錯綜の山(3)
雨宮功は、スーツ姿で小金井市桜町三丁目の林田と表札に書かれた家の前に立った。
ドアフォンを押した雨宮は「A銀行の山口と申します。お電話した件でお伺いしました」と告げた。林田喜美子は、ドアを開け、山口と名乗った雨宮を玄関に招き入れた、そして、用意していたキャッシュカードを雨宮に渡した。雨宮はカードを受け取ると、持参した封筒にカードを入れ、用意していた別の封筒を喜美子に渡し、カードを作り替えるために、古い暗証番号と、新しい番号を書いたメモをこの封筒の中に入れるように促した。そして、封緘するので、割り印用の印鑑も持って来て欲しいと依頼した。喜美子が玄関から奥に入ると、雨宮は別に用意していた偽カードと、喜美子から受け取ったカードを入れ替えた。喜美子が戻って来ると、その偽カードにはさみを入れ、使用不能にしたと言って封筒に入れ、当行で処分すると言って家を出た。
雨宮は、JR武蔵小金井駅の北口で、指示された通り、出し子と云われる女性に、林田喜美子から受け取ったキャッシュカードを渡した。
雨宮功が、アルバイト先の先輩の中内祐輔が、何者かに殺害されたことを知ったのは、三日後に北多摩中央署の刑事がアルバイト先に聞き込みに来て知らされた。雨宮は驚いた。それは、バイト先の先輩の中内祐輔の死ということだけではなかった。恐ろしくなった。
雨宮功は、山梨の田舎の高校を卒業して、アニメーターを目指して上京、池袋のアニメの専門学校に入学した。決して裕福ではない実家に、東京での学生生活で負担をかける訳にはいかない雨宮は、居酒屋のアルバイトで生活費、学費を補った。十八歳の若者が、都会の誘惑に抗って勉強し、働き生活していくのは、簡単ではなかった。雨宮はその誘惑に抗うために、スマホゲームに興じていった。自分が稼いだ金だ、という思いも重なり、ゲーム課金の金額が増えていった。初めて作った自分の銀行口座とクレジットカードが、その金額をさらに増やしていった。そして、専門学校の学費が払えなくなり、クレジットカードの引き落としが口座残高を上回ってマイナスになった。そんな雨宮が、相談できる知り合いは周囲にはいなかった。
ある日、アルバイト先の店長に、給料の前借りを頼んでいる中内祐輔を見た雨宮は、それとなく話を聞くと、自分と同じような状況だと知った。すると、その中内から高額なバイト料が入るという仕事を紹介された雨宮は、返済に苦しむ今だけだとその話に乗った。
顔写真、身分証明書を必要とするそれは、思った通り闇バイトと呼ばれる仕事だった。
中内と雨宮は、東京都の二十三区以外の、多摩地域と呼ばれる地域の北部がテリトリーとされ、『受け子』と云われる仕事を何度かした。
雨宮はこの仕事から抜けたかった。このバイトはバイトとは言わない、れっきとした犯罪であることは最初から分かっていた。分かっていて中内の誘いに乗ってしまったのは、ただただ金が欲しかっただけだ。アニメーターへの夢は捨ててはいない。捨てていないからこそ金が欲しいと誘いに乗った。
雨宮は思い切って中内に相談すると、中内も同じことを思っていた。そして近々抜けるつもりだと言った。その矢先に中内は殺されてしまった。犯人は誰か分からない。雨宮は震えた。顔写真もアニメーション学院の身分証明書も送信してしまっている。抜けることは出来ないのか、逃げられないのだろうか。
十月に入って、雨宮のスマホの秘匿性アプリに、二度に渡って召集のメールが来たが、一度は体調不良を理由に断わり、二度目は既読無視をした。
十月の第三週に三度目の招集メールが来た。その日も既読無視をした。二日目に来たメールは「住所もバイト先も学校も分かっていますが、体調はいかがですか」だった。雨宮は追い込まれた。
アルバイト先の店長には、父が病気で倒れたと嘘を言い、バイトを暫く休むと伝えた。山梨県甲州市の実家は、知られていない筈だ。暫くの間、実家に身を隠して闇バイトから遠ざかろうと考えた。しかし、万が一を考え、実家に直接帰ることは止めて、奥多摩から奥秩父の山を抜けて甲州市に下ることにした。山に入っている間は、スマホは繋がることは無いのに加え、山にいる数日の間に、闇バイトが甲州市の実家に接触してきているか否かが分かる筈だと、雨宮は考えた。かつて、高校の山岳部に入部していた雨宮にとって、奥多摩から奥秩父の縦走路は、何度も歩いている慣れたコースであることも、その帰路を選択した理由でもあった。ただ一つ、雨宮の不安は、手持ちの金、生活費が心もとないことだった。
十月二十日金曜日、雨宮は、奥多摩駅からのバスを降り、七ツ石山から雲取山の避難小屋を目指した。一泊一万円近い費用がかかる営業小屋には泊まれなかった。奥多摩、奥秩父の縦走路には、避難小屋が要所、要所に作られているのも雨宮にとっては救いだった。
§
ホープ製薬立川営業所は、所長をはじめ所員が飲んだコーヒーに、農薬が混入していたと疑われる事件が発生し、混乱していた。
浜崎恵奈も、そのコーヒーを飲んだ一人だったが、幸いにも軽い症状で入院することなく済んだ。その浜崎恵奈に、東亜製薬の立川営業所の所長、甲賀から連絡があったのは、混乱の週末だった。
甲賀は、八年前に亡くなった浜崎恵奈の父親である浜崎達也が、所長を務めていた京都支店での後輩であり、同じ所長という立場では同僚でもあった。
父親が亡くなった時、恵奈は、高校生だったが、父親の死以来、事あるごとに甲賀は恵奈の相談に乗っていた。恵奈が製薬会社に就職し、MR職を選んだのも甲賀の助言の影響だった。その甲賀が、今年の四月に東京の立川営業所に転勤してきた。恵奈は、二度昼食を一緒にした。直近では、十日前の十月二日に、会社のビルのエレベーターホールで、近況を話し合ったところだった。
甲賀は、東京を離れることになった。ついては、当分会うことはないだろうから、会って話しておきたいことがあると恵奈に伝えた。
その日の夜、甲賀は東京での最後の食事だからと、恵奈を寿司屋に連れて行った。
甲賀は、部下が起こした刑事事件の責任を取る形で、九州への転勤を命じられた。考えた末、会社を辞めて京都に帰ることにしたと恵奈に話した。そして話しておきたいこととは、亡くなったお父さんのことだと言い、八年前の北アルプスでの滑落死の発端となったと噂されている出来事を明かした。
それは、恵奈の父、浜崎達也を含めた三人で、北穂高岳から涸沢へ下山途中、浜崎達也が自分の落とした手袋を拾おうとして滑落したと言われているが、真実は、手袋を落としたのはお父さんではなく同行者だった。その同行者が拾ってきてくれと、頼んだことが滑落に繋がったというのが真実だと。
甲賀がその話を耳にしたのは、東京に赴任してからだった。八年前の出来事を、恵奈に伝えることが果たして良いことなのか悩んでいたが、東亜製薬を辞めると決めた今は、恵奈に伝えておくべきだと思ったからだと言った。
同行者は誰で、誰が手袋を落とし、それを父に拾ってきてくれと頼んだのは誰なのか、と尋ねる恵奈に、甲賀は、当時京都支店の業務部次長の山部という男と、もう一人は当時の支店長、現在は営業本部顧問の佐原だと答えた。そして、手袋を落としたのは佐原で、拾ってきてくれと頼んだのも佐原だったと聞いた、と話した。
「その佐原という人自身が、そう言ったんですか」
「いや、そうではないみたいだ。同行した山部が言っていた話だと聞いたよ」
「でも、何故今頃になって……、お父さんのお葬式の時にはそんな話は……」
「その山部という男は、去年会社を辞めたんや。……これは僕の想像やけど、山部は心にしまっておく必要がなくなったんやないかな、と思う」
「心にしまっておくって、何故、しまわなあかんかったんですか?」
「これも想像やけど、支店長だった佐原さんへの忖度やないかと思うよ」
「佐原さんて、どんな人なんですか。自分の所為で父を、部下を死なせてしまった、と正直に言えなかったんですね。今更どうでもいい話かも知れませんが、どんな人か顔だけでも見てみたいです」
「……雲取山に行けば見ることは見られるよ」
「雲取山……どういうことなんですか?」
甲賀は一か月ほど前、佐原から十月二十日金曜日から二泊三日での埼玉県側からの雲取山山行の誘いを受けていたが、断った。その後佐原は、別の友人と行くことになったと言っていた。予定通りなら、十月二十一日土曜日に雲取山山頂で待てば、必ず会えると恵奈に話した。
浜崎恵奈は、翌日、大学時代からの付き合いの東村優平に、十月二十日からの雲取山山行に一緒に行って欲しいと頼んだ。
東村優平は、京都の洛西大学で、浜崎恵奈と同じ学部の同級生だった。東村は、恵奈が製薬会社に就職して、MRを志望していることを知り、自分もMRを志望し、万永製薬に入社した。勤務地はお互いに東京を希望地としたが、まさか二人とも、希望地に配属されるとは思っていなかった。それが、出身地が東京ではなかったことが幸いしたのか、二人とも東京配属となった。
二人は、休日の度に会い、奥多摩の山や、中央線沿線の山梨の山、丹沢の山などを登り、夏休みにはアルプスの高山にも一緒に行ったりした。恵奈から事情を聞いた東村は、二つ返事で雲取山山行をOKした。




