで、救われたがっているんだ。でも、俺はその罪悪感を満たしてやるほど優しくはない」


 朔は冷たく言い放った。京介の目をまっすぐ見て。


「起きてしまったことは誰にも否定できないんだ! お前にできることは、このまま立ち止まるか、前に進むかの二つだろ!」


 京介の胸倉を掴み、無理やりに上半身を起こさせた。目の前に迫る朔の瞳は、激しく、とても真っ直ぐで、同時にとても悲しげな色をしていた。


「朔……」

「お前が目を閉じたら、誰がエマを連れ出すんだ。あの子は今、完全な暗闇にいる。進むべき道もなく、歩き方すら知らずに膝を抱えている。そんなあの子の手を引いてやるのは、お前にしかできないんじゃないのか!? お前まで立ち止まって、暗闇に押し潰されるな」


 そう言って、朔は手を放した。京介はもうベッドに倒れ伏しは、しなかった。

 両手をベッドに付き、上半身を支えて


「……俺。俺は……」


 京介は、小さく震えていた。

 朔のその真っ直ぐな思いに比して、何日も病室で腐っていた自分の卑怯さが殊更に際立ち、そんな自分がとても嫌だった。


 恐る恐る両手をベッドから放し、手のひらを眼前で開いてみる。じっと手のひらを見つめるその目からはもう涙は流れてはいない。

 

 朔はそんな友の様子を、ただ黙って見守っていた。


「ノートン先生の退院許可は出ている。後は、お前自身の問題だ。心が決まったのならすぐにでも学院長の所へ行くといい。復学の手続きなんかも必要だろう」


 指を一本ずつ動かし、確かめるように何度も頷く京介。その表情は何かを決意した男のそれだった。

 そんな京介の様子を確認した朔は、それだけ言って、病室を出ようと踵を返した。


「朔!」

「……何だ、ヘタレ?」


 朔は足を止め、振り返る。


「……明日の朝、俺の寮に迎えに来いよ。俺は病み上がりなんだ!」

「―――ああ!」


 それだけ言って、朔は病室を後にした。その横顔は、どこか嬉しそうだった。


「……朔、ありがとう」


 面と向かって言うのが照れくさかったので、その言葉は一人になってぽつりと呟いた。


 それきり、病室は再び静寂に支配される。気が付けば、内臓バッテリーが切れたのか、水槽のモーターは、止まっていた。


「……前に進みたいなら部屋へ来い」


 京介は一人になって色々と考えを巡らせていた。そうして学院長がいつか言っていたことを思い出す。


「…いいよ、行ってやる。何をしてでも、前へ!」


 サイドボードに手を伸ばし、生徒証を掴む。そしてベッドから降り、地に足をつけた。

 久しぶりに自分の足で立ち上がったせいか、筋肉が負荷に耐えきれず、がくりと膝を折ってしまう。それでも京介は歩くことを止めない。止める訳にはいかない。


「う、あぁああああああ!!」


 体が上げる悲鳴を無視して、サイドボードのフレームを支えに立ち上がった。

 服は病衣のままだったが、京介はそんな事は構わないとばかりに一歩、また一歩と歩き出す。


 ドアの前までたどり着き、ハンドルに手を掛けた。少しひんやりとしており、重い。それは忘れかけていた感覚。腕の筋肉まで衰えているのか。

 いや、心のどこかで自分はまだ躊躇っている。病室のドアは簡単に開く構造だ。重いと感じるのはまだ躊躇いが、ある…?


「違う!」


 自分を鼓舞するように声を挙げ、勢いよくドアを開け放ち、京介は冷たい室外へと一歩踏み出した。いつまでもうじうじと悩むのは、もう嫌だった。



 教職員エリア 蒼月館職員棟。学内バスに乗り込んで揺られること数十分。その終点がこの場所だった。


 京介の生徒証には学院長からのメールが入っていた。内容はたった一言、「職員棟に来い」。

 京介は入口のセキュリティチェックに生徒証をかざした。メールに添付されていたゲストコードを読み取り、セキュリティは京介の入棟許可を意味する電子音を鳴らし、ロックを解除した。

 

 学院エリアとは違って、静謐な時間が建物全体に流れている。

 余計な装飾や設備が一切排除された、ただ効率のみを追求した無機質な造り。

 だが、そんな内部の構造など京介の関心の埒外にあった。

 迷いなく、よどみなく歩を進め、エレベーターホールまでたどり着いた。

 

 そこで再びのセキュリティチェック。その来るものを拒む態度に舌打ちしながら、京介は再び生徒証をかざした。そんな京介をさらに苛立たせるような軽い電子音が鳴り、程なくしてエレベーターのドアが開いた。

 

 どうやら指定された階以外には行けないらしい。ほどなくしてドアが閉じ、動き出した。


「何の話があるのか知らないけど、もう俺は逃げない。逃げちゃいけない!」


 階数を示す数字が一つ、また一つと増えていくのを見ながら、京介は固く拳を握りしめた。


 エレベーターの扉が開き、京介が目にした物は、あの日学院の地下で見た光景と全く同一の、一面の白だった。そんな光景に既視感を覚える。


 長い廊下には無駄なものは一切排除され、窓一つない。まるでここが地下ではないかと錯覚してしまうような独特の息苦しさを覚える。

 そんなところまでが同じだった。

 無人の最上階はうるさいほどの沈黙に包まれている。そんな矛盾した表現が当てはまるぐらいに、フロアの静寂がまるで自分を拒絶しているかのように京介には感じられた。


(迷うな。前に、進め!)

 

 ここで迷いが生じると、もう前に進めない。京介は自分の性格を分かったうえで、そうならないように自らを奮い立たせ、一歩また一歩と廊下の先へと歩き続ける。


「……ノックもなしとは、随分と育ちが悪いな」


 廊下の終点、仰々しい扉の前までたどり着いた京介は、やはり躊躇せず、勢いよく扉を開け放った。そんな京介を前に、しかし学院長は落ち着き払った調子で言った。


 この階にある部屋は学院長室ただ一つだけ。厳重な建物の最上階のいわば王の間。

 そんな仰々しさとは不釣り合いな簡素な椅子に腰かけ、部屋の主は何やら冊子に目を落としたままで。


「あいにくと、俺は名字なし(ノーバディ)ですから」


 不遜な相手に、あえて挑発的に答える。


「…………」


 数秒の空白。学院長は書類を見つめたままだった。京介はそんな学院長をねめつけるように見つめ続けた。


「どうやら、虚勢を張れる程度には持ち直したか」


 ふっと唇の端を釣り上げ、学院長は視線を京介に移した。


「あんたに、聞きたいことがあるから来た」


 目の前の相手は何も言わずじっと京介の様子を見ていた。

 その沈黙を肯定と受け取って、京介は単刀直入に切り出した。


「エマは、あいつの記憶は、元に戻るんですか」

「何故俺にそれを聞く?」

「ノートン先生に、あんたに聞くように言われたんだ」


 京介の言葉に学院長は舌打ちをし、手にしていた冊子を机に置いた。そして不機嫌な表情を隠すことなく京介に向き直る。


「……あの娘に起こったのは、記憶の忘却ではなく記憶消去だ。忘却というものは、ただ脳にある情報の引き出し方がうまくいかんだけで、記憶そのものを失った訳では無い。だが今回の場合、お前は娘をクロトの支配下から逃すために娘の記憶ごと削り取り破壊した。無いものをどうやって引き出せと言う? それは無理な相談だ」

「―――っ」


 改めて自分の罪を聞かされて、京介はどうにもならない思いにただ拳を握りしめて耐える。


「それは分かってる! でも、あんたはそんな話をするために、俺をここへ呼んだんじゃない筈だ」

「……ほう。木偶なりに考えたな。それほどまでにあの娘を元に戻したい、か。……結構」


 試すような目で京介をじっと見たかと思うと、学院長は目の前の冊子を、机の上を滑らせるようにして、京介の前に差し出した。


「これが何か、分かるか」

「……?」


 今や滅多にお目にかかることのない紙媒体の冊子。表紙にはタイトルが書かれておらず、装丁から、学術書などの類ではなく、ノートのようなものらしい。

 

 京介は言われるままページをめくった。


「何だ、これ? 全く読めない」


 そこには何やら文が書きつづられていた。ページの使い方から、やはり手記のようなものらしいが、何せ書かれている文字が京介には全く識字できないものだった。パラパラとページを進めてみても、内容は全て同じような文字で書かれている。


 京介は冊子を閉じて


「これ、旧言語ですか? 俺、解読学者(デコーダー)じゃないんで、読めるわけないじゃないですか!」

「そんな事は分かっている。だが、出だしすら読めんとはな。おまけに自らの厚顔無恥さを臆面もなく宣言するとは。お前を退学にしてやろうか」


 冷やかにそう吐き捨てる学院長を前に、京介は怯みそうになった。

 唇の端をきつく噛み、それを表情にだすまいと耐える。


「……教えてください。何が書かれているんですか」

「……我が学院では、この手記について最初の授業で教えることになっているのだが。まあいい。話が進まん」


 そう言って京介から視線を外し、溜息をこぼしそれから諦めたように口を開いた。


「これはバベルの極光以前、人類で初めてハッキングが発現した少女が書いたとされるものだ」

「……? 確か干渉者ってバベルの極光の影響で生まれたんじゃ……?」

「いや、極光以前に、記録に残る限り二人の干渉者がいた。〝始まりの二人〟と言われる兄妹だ。これはその妹の方が書いたとされている手記を写したものだ」

「この文章。解読されてるんですか」

「ああ。そしてこの手記の存在が、現在の世界情勢の危うい均衡を生み出したと言って良いだろう」


 京介は生唾を飲み込んで、学院長の次の言葉を待った。

 静けさが部屋を支配する。京介は急に自分の立ち姿が気になった。

 掌がじっとりと濡れていることに気づき、ズボンでそれをぬぐう。

 

 やがて学院長は冊子のページをめくって


「ここにはこう書かれている。〝そして白き世界の奥の奥、扉を開いた先にあったものはいくつもの光景。星の記憶。人の叡智。あらゆる情報が集積され、管理されているその場所に私は触れてしまった。知ってしまった。我ら兄弟に発現した力の正体。これは決して●●●ではない。私はパンドラの箱を開けてしまったのだ。だが、やはりあらゆる絶望、災厄の後には一つの光が残っていた。あの場所にはあらゆる希望を実現することができる力がある。私はもう少しでこの世界から争いを無くすことができる筈だ。そのためには―〟。解読出来ているのはここまでだ。この記述の存在が、世界の国々にハッキングについての研究に進ませた。そして、我ら干渉者の最終目標にして到達点となった。つまり――」

「ハッキングを極めれば、その場所にたどり着く?」

「ああ。この記述の存在が、世界の国々に、ハッキングについてのさらなる研究に進ませた。知っての通り、干渉者の力は一個人であらゆる戦術兵器をも凌駕し得る。そのため各国はこぞって干渉者の研究機関を確立した。そしてその目に見えない戦力を恐れ、各国は互いにけん制し合い、表面上は現在の平和を創り出した。だが、この記述が事実なら、その場所とやらは現在の均衡をひっくり返すことのできる程の力が眠っていることになるからな」

「………」

「あらゆる願いが叶う。それが狂人の世迷言だとしても、あらゆる叡智が集積される場所。その場所は確かに存在する。干渉者が目覚める際に見る光景。個々人によって、見るものは違うが、あれがこの世界のサーバ、つまりはこの手記にある場所だ、とされている」


 そういって、学院長は静かに冊子を閉じた。


 話が壮大になりすぎていて、京介の足りない脳みそでは追いつけなくなっていた。

 いや、その必要はなかった。学院長の話は京介にとって、ある一つの可能性を感じされるものだったからだ。

 

 単純で明快な解。


「つまり、その場所に行くことができれば、エマの記憶は元に戻せる……?」


 静かに、一つ一つの言葉の意味を確認するように、京介は口にする。


「ああ。その可能性はあるだろう。少なくとも、失った記憶はそこに記録されている筈だ」


 学院長は静かにそう言った。その言葉の意味が、少しずつ京介の全身に浸透していく。

 それは文字通り、真っ暗な世界に一つの光が見えたようだった。その光はおぼろげで、ともすれば消えてしまいそうなほど弱々しい。

 しかし、確かに進むべき道を照らしてくれる光だった。


「サーバに近づくには、よりハッキングの運用効率、威力、規模を上げる続けるのが唯一の道だ。お前がもしエマの記憶を復元させたいと願うなら、この少ない可能性にかけろ。勉学に励み、目覚めた√を鍛え、己を練磨しろ! お前に許されているのは立ち止まって朽ちるか、進化し続けるかの二つ!!」


 力強いその言葉。京介の体に再び熱い血が循環し始める。

 蒼月館に入学して以来、これほど活力が湧いてきたことがあっただろうか。

 自分はもう一度、エマを壊してしまった力と向き合わなければいけない。


 それは少し怖くもあった。でもこのまま何もしないままにはできなかった。

 それが、自らの罪と向き合うということ。エマの記憶は必ず取り戻す。


 あの約束。エマにあらゆる紅茶を飲ませてやるという約束を守る決心を胸に、京介はぎっと目を固く閉じた。


「お前の復学の手続きは既に終えてある。あとはお前次第だ」

「あ、ありがとうございます! 俺、もう一度学院でやり直します!」


 そういって、頭をさげた。


 その時、京介の腹が鳴った。何日もまともに口にしていないのだ。何か食べ物をよこせと体が抗議するのも無理もない。


「……ふっ。はっはっはっは。嘶きおるわ。さっさと行くが良い。俺はこれでも忙しい」


 堅物だと思っていた学院長が豪快に笑っていた。

 京介は照れ臭くなり、再度頭を下げて、駆け足気味に部屋を後にした。



 学院長室には再び沈黙が訪れた。部屋の主はため息をつき、机の上に放置された冊子を引き出しにしまう。


「……コピーとはいえ、これを巡って国と国が争った、などという話もある程貴重なものなのだがな。全く。どうやら聞いていた通り、お前とは正反対の性質の男だな、朔」


 学院長は誰も居ない部屋で、机に向かって話しはじめた。

 否、机上の空間にディスプレイが浮かび上がる。画面は学院長が声を掛けた男、朔を映し出している。


 朔は魔弾の隊長室から通信回線を開き、先ほどの二人の会話を聞いていた。

 その表情は静かでありながら、わずかの怒りを含んでいると学院長には思えた。


「……何故、京介に忠告をしなかったのですか」

「はて、忠告とは何を指す? 俺は学院の長らしく、勉学に励めと忠告をしたつもりだが」


 何を白々しいことを。朔は努めて平静を装ったが、僅かながら怒りを覗かせた。

 

 京介が入室してから、朔は何度もディスプレイ越しに声を挙げていたが、学院長は朔からの音声出力をオフにしていたため、どれほど張り上げてもその声は全く届かなかった。

 今すぐにでも教職員に乗り込んで、学院長に詰め寄りたい気持ちでいっぱいだが、それを何とか押しとどめて代わりに思いを言葉にする。


「とぼけないでいただきたい。彼はクロトを、新月幹部〝七色(ななしき)〟の一角を落としたんです。彼は間違いなく今後新月に狙われることになる。そのことをあなたから説明するというから、私は彼に何も言わなかった。それを――――」

「今、我々の戦力は著しく低下している!」


 黙って話を聞いていた学院長だが、朔の詰問を遮る形で重い口を開いた。

 その声は怒りが混じっているよりは、事態の深刻さを色濃く物語っていた。


「今回の事件による弾員の犠牲。加えて隊長1名の√使用不能状態!」


「――――!」


「気づいていないとでも思ったか? 貴様は不覚にも敵にクラッッキングされ能力を乗っ取られ、あまつさえ術式をすべて破壊され、能力が使えない。違うか?」


 まるで全て見透かしたような学院長の鋭い眼に射抜かれ、朔は返す言葉を失ってしまう。


「この状況下で、小僧ひとりを賓客扱いし、銀色の魔弾が戦力を割いて身辺を警護しろ、と?」


 身じろぎひとつせず、吐き捨てるようにそう言った。


「……ならば。ならば学院長はどのように考えているのですか」

「決まっている。奴の能力をより強化し、我々の武器に仕立て上げることだ」

「なっ―――!? 彼はただの学生です! そのようなことが許されていい筈がない!」


 朔は自室の机をバンと拳で打ちつけ、おもむろに立ち上がった。

 だが、血相をかえた朔に対し、学院長はあくまで涼しげだった。

 通信越しではすべてがデータに変換されて相手に伝わる。朔の胸に渦巻く様々な感情までは伝えきれない。


「聞け。いくら貴様がどうこう言ったところで、月見里京介が√を覚醒させ、クロトを退けたという事実は変わらん。今後新月は、いかなる時でも奴を狙うだろう。仮にお前が万全の状態だったとして、24時間守り続けることは不可能だ。お前の不在時に奴が襲われた場合、今の奴ならば確実に死ぬ。それよりは奴を鍛え上げて、奴自身が自らの身を守るに足る力を備える方が良いと思わんか?」

「……確かに、それは尤もです。ですが、せめて京介は自らの置かれた立場を知っておく必要が、その権利があると思いますが」


 暴力的なまでの正論を叩きつけられた朔だが、それでもひるむことなく反論する。


 が、学院長はため息を吐き、幼児に我慢強く社会の規範を教えるかのような調子で口を開く。


「…お前は嫌というほど知っているはずだ。干渉者にとって最も効果的な潜在能力(スペック)向上法。それは強い心理的な揺さぶりだとな」

「――! 学院長! あなたはまさか」

「そうだ。事前に身の危険という情報を与え身構えさせておくより、何もしらないまま、突然の窮地に陥らせる。その静的状態からの動的所作への暴力的なまでの揺さぶりにこそ、強く√は刺激され、能力はより研磨される」


 学院の全てを担う男は、机に肘をついて両手を組み、確信めいた笑みを浮かべた。

 その笑みに朔は狂気じみたものを感じた。


「…あなたという人は! 今回の事件でもそうだ。あなたは学内で事件が起きたにも関わらず、休校にせず、生徒を登校させ不安状態に置いた」


 そこまで言って、朔は胸につかえていたある一つの疑問を口にする。


「…我々が京介を一時拘束した情報をリークしたのもあなたですか?」

「それが、どうした? あれで生徒も刺激され、能力向上の一助となったろう。今の情勢下、世界のどこで、いつ争いが起こっても不思議ではない。生徒達を守るには生徒自身に強くなってもらうのが一番だろう?」


 表情一つ変えず、学院長はまるで砂糖は甘い、と当たり前の事を言うような調子で言った。

 その様子に朔は、通信相手を睨み殺さんばかりの勢いで相対している。


「それともお前が、か弱い生徒達全員を守りきることができるのか?」

「あなたは……っ!」


 確かにモニタ越しの学院長の語った方法こそが、現状では最良のものだ。

 今の自分が何を言ったところで、他に京介を、学院生を守る方法はない。

 自分は不注意で敵に戦う力を奪われてしまったのだ。ここで声を荒げるほど朔は子どもじみてはいなかった。

 が、やり場のない複雑な思いが胸に泥のように溜まっていく。

 そして無力さに打ちのめされ、朔は爪が食い込むほどに固く拳を握りしめ、ただ耐えた。


――――俺は、弱い。幼馴染を、大切なもの一つ守れないのか…!?


「……分かりました。ならばせめて、月見里京介の身柄は私の隊で預からせていただきたい。彼の身辺警護及び能力強化の二つ。私が、弓月朔が、彼を戦力にしてみ

せます!」


「…今のお前に何が――」


「俺が最も適役だ!」


 有無を言わさぬ朔の眼に、何かを感じ取ったのか、根拠などない朔の言葉に対し、学院長は答える。


「…良いだろう。だが、お前はしばらく隊を、この東方支弾から離れ、術式の再構築に努めろ。一刻も早く√を取り戻せ。これは命令だ」

「はい。言われなくても、そのつもりです。……では、失礼します」


 そういって、朔は通信を切り上げた。


 回線を切断し、机上の空間は何もないが広がるのみ。

 蒼月館学院の何千人もの生徒、教職員の頂点に立つ男は、やれやれと言った様子で体を背もたれに預けた。


 安っぽいパイプ椅子がきしみを挙げる。


―――いつも泣きごとばかりでオドオドしていた小僧が、言うようになりおったわ。


 遠くを見るその目には、銀色の魔弾東方支弾へ来たばかりの弓月朔が写っていた。


 そして、学院長は生徒達の呑気な顔を思い浮かべた。


―――いつまでも平和な日常が続くと本気で信じている、否、何も考えず、演出された日常を甘受している、平和ボケした間抜けな面よ。


「報告にあった√の効果、奴は〝欠片〟を宿しているのか。まさか、〝無(ゼロ)の欠片〟、か?」


―――いずれにせよ、我が学院が現在の均衡状態を保つためには、戦力の強化が不可欠、か。


 その眼は鋭く、遥か先を見ていた。




 今日は色々な事があった気がするが、校門を出る頃には空が夕暮れを迎えていることに、京介は気づく。


「何だかんだであっという間だったな」


 そう一人言を呟き京介は帰路につく。

 部活などで残っていた生徒達もそろそろ帰宅する時間らしく、沢山の生徒を見かける。


 今までは、自分と他の生徒達との間にどこかで一線を引いて距離を置いていた。


 自分は干渉者ではない。自分は電波や妄言を垂れ流す痛い奴ではない、と。

 でも、そんな皆に助けられたからこそ、自分はエマを死なせずに済んだ。

 

 その代償として、自分はエマの記憶を奪ってしまった。


 でも、それだって。


「いつか取り戻して見せる」


 決意を胸にしまい込み、京介は再び日常へと帰って行くのだった。


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