気付いてしまったようですね
彼女の部屋に着く時間は十時頃になろうかという時間帯だった。電車に乗って、彼女の部屋の最寄り駅に着くと、改札を抜けたすぐ先に酔っ払いが吐き出した汚物を片付けた跡があった。
少しだけ不愉快な気持ちになったが、一日と数十時間ぶりに彼女と再開すると、心の底からそんなことはどうでも良くなっていた。
「お疲れ様です」
「いやいや、そんな労ってもらうほどのことはしてないよ」
「謙遜するのが上手ですね」
クスクスと笑う彼女に、割と本気で言ってるんだけどな、と呆れながら思った。数億稼ぐ相手に、たかだか手取り十数万の男が疲れたなんて、なんだかおかしな話じゃないか。
「シャワー浴びてきたらどうですか?」
「ん? ああ、じゃあ借りるよ」
勧められるがまま、俺はシャワーを借りて、一日の疲れでも落とすかのように、リラックスした。
彼女の女物のシャンプーは、なんだかとても良い匂いがした。
シャワーを浴び終えて、清々しい気持ちでリビングに戻った。
すると、彼女がご飯の並べられた机の前で正座しているのがわかった。
「どうかした?」
彼女からの反応はなかった。目を瞑り、心なしか怒っているようにも見えた。
堪らず、俺は彼女の前で正座した。怒られるようなこと、果たして俺は何かしただろうか?
黙りこくる彼女に相対しながら、俺は最近の自分の行動を振り返った。
彼女に怒られそうなこと。
……はて?
心当たりしかなかった。
ストーカー紛いの行為。
通帳を勝手に覗いた行為。
その後の金に目が眩んで仕事をないがしろにし始めている行為。
普通に考えて、絶縁宣言されても文句は言えまい。
あれ? でも、それが原因なら部屋に入るなり咎められたよな。
「……あなたに一つ確認したいことがあります」
「はい」
冷たく、迫力のある彼女の声に、俺は肝を冷やしながら返答をした。
彼女はやはり怒っているらしい。
数ヶ月の交際を経て、初めての体験だった。どんな感じで怒るのだろう?
正直、怖い。
彼女は、意を決したように机の隅に置かれていたスマホを手に取った。
よく見ればそれは、俺のスマホだった。
「この蘭って人は誰ですか?」
「え? ……ああ、基板メーカーの副総経理だな」
「……副総経理?」
「そう。今日、試作へ向けての部品遅延があってさ。そこの副総経理。そいつに日程合わせろって怒ったんだよ」
「……あなた、実は凄い人だったんですか?」
「何故?」
「だって、副総経理相手にそんなこと言えるって、凄いです」
「凄かない。会社なんて所詮ピンキリだ。部品メーカー相手だったら、俺くらいの下っ端相手でも時々一緒に仕事することくらいあるさ」
それに、俺が副総経理に迫っても、数億の給料はもらえない。
「そ、そうですか……。あ、勝手にスマホ見てしまって、ごめんなさい。あの……通知が来て、女の人の名前だったから、我を忘れてしまったんです……。ロックがかかっていて中までは見れなかったのですが、遂熱くなってしまったんです」
「そこまで熱くなっちゃったんだ、なんだか珍しいね」
「……あなたのことだったから」
「ん?」
「その……他の人のスマホだったら、こんなにカーっとすることはなかったんです。ただ……大好きなあなたのことだったから。我を忘れてしまったんです」
「そ、そっか……」
顔を熱くしている彼女と一緒に、俺も顔を熱くして目を逸らした。
まあ、スマホを見られたくらいで俺が彼女を咎めることはない。
何せ俺、それよりも秘匿性の高そうな物、先日見てしまったから……。
彼女の貯金額を知っておいて、ストーカーしておいて、スマホを見られたくらいで怒るのはおかしな話だ。
「それ、個人携帯ですよね?」
「ん?」
しばらくすると、彼女は尋ねてきた。
「そうだよ。君との連絡もこれでしている」
「……個人携帯に仕事関係の連絡先が入っているって、いいんですか?」
……。
「気付いてしまったようだね」
我社の闇を垣間見た彼女は、今度は苦笑してしまった。
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