33|『メフィスト・ワルツ|♪第2番』Aパート
空が裂けた。
分厚く停滞していた雲の壁が轟音とともに揺らぎ、その中心に暗い穴が開いた。嵐のような風が吹き荒れ、白銀の雷が幾筋も閃いた。まるで天がひび割れたかのように、雲が大きく波打ち、そこから巨大な影がゆっくりと姿を現した。
――空中戦艦。
戦場を渡り歩いた古強者のような、
重厚な威圧感をまとった鋼鉄の城塞。
黒鉄の装甲は幾重にも折り重なり、
経てきた戦いの証がその表面に刻み込まれている。
砲弾を受けて凹んだ外壁、
斬撃の残る船体、一部が裂けた装甲。
だが、それでもこの艦は堂々とした姿を保ち、
尚武の精神を宿すかのように大空を進んでいた。
街に残った者たちは、皆、息を呑んだ。
聖戦の開幕を待つSBTAの兵士たちも、一瞬動きを止める。
広場にいた市民たちは、思わず足を止め、空を仰ぎ見る。
巨大な鋼の翼が音を立てて展開する。
推進機関が唸るように白銀色の魔力血液を噴出し、
船底から垂れ下がる鎖と鉄骨が、光を反射して煌めいた。
船体の側面には、剣を交えた二人の騎士と、
咆哮するライオンの紋章が刻まれている。
それは、この戦艦の持ち主が誰であるかを示す、誇り高き印だった。
戦艦の巨影が、ゆっくりと旧市街の上空へと移動する。
それは、地上を覆い尽くすような威容をもって、静かに街の上に停泊した。
◇
―― 助っ人って、ハンネエッタさんだったんですね!!
ラテルベルが興奮したように声を上げた。
カナリア色の髪の騎士――、
聖鉄ハンネ騎士団の主席魔導師、
鬼天儀・ハンネエッタは、ゆっくりと首を横に振る。
「すまないな。アタシたちのコミュニオンも今、聖戦の真っ只中なんだよ」
「だから、アタシ自身は協力できないが……」
そう言いながら、ハンネエッタはふと視線を上げる。
その先、旧市街の上空。
停泊している空中戦艦の船体から、二つの影が降下してくる。
――グライドボード。
魔法起動式の飛行装置。
その形状はサーフボードに似ており、
高所からの降下や、空中機動に特化した機械だ。
滑るように降りてくる二人の姿を見て、アルミナが息を呑む。
「カガルノワ……エリカライト……!!」
――双子姉妹。
対摂理・ジェミニ計画において、
かつてクロ(ブラックオパール)とシロ(ホワイトオパール)の
コードネームで呼ばれていた二人。
計画の終幕後、彼女たちは聖鉄ハンネ騎士団の一員として戦う道を選んだ。
そして今――その二人が、目の前にいる。
グライドボードが地面を滑り、二人は軽やかに着地する。
鉄星・カガルノワ――、
かつてクロと呼ばれた少女。
灰色の髪は長く、滑らかな絹糸のごとく揺れ、淡く光を含んでしなやかに流れる。黒曜石のような瞳は静かな光を宿し、その奥には揺るがぬ決意が秘められていた。
黒の軍服は身体にぴたりと沿い、凛としたシルエットを描き出す。
銀星・エリカライト――、
かつてシロと呼ばれた少女。
雪のように白いミディアムヘアは、ハーフアップでまとめられ、いくつかの柔らかなカールが額を縁取る。銀の光を湛えた瞳は、どこか夢幻的な煌めきを宿していた。
エリカライトも姉と同じ黒の軍服を身に纏っている。
エリカライトは、着地してすぐにラテルベルのもとへ走る。
そして、彼女はくるくるとワルツを踊るようにラテルベルを抱きしめた。
「ラテルベルーぅ! 会いたかったよー!!」
「大きくなったねー、わたしより背が高いじゃん!」
ラテルベルは驚きつつも、
恥ずかしそうに、それでも嬉しそうに言う。
「エリカも……その、元気でよかったよ」
「それはこっちのセリフ。――ね、お姉ちゃん?」
「お姉ちゃんもこっちに来てよ。久しぶりにみんなと会えたんだから」
エリカライトが振り返る。
その視線の先に立つカガルノワは、
ツンとした表情を崩さず、冷たく言い放った。
「――遊びに来たんじゃないんだから」
しかし、言葉とは裏腹に、カガルノワの黒曜石の瞳は、
何度も何度も、アルミナの方をチラチラと気にしていた。
その様子を見ていたハンネエッタが、くくっと小さく笑っている。
そんなカガルノワの目を真っすぐ見据えるアルミナ。
「……久しぶり。手紙、ちゃんと届いたよ。ありがとう」
カガルノワは、その言葉に、
前髪をいじりながらぼそっと返した。
「そう……。それなら……よかったけど」
◇ ◆ ◇
キロシュタインは、
耳に装着した通信機器に手を添え、短く言った。
「みんな、開戦まであと三分。――配置にはつけた?」
通信機器越しに、
それぞれの仲間から「問題なし」との返答が返ってくる。
その確認を終えると、
キロシュタインはヴィンテージチェロをしっかりと抱え、
貸し切りとなったトラムの車両に乗り込んだ。
場所は、旧市街(西地区の南側)の駅。
ここから列車は時計回りに進み――、
まずは西地区の北にある住宅街を抜け、
ゼーラ川に架かる北側の鉄道橋を渡る。
その後、東地区の北側へと入り、
さらに南下してヴァルテス地区(東地区の南側)へ向かう。
そして、ゼーラ川に架かる南側の鉄道橋を渡り、
スタート地点の旧市街へと帰還する。
「なんか、変な感じね。誰も乗ってないなんて」
キロシュタインは、
車両の中を見渡しながら独り言をこぼした。
エンジンは静まり返り、車両の中は、
まるで時間が止まったように無音だった
聖戦のため、民間人の乗車はすべて禁じられ、
列車はディアノイアの命令で自動走行するため、運転手すらいない。
まるでゴーストトレイン。
そんな奇妙な雰囲気の中、車両の窓から不意に聞き慣れた声が響く。
「やっほー、キロシュ! 調子はどう?」
車窓の外を見ると、バイクに跨ったアサンが片手を振っている。
キロシュタインは苦笑しながら、親指を立てて応えた。
「気分は最高よ」
「わたしが死ぬ気で完成させた封印魔法――」
「それが発動する光景を想像すると、心臓がうるさいくらいにドクドク鳴ってるわ」
キロシュタインの言葉を聞いて、
アサンはフルフェイスのヘルメットをかぶりながら、
面白そうに肩をすくめる。
「キロシュ、君ってけっこう頭のネジ飛んでるよね」
「僕はキロシュのそういうところ、結構好きだよ。――じゃあねぇー」
それだけ言い残し、
アサンはバイクのアクセルを吹かし、走り去っていった。
キロシュタインは思わず深いため息をつく。
「……いや、まったく褒められた気がしないんだけど」
背もたれに身を預けながら、キロシュタインはぼんやりと考える。
アサン・クロイヴ――、
ソルトマグナの襲撃で助けられて以来、
何かとお世話になっているが、彼自身のことはほとんど知らない。
いったい、何者なんだろう――。
今度、じっくり訊いてみるべきかもしれない。
◇
エメラルドは、旧市庁舎の壁面にある天文時計を、
向かいの宿の二階の一室から見下ろしていた。
石造りの古い塔の壁面に埋め込まれた巨大な時計。
その円形の文字盤には、複雑に絡み合う針がいくつも備わり、
天体の運行を示すかのように、静かに時を刻んでいる。
天文時計の中央には、黄金に輝く太陽が据えられ、
その周囲には青と金で彩られた黄道十二宮の絵が描かれていた。
時計の枠には、神秘的な紋様が刻まれ、
昼と夜を示す半円の盤が、静かに回転している。
時刻が近づけば、時計上部の仕掛け人形が動き出し、
聖者や骸骨の像が、まるで生きているかのように、
カチカチと歯車の音を響かせながら行進する――。
それは、ブルクサンガに伝わる古い伝承を、
視覚的に再現するための演出だった。
(キロシュタインさん、すごい人だったなぁ……)
(魔法が使えなくても、頭を使って戦う……)
(封印魔法の説明、まったく理解できなかったのだけ残念だ)
エメラルドは、天文時計を見つめながら、
キロシュタインの説明を思い出し、
軽くため息をついた。
彼は、先端に翡翠色の宝石が取り付けられた魔法の杖を取り出し、
ゆっくりと振る。
次の瞬間――。
二匹の精霊が、部屋の中に現れた。
キィズ=アニマ領域:第Ⅰ契、四大精霊術――。
風を纏う緑色の猟犬――シリウス。
波打つ青い身体を持つ猟犬――プロキオン。
二匹の精霊は、ふわりと宙に浮きながら、
エメラルドの指示を待つように耳をそばだてていた。
「――シリウス、プロキオン」
「この人たちを見つけたら教えてね」
そう言って、エメラルドは精霊たちに写真を見せる。
そこには、SBTAの幹部と、サンタキエロたちの姿が映っていた。
精霊たちは短く鳴き声をあげると、
まるで疾風のように部屋を飛び出していった。
エメラルドは静かに詠唱する。
「……ベテルギウス」
彼の手に、一張の弓が顕現する。
弓は、夜空に煌めく星のように、わずかに光を宿していた。
(僕だって……キロシュタインさんみたいに、)
(自分の意志に素直になりたい……!!)
エメラルドは拳を握りしめ、
天文時計を見つめながら静かに誓う。
「天文時計は絶対に守りますから」
◇
ゼーラ川に架かるエレル橋の上、
ブルクサンガ・サンの乗り場に、ツキナとアルミナがいた。
ツキナは静かに詠唱する。
「……影生」
次の瞬間、彼女の影がゆらめき、
そこからもう一人のツキナ――幻影が浮かび上がる。
ツキナは幻影を見つめ、ぽつりと言った。
「少し、手伝ってほしいの」
幻影は無言で頷き、ツキナとともに、
車椅子に座るアルミナの肩をそっと支える。
アルミナは申し訳なさそうに顔を伏せた。
「ごめん。重いでしょ」
「いえ……男性にしては痩せているほうかと……」
ツキナは無表情のまま、淡々とした声で答える。
そのまま幻影とともに、アルミナの肩をしっかりと支えながら、
観覧車のゴンドラ乗り場へと続く階段を上っていく。
しかし、その間もツキナの視線は鋭く周囲を警戒していた。
敵の気配がないか、じっと静かに見極めながら。
やがて乗り場に到着すると、
ツキナと幻影は、停止しているゴンドラの扉を開き、
慎重にアルミナを乗せる。
ツキナと幻影は、彼を椅子の上へとそっと座らせた。
「……では、アルミナさん。あとはよろしくお願いします」
「あなたのことは、私が護衛するので……安心して演奏してください」
そう言い、ツキナは踵を返し、階段へ向かおうとした。
その時、アルミナの声が静かに響く。
「ありがとう、ツキナさん。――ボクも頑張ります」
そう言いながら、彼は鞄の中からフルートを取り出す。
銀色の管体が昼の陽光を受け、わずかに光を反射した。
ツキナは、その様子を一瞬見つめ、
静かに微笑むと、わずかに頷いた。
◇
ブルクサンガの上空――。
ノアはほうきにまたがり、軽やかに風を切って飛んでいた。
ほうきの先端には、ポリプがちょこんと座り、腕を組んでいる。
彼女はふと視線を上げ、広がる異様な光景に息を呑んだ。
――空が、二つに裂けている。
境界線より上、
逆さになった裏側の街は、深い宇宙に呑まれていた。
星の瞬きはなく、ただ漆黒の闇が広がり、
その中に逆さのブルクサンガがぼんやりと浮かんでいる。
ゼーラ川の水は重力に逆らうように固定され、
まるでガラスの天井のように波打たず張り詰めている。
一方で、境界線より下、表側のブルクサンガには青空が広がっていた。
昼の陽光が雲の合間から差し込み、
赤レンガの屋根や尖塔の影を柔らかく伸ばしている。
青と黒――光と闇――、
その二つの世界が混ざり合う場所に、ノアはいた。
「すごーーいね。ねぇ、ポリプ。あの街に近づいたらどうなるんだろ?」
ノアは、ほうきの柄を軽く傾けながら、
浮遊する裏側の街をじっと見上げる。
足元に流れるブルクサンガの屋根の連なりと、
真上に広がるもう一つの街。
本来ありえない光景が、今ここにあった。
ポリプは組んだ腕を解き、小さく揺れる。
「ヤメトケ。イマハヨケイナコトハシナイホウガイイ」
「――サワラヌカミニタタリナシ、ダゼ」
「ま、だよね。斥候のノア、余計なことはしない!」
ノアは苦笑しながら、ほうきを軽く蹴って加速させる。
ふわりと身体が浮き上がり、風を裂くように滑らかに旋回する。
ヴァルテス城跡学園の尖塔の影をかすめ、
細い路地の間を縫うように飛び抜け、
開けた広場の上空で旋回しながら、
ノアは目を凝らして敵の影を探していた。
「大ボス……いない……いないなぁ」
小さな路地の隅々まで視線を巡らせるが、
目的のサンタキエロ、プホラ、メフィストの姿は見当たらない。
青空と宇宙が交じる異空間を駆け抜けながら、
ノアはほうきをもう一度蹴り、さらにスピードを上げた。
「――ん?」
ノアは、不意に視線を感じて裏側の街を見上げる。
だが、そこには誰の姿も見えなかった――。
◇ ◆ ◇
キロシュタインの声が、無線越しに静かに響く。
「56……57……58……59――」
彼女は一瞬、息を止めた。
そして、時が来る。
「――時間だ」
英雄歴3071年07月13日、12:00――。
サンタキエロとの聖戦が、ついに幕を開けた。
列車と観覧車、動き出す――。
まず、ブルクサンガ環状線のトラムが、
魔法起動円盤に刻まれた魔法譜に従い、静かに震え始める。
次の瞬間、車両が息を吹き返したように滑らかに加速し、
レールの上を走り出す。
車輪が金属軌道を擦り、柔らかな振動が床を伝い、
車窓にはゆっくりと景色が流れ始めた。
「いい、みんな?」
「……絶対に死なないこと」
「追い詰められたときは逃げることを優先して」
「これは『生きるため』の戦いだから」
キロシュタインの声は穏やかだったが、
どこか芯の強さを感じさせた。
「オルデキスカ――約束ね」
同じ頃、大観覧車ブルクサンガ・サンの足元でも、
魔法起動円盤が青白い光を放つ。
機構がゆっくりと軋み、
観覧車全体がほんの一瞬、深呼吸するかのように静止した。
次の瞬間――。
巨大な輪が、重力の鎖を振り解くように、
静かに、ゆっくりと回転を始める。
金属の支柱がわずかに唸り、ケーブルが引かれる音が響き、
ゴンドラの影が街の地面をなめるように動き出した。
アルミナは、ゴンドラの窓から動き出した世界を眺め、
手元のフルートをそっと握りしめる。
「キロシュタインさんも、ですよ」
「ボクの死ぬまでにやりたいことリスト、叶えてもらうんですから」
小さく呟いたあと、
彼は、フルートを静かに持ち上げ、唇に添えた。
――息を吹き込む。
フルートが静かに息を受け入れる。
最初の音が澄んだ軌跡を描き、
観覧車の回転とともに高く舞い上がる。
音が、空へと溶けていく。
同じ瞬間、
ブルクサンガ環状線――。
走り出した列車の中、キロシュタインは腰を上げると、
ホルスターからピストル〈ダス・レーベヴォール〉を抜いた。
ダンッ――!!
乾いた銃声が響く。
改造銃の弾丸が、床を貫通する。
鋭い金属音が響き、
床の素材が焼け焦げるようにえぐれた。
キロシュタインは、
その穴へ迷いなくエンドピンを沈める。
列車の揺れと、自らの体重を利用しながら、
深く腰を沈めるように座り込み、弓を握る。
弓が弦を捉え、わずかな摩擦音が生まれる。
低く、深い音が揺らぎながら響き、
列車の振動と混ざり合った。
弦が震える――。
音が、世界に響き渡る。
そして、アルミナのフルートと共鳴する。
交響詩、『タイヨウシング・エラ』。
――演奏、開始。
33.『メフィスト・ワルツ|♪第2番』Aパート
旧市街・とある路地――。
薄暗い路地の一角。
赤いレンガ屋根の隙間から漏れる光が、
濡れた石畳に滲むように映っていた。
その場には、体格の大きな男が、
十数人の部下を前に立っていた。
男の名はグリム。
SBTAの幹部の一人。
ストライプ柄が入った紫色のスーツを纏い、
ブロンドの髪をオールバックに撫でつけ、
腰には鈍く光るサーベルを下げている。
彼は不敵な笑みを浮かべ、静かに口を開いた。
「なァ……今回の相手は、16歳のガキらしい」
低く、よく通る声。
その響きに、部下たちがわずかに肩を震わせる。
「――ふん。何者かは知らンが、随分舐めた真似をする」
「こんなふざけた聖戦、さっさと終わらせてしまおう」
「プホラ理事長とサンタキエロ様に手を煩わせるまでもない」
彼の周りに集う部下たちは、
SBTAの制服に身を包み、獣のような眼光を光らせていた。
グリムはサーベルの柄を軽く撫でながら、
ゆっくりと口角を吊り上げる。
「……では、はじめようか。戦争を」
その瞬間、十数人の部下たちが、
一斉に拳を掲げ、雄叫びを上げた。
西地区の北・住宅街――。
古びた一軒家。
住人はすでに避難し、
人の気配は一切なかった。
その家の一室。
そこに、一人のスリムな男が佇んでいた。
男の名はネビュラ。
SBTAの幹部の一人。
黒髪は丁寧に横へ流され、
艶やかな純黒のスーツに包まれた端正な身体。
だが、その目は、何よりも冷え切っていた。
ネビュラは、勝手にこの民家を乗っ取り、
一室を改造していた。
そこには、無数のモニターが並べられ、
街中に仕掛けた特殊な監視カメラの映像が映し出されている。
――その映像のひとつに、バイクに乗る男の姿があった。
「……このバイクの男」
「こいつもターゲットか……」
椅子に深く腰掛け、紙タバコを唇に咥えたまま、
気だるげにモニターを見つめる。
ネビュラが仕掛けた監視カメラは、
彼の魔力血液から生成された生きたカメラだった。
それは自動でターゲットを認識し、追跡し、
また、ネビュラ以外の者には認識されないように透明化していた。
彼は煙をくゆらせながら、
ゆっくりとスナイパーライフルのパーツを組み立てる。
「ふぅ……」
紫煙が室内にゆっくりと広がる。
「――まぁ、一人ひとり、丁寧にヤっていきますか」
指が軽くトリガーを撫でる。
ネビュラの瞳が、
静かに、獲物を狙う蛇のように細められた。
◇
ブルクサンガ上空――。
ほうきに乗って空を飛ぶノアが、
耳に装着した通信機器に指を当て、無線に情報を流す。
「えー……こちら、斥候のノアですっ!」
風を切る声に、
スカートの裾がひらりと舞う。
ポリプはノアの肩にちょこんと座り、
小さく腕を組んでいる。
「サンタキエロ、プホラ、メフィストの姿は未だ確認できません!」
「旧市街を、えー……何人だろ――」
ノアは上空から地上の様子を細かく観察する。
SBTAの兵士たちが、隊列を組んで移動しているのが見えた。
「分かんないけど、SBTAの兵士が群れになって移動しています!」
「あっ!! その群れの一番後ろにデカい男!! グリムです!」
通信機から「了解」というアサンの声が返る。
ノアの報告を聞きながら、
列車と並走するアサンが、バイクのハンドルを軽く傾ける。
車道の先、建物の影からSBTAの兵士が一人、
警戒しながら歩いていた。
アサンはニヤリと笑い、
バイクのスピードを落としながら、気さくな口調で声をかける。
「――きみきみぃ。一人で歩いてると危ないよ~?」
その瞬間。
アサンの魔法が発動される。
――『BLOODY LOVERS|ブラッディ・ラバーズ』。
それが、彼のクラヴィスの表表紙に刻まれた本のタイトル、
つまりは――アサン・クロイヴの魔法の名前だ。
アサンの足元から、
無数の魔法陣が赤黒い光を放ちながら浮かび上がる。
魔法陣から突如、銃火器が顕現する。
アサルトライフル、ショットガン、サブマシンガン、マシンガン、
スナイパーライフル、リボルバー、グレネードランチャー……。
空間に浮かぶ無数の銃火器――。
どれも魔法で創られたのではなく、
実体を持つ武器として、確かにそこに存在していた。
アサンはバイクのスロットルを軽くひねり、
余裕たっぷりに微笑む。
「さぁーて、お邪魔者は殲滅していきますかー」
その言葉と同時に、銃口が火を噴いた。
無数の魔法光弾――。
数え切れないほどの銃火器が一斉に発砲され、
幾筋もの軌道を描く魔法光弾が宙を切り裂く。
何が起きたのか理解する間もなく――。
爆音と閃光。
地面に弾丸がめり込み、
粉砕されたレンガが宙を舞う。
空間を埋め尽くす弾幕が、
一方的に兵士たちを吹き飛ばしていく。
何かを叫ぶ声すら、爆撃の音に掻き消された。
アサンは、バイクの速度を緩めることなく、
振り返りもせずにその場を走り去る。
風が過ぎ去ったあとに残るのは、
倒れ伏したSBTAの兵士たちだけだった。
◇
ガタン、ゴトン――。
列車が軌道を走る振動が、床から伝わってくる。
キロシュタインは、深く息を吸い、
力強く弓を引き落とした。
チェロの低く深い音が、列車の車内に響き渡る。
震えるような振動が、座席の背もたれに伝わり、
閉ざされた空間にゆっくりと満ちていく。
ガタン、ゴトン――。
車体が揺れるたび、
彼女の細い指先が、
指板を滑るように駆け抜ける。
重く、揺らぐ弦の響きが、
運命を繋ぎ止める鎖のように鳴り続ける。
チェロの音は、強く、そして柔らかい。
音に乗せた決意と祈りが、
トラムの振動に溶けていく。
車窓の向こう――、
流れる街並みの中で、
一台のバイクが、
まるで戦場を舞う黒い稲妻のように駆けていた。
アサン・クロイヴ。
黒いフルフェイスヘルメットを被り、
片手でハンドルを操作しながら、
もう片方の手で無数の銃火器を召喚し、撃ち続けている。
パンッ――!
バンバンッ――!
魔法光弾の銃声が、
チェロの旋律に溶け込むように響いた。
ガタン、ゴトン――。
列車のリズム、チェロの音、銃声の炸裂、
鉄と弦と光弾が、暴走する交響詩を形作る。
キロシュタインは、弓を大きく振りかざし、
音を刻み続ける。
彼女は決して、演奏を止めない。
列車は走り続ける。
この旋律が、この回転が、
ヴァルプルギスの夜を封印する魔法の鍵となるのだから。
列車が通過した軌跡が、
青白い輝きを帯びながら浮かび上がる――。
レールの上に、キロシュタインが書いた魔法譜が刻まれ、
告式の神声文字が淡い光を放ちながら現れていく。
◇
アサンはバイクを走らせながら、
ヘルメットに内蔵された無線に手を当てる。
「――エメラルドくん、そっちはどう?」
宿の一室から、エメラルドが応答する。
彼の視線の先、窓の向こうでは、
紫色の制服をまとったSBTAの兵士たちが、
街路を埋めながら進軍していた。
「今はまだ大丈夫そうです。――でも」
「ノアさんが発見したグリムの一隊が向かってきているかも……」
アサンは舌を打ち、バイクのスピードを上げながら言う。
「ごめんねぇ、こっちも結構敵がいてさ。援護には行けそうにない」
「えーっと、ノア? エメラルドくんの援護頼める?」
旧市街の上空――。
ほうきに乗りながら、旋回飛行を続けるノアが通信に応じる。
「了解っ!! なら、私こっそり後ろから近づくから、」
「エメラルドくん? どこかで挟み撃ちできないかな?」
エメラルドは静かに目を閉じ、
精霊シリウスとプロキオンの視界を共有する。
街の通りを俯瞰する二匹の視界が、目まぐるしく脳内に流れ込む。
「……ゼロシキ商会の事務所がある通り。そこで挟めるかも」
ノアは空中でほうきを傾けながら、鋭く応じる。
「――アンブレラ・ストリートね、了解!」
「準備ができたら報告よろしくっ!!」
「了解。すぐ向かうよ」
エメラルドは弓を背負い直し、
カーテンを閉めると、慎重に外へ出た――。
◇
グリムは、旧市街の通りを大股で闊歩していた。
「――住宅街のほうで、バイクに乗った男が暴れているそうだな」
「ふンッ。……ネビュラのやつめ、何をもたもたしている」
苛立ちを含んだグリムの声が響く。
その気迫が伝わったのか、
彼の前を進む数十人の部下たちは無言で背筋を伸ばし、足並みをそろえ直す。
彼らの行く先には、
色とりどりの傘が頭上に広がるアンブレラ・ストリートがあった。
そんな彼らの背中を、
屋根の上からノアがじっと見つめていた。
「ねぇ、ポリプ。あのでっかいの、強そうだねー。どうしよ」
肩の上に座るポリプが、腕を組みながらぼそりと言う。
「アタラシイマホウノ、ツカイドキジャナイカ??」
口角を上げる、ノア。
「――だね」
そう言うと、
彼女はベルトに固定された小さなボトルを手に取った。
一方――。
エメラルドは、グリム一隊の進行方向に先回りし、
建物の影に身を潜めていた。
手にした魔法の杖を軽く振る。
それを合図に、
風と水の精霊――シリウスとプロキオンが足元に戻ってくる。
エメラルドは無線に手を当て、ノアに連絡を入れる。
「……準備完了。いつでもいけるよ」
ノアが即座に応じた。
「おっけー。じゃ、私の魔法を合図に戦闘開始ね!」
グリム一隊は、未だ二人の存在に気づいていない。
ノアはボトルを握り、屋根の端へと身を乗り出す。
「さぁ――」
そして、
ボトルを指先から滑らせ、地面へと落とした。
ガラスの砕ける音とともに、
中の魔力血液が石畳に広がる。
キィズ=マキナ領域:第VIII契、魔法流体工学――。
その瞬間――、
液体が脈打ち、変容を始めた。
波紋のように震えたかと思うと、
無数の銀色の鱗がその表面に現れる。
光を反射しながら、
血液は流体のまま生命を宿し、群れとなる。
一匹、また一匹――。
やがて、それは大量の魚群となり、空中へと飛び出した。
透明な波のように、空を泳ぐ魔法の魚たち。
水しぶきを上げながら宙を舞い、
空を泳ぐ音が、かすかな波のように響く。
泳ぐたびに魔力が弾け、空間に淡い軌跡を残していく。
ノアはその光景を見ながら、ニヤリと笑い、呟いた。
「――いってらっしゃい」
魔力の魚群が一斉にグリムたちへと襲いかかる。
SBTAの兵士たちは驚愕し、反射的に振り返る。
各々、魔法を発動しようと手をかざす――。
しかし、その動作よりも速く、
魚群の圧倒的な暴流と水圧が彼らを呑み込んだ。
魔力の魚が一瞬、兵士の体に絡みつき、
次の瞬間、爆発するように水圧で弾け飛ぶ。
地上でありながら、まるで荒波に押し流されるように、
兵士たちは宙へと跳ね飛ばされ、壁に叩きつけられていく。
アンブレラ・ストリートの色とりどりの傘が、
魚群の鱗に反射し、虹色の光を弾けさせる。
ノアの魔法を合図に、
エメラルドは弓を構え、低く詠唱する。
「――レ・ヘエル・ウィーレン」
その瞬間、風の精霊シリウスが弓の先に収束し、
矢の形を成す。
エメラルドは弓を引き絞る。
狙いは、一隊のど真ん中――。
そして、放つ。
――疾風ッ!!
放たれた瞬間、
矢が空中で暴風を纏い、分裂する。
無数の風の刃となり、雨のように降り注ぐ。
兵士たちの悲鳴が、
激しい風音にかき消される。
次々とSBTAの兵士たちが射抜かれ、
倒れていった。
だが――。
その中で、
グリムだけが微動だにしていなかった。
「くそぉッ……挟み撃ちかァ!! 小賢しいッッ!!」
怒声を上げると、
グリムは腰のサーベルを抜くことなく、
懐から一枚の御札を取り出した。
そして――、
それを宙へと放つ。
「蹂躙しろォッ!! リンロン!!」
グリムの叫びが響いた瞬間、
宙に放られた御札が弾け、妖しい魔法陣が展開される。
地を這うように、
漆黒の紋が空間を侵食する。
闇が広がり、光が削がれていく。
まるで、空間そのものが歪み、
死とカバネ、
生と鼓動の狭間で蠢くかのように――。
そして、闇の奥から、ソレは現れた。
――無音で、無機質に。
それは、
霊気に満ちた黒い靄を纏いながら、
ゆっくりと姿を顕現させる。
玲瓏|リンロン。
グリムの屍式精霊術によって召喚された、
妖怪――、キョンシー。
リンロンは、
生と死の境界に佇む亡者のごとく、
無表情のまま、静かに首を傾げた。
◇ ◆ ◇
観覧車は、静かに――、
しかし確かに、空へと登っていく。
アルミナの乗るゴンドラは、
ちょうど頂点へと差し掛かろうとしていた。
ゼーラ川に架かるエレル橋の真上。
ブルクサンガ・サンの頂点。
「昼と夜の狭間」――。
その特異な空間の中心で、
アルミナはタイヨウシング・エラを演奏し続ける。
ゴンドラの窓の外では、
表側の昼の青空と、
裏側の夜の宇宙空間が
境界線で溶け合い、混ざり合っていた。
頭上に広がる逆さになった裏側の街並み。
赤レンガの屋根が波打つブルクサンガの表側の街並み。
二つの都市が一つの額縁に収まり、
異様なカオスと狂気を描いている。
アルミナの手は震えていた。
――それでも、彼は吹き続ける。
揺らぐ音色が、
空間の境界線を震わせるように滲んでいく。
たどたどしい旋律。
完璧ではない。
音は、少し掠れながらも、
それでも――それでも、吹き続ける。
「アルミナにも、一緒に戦ってもらうよ」
キロシュタインの言葉が薪となり、
アルミナの魂に火を焚べる。
ゴンドラが揺れるたび、
息が不規則に乱れ、
音程が微かにぶれる。
彼は必死に指を動かし、
息を吹き込み続ける。
キロシュタインのように、
音楽の才能はない。
ただの暇つぶしだった。
けれど、
今この瞬間だけは――、
たとえ偽物であっても、
音楽の魔術師を演じる。
この音を、空に響かせなければならない。
彼の演奏は、
裏側の街と表側の街が交差する狭間に、
ゆっくりと、静かに、染み込んでいく。
フルートの儚げな音色が、
風に乗って揺らぎ、
カオスの空間へと流れ込んでいく
表裏一体の境界を越えて――、
アルミナの旋律が、
聖戦の戦場に鳴り響き続ける。
ゴンドラが通過した軌跡が、
青白い輝きを帯びながら、
大観覧車の円環に浮かび上がっていく――。
軌道上に、キロシュタインが刻んだ魔法譜がゆらめきながら現れる。
告式の神声文字が淡い光を放ち、
旋律に呼応するように脈動していく。
静かに、……確実に。
――『縦軸の魔法陣』を描いていく。




