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33|『メフィスト・ワルツ|♪第2番』Bパート

「蹂躙しろォッ!! リンロン!!」


 グリムの叫びが響いた瞬間、

 宙に放られた御札が弾け、妖しい魔法陣が展開される。


 地を這うように、

 漆黒の紋が空間を侵食する。


 闇が広がり、光が削がれていく。

 

 まるで、空間そのものが歪み、

 死とカバネ、

 生と鼓動の狭間で蠢くかのように――。


 そして、闇の奥から、ソレは現れた。


 ――無音で、無機質に。


 それは、

 霊気に満ちた黒い靄を纏いながら、

 ゆっくりと姿を顕現させる。


 玲瓏|リンロン。


 グリムの屍式精霊術によって召喚された、

 妖怪――、キョンシー。


 リンロンは、

 生と死の境界に佇む亡者のごとく、

 無表情のまま、静かに首を傾げた。


「……ゥ……ァ、ぁア……ウぅ……」


 額に張られた御札が、風に揺れる。


 関節が軋む音を響かせながら、

 硬直した四肢がゆっくりと動き始める。


 その様子を見下ろしながら、

 グリムはサーベルを抜き、鋭く命じた。


「――リンロンッ!! やれぇッ!!」


 リンロンは、硬直した足を地面に叩きつけた。



 ――ドゴォッ!!



 石畳が粉砕され、亀裂が四方に走る。

 その衝撃で近くの建物の窓ガラスが弾け飛んだ。


 跳躍魔法陣――。


 黒い紋様が石畳に刻まれ、瞬時に展開される。


 リンロンの足が踏み込むたび、地面が砕け、魔法陣が光を放つ。

 まるでトランポリンのように、壁や屋根を蹴って縦横無尽に駆け巡る。


「オイ!! コッチニクルゾッ!!」


 ポリプが焦ったように、触手でノアの肩をバシバシと叩く。


 リンロンの狙いは、屋根上にいたノア。

 影のように素早く跳躍し、一直線にノアへと襲いかかる。

 

 ノアは、腕に装着した羅針盤を指でなぞり、

 針を回転させながら詠唱を紡ぐ。


「――詠唱開始(アンカー)っ!!」


 魔法電磁気学。

 ノアが指揮する強力な磁場が反発力を生み、

 リンロンの軌道を逸らす。



 ――ぐわぁぁぁん!!



 見えない力が炸裂し、

 リンロンの身体が衝撃波で弾かれた。


 しかし――、


 リンロンは空中で跳躍魔法陣を再展開し、

 反発を利用して"逆回転"で跳び直した。


 まるで軌道を読み切っていたかのように、

 真上からノアへと襲いかかる。


 ノアは、頬を膨らませながら叫んだ。


「もー、この子、私ばっか狙ってくるよーー!」


 無線越しにエメラルドの声が響く。


「ノア、大丈夫?」


「大丈夫!」

「私、こう見えて強いので!」


 ノアは、腰に下げていた魔力血液のボトルを取り出す。

 そして、真上から襲いかかるリンロンめがけて投げつけた。


 ボトルが宙で砕け散る。


 溢れ出た魔力血液が形を変えた。

 

 魔法流体工学。

 白銀色の液体は、

 瞬く間に巨大なホオジロザメへと変貌する。



 ――がぶぅぅっ!!



 水中ではない空中を、鮫が泳ぐ。

 そのまま、リンロンへと襲いかかる――!!


 しかし――、


「ゥ……ァ、……ゥアッ!!」


 リンロンは、空中で回転し、

 サメの横腹へと鋭い回し蹴りを叩き込んだ!!



 ――ゴシャァァァッ!!!



 サメの魔力構成が崩壊し、一瞬で霧散した。

 飛び散った魔力血液が空中に舞い、

 ノアのほうきの先端にまでかかる。


「……え???」


 困惑するノア。

 その肩をポリプが叩く。


「オイ! ニゲルゾ!!」


 その声にハッとし、

 ノアはすぐさまほうきを手に取ると、

 地面を蹴って一気に飛び上がった。


 リンロンは、跳躍魔法陣を展開し、

 縦横無尽に跳ねながら、ノアを追う。


 と、そこに。

 

 エメラルドが静かに詠唱を紡ぐ。

 

「――レ・ヘエル・シッラ」


 水の精霊・プロキオンが、

 彼の手元の弓の先に収束し、

 鋭い矢の形を成す。


 矢が纏う水流が渦を巻く。


 エメラルドは息を整え、

 照準をリンロンに定め――放った。



 ――ズバァッ!!



 空を切り裂く水流の矢が、

 驚異的な速さでリンロンの体を撃ち抜く。


「……ぐ、ぁ……ッ」


 リンロンは跳躍の軌道を狂わされ、

 屋根の上に滑りながら落ちていった。


 その瞬間――、


 エメラルドの位置を察知したグリムが、

 サーベルを高く振り上げ、

 凄まじい衝撃波を放つ。


「そこだァ!! 出てこい、卑怯者がッ!!」



 ――ズドォォォン!!



 激しい衝撃がエメラルドの隠れていた壁を砕く。

 粉塵が舞い上がる中、ギリギリで飛び出したエメラルドは、

 アンブレラ・ストリートの通りに姿を現した。


 エメラルドは、

 グリムを真っ直ぐに睨みつけ、

 歯を食いしばるように言い放つ。


「卑怯者だと……?」

「お前らの組織がソルトマグナの襲撃事件を起こしたんだろ」

「民間人も容赦なく殺した。……お前らこそ卑怯者だよ」


 エメラルドの言葉に、

 グリムは肩をすくめ、笑い飛ばす。


「はっ! 何を言うかと思えば、くだらンなァ」

「いいか小僧。戦場では、正々堂々と戦う者こそが正義なのだ」

「こそこそと逃げ回ったり、隠れて攻撃するなど……」

「そんなくだらン連中は死んで当然なのだよ」


 グリムはサーベルを肩に担ぎながら、

 薄ら笑いを浮かべ、続けた。


「ここは戦場。――民間人? そんな者は一人もいない」

「人はみな獣、人はみな捕食者。喰われたくなければ喰えばいい」


 エメラルドは、

 グリムの言葉を噛み砕きながら、

 静かに目を細める。


 そして、一歩前に踏み出し、

 低く冷ややかに言い放った。


「……それがお前の正義なんだな」

「なら、容赦なく喰ってやるよ」


 彼は魔法の杖を振り、

 再び二匹の精霊を呼び寄せる。


 シリウス、プロキオン――、

 風と水の精霊が、エメラルドの周囲に顕現し、

 空気を震わせながら戦闘態勢に入った。


「ふン、ガキにしちゃァいい目をしてるな」

「貴様、名前は?」


 グリムの問いに、エメラルドは静かにメガネを押し上げ、

 真正面から視線を合わせる。

 

「――エメラルド・スターシーカー」


 その名を聞いた瞬間、グリムは鼻で笑った。


「はっ! いかにも、自分で付けたような名前だな」

「……この世界じゃァ、苗字だのファミリーネームだの、」

「そんなモン持ってる奴のほうが少ない」


 彼はサーベルを肩に担ぎながら、

 ゆっくりとした足取りでエメラルドの周囲を回る。


「当然だ。結婚、家族、子供……、そういう分かりやすい『幸せ』は、」

「この世界じゃ贅沢品――戦争に壊され、奪われるのが常だ」


 グリムの笑みが深まる。


「……いいじゃないか。だからこそ、この世界は面白ェ」

「本能のままに、欲望のままに生きることができる。これぞ自由ッ!!」


 両手を大きく広げ、天を仰ぎながら叫ぶグリム。


 だが、エメラルドはその言葉を聞いて、

 小さく息をつくと、冷静な声で言い返した。


「……人の自由を奪って生きることが自由だと??」

「違う――ッ!! そんなものを自由とは呼ばない……呼ばせないッ!!」


 エメラルドの脳裏に、あの日の記憶が蘇る。


 対摂理・ジェミニ計画の終幕――。

 体育館、みんなで祝った誕生日会。

 アメシスト、シトリン、……アクアマリン。

 彼女らは、一方的な暴力によって全てを奪われた。


 未来を。幸福を。そして――『自由』を。


「ククク……」


 グリムは喉の奥から煮え立つような笑い声を漏らし、

 肩を震わせながら口を開いた。


「いいねェ、エメラルドくん。なら……奪い合おうじゃないか」

「お互いの自由を、奪い合おうじゃアないか!!」


 その叫びとともに、

 グリムはサーベルを振りかざし、命令を下す。


「リンロン、来いッ!!」


 屋根の上で体勢を整えていたリンロンが、

 即座に反応し、アンブレラ・ストリートへ飛び降りる。


 ほぼ同時に、ノアもほうきを操り、降下した。


「エメラルドくん? 準備はオーケー?」


 無線越しに聞こえるノアの声。


 エメラルドは息を整え、手元の弓を握り直す。


「――うん。いつでも」



 エメラルドが走り出す――!!



 風の精霊・シリウスをその身に纏い、

 滑空するようにアンブレラ・ストリートを疾駆する。


「真っ正面からやり合おうってか? 舐めンなよォ!!」


 グリムがサーベルを振り下ろす。


「――レ・ヘエル・シッラ!!」


 エメラルドは風を操り、空中で身を翻す。


 サーベルの斬撃を軽やかに躱しながら、

 素早く弓を構え、詠唱する。


 水の精霊・プロキオンが矢へと変化し、

 渦を巻く水流を纏いながら、

 真上からグリムに向かって放たれる――。


 しかし、


「……ゥアッ!!」


 跳躍魔法陣――。

 リンロンが魔法陣を足場に空中へと飛び上がり、

 そのままプロキオンの矢を蹴り砕く。


「隙ありぃー!!」


 ノアが軽やかに叫び、

 最後の一本だったボトルをリンロンに向かって投げる。


 ボトルが空中で割れ、

 揺らめく魔力血液が形を変える――。


 現れたのは、シャチだ。


 光を反射し、

 虹色に煌めくアンブレラ・ストリートを背景に、

 魔力のシャチが空を泳ぐように宙を旋回し、

 一直線にリンロンへと襲いかかる。


 シャチはその鋭い顎をリンロンの肩へと噛みつかせ、

 そのまま建物の壁へと勢いよく突進する――。


 

 ――ドガァァァンッ!!

 


 轟音とともに壁が崩れ、

 リンロンの身体は瓦礫の中に叩きつけられる。


 御札へと戻るリンロン。


「くそッ、リンロン――!!」


 グリムがリンロンを再召喚しようとするが、

 エメラルドは既に動いていた。


 プロキオンの水流を拳に纏い、

 一瞬でグリムの背後へと回り込む。


 そして、渾身の一撃――。


「……ぐッ――はァッ!!」


 グリムの巨体が吹き飛び、石畳に激しく叩きつけられる。

 口から血を吐きながらも、彼は笑っていた。


「――ダァッハハ!! 面白いじゃアないか!!!」

「喰ってやる。――喰ってやるゥゥウウ!!!」


 グリムの笑い声が、獣の咆哮のように響き渡る。

 

 獰猛な瞳が血走り、

 狂気に染まった彼は、サーベルを大きく振りかぶる。


 エメラルドはシリウスを纏い、回避しようとするが――、

 衝撃波に弾き飛ばされ、建物の窓ガラスを突き破る。


「エメラルドくん!!」


 ノアが叫ぶ。


「オイ、ノア!! ハヤクアレヲッ!!」


 ポリプが触手でほうきを拾い上げ、ノアに投げ渡す。


 ノアはほうきを手に取ると、

 まるでスナイパーライフルのように構え――詠唱する。


「――ガルデニア・ハレード!!」


 魔法電磁気学――。


 ほうきの内部に仕込まれた金属片が、

 強力な磁力で加速される――。



 ――レールガン発射ッ!!



 空気が爆裂する衝撃波――。

 磁場が弾ける轟音が、通りに鳴り響く。


 超高速で飛び出した金属片が、

 グリムの左手を貫通し、

 サーベルごと粉砕する。


「グ……ッ、ァァ!!!」


 呻きながら膝をつくグリム。


 エメラルドはゆっくりと立ち上がり、

 弓を構え、矢をつがえる。


「……、はぁ……はぁ……」

「…………お前の負けだよ、グリム」


 最後の一撃――。


 シリウスとプロキオンが矢となり、

 風と水の力を乗せて放たれる。

 

 それは、グリムの心臓を正確に射貫いた。


 最期まで、

 彼は血塗れの笑みを浮かべていた――。




   33.『メフィスト・ワルツ|♪第2番』Bパート




 大観覧車ブルクサンガ・サン前――。

 

 ゼーラ川を跨ぐように架かる大橋、

 エレル橋の上にツキナは立っていた。


 ゼーラ川の流れは穏やかで、

 その水面には、天井のヴァルプルギスの夜が揺らめいている。

 川底は深く、暗く――吸い込まれそうなほどに遠い。


 漆黒の鬼の面を顔に押し当て、

 紐をしっかりと引き締める、ツキナ。

 そして、彼女は静かに呟く。


「……ねぇ、ドロシー。聞こえる?」

「私、……この戦いが終わったら、本物になれるのかな……?」


 ツキナの胸の奥、泥の心臓の底で、

 無邪気な少女の笑い声が響いた――気がした。


 月涙|ツキナ。

 プホラ・フラスコの錬金術によって創り出された、

 彼の亡き娘・ドロシーの形を模したホムンクルス。


 ツキナの存在は今、

 師匠から与えられた「月涙」という名前によって、

 細い蜘蛛の糸のように繋ぎ留められていた。


 確かな『いかり』を降ろさなければ、

 このまま自分という存在が何処か遠くへ流されてしまいそうで、


 どうしようもなく、不安になる。



《……わたしは、世界に自分の意志を刻みたいんです》

《主人公になりたいとか、そんな贅沢は言わない》

《だけど――『生きてるッ』て、心から思えるような生き方をしたい》


《だから、自分のコミュニオンを結成するんです!》



 キロシュタインの宣言が、ツキナの魂に木霊する。


 誰よりも強い信念を持ち、

 世界に自らの存在を刻もうとするキロシュタインの姿。

 

 彼女の顔を思い浮かべると、

 ツキナの胸の奥が熱くなるのを感じた。


 陽光が反射して、

 ツキナのシロユリのピアスが銀色に煌めく。


 悠々と、厳かに流れるゼーラ川。

 歴史ある彫刻が施されたエレル橋の欄干。

 

 そして――、

 それらすべてを包み込むようにそびえ立つ、

 大観覧車、ブルクサンガ・サン。


 黒装束の少女、ツキナ。

 その鬼の面を、無機質な風が撫でた。


 その時――。


 ツキナの視界の端に、一つの影が映る。

 杖を突いた白髪の老婆が、

 ゆっくりと街の東側からエレル橋へと歩いてくる。


 橋の石畳に杖をつく音が、不気味なほど響く。


 ツキナは警戒し、

 袖の中に隠した赤水晶のナイフに手を添えた。


 鬼の面の裏で、ツキナの瞳が揺れる。


 戦いの幕開けの前――、静寂が、わずかに軋んだ。



 ◇



 アサン・クロイヴは、

 フルスロットルで西地区の住宅街を爆走していた。


 背後には、キロシュタインが乗るトラム。

 その車両を護衛するかのように、彼のバイクが先行し、

 『ブラッディ・ラバーズ』の魔法で召喚した無限の銃火器が、

 次々とSBTAの兵士を薙ぎ払っていく。


 アサンは、ヘルメットの奥で満面の笑みを浮かべた。


「いやぁ~、気持ちぃーねぇ~!!」

「こんなに暴れまわるの、久しぶりだからさぁ、ごめんねー」

「容赦できそうにないやぁ」


 その様子を、

 モニター越しに監視している男が一人。


 カチッ、カチッ――。


 音を立ててライターを弾き、

 タバコに火をつける。


 幹部・ネビュラ。


 暗い部屋の中、

 並んだモニターの明かりだけが、不規則に彼の顔を照らしていた。

 口から吐き出された白い煙が、静かに揺らめく。


 彼は、組み立てたスナイパーライフルの銃口を

 モニターに映るアサンへと向けながら、気だるげにボヤく。


「あぁー、だりィ。そろそろこいつヤんないと……」

「マジで怒られそうだなぁ。……うちの兵隊(コマ)、死にすぎて笑える」


 ネビュラは首をコキコキと鳴らし、

 革手袋をした指で、キーボードを軽快に叩く。


 すると――、

 監視カメラのひとつが、ゆっくりと宙へ浮かび上がる。


 ネビュラの魔法で生み出された、

 彼にしか視認できない“透明の目”。


 ドローンのように静かに飛行し、

 アサンの背後へと忍び寄っていく。


 アサンは、近づく影に気づいていなかった。


 監視カメラはぴたりと彼の背中へ張り付き、

 その動きに合わせるように、ぬるりと追従する。


 ネビュラはタバコの煙を吐き出しながら、

 低く呟いた。


「……はい。ドカン、とね」



 ――ドカァァァン!!!



 突如として、アサンの背後が爆ぜた。


 衝撃波が空気を裂き、

 閃光が住宅街を照らす。


 爆風に煽られ、

 アサンの身体がバイクごと宙へと投げ出された。


「うぉ~!! それってありかよー!!」

 

 彼は呑気にそう言いながら、

 空中で軽やかに姿勢を整え、地面に着地する。


 しかし――、

 彼のバイクは、黒焦げになってバラバラに砕け、

 辺りにはその破片が散乱していた。


 アサンはひび割れたヘルメットを脱ぎ、

 大きくため息をつく。


 その様子を、別の監視カメラで眺めながら、

 ネビュラは不敵に微笑む。


「……さてと、いきますか」


 ガチャリ、とスナイパーライフルのボルトを引く。


「えっと? たしか、走ってるトラムを止めればいいんだっけ??」


 ネビュラは、

 プホラ・フラスコから与えられた命令を思い出す。


 ヴァルプルギスの夜を封印する魔法――、

 その発動を阻止するために、彼は動き出した。



 ◇



(……あのお婆さん……普通じゃない……!)


 ツキナは身を低く構え、ゆっくりと迫る老婆を警戒する。

 その歩調はどこか歪み、地面を這うような気味の悪さがあった。


 ――老婆の湿った息遣いが、耳元で囁くように錯覚する。


 背後では、大観覧車の鉄骨が軋む音と、

 微かに響くアルミナのフルートの旋律。


 老婆はエレル橋の袂まで歩み寄ると、

 ゆっくりと杖を掲げ、その先端をツキナの胸元へ――、


 ――否、ツキナの背後へと向けた。


「……ッ!!」


 ツキナは素早く身を翻すが、

 その瞬間、背後からぬるりと伸びてきた銀色の切っ先が、

 鬼の面の右頬を一筋に切り裂く。


 鋭い金属音が響いた。


 軽やかに着地し、

 ツキナは、奇襲を仕掛けてきた相手との距離を取る。


 彼女が先ほどまで立っていた場所――、

 そこにいたのは、剣を持った黄金色の髪の少年だった。


 少年は、細い指で顔を覆い隠すようにしながら、

 くすくすと笑う。


「あーあ、だめじゃないか」

「避けないでよ……ツキナ」


 不意に名前を呼ばれ、ツキナは思わず言葉を漏らした。


「なんで私の名前を……!?」


 少年は微笑みながら、ゆったりとした口調で応じる。


「あぁ、そうだね。自己紹介が先だよね」

「ぼくの名前はフォルキュアス」

「君に分かるように言うと――メフィスト」


「それが、ぼくの『悪魔』としての名前だ」


 ――悪魔・メフィスト。


 四つの腕を持つ異形の悪魔。

 その頭部には、黒々としたクロユリが咲き乱れている。


(こいつが……メフィスト?)


 ツキナは改めて少年の姿を凝視する。


 黄金色の髪に、澄んだ青い瞳。

 年齢は十二歳ほどに見える。


 その右手に握られた剣は、

 まるで闇を鍛え上げたかのように漆黒に輝き、

 その刃の鍔には、クロユリを模した造形が施されていた。


 花弁がそっと開くように湾曲し、

 まるで闇に咲く花が、ツキナを嘲笑っているようだった。


 少年――フォルキュアスは、

 ゆっくりと剣を持ち上げ、その先端をツキナへと向けた。


「なぁ! いまは聖戦中なんだろ??」

「なら、楽しもうよ。――さぁ!!」


 その声が響いた瞬間、フォルキュアスの足が地面を蹴る。

 一閃――、刃が横一線に薙ぎ払われる。


 ツキナはとっさに体を反らし、ギリギリで回避する。

 剣先が鬼の面の鼻先をかすめ、空間を裂く。


 風が切り裂かれた音が遅れて届く。


 ツキナは息を整えながら、小さく詠唱する。


「……影生(カゲナリ)


 次の瞬間、彼女の影が揺らぎ、もう一人のツキナが現れる。

 ツキナの幻影――影が具現化された存在。


 幻影は、すぐに別の詠唱を紡ぐ。


「……影流流(カゲルル)


 空間が歪む。

 

 魔力によって生み出された影の波が、

 大気を裂きながら押し寄せる。


 フォルキュアスは剣を構え直す間もなく、その波に飲み込まれた。

 黒い奔流が彼を包み込み、そのまま後方へ弾き飛ばす。


「ぐぁッ――!!」


 フォルキュアスはエレル橋の欄干に背中を打ちつけ、息を詰まらせる。

 胸を上下させながら、鋭い視線でツキナを睨んだ。


「やってくれるじゃないか」


 フォルキュアスは唇の端をゆるく吊り上げ、低く笑う。

 剣をゆっくりと持ち直し、興味深げな眼差しをツキナに向けた。


「なぁ、ツキナ。……君も偽物なんだろ??」


 ツキナは、凛とした声で否定する。


「……違う。……私はツキナ、誰の偽物でもない……!」


 フォルキュアスの瞳が、愉悦に歪む。

 まるで心の奥底を暴き出すような声で、なおも言葉を紡いだ。


「認めろッ、君は偽物だ」

「ドロシーに似せて大量に創られたホムンクルスの、ただの一人」

「そんな泥人形が、自我を主張するなんておぞましいッ!!」


 フォルキュアスの甲高い声が響き渡る。


 少年の無邪気さと悪意がないまぜになった言葉が、

 ツキナを精神的に追い詰めようとしていた。


 ――そして、次の瞬間。


 フォルキュアスは詠唱した。



「――夢幻楽園劇(カラバラフ・レベデ)



 ツキナの視界が白く光に覆われる――。


 気がつくと――


 彼女は知らない家の、知らない家族の、

 知らない食卓に座っていた。


 パンの香ばしい香りが鼻をくすぐる。


 目の前には、あたたかな光に包まれたダイニングテーブル。

 母親らしき人物が、困惑した顔でツキナを見つめている。


「どうしたの、ドロシーちゃん?」


 ――その名前で呼ばれ、ツキナの心臓が跳ね上がった。


 慌てて自分の両手を見下ろす。

 ――小さい。


 まるで幼い子供に戻ってしまったような、奇妙な感覚。

 記憶の奥底を探ろうとするが、頭の奥が霞がかかったように鈍く、

 なにかを思い出そうとすればするほど、心が囚われていく。


 ふと、リビングの扉が開き、一人の男が入ってきた。


 シワひとつないローブ、整えられた黒髪。

 落ち着いた仕草でツキナの頭を撫で、優しく微笑む。


「じゃあ、行ってくるね」


 母親らしき人物が、朗らかに手を振る。


「いってらっしゃい。あなた、気をつけてね」


 穏やかで、暖かな日常。

 だが――どうしても拭いきれない違和感がある。


 ツキナは必死に何かを思い出そうとする。

 しかし、心と脳が鎖に縛られたように重く、

 思考を引き裂くかのような静寂が、彼女の内側を支配していた。


 ――私は、……誰??



 ◇



 アサンが無線に手を当て、軽い調子で呼びかける。


「ごめんねぇ、キロシュ。僕のバイク壊れちゃってさー」


 奇襲で爆破魔法を受けたというのに、

 アサンは相変わらず呑気な様子で、

 道の中央――トラムの線路の上に、悠然と立っていた。


 迫りくるトラムの車両。

 その中で、キロシュタインは前方の窓から

 アサンの様子を横目に捉えるが、

 今はチェロの演奏に集中しているため、何も言えなかった。


 アサンの背後、線路上のレールがきしみ、

 列車の車輪が軋む音が響く。

 だが、アサンは微動だにしない。


 そして――

 彼は、ふっと笑うと、


 勢いよく地を蹴り、宙返りをしながら、

 走行中の車両の上に飛び乗った。


 軽やかに着地すると、

 アサンは、ライフルを構え――、

 明後日の方向へと照準を合わせ、



 ――ダァァァン!!



 銃声が鳴り響く。


 アサンはにやりと笑い、

 列車の屋根の上で呟いた。


「二度も奇襲なんてズルいよぉ~」

「……ね、ネビュラくんさ」


 アサンが放った7.62mmの魔法光弾は、

 数キロ先の屋根の上から撃ち込まれたスナイパーライフルの弾丸を、

 寸分の狂いもなく迎撃し、粉砕していた。


 スコープから目を離し、ネビュラが舌打ちをする。


「チッ、バケモンかよ」


 タバコをくわえたまま、彼はすぐさま姿を消した。


 アサンはしゃがみ込み、

 列車の天井をコンコンと指先で叩く。


「キロシュ、いま喋るの難しそうだからさ、僕が状況の説明するね」

「ネビュラはたぶんもう気づいてる。この列車を止めればいいってことに」

「だから、これからバンバン君を狙って撃ってくるだろうね」


 一拍置いて、アサンは朗らかに笑う。


「でも大丈夫。僕がぜんぶ守るから」


 彼は立ち上がると、

 深く息を吸い、詠唱する。


「ブラッディ・ラバーズ……詠唱開始(アンカー)


 その瞬間、

 アサンを中心に、幾千もの魔法陣が展開される。

 そこから、次々と銃火器が顕現した。


 アサルトライフル、スナイパーライフル、

 ショットガン、サブマシンガン、

 グレネードランチャー、リボルバー、

 

 ――ありとあらゆる銃器が、

 闇から解き放たれるように並び立つ。


 アサンはその中から、

 無骨なスナイパーライフルを手に取ると、

 愉快そうに笑いながら呟く。


「――狙撃戦、やってみたかったんだよねぇ」

「こっちは守らなきゃならない人が乗ってて、しかも列車の上……」

「……うん。これはどう考えても不利だねぇー」


 一拍置いて、彼は目を細める。


「でも、そういうの、最高!」


 そう言い放ち、

 彼はスナイパーライフルを構えた――。



 …………、


 ……、



 撃って、撃たれての応酬はやまない。


 ネビュラはワイヤーを操りながら、住宅街の屋根から屋根へ、

 そして高所の尖塔の先へと軽やかに移動していく。

 目まぐるしく変わる視点、予測不能な位置から、次々と狙撃を繰り出す。


「ふぅあー、風が気持ちいいぜ。……と、そこ」



 ――ダァァン!



 ワイヤーに吊られたまま、

 ネビュラは片手でスナイパーライフルを支え、

 悠然と弾丸を放つ。


 トラムの動きを完璧に計算し、

 列車の揺れ、風の流れ、全てを読んで射線を合わせる。


 次はアサンだ――。


 アサンは、スナイパーライフルの閃光を捉えると、

 反射的に軌道を計算し、

 瞬時に手りゅう弾を投げ放つ。


 弾丸が接触する刹那、空中で炸裂――、

 弾丸ごと爆破し、ネビュラの狙撃を無効化する。


 しかし、ネビュラもここまでの展開は折り込み済みだった。


 彼は既に、待機させていた監視カメラの一つを

 ドローン化し、静かにトラムの車内へと潜入させていたのだ。


 屋根の上で、タバコの煙を揺らしながら、

 ネビュラは口角を上げて呟く。


「残念、オレの勝ち。……はい、ドカンとね」


 カメラが大爆発――。


 だが、ここで終わり――そんなことは当然ない。


 アサンは列車の屋根の上から飛び降りると、

 窓ガラスを叩き割り、素早く車内へ滑り込んだ。


 そして突然、自分の腕をナイフで切る。


 弾けた血飛沫が、

 車内に忍び込んでいた透明なネビュラの「目」、

 すなわちカメラを鮮やかに染め上げる。


 位置が分かれば問題ない。


 アサンはにやりと笑い、

 その血で染まったカメラを掴み取ると――、


 全力で窓の外へと投げ放った。



 ――ドォォォン!!!



 車外で炸裂する爆炎。

 だが、爆風はただ空を揺らしただけだった。


 戦況はまだ続く――。



 …………、


 ……、



 トラムは、住宅街を抜け、静かに鉄道橋へと進んでいく。


 軋む鉄路、

 規則正しく響く車輪の振動。

 

 それまで車道と並走していたレールは、

 十字路で右折し、専用の軌道へと分岐する。

 

 舗装された道路を離れ、鉄と石が交差する専用線へと滑り込むと、

 そこからトラムの揺れが変わった。


 市街の騒音が遠ざかる。

 車窓の景色が、住宅の連なりから広い水面へと開けていく。


 ――ゼーラ川。


 川面には、古い石造りの橋がいくつも架かり、

 水上には遊覧船が点在している。

 空を漂う灰色の雲が流れ、時折、陽の光が水面に反射して煌めいた。


 鉄道橋が近づいてくる。


 橋桁のアーチが幾重にも連なり、

 黒鉄のリベットが無数に打ち込まれたその姿は、

 まるで時間の層を幾重にも重ねたかのような重厚さを放っていた。


 やがて、トラムの前照灯がアーチを照らす。

 レールは鉄橋へと続き、黒鉄の骨組みの中へと吸い込まれていく。

 

 列車が通過した軌跡が、

 青白い輝きを帯びながら浮かび上がる――。


 レールの上に、キロシュタインが書いた魔法譜が刻まれ、

 告式の神声文字が淡い光を放ちながら現れていく。

 

 ワイヤーを駆使しながら狙撃を繰り返してきたネビュラ。

 しかし、その全てがアサンによって阻まれてきた。


 カチッ、カチッ……。


 鉄道橋へと続く街の尖塔のひとつ。

 その屋上で、ネビュラは走行するトラムと、

 その屋根の上に立つアサンをじっと観察していた。


「――さて。そろそろ終わらせちゃいますか」


 彼はそう呟くと、スナイパーライフルのボルトを引き、

 ゆっくりと照準を合わせる。


 そして、詠唱する。


「……ゼフィフ・ラヴ・サルヴィアム」


 瞬間――。


 ブルクサンガのあちこちに設置された「ネビュラの透明な目」。

 すなわち、彼が生み出した監視カメラがドローンとなり、

 一斉に鉄道橋の上空へと集結し始めた。


 無数の透明の眼球が、旋回しながら空を覆い尽くす。


「あーあ、袋のネズミってこういうことだよなぁ」

「橋の上じゃ、逃げ場なんてないんじゃない?」


 ネビュラは気だるそうに微笑みながら、

 スコープ越しにトラムの車内を覗く。


 視線の先――車内、座席に深く腰掛け、

 チェロを演奏するキロシュタインの頭に狙いを定める。

   

 その刹那、ドローンが一斉に降下し、次々と爆発した。



 ――ドォォォン!!



 轟音とともに、火花が宙に散る。

 爆風が鉄橋を揺るがし、トラムの外壁を焦がしていく。

 下方には、深いゼーラ川。

 もし転落すれば、ただでは済まない。


 アサンは列車の屋根の上で、次々と降り注ぐ爆撃を回避しながら、

 尖塔の上のネビュラの姿を捉えた。


(まずいねぇ~。僕を無視して、キロシュを狙ってくると……)


 彼は呑気に笑いながらも、心の中では状況を冷静に分析していた。

 このままでは、ネビュラに好きなように狙撃を許してしまう。

 攻勢に出なければ――。


 アサンはブックホルダーから自分のクラヴィスを取り出し、

 その一ページにペンで素早く告式を書き足していく。


(よし、完成。――それじゃあ、反撃といこうか)


 彼は、書き足した新たな告式を詠唱する。


「さぁ、顕現せよ――ブラッディ・ラバーズ・ノーヴ!!」


 瞬間、鉄道橋の上空に巨大な魔法陣が展開される。

 魔法陣は、赤黒い血のような輝きを帯び、歪んだ渦を描き始めた。


 そして――。


 そこから現れたのは、一機の「戦闘機」だった。


 アサンが魔法で造り出した無人戦闘機が、

 次々とネビュラのドローン爆弾を機銃で撃ち落としていく。


 空を覆い尽くしていたドローンの群れは、瞬く間に消え去った。


 最後の仕上げとばかりに、

 戦闘機の機首がネビュラのいる建物を捉え、

 その瞬間――。



 ――ダダダダダダダッ!!



 銃撃の雨が、建物の外壁を蜂の巣に変えていく。

 ガラスが砕け、レンガの破片が空へと弾け飛ぶ。


 だが――。


 ネビュラは、タバコをくわえたまま微動だにせず、

 手に持ったワイヤーを素早く伸ばし、走行するトラムの車両に引っかけた。


「チッ……戦闘機とか、ありえねえっての」

(魔法でここまでやるかよ……)


 尖塔が崩れ、粉塵が舞い上がる。

 その中でネビュラは淡々と呟く。


「あのトラムさえ止めればいいんだろ」

「……面倒だけど、――やるか」


 ワイヤーを勢いよく巻き取り、

 ネビュラの身体は一直線にトラムへと飛んでいく。


 割れた窓ガラスを突き破り、

 ナイフを片手に、キロシュタインへと急接近――。


 だが。


 キロシュタインは、

 なおもチェロを弾き続けていた。


 その瞬間――。


 窓の外から、轟音が響く。

 上空でエンジン音を唸らせる戦闘機。


 その機体の上に、アサンが乗っていた。


「ちょ、ちょ、速い速い速いってーー!!」


 戦闘機の上でバランスを取りながらも、

 相変わらずの笑みを浮かべるアサン。


 その勢いのまま、

 戦闘機を踏み台にしてトラムへと飛び込む。



 ――ガッシャァァァン!!!



 飛び蹴りでトラムの窓ガラスを割り、

 キロシュタインの横を凄まじい速度で通り抜け、

 そのまま――


 ネビュラの顔面を、強烈に蹴り抜いた。



 ――ドガァッ!!!



 ネビュラは衝撃で弾き飛ばされ、

 そのまま反対側の窓を突き破る。


 そして――






 ――ボチャン。






 ゼーラ川へと落下した。


 水面がゆっくりと揺らめく。

 ネビュラは、口にくわえていたタバコを

 舌先で押し出すように外した。


 ゼーラ川にタバコが落ち、ジュっと火が消える。

 火が消えたタバコが、ゆっくりと水に沈んでいく……。


 彼は最後に小さく呟いた。



「……あぁ……この……世界は……どこまでも……」

「どこまで落ちても……クソ……クソみてぇな事ばかりだ……」



 アサンは息を整えながら、

 キロシュタインにサムズアップを送る。


 トラムはちょうど、

 鉄道橋を渡り終えたところだった――。

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