表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/45

4|『現在地、屋根裏の三者三葉』

 ヴァルテス城跡学園の年間スケジュールは、少し変則的だ。

 10月1日に入学式と始業式が行われ、一学期は翌年の1月20日まで続く。二学期は2月1日から6月30日まで。7月1日から14日までは「前期夏休み」があり、7月15日から三学期が始まる。続いて、8月1日から31日までは「後期夏休み」となり、9月1日から三学期が再開される。そして、9月25日に卒業式と終業式を迎える――。


 六月末のブルクサンガは、気温も20度前後と安定し。

 さながら凪を漂うブーケのような日々が続いていた。



   04.『現在地、屋根裏の三者三葉』



 ブルクサンガの街の路上には、車道に沿うようにトラム──路面電車の線路が環状に敷かれ、街をぐるりと一周している。オレンジと水色を基調に彩られた車両は、どこか懐かしい響きを残しながら、通りを縫うように滑らかに進んでいく。その側面には、魔法起動式の機械に特有の白銀色の魔力血液を流すチューブが取り付けられ、微かに光を宿していた。トラムは、ディアノイア/円盤に刻まれた魔法譜に従い、寸分の狂いもなく規則正しく軌道をなぞる。魔法と科学の調和がそこにあった。


 ――。

 ヴァルテス城跡学園から西へ、街の中心へと向かえば、やがてゼーラ川に行き着く。

 

 この川に架かるエレル橋は、街に数多く存在する名所の一つだ。石造りの橋の欄干には、街の歴史を彩る人物や伝説を描いた彫刻が精緻に刻まれ、訪れる者の目を惹きつける。――そして、そのエレル橋をまたぐように悠然とそびえ立つのが、この街を象徴する観覧車『ブルクサンガ・サン』である。

その優雅なシルエットは、街の空に溶け込むように馴染み、高く伸びた輪の中からは、ゼーラ川の流れと美しい街並みを一望できる。観覧車の車両には、一部ガラス張りのものもあり、そこに乗れば、まるで空へと舞い上がるような浮遊感を味わうことができる。


   ◇

  ◆

 ◇


 ブルクサンガ・サンの下をくぐり、エレル橋を渡って西地区へ。さらに南下して進めば、旧市街へと迷い込むことになる。旧市街の入り口には石造りの門があり、それが境界の役割を果たしていた。



 門の前の広場には、子供たちの姿がある。その中に一人だけ、どこか儚げな雰囲気の男の子が混じっていた。男の子は、母親の陰に隠れながら爪をかじっている。


 

 旧市街の石畳を踏みしめながら、通りを歩けば、歴史ある建築が立ち並ぶ壮麗な景観が広がる。赤レンガの屋根が陽光を受けて輝き、尖塔やバロック様式の装飾が施された建物が、まるで過去の時代をそのまま閉じ込めたかのように佇んでいた。そんな風景の先に、ひときわ目を引く通りがある。色とりどりの傘が無数に吊るされたアンブレラストリートだ。風に揺れる傘の影が地面に映り、まるで万華鏡のような光の模様を描く。その通りの一角に、「ゼロシキ商会」の事務所があった。


 三階建ての建物は、歴史を感じさせる重厚な外壁に、品のある装飾が施されている。石造りのアーチ窓が並ぶ正面には、商会のロゴが描かれた看板が掲げられていた。そこには、どこか愛嬌のあるアメコミ風のペンギンが、親指を立てたポーズで描かれている。こいつの名前は、ゼロペンちゃん。なにやら会長のアサンが、コミュニオン/組織のマスコットとして売り出そうと画策中らしい。……そして。中に入ると、そこに広がるのは、ただの事務所ではなく、まるで小さな魔法の世界だった。


 一階は、雑貨を取り扱う店舗としての役割を果たしている。高い天井にはシャンデリアが吊るされ、木製の棚やガラスケースには、所狭しと不思議な品々が並んでいた。古びたコンパスや、異国の香りがする香炉、仕掛けが施された懐中時計、さらには魔法譜の作成に用いるインクの壺や羽根ペンまで、どれも見たことのないようなアヴァンギャルドな形状をしたものばかりだ。店内には微かな香辛料の香りが漂い、遠い別の地方の空気を感じさせる。


 二階に上がると、そこは商会の本拠地ともいえる場所だった。壁一面に並ぶ書架には、年代物の帳簿や、世界中から取り寄せたと思しき資料が並んでいる。中央には大きな机があり、その周囲にいくつかの椅子が置かれている。書類の束が山のように積まれ、羽根ペンとインク瓶が無造作に並ぶその光景は、この場がまさに商会の心臓部であることを物語っていた。


 三階には、アサン会長が暮らす私室がある。外の喧騒から離れた静かな空間でありながら、どこか遊び心のある調度品が配置されている。壁には世界各地の地図が貼られ、書斎には、様々な種類の武器や銃火器、魔法兵器が並ぶ。……どうやら、アサン・クロイヴは、裏で武器商人としても暗躍していることを隠す気は更々ないらしい。はたしてそれは暗躍と言えるのか甚だ疑問だが。



 …………、


 ……、



 ゼロシキ商会の三階からさらに上へ。折り畳み式の階段を軋ませながら上ると、そこには三人の少女が暮らす「屋根裏部屋」が広がっていた――。

 

 屋根裏といっても狭苦しいわけではない。

 天井はやや低めだが、木の梁が温もりを感じさせ、カーテンやパーティションで仕切られた三つの空間が、それぞれの個性を反映した小さな世界を作り出している。


 一番奥の部屋は、キロシュタインのものだ。窓のないその空間には、魔導書がぎっしりと並ぶ書架が幾つも設置され、壁には黒板が取り付けられている。そこには彼女が書き記した魔法譜や計算式が、白いチョークの線となって残されていた。机の上に置かれた木製の写真立てには、ソルトマグナの家から持ってきたベッカー家の家族写真が飾られている。

 その写真立てには、ソルトマグナの大灯台の鍵も一緒に挟まれていた。


 中央の部屋に暮らすのはノア――。彼女の部屋の特徴は、何と言っても大きな水槽だ。ガラスの向こうには、水草が揺れ、クラゲたちが悠々と泳いでいる。水面に映る光が天井を淡く照らし、穏やかな水の揺らぎが、屋根裏に静かなリズムをもたらしていた。クラゲはすべて、ノアが魔法で生み出したもので、その中にはポリプの姿もあった。アスハイロストに漂う瘴気の影響ですぐに消滅してしまうため、ポリプは仕方なく水中生活をしている。それが本来のクラゲの姿ではあるのだが。

 ノアは、アスハイロストでも生きられるポリプを研究中で。

 メタルポリプやサメポリプ、浮き輪ポリプと、かなり迷走しているらしい。


 そして、一番手前の部屋に住むのはラテルベル。彼女の部屋は、三人の中でもっとも女の子らしい空間だ。可愛らしい小物が並ぶキャビネットの上には、彼女が趣味で集めたボタンが詰まったビンが置かれている。そのボタンたちは色とりどりで、まるで宝石のように光を反射していた。

 ラテルベルの部屋には、屋根裏の中で唯一、通りを見下ろせる窓がある。そこからは、カラフルな傘が吊るされたアンブレラストリートが見え、風が吹くたびに傘の影がゆらゆらと揺れていた。


 三人の寝床は、奥に設置された二段ベッドと、一人用のベッドに分かれている。

 キロシュタインとノアが二段ベッドを使い、ラテルベルは小さな白いベッドを使っていた。

 

 現在地、屋根裏の三者三葉――。学校は休み。

 陽光が木の床を優しく照らし、屋根裏には静かで穏やかな時間が流れている。

 旧世界の漫画を読みながら、時々ふふふと笑うラテルベル。

 ブルクサンガの街並みをペーパークラフトで組み立てていく、ノア。

 キロシュタインは服を着替えて外出の準備をしていた。


「ん? キロちゃん、おでかけ?」


 ノアは、ピンセットで細かな紙のパーツを慎重につまみながら問いかける。


「ちょっとね。すぐ帰ると思うけど、お使いとかない?」


「ううん、私はなにも。ラテちゃんは?」


「ふふっ――ひ……あ、すみません。ないですないですっ!」


「そ。じゃ、行ってきます」


「「いってらっしゃいー」」


 仲良くハモる二人に軽く手を振ってから。

 キロシュタインは、屋根裏の階段を下りていく……。



 ◇



「あっ、キロシュ。ちょうどよかったよぉ~」


 一階へ下りたキロシュタインに声をかけたのは、ゼロシキ商会の会長、アサン・クロイヴだった。相変わらず胡散臭い笑みを顔に貼り付けているが、それでも――かつて地獄と化したソルトマグナからキロシュタインとノアを救い出したのは、紛れもなくこの男だった。二人にとって、彼は間違いなく命の恩人である。行き場をなくした二人に住む場所を与えてくれたり、学校への入学手続きを代わりに行ってくれたり、もはやそこまで優しいと、なにか裏があるのではと勘ぐってしまうのは、たぶん創作物を読み過ぎた人間の悪い癖である。実際、裏で武器商人をしているらしいが……。

 

 とにかく。深淵のようにつかみどころがない、そんな男だ。


「はい?」


「これだよぉ~、これ。改造を頼まれてたピストル」


「あぁ、完成したんですか?」


「うんー、それはもうバッチリ。デリンジャーをモデルにした単発式の特注ピストルね。色はそのまま白をベースに、光の当たり方によっては銀色に輝くようにしてみたんだー。これがね、めちゃくちゃかっこいいんだよー。あとはねぇ、これはロマンなんだけど、ブレイクアクション式に改造してみたの。ただ、使いにくかったら言ってね、前のに戻すからさ。それと、女の子でも扱いやすいように軽量化して、グリップを握りやすくして……くらいかな? ね、どう、これでいいー?」

 

 キロシュタインは、アサンから手渡されたピストルを構え、納得したように頷く。

 それは、姉のシアナスが用意してくれた護身用のピストル。キロシュタインはこれを不離のお守りとして、常に肌身離さず持ち歩いている。魔法が使えない彼女にとって、それは最後の切り札でもあった。――『Das Lebewohl|ダス・レーベヴォール』。それが、この銃の名前だ。


「ありがとうございます。大切にしますね、会長」


「いいのいいの、銃の改造なんて僕の生きがいみたいなものだし。気にしないでどんどん頼ってよ。……それよりさ、いいのー? うちにはもっと強い武器あるよ、キロシュでも使えるやつ」


「――いいえ。これがいいんです」


「そっか。だよね、わかるよー。僕もそうだもん。強さだけで選んだってつまんないよねぇ」


 このアサン・クロイヴという男。

 キィズ=マキナ領域:第Ⅱ契、魔法兵器工学の分野ではかなり名のある魔法使いで、彼の名前を冠した告式も幾つか存在している。まだ二十三歳という若さらしいが……とにかく、変な人だ。


 ――。

 二人が事務所の一階で話をしていると、小さな男の子を連れた母親らしき女性が入り口から入ってきた。「すみません、近くに寄ったので、ご挨拶を」そう言いながら、女性はキロシュタインとアサンに恭しく頭を下げる。男の子は、彼女の背後にぴたりと隠れたまま、じっと様子をうかがっていた。


 目線を男の子に合わせて身をかがめるキロシュタイン。


「こんにちは、エアくん。お母さんもお久しぶりです」


「うっ……。こんにちは……です」


 エアと呼ばれたその男の子は、小さな声でキロシュタインに挨拶を返した。

 ――生まれてすぐに重い血瘴病を患い、長らく寝たきりの生活を送っていたエア。しかし、十か月前、シアナス・ヴィント・ベッカーが遺したリンネホープ/遺志残響宝石を用いた移植手術が成功し、徐々に回復。そして今では、こうして自分の足で歩けるまでになっていた。


 シアナスが遺した意志の輝きが、今はこうして別の魂を輝かせている。

 生生流転。全ての物事には必ず終わりがあり、始まりがある。

 絶えず生まれては変化し、季節のように移り変わっていく。


 残酷で美しいこの運命の輪には逆らえず。

 人類はただ、流転の随に身を委ねるしかない――。

 

「……ねぇっ、おねーちゃん。あれやって! ……約束っ!」


 エアが、人差し指と小指を立ててサインを作り、額に当てる。

 オルデキスカ――魔女の祈りだ。


 キロシュタインも同じように、サインを作って額に当てる。


「うん、いいよ。じゃあ、ね。エアと約束。……まず、よく食べて、よく寝ること。お母さんが困っていたら話を聞いてあげること。それと、魔法はめっっちゃ面白いから、頑張って学ぶこと。あとね。いまはまだわからないかもしれないけど、君に将来大切な人ができたとき、その人の不安をぜんぶ吹き飛ばしてあげるくらいの気持ちで愛してあげること。……ね? 約束。できそう?」


「……、……約束っ! ぼくおねーちゃんと約束するよっ!!」


「よーし、いい子だねー。そんな君には、これをあげよう」


 そう言って、キロシュタインは手のひらを軽くひねり、指先の動きとともに、ぱっとチョコレートを取り出してエアに渡した。エアには、それがまるで突然現れたように見えたのか、驚いた表情を浮かべる。二人の様子を、アサンと、エアのお母さんは、静かに見守っていた。


「すごいっ! どうやったの!! 魔法みたい!!」


「ふっふー。すごいでしょ」

「では、エアくん。この魔法のチョコレートを君にあげよう――」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ