第三十章
「うわあ! かっこいいですね!」
国鉄原町田駅の線路沿いに停められていた太一さんのバイクは「ホンダエルシノアMT125」と言う。シルバーのタンクの上に太い青線が引かれ、タンクの前についている2つの丸いメーターも同じ色でデコレーションされたすっきりとしたデザインのバイクだ。
太一さんは右足でエルシノアのキックペダルを蹴りこみ、右手のハンドルをひねってエンジンの回転数を上げた。ブルンブルルルンというむき出しのエンジン音が辺りに轟く。
オレはバイクのエンジン音を間近で聞いたのはこれが初めてだったけど、何よりびっくりしたのは、音が大きいだけでなく、バイクが放つ熱と振動がすさまじいところだった。
息を吹き返したエルシノアをオレがぽうっと見つめていると、太一さんが愛おしそうにシートを撫でて言った。
「俺が小5のときにさ、2ストロークエンジンのRC335Cが、『全日本モトクロス・第6戦日本GP』でホンダ車初の優勝をしたんだよ。そのときのドライバーの一人が吉村太一さんって言って、なんと俺と同じ名前だったんだ」
「すごい偶然ですね」
オレが驚いて言うと、太一さんがにやりと笑った。
「だろ? 16歳になってバイクを探した時もやっぱ吉村さんが乗っているバイクと同じのが欲しくなってさ。市販モデルで中免じゃなくても乗れたのが、兄弟分のこいつだったってわけ」
「じゃあ、運命の出会いってことですね」
真剣に答えたオレをまじまじと見て、太一さんが噴き出した。
「う、運命の出会いって! 高藤ってひょっとして文学少年?」
「あ、いや、そんなことはないですけど……」
真っ赤になって否定すると、太一さんがハハハっと笑いながら、大きな手でオレの頭をくしゃくしゃといじった。オレの心臓がどきんと跳ね上がる。太一さんが続ける。
「そうかそうか。……まあ文学少年だとわからないかもだけど、先月やってた『鈴鹿8耐』って知ってるか?」
オレが首を振ると、だよな、という顔をして太一さんが説明してくれた。
「『鈴鹿8耐』は、今年の7月に三重県の鈴鹿サーキットで初めて開催された2輪の耐久ロードレースなんだ。8時間の間に最も多くの周回数をこなしたチームが優勝する過酷な耐久レースなんだぜ」
「8時間も! 一人で運転するんですか?」
「いや、さすがにそれは過酷すぎる。2人1組になってレースするのさ。今回はスズキのクーリー/ボールドウィン組が194周を走破して初代覇者になったよ」
へーと感心していると太一さんが言った。
「優勝したバイクはスズキのGS1000って言うんだけど、大型バイクで排気量も全然違う。これからはでかいバイクの時代が来るよ。俺も頑張って貯金して、高3の間に大免取って大型に乗り換えるつもりなんだ」
「えっ! じゃあこのバイクはどうなるんですか?」
ちょっとショックを受けてオレが尋ねると、太一さんが答えた。
「もったいないけど、直樹が欲しがらなかったら、そのときは売るしかねえだろうな……」
「そんな……」
丁寧に磨き上げられたエルシノアの躯体を見て、オレはなぜだかとても寂しくなった。太一さんと一緒に走った思い出が詰まったバイクが、悲し気に体を震わしているような気がして、オレは思わず言った。
「あの……まだ先の話になりますけど、このバイク、オレに売ってもらえませんか?」
「え?」
「高校生にならないとバイトもできないので、2年以上先になっちゃうけど、オレが乗りたいです!」
太一さんの顔がぱあっと明るくなった。
「おい! ホントかよ! こいつを気に入ってくれた知り合いに乗ってもらえるんだったらサイコーだろ!! よし、高藤が高校生になるまでは手放さないでおいてやるよ」
「ありがとうございます! 必ず買い取りますから、待っていてください!」
太一さんとオレはがっちりと約束の握手をした。太一さんのハンサムな顔をじっと見つめながら、オレは太一さんに認められた気がして嬉しくてたまらなかった。
エンジンが温まると、太一さんがヘルメットをオレに渡してくれた。フルフェイスのヘルメットは頭を入れる入口が狭くて固い。四苦八苦していると、太一さんが上からヘルメットをぎゅっと押してくれて、オレの頭はズボッとヘルメットに収まった。
ところがヘルメットの中も窮屈で、頬の肉が盛り上がって目がうまく開かない。あたふたしていると、バイクにまたがった太一さんに手招きされた。
「またがったらオレの腰に手を回してしっかりつかまるんだぞ。振り落とされるからな」
こくっと頷いてリュックを背負うと、オレは恐る恐る太一さんの後ろにまたがった。そうっと腰に手を回すと、いきなり両手をぐいとつかまれて、太一さんのおなかの前で手を組まされた。
「初めて乗るんだから、できるだけ前に詰めて座って、手をしっかり組んだ方がいい。スピードは出さないようにするけど、危ないから自分でも気をつけろよ」
「はい!」
叫んで太一さんの体に自分の体を密着させる。太一さんの筋肉質で大きい背中から体温がじかに伝わってきて、オレの心臓が痛いくらいにドキドキと飛び跳ねる。太一さんが言う。
「よし、出るぞ」
とたんにバイクが大きなエンジン音を立てて前に進み始めた。オレは夢中で太一さんの体にしがみつき、太ももを太一さんの脚にぴったりとくっつけた。
分厚いヘルメットをしているのに、スピードが上がったことで風の音がごうごうと耳元を騒がす。ちらりと横を見ると、自転車よりもずっと速いスピードで周りの景色が後方に流れていく。
夜の街の光や車のライトがビームのように飛び去って行く中、オレ達は走り続けた。




