第8話 : 血を隠し、名を偽って
ヴェールが言った通り、村に到着した頃には日が暮れ始めていた。
少しずつ空気が冷たくなってきたから、自分達は逃げ込むように宿に入った。
「おお、にいちゃん達お帰り!ちょっと汚れてるな…。湯浴み用の湯を持っていかせるか?」
自分達を見やるとそう提案してくれた。
「いいのか?」
「ああ。だから、明日はちゃんと倒してくれよ!今日は魔獣倒してきたんだろ?ありがとな!」
部屋に戻ってしばらくすると、ちょうどいい湯加減のお湯が桶に入れて運ばれてきた。
湯気の匂いに、ほっと一息つく。
「水で済ますしかないかと思ってたが、ありがたいな」
セクレットはルンルンで布を湯に浸し、体を拭く。
ただ、自分は服の下に傷がいくつかあるため自分は手を服に突っ込む形で体を拭いていた。
ほんの少しのことなのに、こんなに気持ちが軽くなるとは思わなかった。
「イロナたちも喜んでたな。……なんか、ちょっと申し訳ないくらいだ」
自分の言葉に、セクレットが苦笑する。
その何気ないやりとりが、じんわりと心地よくて、安心しかけた。そのときだった。
「……なぁ、シューク。お前、吸血鬼か?」
何の前触れもない問いだった。
空気が凍りつく。さっきまでの安らぎが嘘のように、胸がざわついた。
ドクッドクッドクッ、と心臓が激しく鼓動する。冷たい汗が背中を伝う。
…なんでバレた?
角はフードで隠していた。牙だって見せないようにしていたし、血に過敏に反応した覚えもない。日光も、亜人のおかげでそこまで反応していなかった。
だからこそ、疑われる理由なんてないと思っていた。
セクレットの鋭い視線が突き刺さる。
…せっかく、仲間になれたのに。また……独りになるのか?
息が浅くなる。冷や汗が背中を伝って、落ちた。
「え……。な、なんでそう思ったんだ……?」
笑って誤魔化そうとしたけど、頬がひきつって上手くできない。
歪んだ顔のまま、声も震えた。
呼吸が、うまくできない。
セクレットはただ黙っていた。静かな表情で、ただこちらを見つめていた。だけど、どこか凍ったように冷たかった。
目の奥にほんの一瞬だけ、何かがよぎる。
その視線に、わずかに“何か”が混じっていた。
疑いと、警戒。そして、ほんの少しの嫌悪。
それは、魔族に連なるモノに対する、拒絶。
その一瞬の感情が、言葉よりも強く、心に、頭に、明らかな致命傷として深く突き刺さった。
…ああ、やっぱり。バレたら終わりだ。
そう思った瞬間、体が震え始めた。
小刻みに、勝手に。歯がカチカチと噛み合う音が響く。
視界が霞み、セクレットの紫の瞳から目を逸らしたくなる。「見ないでくれ!」と叫んでどこかに行ってしまいたい。
でも、怖い。一人になるのが堪らなく怖いんだ。
仲間の暖かさを知ってしまった体、心が、孤独を強く拒絶する。魔力が身体中を駆け巡って、溢れ出しそうになる。
「シューク?大丈夫か……?」
確かに自分を心配する声だ。だけど、その声にはほんの少しの警戒心が乗っている。それはただの勘違いなのか、本当に警戒しているのか、わからない。
でも、それは確かに、今自分に向けられているものだ。
…自分が吸血鬼の亜人として生まれたから。
吸血鬼の誇りの翼を持たず、それなのに身体が頑丈で、人の暖かさを忘れられないから。だから自分は、いろんな人を巻き込む。そして迷惑をかけるんだ。
そんな自分に嫌気がさす。体を燃やすような怒りが、確かに自分の底に灯った。
…自分のせいで、死んだ。自分のせいで…自分さえいなければ!!!
嫌な記憶が、辛い、忘れたい記憶が、脳裏にフラッシュバックする。
血、炎、悲痛な叫び声。
そして、自分のせいで失われた命。
「くっ……ヒッ、ヒュウッ……っ」
息ができない。苦しくて、痛くて、声が出ない。
自分は存在自体が罪なんだ。
でなければ、なんで、自分の大切な人ばかりが……。
「おい、シューク!? 落ち着け!」
その声で自分は深い記憶の海から引っ張り上げられた。その言葉は、落ち着きを装いながらも困惑しているのがわかる。
「……もう何も聞かない。無理に話すな、シューク。……悪かった」
そう言って、そっと抱き寄せてくれた。
優しい手が、背中を何度も撫でる。それが、たまらなくあたたかくて、懐かしい。
視界が歪んで、一筋の涙が、頬を伝った。
「シューク、ゆっくり、ゆっくり呼吸をしてみろ。大丈夫だ、ほら、吸って…吐いて」
「スーッ……ケホッ、ふぅ……」
少しずつ呼吸が整い、魔力の奔流も静まっていく。
セクレットは自分が落ち着いたのを見て、撫でてくれていた手を止めて背中から手を離した。
フラッシュバックしていた記憶も、気持ちが落ち着くにつれて、また靄がかかったようにわからなくなる。
…でも、今はそれでもいい。少しずつ思い出していけばいいんだ。
感情が激しく動いて、大量の魔力が一気に体を駆け巡ったせいで、とても疲れた。
「……突然聞いて悪かった。俺、回復魔法を使うからさ。吸血鬼なら、効かないどころか傷つけることもあるだろ?」
……ああ、なるほど。
そう言われて、さっきまで心を覆っていた警戒がすっと解けた。
確かに吸血鬼は高位の回復魔法にダメージを受ける体質だ。亜人であっても、それは例外ではない。
「今、言うのが無理なら無理でいい。……水、飲めるか?」
気遣うような口調が嬉しくて、おかしくて、小さな笑いが漏れる。
自分は、人を信じない。信じてはいけない環境だった。
だって、いつ裏切られるかわからないから。いつ傷つけられるかわからないから。だから、いつも一人でいた。
「……なあ、セクレット。自分の話を聞いて、後悔しないか?」
ぽつりと、問いかける。
言うのは怖い。でも、セクレットなら受け止めてくれるんじゃないかと思った。
「もしかしたら、巻き込むことになる。それでもいいなら、自分は話す」
だって、セクレットはいつも冷静だから。
だからきっと、自分を見捨てない。
自分が相手に全ての判断を委ねるのは、自ら話すには覚悟が足りなかったからだ。
卑怯なやり方だとは理解していたが、自分が他人の命を預かるのがどうしようもなく怖い。
セクレットはしばらく沈黙し、やがて静かにうなずいた。
「……それでもいい。お前が話せるなら、聞かせてくれ」
自分は一度、ドクドクとうるさく脈打つ心臓を落ち着かせるために、深く息を吸った。
「……セクレットが言った通り、俺は吸血鬼だ。亜人、だけどな」
セクレットの目が驚きに見開かれた。
その反応が、なんだか少し可笑しくて、つい揶揄うように笑みを浮かべてしまう。
「……にしても、よくわかったな。角は、ちゃんと隠してたはずなんだけど」
深くかぶっていたフードを、ゆっくりと外す。
黒髪の間から短い一本の角が覗いた。
「吸血鬼って、本来角なんて生えないだろ?たまに自分みたいな例外もいるらしいけど」
「……俺は、エルフだから。こういうのにちょっと敏感でな」
セクレットはそう言って、聖職者のようなベールを軽く取った。
これでおあいことでも言うような笑みと共に、エルフの特徴である長くとんがった耳が、髪の隙間から露出する。
「……エルフって、本当に耳がとがってるんだな」
「まあな。血が薄くなれば普通の耳になるらしいけど、俺は純血だから」
セクレットはやっと外せたと言うように、髪を丁寧に洗い始めた。
洗い慣れてるのか、テキパキと洗っていく。
「セクレットは丁寧に髪を洗うんだな。だからそんなに艶があるのか?」
「これか?これはヴェールに『綺麗にして!』て言われてさ。サボるとすぐバレるし、身だしなみは整えておいた方が良いからな」
少し面倒くさそうな顔をしながら教えてくれた。
「……せっかくだし、綺麗にしてやる。背中向けろ」
少し悪戯っぽく笑いながら、セクレットが手を差し出す。
その軽い口調に、思わず顔をしかめた。しばらくの間ずっと洗っていなかった自分の髪を触ると、ザラザラしていて土埃や血の塊が髪を汚している。
「……いや、自分でやれる。人にやられるのってあんま好きじゃない……」
なんだか申し訳ないし自分で出来るし。何より、人にやってもらうのは怖い。
「お前、自分で洗うの慣れてないだろ。俺がやりたいって言ってんだからとりあえず背中を向けろ!」
セクレットの勢いに気圧されて、反射的に背を向けた。
そっと髪に触れられると、背中にピリッと緊張が走る。でも、思っていたよりずっと優しい。
丁寧に髪に触れられて、洗われるのは覚えている限りは初めてだと思うが、なんだかとても懐かしい。
「……お前、しばらく洗ってなかっただろ。湯が濁ったぞ」
「……洗える場所がなかっただけだ。それに、風呂は……あんまり好きじゃないんだ」
「好きじゃない?風呂はさっぱりするし、気持ちいいだろ?」
とても不思議そうな声でそう問いかけられる。
自分は口を滑らせたと思い咄嗟に口を手で覆った。研究所の風呂場は当然一般とは違うから、どう言ったらいいのだろうか。
研究所の“風呂”は、普通じゃなかった。
清潔とは程遠く、痛みや恐怖と結びついた場所だったのだ。
「……とにかく、好きじゃないんだ」
「ふーん、そうか。じゃあ、少しずつ慣れてけ」
それ以上は何も聞かれなかった。
無理に踏み込まない、そういうところがセクレットらしい。
セクレットの指がゆっくりと髪を梳いていく。
ゴワついた髪が、少しずつほぐれていくのが頭皮越しでもわかった。
「……綺麗な黒髪だな。メッシュみたいに深紅も入ってる。…にしても、髪くらいは整えろよ。なかなかいい素材なんだから」
「……ああ、今度からは、ちゃんと洗うようにしてみるよ」
その言葉を聞いて、セクレットはふっと満足そうに笑った。
♢ ♢ ♢
あの後自分はすぐに爆睡したのだが、起きたのはセクレットの方が早く、叩き起こされた。
「セクレット……おはよう。もう少し静かにしてくれ。耳が痛い」
「あ?あぁ、すまん。まぁ、ちゃんと起きられたんだからいいだろ?俺は寝坊に厳しいからな」
嫌味なくそう言って笑う顔は、どこか清々しかった。
…にしても、起きるの早すぎないか?研究所でもあと少しは…いや、そんなことなかったか?
「シュークは比較的さっさと起きてくれて助かる。イロナとかもう本当に起こすのが大変で、寝起きも悪いからな」
「そうなのか?」
「ああ、誰よりも早く眠るのに起きるのが遅いし、朝は機嫌が悪くなるからな。あいつ」
セクレットは口を動かしながらも身支度はとても早い。
髪を梳かして女性聖職者が被るような物を身につけ、着るのが複雑そうな服でさえパパッと着替えてしまう。
自分も半分眠りながら身支度を始める。
「シューク、お前……髪、手櫛で済ませようとしただろ?よし、また髪を梳かさせろ」
「わかったって。だから、その手をおろしてくれ」
軽く制すると、セクレットはにやりと笑って、背中に回る。
昨日よりあっさりと背中を差し出したからか、セクレットはご機嫌に櫛で髪をとかし始めた。
…うん、やっぱりこの感覚いいな。
髪を優しく整えてくれる手つきが、妙に心地いい。
「……ほい、できた。これで前が見やすくなっなだろ?」
合わせ鏡で後ろを見せられる。
長い髪がある後ろの髪を使ったポニーテール。顔の横にある髪は、自分で切ったせいでザンバラになってるから、まとめるのは無理だったようだ。
昨日までの自分とはちょっと違って見える。
「……切っても似合いそうだけどな。綺麗黒髪はなかなか見ないからな。整えるのが楽しい」
綺麗な髪は幸運を連れてくる。と言うのが持論らしい。
髪を綺麗にするのは心を綺麗にすること。だからか「髪が濁ってる奴は嫌いだ」とセクレットは言った。
前髪が微妙に長いからヘアワックスという物を使って、簡単に髪をまとめてみせる。
「ありがとな。前がよく見える。……戦いやすそうだ」
「そうだろ? 髪型だけでストレスも減る。侮れないぞ、身だしなみは」
二人で笑い合ったそのひとときが、不思議と心を軽くしてくれた。




