魔王
逆魔。
それは四大逆魔の略称ではない。また、通称でも俗称でもない。
五百年前、四体の怪物につけられた新しい分類の正式名称である。
新種のモンスター自体はそこまで珍しくもない。実際、モンスター図鑑は二十年に一度のペースで巻数が増え、そこに二十年の間に新発見されたモンスターが描かれている。
だが、『種族』が、それもたった四体のためだけに『新種』ならぬ『新種族』が成立したのはこれが始めてであろう。
しかも、外見上は既存の種に当てはまるそれがあるのも関わらずに、だ。
そもそも、逆魔の定義とは何なのか?
例えば、哺乳類の定義とは『脊椎動物』『保温動物』『幼体を母乳で育てる』などが挙げられる。
ならば逆魔の定義とは? 何を持って、『逆魔』という新種族は定義されたのか。
安直な『モンスターの強さ』ということではない。逆魔には竜王と同じ『超級』が指定されている。『強さ』で種族を決めたのでは、階級制度の意味がなくなってしまう上、『英雄』も『超級モンスター』になってしまう。
逆魔の出生には謎が多いが、『正体の不明さ』でも新種族など制定されないだろう。そもそもも、『正体』を定めているからこその『種族名』なのだ。
では、『逆魔の正体』とは?
実を言うと、謎である。
逆魔の討伐と封印が終わった後、高名な学者百人が三ヶ月ほど話し合い、あの四体を新種族『逆魔』と認定した。どのような討論があったのか、一部関係者には不明である。記録にも一切残っていない。
ならば、その逆魔を種族にすると決定した百人の中の誰かに聞けば良いじゃないかと言いたくなるが、とっくの昔に全員が逝去している。最初の逆魔が生まれたが五世紀も前なのだ。当然だ。
ともかく。
逆魔には謎が多く、彼らは異質だ。
例外で埒外で規格外で常識外だ。
もっとも、世間はその存在さえ忘れているし、逆魔の存在を知っている人もまさか新しく逆魔が誕生するとも、かつて封印された逆魔が復活するとも考えていないだろう。
その『まさか』が両方とも実現している人間など、一人もいるはずがない。『まさか』の片方に遭遇にしている人間でさえ、あるいは逆魔達自身でさえ、夢にも思っていなかった。
■
魔王。
その称号から、人は何を連想するだろうか。
単に文字通りの意味で『悪魔の王様』だけ思う人間は稀有であろう。
神に逆らう者。異形を束ねる異形。魔の頂点に君臨する覇王。悪意持つ災害。絶対悪の化身。災厄の具現。罪悪の体現。万物の敵対者。勇者や英雄の宿敵。正義の天敵。邪道。外道。悪道。鬼畜。悪鬼羅刹。地獄の皇帝。暴君。罪人の魂を支配する者。倒すべき巨悪。迷える魂の怨敵。その手は地獄の炎よりも呪われ、その目は冥府の闇よりも濁り、その魂は暗黒の無よりも虚しい。
圧倒的な『悪』。
結局は、その一文字で済んでしまう。
魔王とは、『悪』なのだ。善や正義に対しての悪なのではない。まして必要悪でもない。ただ、あらゆる生命に敵対するという意味の『悪』なのである。
そこに意味はなく、そこに意思はない。魔王が行う破壊には何の意味もない。誰の為でもなく魔王本人の為でもない。災害のような何らかの循環も生まない。ただの『破壊』である。
無論、『原初の逆魔』を自称するサタナエルもその例に漏れることはない。彼もまた万物の敵対者。
その悪名は、かの『虚無の大罪』ウロボロスに次ぐ。
そんな魔王を目の前にして、蒼い右目を持つ剣聖、六道飛鳥はただ彼を見据えていた。魔王と対面しているにも関わらず、その目には恐怖も憎悪もなかった。
「気付けば、あの迷宮の最深部にいた」
飛鳥の無反応から何を思ったか、サタナエルは己の過去を語りだした。
「周りを見れば、我と同じ『呪い』を持った異形が三体いた」
「……『呪い』?」
おおよそ予想していなかった言葉に、飛鳥は眉を上げる。
世界を敵に回した魔王に一体、どんな呪いが掛けられていたというのか。
「その『呪い』とは、『この世界を絶滅させろ』という破壊衝動だった」
サタナエルはそう言った。
「『呪い』に気付いた時、思ったよ。我は、我ら逆魔は、世界を滅ぼす為に生まれてきたのだと。何の為でも誰の為でもない。我らは意味など求めなかったし、意義など欲さなかった。ただ、己の全てをもって世界を破壊しようとした」
目的などなかったし、要らなかった。
存在の証明ですらなかった。ただ、世界の摂理に従ったのみ。太陽と月が大地を照らすように。波が荒れるように。風が囁くように。獅子が吼えるように。鳥が飛ぶように。魚が泳ぐように。男が戦うように。女が愛するように。赤子が泣くように。
逆魔は『世界の敵対者』だった。
「手始めに、龍が国を滅ぼした」
森を半刻で食い尽くした暴食の『海龍』。
世界は知らぬが、彼の名はリヴァルと言った。
「世界は七人の英雄と軍隊を寄越してきた。龍が滅ぼされたが、死神と不死鳥が英雄と軍勢を半減させた」
疫病と腐敗を周囲に撒き散らす『死神』アイア。
雷電と疾風を操る『不死鳥』カーテル。
前述の海龍と同じように、サタナエルしか彼らの名前を知らない。だが、それで良い。逆魔の名前は逆魔だけが知っていればいい。逆魔以外の存在は、ただ彼らに怯えていればいい。
「奴らは最期まで戦って、暴れて、殺していた」
逆魔には『他種との共存』など不可能だ。
「英雄が最後の一人になるまで我は自分がどうやって殺し続けたのか、覚えていない」
目の前に君臨する時間と空間を支配する『魔王』。
英雄がその命を懸けて封印した怪物。原初にして最強の『逆魔』。
「気付けば、英雄に封印されていた。そのまま今日まで五百年待った」
そんな自分を封印した英雄の名前はラシン。人も国も星も名前など必要ないと考えていた魔王にとって、逆魔以外で覚えている名前はその英雄ただ一人のものである。
だが、その名前も今日で忘れる。
サタナエルの視線は、飛鳥に向けられた。
「我を復活させた礼だ。どんな望みであろうとも、一つだけ叶えてやろう。汝は、我に何を望む?」
何の為になら、自分の魂を魔王に売り払える?
「……本当は、そういうのを望んでいなかったんだけどな」
サタナエルの問いに、飛鳥は苦笑した。泣きそうな、怒っていそうな顔で笑っている。
「そうだね……」
飛鳥は『自分』を思い返す
最初は、愛が欲しかった。
次に、存在証明をすべきだと考えた。
そして今は、純粋に力を求めている。
神仏の次元である天道を求めいていたはずだ。人間道では満足していなかった。気付けば修羅道を歩いていた。畜生道にいた記憶は忘れてしまった。餓鬼道に巣食っている自分がいる。地獄道に堕ちても後悔はしないだろう。
ああ、僕は死んでしまいたい。戦いの中で死んでしまいたいんだ。
僕の剣術を見下した彼を殺したら、僕は何になってしまうんだろう。
「もう一度、問うぞ? 何が欲しい?」
結局、『それ』以外は不要だった。
「はははははははははははははははははは! ……何を求める? はっ、決まってんだろうが! あのクソをぶった斬る! それ以外の何を求めるってんだ!」
戦いの止まない修羅道ですら、今の飛鳥にとっては道端に等しい。
「では、どれほどの覚悟を持ってそれを求める?」
魔王のそれは、力の餓鬼となった男にとっては愚問だった。
「覚悟だと? そんなもの、とっくに出来ている! 天への道なんて捨ててやる! 人間であることさえ捨てる! 修羅? 畜生? 餓鬼? なれというならなってやる! 地獄でもまだ温い! 無間地獄にさえ堕ちてやろう! 六道輪廻の因果から追放されようとも、僕は『最強』になってやる!」
その野望も欲求も覚悟も衝動も全て魔王の予想外だった。予想外だからこそ、『原初の逆魔』は愉悦を覚えた。
その高揚感は七人の英雄を相手にした時と同じだった。
「気に入ったぞ、人間。我は汝の力となろう」
たった一人の狂人が、七人の英雄と同じ感情を与えてくれる。彼と共にあれば、今度こそ世界を破壊できるかもしれない。もし失敗してしまったとしても、それはそれ。また新しい相方を探せば良いのだ。
これだから、『悪』は止められない。
「ああ、寄越せ! 絶対的な膂力を、圧倒的な武力を、絶望的な暴力を! この世界の全てを崩壊させるほどの、一心不乱の破壊を寄越せ!」
力を渇望する少年は、ここである妙案を思いつく。
「おい、ラセツ」
『何だ? 友よ』
彼は刀に封じてある相棒の鬼神に話しかけた。
「お前を僕の身体に入れ直すことは可能か?」
『? ああ。出来るが、それがどうかしたか?』
「ああ。お前を僕の中に戻して、刀を空っぽにする。その後、サタナエルを刀に一度封印して、僕に入れる。……鬼神と魔王の力を、僕の身体で合体させるんだよ」
『なっ……』
「……ほう」
鬼神と魔王が一介の剣士に唖然とする。
思いついても実行しないであろう禁術を平気で実行しようとする少年の狂気に。
「世界の全てを破滅に貶めた瞬間、僕は力の権化と化す! それこそが我が覇道の終着点! これをもって、『六道一転流』零の型『外道』とする!」
この瞬間、完成してしまった。
世界を滅ぼしうる剣術が。最早、剣術などと呼べたものではなかったが。
「僕はお前らの力を、僕の物にする! 黙って僕に従え、『悪』の権化よ! 破壊の化身よ!」
その選択に、ラセツとサタナエルは笑んだ。
『鬼神と魔王の力を一つとするか』
「それも良い。いや、『良い』のはまずいか。我の存在意義に反する。ならば、こういうべきか……その選択は最悪だな!」
魔王が最悪と称する選択肢。
常人ならば狂気に蝕まれようと忌避してしまうような選択肢を、堕ちた剣聖は端麗な顔を歪めて選んだ。
全力で悪に染まることを選択してしまった。
「僕が――否」
彼はもう剣聖ではない。否、最初から彼は剣聖の資格などなかったのかもしれない。
「……我が『魔王』だ!」
龍神に続き、魔王まで復活した。
破滅の瞬間は近い。
封印刀で自らを刺し、自分に封じてあった鬼神をまた自身に戻す。
「この力をもってして、世界を滅ぼす!」
そのままサタナエルを斬り殺す。一振りごとに魔王の曖昧な肉体は消滅している。否、刀にその存在そのものが吸収されているのだ。にも関わらず、サタナエルは全く苦しむことはなかった。むしろ笑った。魔王らしく、悪魔のように笑っていた。
「あっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは! 見ていろ、世界! 戦慄しろ、歴史! 全部、ぶっ壊してやっからよお!」
蒼い右目に相反するように、剣聖の左目はドス黒い紅に染まった。




