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高校に入学しても、拓也の生活はあまり変わらなかった。学校に通い、授業を何となく受けて、ギターの練習をする。中学とは違って、軽音楽部というものがあり、好きなだけ音楽に打ち込めることは唯一の救いと言えた。
もう一つ、彼にとって忘れがちではあるが、大きく変わった点があった。それは交際相手と言える存在ができたことだ。
「今日も部活終わるまで待っているね」
「良いよ、先に帰ってろよ」
「ほんと、冷たいなぁー、拓也は。絶対に一緒に帰った方が、楽しいよ?」
そう言って笑うのは小夜だ。小夜は中学時代、殆ど勉強もせず、高校に入学できるかも怪しいほどの成績だったが、拓也が進む高校を聞いてからは、黙々と勉強を開始したのである。拓也もそれほど熱心に勉強をしていたわけではないので、程々な高校に入学したわけだが、それでも小夜の成績では同じ高校はないだろうと考えていた。それなのに、小夜は拓也の予想に反し、同じ高校へと進学したのだ。
高校一年のとき、拓也は何度も小夜からのアタックを受けた。適当にあしらっていたが、小夜の熱意に押されるようにして、なし崩し的に交際することに。
しかし、拓也にとって高校生活は灰色だった。彼女もいて打ち込める部活もあり、傍から見れば充実した高校生活だったにも関わらずだ。
「詩葉ちゃんのこと、思い出す?」
暗い顔をする拓也の顔を見て、小夜は何度も言った。
「大丈夫、私が忘れさせてあげるよ。拓也はね、絶対に私が幸せにするんだから」
拓也は、そんな小夜の言葉に対し、何も返さなかった。ただ、ぼんやりと思うのは、自分がずっと小夜と人生を共にするとしたら、きっとそれは大変平凡なものだろう、ということだった。両親がそうだったように、平凡なサラリーマンになり、この女も平凡な母となる。そんな人生は、想像するだけで恐ろしかった。
それだけ、拓也にとって詩葉の存在は、特別な想い出となっていた。それを忘れることができずに、暗い気持ちになると、小夜が慰めようとする。だが、小夜の慰めを聞くと、余計に憂鬱な気持ちになるのだった。小夜が拓也の傍にいればいるほど、詩葉は彼にとって特別になっていった。
もう一つ、彼の高校生活を憂鬱にさせる要因があった。それは多くの女子生徒から交際を申し込まれることだ。拓也は小夜との交際があるから、ということは関係なく、殆どの申し込みを断っていた。なぜなら、彼に声をかける女子生徒すべてが、平凡にしか見えなかったからだ。平凡な女にしか興味を持たれない自分は、やはり顔だけで、つまらない男なのかもしれない。そんな不安が常にあった。
それでも、小夜とは別れて別の女子生徒と交際する時期もあった。詩葉に何となく似た女が、時々現れたのだ。しかし、それはすぐに破局してしまう。やはり、彼女たちは詩葉に及ぶことない、平凡な女なのだと気付いてしまうのだ。だから、結局は強く復縁を求める小夜ともとの関係に戻る、というパターンを繰り返す。二人は何だかんだ交際を続け、高校三年生を迎え、進路について本格的に考えるべき時期になった。
拓也は東京に出ることを決めていた。自分はこんな田舎の町で終わる人間ではない。そんな風に思っていたし、限りある田舎の人間関係では、特別な女とも出会えないと考えたのだった。そして、ほんの僅かではあるが、きっと詩葉も居心地の悪い家を出て、東京で一人暮らしをするのではないか、とも思っていたのだ。
東京でもバンドを続けるつもりだった。だから、拓也は音楽関係の専門学校へ進もうとした。しかし、中学でバンドをやった仲間も、高校の軽音部の部員も、大学や音楽とは関係のない専門学校への進学を考えているらしい。
「やっぱり、音楽で食べて行くなんて夢の夢だよ。人並みに食っていきたいなら、大学出るか、手に職を付けるか、どっちがだろ」
友人の一人はそう語る。他の仲間たちも、似たような考えらしい。誰もが音楽の道を諦めようとしていた。拓也はそんな仲間たちを見て考える。どうして、自分の可能性を信じられないのだろうか。
きっと、彼らは自分を信じられるような、特別のものが心の中にないのだろう。自分は特別な何かを宿している。だから、誰もが諦めてしまうような道だって、進めるのだ。
でも、もしそれが無かったら?
自分も平凡な人間でしかなかったら?
両親にも相談をした。母親は大学か仕事に就けるような専門学校へ行けと言う。父親は何も言わなかった。自分で決めろ。後悔はするな。それだけだった。
「拓也ならできるよ! 音楽、続けなよ!」
そう言ったのは、やはり小夜だけだった。
「私、音楽のこと全然分からないけど、拓也は特別な何かを持っているよ。才能があるよ。諦めないで頑張ったら、きっとスターになれるよ」
「そんな簡単じゃねぇよ」
目を輝かせる小夜を拓也は鼻で笑って一蹴する。
「なんでー? 絶対やれるって!」
「ばーか!」
拗ねたように唇を尖らせる小夜をからかう拓也だが、本心では嬉しくて仕方なかった。そうだ、自分はやればできる。
こうして、拓也はミュージシャンを目指すための専門学校に進学を選んだ。母親はあからさまに嫌な顔をしたし、父親はやはり何も言わなかった。
それでも、自分は特別なのだ。誰もが信じてくれなかったとしても、自分は信じている。それに向かって進めば、きっといつかは誰もが驚くような、認めざるを得ない存在になるはずだ。そう言い聞かせ、拓也は一人暮らしを始めるのだった。
しかし、東京へ進出して、拓也の自信は一瞬でへし折られた。専門学校に通うライバルたちは、誰もが自分の実力を上回っていたし、具体的な活動に打ち込んでいる人も多かった。自分は実力もなければ、何も活動をしていない。それは彼に大きな劣等感を与えるのであった。それでも、拓也の心が折れそうになると、励ますのは小夜だった。小夜も拓也を追うように東京に出て、服飾系の専門学校に通っていたのである。拓也が周りの人間の力を実感し、肩を落とす度に彼女は言うのだ。
「大丈夫だよ。まだ拓也は若いし、これから伸びしろがあるってことでしょ? それに、拓也は才能があるもの。他に人が、どんなに練習しても、手に入れられることがない才能があるんだからさ」
そうか、と変に納得する。俺には才能がある。本気を出せば、短期間でこいつらをあっと言わせるだろう。そうやって自信を取り戻すのだった。
そんな拓也の自信をさらに確信させてしまうような出来事があった。拓也の通う専門学校で一番ギターが上手いと言われる先輩が、割と大きなライブハウスのステージに立つことになった。そのステージには業界の人間が、金の卵を見つけるために出入りすることでも有名で、そこに立った人間が何人もデビューしたらしい。先輩が出ることをきっかけに、拓也も仲間たちと一緒に、そのステージを見に行くことになった。
先輩のステージはそれなりに好評で、拓也も彼の実力を目の当たりにした。この先輩は自分が出会った人間の中でも、尊敬に足る人物だ。拓也は周りの人間よりも実力が劣っているにも関わらず、それを認めていなかったが、この先輩だけは素直に自分よりも上だと認めることができた。
打ち上げの後も、その先輩を中心に、音楽に関する熱い想いを語らうことになった。拓也は今日の先輩のステージがどれだけ素晴らしかったか、可能な限り言葉にし、彼の気分を良くしようとした。すると、拓也の思惑通り先輩は気分を良くしたらしく、拓也という人間にやや興味を持ったようだった。
「ギター、弾いてみろよ」
先輩は自分が興味を持った男がどれだけの実力があるのか、見てみようと考えたに違いない。拓也は臆することなく、一曲だけ、と言って持ってきていたアコースティックギターを取り出した。もし、自分が思うように、この男が尊敬に足る人物であれば、自分の才能を感じ取るはず。拓也はそんな風に自分を鼓舞し、一分程度、ギターを弾いた。先輩は黙ってそれを聞く。反応が気になったが、できるだけ彼の顔は見ないようにした。拓也の演奏が終わると、先輩は小さく、二回頷き、こう言ったのだった。
「粗削りではあるが、磨けば光るものがある」
やはりそうだ、と拓也は確信した。この男は、自分の才能を見抜いた。だとしたら、彼に付いて行こう。そうすれば、いずれ自分にもスポットライトが当たる日がくるに違いない、と。
こうして、拓也は事あるごとにこの先輩の後を追うようになる。先輩がライブをに出るとなれば、全力でサポートをしたし、彼の身の回りの世話もして、時々サポートメンバーとして出演することもあった。これには小夜も喜んでくれたが、拓也はギターを弾かせてもらうことはなかった。
そもそも、先輩はあの夜、酔っ払っていて、拓也のギターの実力など覚えていなかったのだ。ただ、都合よく動き、自分のモチベーションをキープするように、ポジティブな言葉をかけてくれる拓也は、彼にとっては重宝する存在だった。そして、もう一つ拓也を重宝する理由が、彼にはあったが、それを知るのは、まだ先のことだった。
これが拓也が東京に出てからの一年だった。自分の実力が低いことの劣等感を、心の底に押し隠し、自分にとって有益な何かをもたらすかもしれない先輩に媚びを売り続ける日々。
どう考えても、それは特別な何かを持った人間の生活ではなかった。さらに、拓也の不安を煽る出来事は、何度もあった。平凡な女から、好意を寄せられることだ。学校の人間やアルバイト先の先輩、イベントで知り合った女…中には周りの男たちが羨むような女も、拓也に好意を寄せ、それを言葉にすることがあった。しかし、それは拓也にとって不安でしかない。平凡な女に好かれる平凡な自分。
そんな不安を拓也は別の考え方で掻き消そうとする。特別だから、平凡な人間が憧れるのかもしれない、と。だけど自分は、特別な女といつか巡り合うはずなのだ。




