新たな学院生活
かつて世界は死が満ちていた。今よりおよそ200年前、世界中で民族間対立、経済混乱が起きる中、各国は複雑な対立、同盟関係にあり、皆競って軍備を拡張していた。世界中で戦争の機運が高まっていた。
そんな中、北の国ルージア(かつてロシア帝国と名乗っていた)に、ある日天にも昇る光の柱が現れた。その日を境に世界中で異常気象が起こり、疫病が蔓延。
20億に到達しようか、という人口はその日を境に減少の一途をたどり、たった一年後には一気に半分ほどになった。人々はこの出来事を神罰と恐れた。
生き残った人々は、荒廃した土地で寄り添いあい、怯えながら暮すことを余儀なくされた。
――が、時は流れ復興は進み、かつて以上に豊かになりつつある世界。
もちろん復興のための代償はあった。
人口が減少しないよう、国が崩壊しないように、かつて大日本帝国と呼称したこの国はヤマトと名を変え、人々の自由を細かく制限、管理するこで、荒廃を防いでいる。食糧不足への対策として一家族が持てる子供の数の制限。最低水準の生活保障と引き換えの40歳以上の国民への無保障。労働の義務。
そんな国にあって、京介と朔。二人はいつもいっしょにいた。子供の制限数に引っかかったのか、はたまた他の理由か。二人は両親を知らず、名字なし(ノーバディ)と呼ばれ、同じ養護施設で育った。
しかし、その事実を別段二人は嘆いたりはしなかった。いまや純粋家族は少数派でもあるし、何よりも二人は互いを支え合う友達であり家族、だったから。
だから二人は寂しくはなかった。二人だと何でもできると思っていた。
「朔、待って。置いて、いかない、で」
視界が歪むような粘着質の空気が纏わりつく。心を締め付ける焦燥感が拭い去れない。
京介は暗闇の中、遥か先を行く朔の背中に手を伸ばした。
でも、どんなに声を張り上げても、朔は足を止めない。そうして、どんどんと朔の姿は小さくなっていく。
「嫌だ。待ってくれよ、朔!」
京介は叫んだ。が、喉は痛いほど乾いていて、それは声にならなかった。
そうして、周りの空間が、京介を逃がすまいと包み込んでいく。
口からどろどろの〝何か〟が侵入し、京介を犯し始める。
―――体が前に進まない。声が、出せない。朔、誰か、助けて!!―――
「っはっ! はぁ、はぁ、、ぁ、a、、h」
気が付くと京介はベッドから落ちていた。
パジャマはじっとりと汗ばんでおり、体に張り付いていた。
とても不快な目覚めだ。
(またこれか…)
近頃はあまりなかった体験。夢を見ていた気がするが、内容は良く思い出せない。
「あれ、ここ、俺の部屋だっけ?」
入居したばかりにも関わらず、少し落書きのある机。マンガだらけの本棚。飾り気のないこじんまりとした室内。ここが、自分の部屋だという実感が付いてこない。
京介は寝ぼけ眼でシャツを脱ぎつつカーテンを開けた。途端、眼球に対する攻撃力を伴ったような強烈な朝日が差し込み、京介を直撃した。
「まぶしっ!!」
ぬるい膜につつまれたような気分が覚めて、だんだん現実感を取り戻す。
あの奇妙な夢をみると、京介はいつも奇妙な未視感を味わうのだった。
「よりによってこんな日に。…幸先悪いな」
――確認しよう。俺の名前は京介。今日から高校生だ。
昨日までは星宮という名字だったが、あの蒼月館学院に合格して、月見里という新しい名字をもらったんだ!
せっかくあの蒼月館に入れたんだ。今日からは高校でリア充ライフを送りまくりだ!――
「よし。状況説明的自分確認はばっちりだ。起きるか!」
ここから、京介の輝かしい高校生活が幕を開ける。はずだった…。
京介が今日から通う蒼月館学院は、世界的大企業フラグメント社を母体とした学校だ。
フラグメント社はかつて、日本という国が崩壊した後、創始者が一代で現在の規模にまで成長させた巨大コングロマリットである。崩壊後に蔓延した疫病の治療を担うところから興り、食糧供給や資材の運搬を担い、人々の心に復興の火を灯した。
その力で荒廃した土地を立て直し、あらたにヤマトという国を誕生させ、フラグメントは今でも国家を支えるインフラの供給、整備を司り、国家の屋台骨の役割を担っている。
そんな会社が経営する学校はヤマト全国各地に存在し、名前の一字に月か星を必ず付けている。紅月高校や翠星小学校といった具合だ。
中でも蒼月館学院はこの国の東エリアでは特に有名校で規模も大きい。
また、京介の住む蒼月市にはほかにも様々な学校や研究機関なども密集しており、一つの文教都市となっており、とても活気のある街で商業施設も多く、住みたい街ランキングでは必ず東ヤマトでトップ3に入る。
フラグメント社の学校は名字を持たない者たち、いわゆる名字なし(ノーバディ)と呼ばれる、施設育ちの子供をも受け入れ、さらには入学時に名字なしの生徒は一人一人、その者にちなんだ名字を与えられる。彼らにとっては特に憧れの学び舎という訳である。
「やっぱり月校は星よりかわいいコが多いな~。よし、今の時代は食パンを咥えた女の子にぶつかるのを待っている時代じゃない! 自分からぶつかっていくんだ!」
月見里京介は寮を出て、今日からの学び舎へ向かう途中に一人決意を固め、拳を握る。
「……京介。思ったことが口に出てるぞ」
不意に、後ろから肩を叩かれ、京介は驚いて振り返った。
「うわ、って朔か。気配を消して背後に立つのは勘弁してよ」
朔はいつも通りのマジメな顔をし、呆れ気味だった。
「いや、俺は普通に声をかけただけだ。京介が大声で問わず語りを始め、なかなか声を掛けられなかったのだが。周囲から失笑を買っている、と忠告しようと思ってな」
「え、声に出てた?」
周りを見渡すと上級生のお姉さま方はクスクスと失笑しており、新入生はバカじゃないの? 何て痛い子なのかしら。という空気を醸し出しつつヒソヒソとやっていた。
「…コホン! 紹介しよう! こいつが我が親友、弓月朔だ! 身長180オーバー、小学校高学年で月校へ編入。容姿端麗、頭脳明晰、運動もでき、それでちょい抜けたところもありそれが逆に親しみやすさの演出に一役買っている、とムカつく設定てんこ盛りの完璧超人だ!」
「おい、やめろ京介! 誰が抜けている、だ。それに誰に話しかけているんだ?」
と、朔はそこでふと気づいたような顔をして
「……そういえば、京介。何故こちらの道に居る? 蒼星館は反対方向だが」
「ようやく気づいてくれたな」
とそこで京介は咳払いを一つし
「よくぞ聞いてくれました! 実は俺、蒼月館に入れたんだ! 朔をビックリさせようと思って黙ってたんだけど……。どや、ビックリした?」
ちらっと朔を見ると、眼窩から目玉を噴射する勢いでビックリしていた。おまけに持っていたカバンもどさっと落とした。
(マンガみたいなヤツだな…)
「バ、、バカな。京介が月校だと………。ありえん!!」
「いや…驚き過ぎでしょ。今、ビックリマーク2つぐらいつけたな!! 確かに俺はバカだけど、これでも頑張って勉強したんだからな」
朔は少し青ざめたようにも見える。それに小刻みに震えているように京介には思えた。
「………いや、失礼すぎるだろ!!」
と、そこで朔は顔をそむけてわざとらしく咳払いをして、カバンを拾い上げて真顔をつくった。
「……それは、うん。意外、だな。ペンギンが空を飛ぶが如くだ」
あまり物事に動じない朔が、目に見えて狼狽えているのが京介にも分かった。
「……」
京介がジト目で朔を見ていると、朔はコホンとワザとらしく咳払いして
「まあこれで高校は京介と同じ学校か。久しぶりに一緒に登校できるな」
「ああ。そうだよな! 4、5年振りかな」
「で、京介は何という名字をもらったのだ?」
「ふふ~ん。俺の名字はこれだ!」
京介は某長寿ドラマの例の物が如くドヤ顔で生徒証を朔に掲げた。
「ほう。月見里とは。また、所以の分からん名字だな。どういう意味なのだ?」
「さあ、よく知らないな。ていうか、普通にやまなしって読めたね。俺、最初はつきみざとって思ってたよ」
「…ああ。やはり、京介はアレだな」
朔は納得したような顔でしきりにうなずいていた。
「……アレってなんだ?」
京介が問うが、朔は誤魔化し、「遅刻するぞ」と歩みを早める。
うららかな春の日、桜が舞う坂道に二人。くだらない話をしながら学校へ向かい歩いていた。
ああ、青春だ。これで隣に幼馴染のかわいい女の子でもいれば。だが、隣を歩く幼馴染は男…。
などと京介が真剣に考えていると
「では俺は先生に呼ばれているからここまでだ」
「え、先生に、いきなり? やるね~、朔」
いきなり問題行動を起こしたのか、と京介は思ったが
「ああ。俺は新入生代表のあいさつをするので、その確認のためにな。ちなみに高校入学組のクラス分け表はエリア3の1号館にあるぞ」
朔は普通に言ってのけた。ちなみに新入生代表は成績トップの生徒が務めることになっている。
(マジかよ。朔ってそんなにスゲーのかよ。)
「ではな」
「うん。じゃあな。……ってエリア3ってどこなの?」
振り向くと既に朔はいない。
「………そして誰もいなくなった」
呆然としているところで、入口に学院内地図が掲示されていることに気づいた。
「なんだ、この地図。街か!?」
地図によると、学院はいくつものエリアに分かれており、エリアごとに一つの街のように様々な施設を擁している。
いくつもの企業の研究施設や商業施設。はては病院棟まで、とにかく多岐に渡っている。目的地のエリア3は学院内バスで3ブロック北に進んだところにあるらしい。
京介は一瞬迷子になった。そして、どうしようもなくて途方に暮れる幼い頃を思い出し、少し涙目になっていたが、道行く人に聞いてなんとか事なきを得た。
「ありがとう通行人Aさん。そして朔め! 適当に案内しおって…」
ごしごしと目をこすり、京介は少しの不安と倍の昂揚感を抱え、目的地を目指すのだった。