表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/45

32|『メフィスト・ワルツ|♯第1番』

 ブルクサンガの郊外――、

 静かな村の片隅にて。


 小さな家の窓から朝日が差し込み、

 木造の壁に柔らかな陰影を落としていた。


 かすかに揺れるカーテンの向こうでは、

 遠くの丘から鳥の鳴き声が響く。


 ここは、かつてブルクサンガ市長を務めた男、カザテの家だった。

 

 部屋の中は、こぢんまりとしていながらも、どこか気品が漂っている。木製のテーブルには古びたブルクサンガの地図が広げられ、その傍らには擦り切れた書物が積まれていた。壁には歴史を感じさせる額縁や、過去の市政に関わる証書がいくつか飾られている。


 そのテーブルを挟み、

 キロシュタインとカザテが向かい合っていた。

 

 カザテは白髪交じりの髪を整え、長い歳月を刻んだ皺深い顔で静かに紅茶を啜る。彼の鋭い目は、今もなおブルクサンガの歴史を見つめてきた長老のような威厳を持っていた。かつて彼はこの街を導く立場にいたが、今は隠遁し、過去を振り返る日々を送っている。


 キロシュタインは静かに話を切り出した。


「……ブルクサンガの裏側について、教えてほしいの」


 カザテは一瞬、目を細めた。

 その瞳の奥に、遠い記憶を呼び起こすような色が宿る。


「……裏側の街、ヴァルプルギスの夜のことか」


 彼はそう呟きながら、

 広げられた地図を裏返した。


「ヴァルプルギスの夜……」


 キロシュタインは、その名を口の中で繰り返す。


「そう呼ばれている。あれは、元々このブルクサンガの街ができるよりも前に存在していた世界だ」


 カザテは椅子にもたれ、静かに言葉を紡ぎ始める。


「裏側の街は、かつてサンタキエロを信仰していた者たちが魔法によって創り上げたものだ。サンタキエロが天使であったころ、彼を崇拝する者たちは彼のための世界を築いた。それが、ヴァルプルギスの夜だ」


「表側のブルクサンガよりも前に?」


 キロシュタインは意外そうに眉を上げた。


 カザテは頷く。


「そうだ。つまり、表側の街は、

 もともとヴァルプルギスの夜の上に築かれたものにすぎん」


「じゃあ……最初は何の問題もなく、裏側と共存していたってこと?」


「……いや、最初の頃はな」カザテの声が少し低くなる。

「かつて、この街では毎年ヴァルプルギスの夜の『祝祭』が行われていた」

「表と裏、両方の街を繋ぐ祭りだったのだ」


「でも、ある時から祝祭で子供たちが行方不明になり始めた」

「まるで消えたようにな……」


 キロシュタインは言葉を失った。


「……消えた?」


「ああ」カザテは遠い目をして頷く。

「ある年の祝祭では、空に向かって歌を歌っていた子供が、一瞬で消えた」

「また、ある年の祝祭では、母親が抱きかかえていた赤ん坊が、声も無く消えた」


「サンタキエロの仕業だ、と人々は噂し始めた」

「それを恐れ、私たちは魔法でヴァルプルギスの夜を封印したのだ」


「でも……」キロシュタインは息を飲む。

「その封印が、今は解かれてるってこと?」


「そういうことになる」カザテは深くため息をついた。

「だが、私たちが封印したはずのものが、なぜ再び解かれたのか……」


 彼は目を閉じ、低く呟く。


「一体、誰がそんなことを……」


 キロシュタインはしばらく言葉を発することができなかった。朝の光は温かいはずなのに、この部屋に流れる空気はどこか冷たい。カザテの目に映るのは、決して過去の話ではない――まるで、いまそこに広がっている災厄の記憶をなぞるかのようだった。


しばらくの沈黙のあと、キロシュタインは静かに立ち上がる。


「ありがとう、カザテさん。……色々と、分かったわ」


 カザテは静かに頷いたが、

 その表情にはどこか寂しげな色が滲んでいた。


「どうするつもりだ?」


 彼は問う。


 キロシュタインは、迷いなく答える。


「封印するのよ……」

「ヴァルプルギスの夜を、再び」


 カザテは彼女の覚悟を感じ取ったのか、微かに笑った。


「ならば、気をつけろ。あそこは……人の理を超えた世界だ」

「理を超えた者は、最後には理に呑まれるぞ」


 キロシュタインは腕を真っすぐ伸びをして、

 それからカザテの目を見て言い放つ。


「――人の理を超えた世界。いいじゃないですか」

「わたし、そういうの大好きなので」

「骨の髄まで調べ尽くして、解き明かしてやる――」


「それにしても、ヴァルプルギスの夜を封印する魔法かぁ……」

「魔法譜を組み立てるの楽しそーー!! わくわくしてきたなぁ――」


 カザテは呆れたように言う。


「君、本当に何を考えているんだ……?」


 部屋の時計が、小さく時を告げる。


 外では、羊飼いの少年がのんびりと笛を吹いていた。

 朝露に濡れた牧草地で、白い羊たちが草を食んでいる。


 丘の向こうから、村の女たちがパンを抱えて帰ってくる。

 誰もが、穏やかな日常を当たり前のように生きていた。


 キロシュタインは窓の外をぼんやりと眺めた。


「……何も知らなければ、幸せだったかもしれないわね」


 そう呟き、彼女は席を立つ。

 戦場へ向かうために。


  


   32.『メフィスト・ワルツ|♯第1番』




 英雄歴3071年07月13日――。

 ブルクサンガは、黒く厚い雲の渦の中に閉じ込められていた。


 巨大な雲の壁が街をぐるりと囲み、円を描くようにゆっくりと回転している。空には、まるで裂け目の向こうに広がる異世界のように、逆さまになった裏側の街が宇宙空間に漂っていた。地上の街と鏡写しのように、そこには建物が並び、逆転した観覧車が静かに回転している。その景色は、どこまでも非現実的で、しかし確かに目の前に広がっていた。


 空には、半分だけ青空が広がり、

 それより上は、ヴァルプルギスの夜と宇宙空間に呑まれていた。


 今、この街には70万人いた市民のうち、50万人が避難し、残る20万人が取り残されている。避難指示はアークステラから通達され、街の各地に配置された飛行艇が市民たちを運んだ。避難した者たちは、今頃、どこか遠くの安全な場所にいるのだろう。しかし、街に残った20万人は、それぞれの理由でここに留まった。


 市庁舎やヴァルテス城跡学園などの公共施設には、行き場のない人々が身を寄せ合い、静かに時を待っている。ある者は家族とともに、ある者は仲間たちと、そしてある者はただ一人、いつ終わるとも知れぬ嵐の前の静けさの中にいた。


 街の通りには、プホラ・フラスコの部下と思われる者たちが姿を現し始めていた。彼らは紫色の制服に身を包み、無言で街を歩いている。SBTA――南ビアンポルト交易協会の兵士たちだ。彼らは、聖戦のために呼ばれたのだろう。


 しかし今は、彼らもただ沈黙を守っていた。


 聖戦が始まるのは、今日の正午。

 

 ――それまでは手を出すな。

 それが、定められたルール。


 市民たちは、

 息を潜めながら、嵐の訪れを待っていた。



 ◇


 

 ゼロシキ商会の屋根裏部屋は、

 さながら本の海のようだった――。


 世界中から取り寄せられた数多の魔導書が床に積み上げられ、

 中には天井にまで達するほどの塔と化したものもある。


 二段ベッドやラテルベルのベッドも、

 本の波に呑み込まれ、告式や術紋が書かれた紙があちこちに散乱していた。


 そして、一番奥――。


 キロシュタインの部屋には、

 変わり果てた姿の「ぬし」がいた。


 ペールオレンジの長い髪は跳ねにはね、

 もはやリボンは髪をまとめるためのものではなく、

 絡まり合い、髪そのものの一部と化していた。


 服装はいつもの、

 白のプルオーバーパーカーに、デニムのワイドパンツ。



 ――、

 キロシュタイン・ヴォルケ・ベッカー。



 左目の眼帯の紐はよれよれになり、

 右目の下には、大きなクマができている。


 彼女は虚ろな瞳で、壁に取り付けられた黒板へと向かい、

 魔法譜を書いては消し、書いては消し――、

 その作業を延々と繰り返していた。


 そのせいで、

 袖はチョークの粉で真っ白になり、

 部屋の床も白く染まっている。


 時折、何かを思いついたのか、

 足元に積まれたノートの中から一冊を取り上げ、

 黒板の内容を無心に書き写していく。


 まるで、時間という概念すら忘れ去ったかのように――。


 そんな彼女の背後から、

 そーっと忍び足で近づく影が一つ。


 フェイト・ノアだった。


 ノアは、いたずらっ子のような笑みを浮かべながら、

 キロシュタインのすぐ背後に立つ。


 そして――、


「うぁぁぁぁぁっ!! おばけだーっ!!」


 突然の大声。


「きゃぁぁぁッ!! な、なにっ!!」


 キロシュタインは漫画のようなリアクションで飛び跳ね、

 黒板のチョークを派手にぶちまけながら振り返る。


 そこには、満足そうな笑みを浮かべるノアの姿があった。


「もう、いきなり驚かさないでよ――」

「(マジでビックリした……)」


 頬をふくらませてノアを睨みながらも、

 キロシュタインは息を整え、深呼吸する。


「それで? どうしたの??」


 ノアは、まだ楽しげに笑っていたが、

 やがて表情を引き締め、真剣な声で告げる。


「……はじまるよ。聖戦」

「あと、ちょうど一時間くらいかな」


 キロシュタインは短く返す。


「――そう」


 ノアは、心配そうにキロシュタインの顔を覗き込んだ。


「キロちゃん、大丈夫??」

「顔、すごいことになってるよ」

「せっかくの可愛いお顔が、もぉー」


 ノアはそう言うと、キロシュタインのほっぺたを両手でぐるぐるとこね始めた。


 「へうへふへうふはっ!!」


 キロシュタインはされるがまま、顔を引きつらせながら抵抗もできない。


 しかし、そのままぽつりと呟いた。


「……完成した……かもしれない」

「ヴァルプルギスの夜を封印する魔法のクラフト(魔法譜)――」


 ノアの手がピタリと止まる。

 驚いたように目を丸くし、それから――。


「すごいっ!! すごいよキロちゃん!!」

「さっすがー、天才天才天才ぃ~!! こねこねこね!!」


 再びほっぺたをこねこねされ、

 キロシュタインは抵抗する間もなく、ぐにゃぐにゃの顔で呻いた。



 ◇



 ゼロシキ商会の一階。

 

 普段は雑貨や魔道具を並べる店舗スペースが、

 今は綺麗に片づけられ、聖戦のための作戦室となっていた。


 甲冑を纏った男が、真剣な表情でアサンに向き直る。


「では、私たちブルクサンガ治安部隊は、民間人の護衛を優先します」


 その決意を受け取った当のアサンは、いつものように気の抜けた調子で、


「うん、よろしくぅ~。頑張ってねー!」


 と、胡散臭い笑みを浮かべながら軽く手を振った。


 去っていく治安部隊隊長の背中を見送りながら、

 作戦室に残ったのは――


 アサン・クロイヴ。

 ラテルベル・ラズライト。

 アルミナ・ラズライト。

 エメラルド・スターシーカー。

 月涙|ツキナ。


 五人の面々だった。


 その静寂を破るように、ラテルベルが問いかける。


「――アルミナ。なんで避難しなかったの?」


 その声には、心配と怒りが混じっていた。


 アルミナは車椅子のハンドリムを回し、

 少し視線を落としながら答える。


「ボクだって何かの役に立ちたいんだ――」

「ラテルベルこそ、アンヘルさんとは上手くやってるの?」


 一瞬、ラテルベルの表情が引きつる。

 しかし、すぐに胸を張り、勢いよく言い返した。


「うっ――も、もちろんっ!」

「アルミナの依頼を絶対に成功させるために、今、修行中だよ!」


 アルミナはその言葉に安心したように微笑む。


「そっか。……ありがとう、ラテルベル」


 そんな会話が交わされていると、

 階段を下りてくる足音が二つ。


 キロシュタインとノアだった。


 ラテルベルは、目を疑ったようにキロシュタインを見つめ、

 戸惑いながら問いかける。


「えっ――キ、キロさん……ですよね??」

「わたしの修行中に、無人島にでも行ってたんですか?」


 その言葉を聞いたアサンは、堪えきれず机を叩いて笑い出した。


「はっ、はははっ!! キロシュ、なんだよそれぇ!」

「めっちゃ似合ってんじゃん。貫禄あるよー!」


 ちらりと横を見ると、

 アルミナとエメラルドも微妙に口元を引きつらせながら、

 笑いをこらえているのが分かった。


 そして、ツキナもまた、表情こそ変わらないものの、

 手元に持っていたノートを指先で弄びながら、

 少し目を伏せている。


 キロシュタインは、そんな反応に少しむすっとしたものの、

 すぐに鋭い眼差しへと戻し、強い声で言い放つ。


「――みんな。遅くなってごめん」

「やっと……やっと完成したんだ。最高の魔法が――」


 その言葉に、部屋の空気が一変する。


「動かす準備は整っている」

「シナリオもすでに完成している」

「だから。今から、そのシナリオについて話す」


 キロシュタインは一拍置き、

 ゆっくりと視線を皆に向けて、最後の言葉を告げた。


「――作戦会議、開始だ」



 ◇



 キロシュタインは、

 部屋の中央――机の上に広げられた、

 真っ白なペーパークラフトを指さしながら、

 作戦の内容を語り始めた。


 精巧に作られたブルクサンガの模型。

 街の細部まで作り込まれたそれは、ノアが趣味で作り上げたものだった。


「まず、今回の聖戦の最終目的は――」

「街の裏側――ヴァルプルギスの夜と、悪魔の王・サンタキエロの封印」


 一拍置き、キロシュタインはツキナに一瞬視線を送る。


「そして――プホラとメフィスト」

「こいつらとの因縁に決着をつけるのも、今回の聖戦の目的の一つだ」


 キロシュタインの言葉に、作戦室の空気がさらに引き締まる。

 ツキナの表情は変わらないが、ラテルベルとアルミナはそっと拳を握る。


 キロシュタインは深く息を吸い、ペンを手に取ると、

 ペーパークラフトのブルクサンガに赤い線を引きながら話を続ける。


「今回、ヴァルプルギスの夜を封印するために構築した魔法の鍵――」

「それはずばり、『回転』だ」


 ペンの先が模型の中央をなぞる。


「このブルクサンガの街全体を使い、」

「一つの巨大な渦――『魔法陣』を完成させる」


 ペーパークラフトの街に、赤い線が加えられていく。

 まず、街の中央を円状に囲むトラムの線路。


「一つ目は、ブルクサンガ環状線」

「全長25km、ゼーラ川を中心に、線路が環状に敷かれている」

「この環状線の回転は、魔法陣の横軸を担う」


 次に、ペンが示すのは街の中心にそびえる大観覧車。


「二つ目は、ブルクサンガ・サン」

「この観覧車の回転は、魔法陣の縦軸を形成する」


 そして最後に、

 キロシュタインは模型の中の一つの建物を指し示した。

 

 それは、歴史ある旧市庁舎。


「そして、最後のピースが『天文時計』」

「この時計の回転が、魔法陣の時間軸となる――」


 作戦室のメンバーは、それぞれの考えを巡らせながら説明を聞いていた。

 エメラルドは頷きながらも、疑問を抱えた様子で手を挙げる。


「……でも、そんな巨大な魔法、一体どうやって発動するんですか?」


 キロシュタインは、

 よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに微笑むと、言い放った。


「交響詩、タイヨウシング・エラだよ」



 ◇



 キロシュタインは、説明を続ける。


「プホラ・フラスコの魔法譜をMM暗号で解読したら――」

「タイヨウシング・エラの楽譜が現れた」


 一瞬、作戦室の空気が張り詰める。

 前にその話を聞いていたノアは静かに頷いている


 キロシュタインはホワイトボードに数枚の紙を貼った。

 それは、楽譜のコピーだった。


「わたしは疑問に思った」

「そこで、オークション会場で会ったタイヨウシング・エラの作曲者――」

「アナ・グラの末孫に話を聞きに行った」


 キロシュタインの指先が、貼られた楽譜をなぞる。


「――アナ・グラは音楽だけでなく、魔法の才能もあった」

「末孫の話によると、彼はタイヨウシング・エラの楽譜に

 MM暗号を仕込んでいたらしい」


 アサンが気の抜けた調子で口を挟んだ。


「僕さぁー、魔法兵器工学ならそれなりに自信あるんだけど、」

「キロシュの話はぜんぜん理解できる気がしないねぇ」

「つまり? 鍵は回転、だから、とにかく回すのが大事ってこと?」


 キロシュタインは大きなクマのできた目でアサンを睨む。

 アサンはすぐに手を挙げ、苦笑しながら言った。


「ごめんごめん、ちゃんと聞くからぁ~」


 キロシュタインは小さくため息をつき、話を続ける。


「……簡潔に言えば、アナ・グラはタイヨウシング・エラの楽譜に、」

「聖書『枝典神歌(エデンシンカ)』の太陽の王国編の物語――」

「その最後のシーンを、MM暗号で隠した魔法譜で表現していた」


 部屋にいた全員が真剣に耳を傾ける。


「太陽の王国編の内容は省略するけど、」

「物語の結末では、『王国を封印するための魔法』が登場する」

「だから、アナ・グラが楽譜に隠したのは――」

「この物語に登場する、封印の魔法のクラフト(魔法譜)


「……ただし、これはあくまでアナ・グラが神話を解釈して作った偽物」

「王国を封印した本物の『封印魔法』とは違う」


 そう言いながら、キロシュタインは楽譜を指で叩いた。


「そして、おそらく――」

「プホラはこの楽譜を解こうとして、失敗した」


 ピリッとした空気が走る。

 ラテルベルとアルミナが息を呑む。


「結果として――」

「プホラが完成させたのは、悪魔と契約する魔法だった」


 キロシュタインの言葉に、一同が静まり返る。

 ツキナが目を伏せ、アサンですら口を噤んだ。


 キロシュタインは軽く息を吐き、静かに続ける。


「わたしは、プホラと同じ轍を踏まないように、」

「タイヨウシング・エラの楽譜をMM暗号で解くことにした」


「そしたら、たしかに罠があった」

「音符と音楽記号を並び替えずに暗号を解こうとすれば」

「――プホラと同じ結果になっていたと思う」


 キロシュタインは、

 持ってきたノートを開き、静かに言った。


「だけど、正しい順番に並び替えた上で、」

「MM暗号を適用したら――ついに辿り着いた」


「アナ・グラが隠した『秘宝』に」


 ノートのページを指でなぞる。

 そこには、幾重にも告式が重ねられた膨大な魔法譜が記されていた。


「この秘宝は、太陽の王国を封印するための魔法をアナ・グラが再現した魔法譜」

「……けれど、そのままではヴァルプルギスの夜の封印には至らない」


「だから――」

「わたしが手を加え、ついに完成にまで持っていった」


 キロシュタインはノートを机の上に広げ、

 次々と追加のノートを取り出す。


 一冊、二冊――最終的に三冊が並ぶ。


 三冊すべてのページには、

 細かく緻密な魔法譜がびっしりと書き込まれていた。

 

 告式、術紋、触媒。

 そこには、まるで設計図のように完璧な理論が詰め込まれている。


 それを見たノアが、震える声を上げる。


「うわーっ、うわーーっ!! 情報量が……多すぎるぅー!!」


 ツキナは冷静に、ノートをじっと見つめながら問いかけた。


「……完全式ですね」

「全体で幾つの告式を使用したのですか?」


 キロシュタインは軽くノートをめくりながら答える。


「――千個」


「総文字数は七千、術紋は二百個、触媒は千八百くらい」


 作戦室に、どよめきが走る。

 エメラルドは驚きの声を上げた。


「魔法温度の管理が完璧だ……」

「オーバーヒートもオーバーフロストも起きない設計になっている……」

「す、すごいですよ!! キロシュタインさん!!」


 一気に熱のこもった言葉を投げかけるエメラルド。

 不意に、お互いが「初対面」であることを思い出す。


 微妙な間が空き――キロシュタインは、「どうも」とだけ返した。



 ◇



 アサンがキロシュタインに声をかける。


「ねぇ、キロシュ。もう時間ないよぉ」

「僕たちの配置とか、どうすればいい? もう決まってる?」


 キロシュタインは時計を一瞥する。

 聖戦の始まり――正午まで、残り十五分。


 彼女は息を整え、作戦室の全員を見渡した後、口を開く。


「――ごめん、思ったより説明に時間かかっちゃったね」

「じゃあ、今から配置の説明をするね」


 そう言いながら、

 キロシュタインはペーパークラフトのブルクサンガの模型に、

 色のついた人型のコマを置いていく。


 まず、一つ目のコマ。

 彼女は緑色のコマを旧市街の位置にそっと置いた。


「エメラルドには、このエリアにある旧市庁舎――」

「天文時計を守ってもらう」


 彼女はペンで天文時計の位置を示しながら続ける。


「たぶん、サンタキエロかプホラがすぐに作戦の意図に気づく」

「そうなれば、封印魔法の『鍵』を壊しにくるはずだから」


 その言葉に、エメラルドはすぐに反応した。

 彼は力強く胸を張り、真剣な表情で答える。


「……わかった」

「天文時計が破壊されないよう、全力で守るよ」


 キロシュタインは頷くと、次のコマを手に取る。


 今度は黒色のコマ。

 それを、ブルクサンガ環状線の駅の位置に配置した。


「アサン会長は、環状線を走るトラムの護衛をお願いします」

「このあと詳しく説明するけど、車両内にはわたしが乗っています」

「だから、わたしが殺されないように守ってください」


 アサンはいつもの軽い調子を封じ、

 静かに微笑みながら答えた。


「了解、キロシュの護衛だね」

「かすり傷一つつけさせないから、安心して」


 その返答を確認してから、

 キロシュタインは次のコマ――紫色のコマを大観覧車の前に置く。


「次はツキナ」

「ツキナには、ブルクサンガ・サンを守ってもらう」


 彼女は、ペン先で観覧車のミニチュアを指し示す。


「これも後で詳しく説明するけど、観覧車の中にはアルミナが乗る」

「だから、アルミナが殺されないように護衛をお願い」


 その言葉に、ツキナよりも先にアルミナが驚いた様子で声を上げた。


「えっ? ボクにも何かできることがあるの?」

「――観覧車に乗るんだよね……?」


 キロシュタインはしっかりと頷き、

 彼の目を見据えながら答える。


「もちろん。アルミナにも、一緒に戦ってもらうよ」

 

 アルミナの表情が一瞬で輝く。

 彼は満面の笑みで拳を握りしめた。


「任せてよ、なんだって全力でやるから!」


 そのやり取りを聞いていたツキナは、

 改めて自分の配置を確認するように呟いた。


「……観覧車、アルミナさんの護衛……がんばる」


 ――。 


 キロシュタインは、

 水色のコマを街の外の位置に置いた。


「ノアには、ホウキに乗って斥候と遊撃をしてもらう」

「機動力を活かして、空中から敵の配置を確認してほしい」

「それと、仲間がピンチのときは即座に援護に回って」


 ノアは拳を握りしめ、興奮した様子で声を上げる。


「お、おぉー!  斥候……遊撃……っ!!」

「まっかせてくださいな!!」


 意気揚々と胸を張るノアを見て、

 キロシュタインは小さく微笑む。


 次に、彼女は赤色のコマを取り、

 これもまた街の外の位置に置いた。


「……ラテルベル」


 名前を呼ばれ、

 ラテルベルは背筋を伸ばし、元気よく返事をする。


「はっ――な、なんでしょうか!」


 その様子を見て、

 キロシュタインは微かに笑みを浮かべた。

 

 そして、アサンに目配せをする。


 アサンが頷き、

 キロシュタインに言う。


「――準備できてるよ」


 キロシュタインはそれを確認し、

 あらためてラテルベルに向き直る。


「よし、それじゃあ。ラテルベルには……」

「カルディア『O2』に搭乗してもらう」


「え、えぇぇぇぇっ!!!」


 ラテルベルの驚きの声が、作戦室に響き渡る。

 彼女は目を丸くし、慌てて言葉を続ける。


「わ、わたしがカルディアに乗るんですか!? で、でもっ!!」

「O2は、タイプ:ジェミニで……起動には大量のリンネホープが……」


 キロシュタインは手で制し、落ち着いた口調で言った。


「――大丈夫。誰の命も使わないから」

「続けてもいい? ラテルベル」


 ラテルベルは、

 驚きと不安の入り混じった表情で、静かに頷く。


 キロシュタインは続けた。


「プホラたちがソルトマグナを襲撃した時、敵の中にカルディアがいた」

「つまり、彼らはカルディアを所有している」

「間違いなく、今回の聖戦にも投入してくるはず」


「ラテルベルには、そのカルディアと戦ってほしい」


 その言葉に、ラテルベルは一瞬で目線を落とし、

 いつもの癖のように背中を丸めた。


 小さな声で、弱々しく呟く。


「で、でも……わたし一人でなんて……そんなの……」


 キロシュタインは、その姿を見ても何も言わなかった。

 かわりに、そっとノアに視線を送る。


 ノアは頷くと、部屋の隅に置かれていた箱を手に取った――。



 ◇



 箱の中に収められていたのは――、

 キロシュタインたちがオークションで手に入れた『太陽の衣』だった。


 ラテルベルはそれを手に取り、そっと羽織る。

 

 ふわりと広がる鮮やかな紅のローブ。

 深い青の装飾が施された生地は、

 まるで燃え上がる炎のように揺れた。


「わ――す、すごいです、これ」

「なんだか、メラメラって力が湧いてきますよ!!」


 くるくると回りながら、興奮した声を上げるラテルベル。

 その様子を見て、ノアが目を輝かせながら言う。

  

「ラテちゃん、カッコいい!!」

「ね、試しに魔法使ってみてよ!!」


 ラテルベルは一瞬戸惑った表情を見せたが、

 そっと手を開き、ゆっくりと詠唱する。


「――紅蓮の剣(フレイゼイ)

 

 その瞬間、彼女の右手に、

 燃え盛る紅蓮の炎を纏った剣が顕現した。


 熱気が周囲の空気を歪ませる。

 離れた場所にいる仲間たちにも、

 その圧倒的な熱量が伝わるほどだった。


 ラテルベルは剣を軽く振り、

 ボワッと火を散らしてから、興奮混じりに言う。


「あ、ありがとうございます!! ……これなら!」


 そこへ、アルミナが疑問に思ったようにキロシュタインへ尋ねる。


「でも、キロシュタインさん。肝心のO2は?」

「あの機体、今は、聖鉄ハンネ騎士団が預かってるはずだけど」


 キロシュタインは時計をちらりと確認し、

 落ち着いた口調で答えた。


「時間になれば、向こうから来るはずだよ」

「……頼りになる助っ人も一緒にね」


 その言葉に、アルミナの目が一瞬伏せられる。

 だが、口元には小さな笑みが浮かんでいた。

 彼は期待を抱きつつも、

 どこか複雑な感情を抱えているようだった。


 キロシュタインは、皆の視線を集めると、

 改めて作戦会議の続きを進める。


「最後に――わたしとアルミナの配置だけど、」


 そう言いながら、

 まずはオレンジ色のコマを列車のミニチュアの隣に置いた。


「わたしは、ブルクサンガ環状線を走る列車に乗る」

「そして――その車内で、チェロを演奏する」

「曲は、交響詩タイヨウシング・エラ」


 一瞬、静寂が訪れる。


 作戦室にいたメンバーが、

 揃って「?」といった表情を浮かべた。


 沈黙を破ったのはアサンだった。

 彼は腕を組み、いつもの調子で口元を緩める。


「聖戦をしながらチェロを弾くなんて、キロシュはお洒落だねぇ」

「で、僕の役目は、演奏する君を護衛すること。なるほど?」


 キロシュタインは、

 アサンの軽口に少しイラっとしながらも、冷静に話を続ける。


「――理屈を説明してると時間がなくなるから……」

「ヴァルプルギスの夜を封印する魔法を発動するために、

 『タイヨウシング・エラ』を演奏する。これだけ覚えておいて」


 そう言いながら、キロシュタインは

 ホワイトボードに貼られた楽譜を剥がし、

 代わりに文字を書き記していく。


「まず、今回の魔法が発動するまでにかかる時間は75分――」

「これは、わたしが乗るブルクサンガ環状線の一周の時間と同じ」


 《横軸・ブルクサンガ環状線:一周75分》


 赤いマーカーでそう書き込み、

 続けて、ペン先をホワイトボードの別の場所へ滑らせる。


「次に、大観覧車『ブルクサンガ・サン』の一周は25分――」


 《縦軸・ブルクサンガ・サン:一周25分×3=75分》


「だから、魔法が発動するまでに観覧車は三周することになる」

「天文時計は、そのまま75分間、通常通りに動き続ける」


 《時間軸・天文時計:75分》


 ホワイトボードの上に、

 3つの軸が明確に書き記される。


「それぞれ、列車の車両と観覧車のゴンドラ、天文時計には、」

「すでに今回の封印魔法のクラフトを書き記した、」

ディアノイア(魔法起動円盤)をセットしてるから」

「あとは、回転が始まれば、自動的に魔法陣の組み立てフェーズに移行するはず」


 キロシュタインがそう説明すると、

 ホワイトボードをじっと見つめていたアルミナが問いかけた。


「じゃあ、ボクの役割もキロシュタインさんと同じように……?」


 キロシュタインは頷き、はっきりと答える。


「そうだね。アルミナには、ブルクサンガ・サンに乗りながら、」

「フルートで『タイヨウシング・エラ』を演奏してもらう」


 アルミナは驚いたように目を見開いた。


「えっ……ボクが?」


 キロシュタインは続ける。


「前にラテルベルから聞いたんだけど、フルートが吹けるって」


 アルミナは照れくさそうに頬を掻きながら言った。


「ま、まあ、その……病室でやることがなかったから……」

「――でもボク、あまり上手くないんだけど」


 キロシュタインはさらっと言い放つ。


「楽譜を見ながらでいいから」


 音楽を知る者の余裕だった。


 アルミナはしばらく逡巡していたが、

 やがて小さく拳を握り、決意を固める。


「……吹けるかなぁ」


 そう呟きながらも、彼の瞳には、

 しっかりとした覚悟が宿り始めていた。



 ◇



 キロシュタインは、アサンに向き直り、

 静かに言葉を発した。


「それじゃあ、最後に――アサン会長」

「今、分かっている敵の情報を共有してください」


 アサンは、いつもの胡散臭い笑みを浮かべながら、


「おっけー。ではでは、みんな注目してくださいねぇ~」


 と、軽い調子でホワイトボードの前に立つ。


 そして、数枚の写真を取り出し、

 ボードに張りながら言った。


「まずは、この二人ね」


 アサンが指差した二枚の写真には、

 体格のいい男と、スリムな男――、

 対照的なコンビが写っていた。


「この二人はSBTAの幹部、グリムとネビュラです」

「デカい方がグリム、細い方がネビュラねー」

「グリムは精霊術使いで、ネビュラは狙撃が得意とのことですー」

「皆さん、覚えましたかぁ? 次行きますよー」


 アサンは、どこか楽しげに、

 若干ふざけながら話を進めていく。


 次に貼られた写真には、

 黄金色の髪に、紅いルージュを引いた妖艶な女が写っていた。


「このお姉さんもSBTAの幹部で、」

「名前はメリッサですー。――で、たぶんこの人が、」

「例のカルディアに搭乗していたパイロットなんじゃないかなぁ」


 カルディア戦を任されたラテルベルは、

 メリッサの写真をじっと見つめ、

 強く拳を握りしめていた。


 アサンは、指を鳴らしながら続ける。


「グリム、ネビュラ、メリッサ――」

「僕が調べた限り、注意が必要なのはこの三人くらいだねー」

「ま、SBTAは新興の組織だから、そこまで超強い敵はいないと思うよー」


 そう言いながら、

 アサンはさらに三枚の写真をホワイトボードに並べた。


 そこに映っていたのは――、

 サンタキエロ、プホラ・フラスコ、メフィスト。


「この三人は説明もいらないだろうけど、一応――」

「左から、サンタキエロ、プホラ・フラスコ、メフィスト。大ボスだね」

「ノアちゃんは、まずこの三人がどこにいるのか探してねぇ」


 ノアは勢いよく敬礼し、


「はいっ!! 斥候のノア、隅々まで探します!!」


 と元気よく返事する。


 ――と、そんなやり取りをしている間に。

 まもなく、聖戦の開始時刻が迫ってきた。


 キロシュタインはホワイトボードを見つめ、

 深く息を吸い込み、仲間たちを一人ひとり見渡した。


「――よし、始めようか」


 その言葉とともに、

 部屋の空気が張り詰めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ