30|『世界樹』
――キロシュタインとサンタキエロの旗立式が終わったあと。
ノアは、アニハに言われ、星礼院に残っていた。
「それで、なんです? 私にだけ用事って……?」
ノアはきょとんとした顔で、アニハを見上げる。
アニハは、微笑みながらゆったりと答えた。
「そう心配そうな顔をせんでも大丈夫じゃ」
「のぉ……『アカシアの巫女』――フェイト・ノアよ」
その言葉が、ノアの耳に届いた瞬間――、
彼女は、思わず一歩、後ずさる。
「な、なんでそれを……って。そりゃそうだよね」
「アニハさん、千年以上生きてるんだもん。知ってて当然だよね!」
自分で納得し、
今度は一歩、前に踏み出す。
それは、アニハから危険な気配を感じなかったからか――。
何にしろ、ノアにはアニハを警戒する理由がなかった。
当然、正体を当てられたことに驚き、
反射的に後退ってしまっただけだ。
「ではでは。そんなアカシアの巫女、ノアに何の用事です――」
ノアが軽い調子で問いかけようとした、その瞬間――。
アニハが人差し指と中指を揃え、
ノアの額をトンと突いた。
瞬間――。
世界の色彩が、一瞬だけ失われた。
そして、アニハは小さく呟く。
「……アカシア・システム。――詠唱開始」
その言葉を合図に――、
ノアの瞳から、光が消える。
――パァァァァァァンッ!!
突如、ノアの体を中心に、幾重もの光の輪が広がる。
それはまるで、宇宙の創造の瞬間を目撃しているかのようだった。
空間全体が震え、
ホールの天井に、"黄金の回路"が輝く。
まるで、この場所そのものが生きているかのように――。
ノアの口が、静かに開いた。
「――アカシア・システム。再接続……」
「ヘデラ認証、正常。……アニハエル様、どうしましたか?」
その虚ろな瞳には、もうノアらしい感情の色はなかった。
アニハは、
しばらく彼女の様子を観察し――。
そして、
静かに口を開く。
「せっかくじゃからな」
「……ついてきてくれ、会わせたい人がいるのじゃ」
そう言って、
アニハはノイトぺセルに視線を向け、
無言で合図を送る。
ノイトぺセルは、
円卓へ静かに手を置き――。
そして、
落ち着いた声で詠じる。
「――詠唱開始」
その瞬間――、
ゴゴゴゴゴ……!!
ホール全体が震えた。
円卓を中心に、床が沈み込む。
まるで巨大なエレベーターのように、
ゆっくりと神殿の地下へと降下していく。
ノアは虚ろな瞳のまま、
微動だにせずアニハの後ろに続く。
この先で、何が待っているのだろうか――。
30.『世界樹』
――星礼院の地下。
そこには、「無限」があった。
どこまでも続く闇。果ての見えない空間。
ここは、まるで世界の概念そのものが存在しないかのようだった。
そして、その中心に。
ただ一本――。
世界樹が、そびえ立っていた。
ゴゴゴ……
ゴオォォォ……!!!
ノアは、言葉を失う。
――これは、本当に"樹"なのか?
――それとも、"世界の意志そのもの"なのか?
枝は、星々と繋がる回路のように無限に広がり、
幹は、神々の詠唱を刻んだ碑文のように、無数の神声文字が浮かび上がる。
さながらこの世界の運命が刻まれているかのようだった。
それは――、
この世界の根幹を担う存在。
神秘と静謐を宿した、荘厳なる大樹。
まるでこの空間のすべてを支配しているかのように、
圧倒的な存在感を放っていた。
アニハたちが地下空間に降り立つと、
魔法のランタンがほのかに灯る。
しかし、それでもなお、
地下は薄暗く、時刻が午前中であることを忘れさせるほどだった。
足元の床は、黒曜石のように滑らかだった。
しかし、その表面には、無数の"円形の模様"が刻まれている。
アニハ、ノイトぺセル、そしてノア。
彼女たちが硬い床を歩くたび、
靴音が静寂の中に響き渡る。
やがて――、
三人が世界樹へと近づいた、その時。
ふっ、と闇が揺れた。
次の瞬間、その闇の中から、
一人の男が現れる。
長い白髪と、滝のような髭。
年老いているはずなのに、強靭な眼差しを持つ男。
彼は、ゆっくりと歩み寄り――
ノアを、ぎゅっと抱きしめた。
「ノア……ノア……っ!!」
男は、何度もノアの名を呼ぶ。
まるで、"長い年月を越えて、やっと再会した者"のように。
彼の声は、詰まり、震えていた。
ノアは混乱した表情で、
抱きしめられたままアニハに助けを求めた。
「すみません……この人は、誰ですか?」
その問いに、
アニハは少し目を伏せ、静かに答えた。
「――ラピス。その人は預言者ラピスじゃ、ノア」
「ほら、知識として知っているじゃろ?」
「キィズ魔法体系を創り上げた、『魔法の父』じゃよ」
ノアは、
男――ラピスに抱きしめられたまま、
脳内のデータベースを検索する。
そして、
静かに口を開いた。
「預言者ラピス……」
「三大預言者の一人と呼ばれている歴史的人物……」
「キィズ魔法体系の創造、『ラピスの十戒』、そして――葦の海を割った奇跡……」
彼女は、
まるで調べた情報をそのまま読み上げるように、
淡々と語った。
しかし――、ラピスは、
その言葉に悲しげな微笑みを浮かべる。
そして、
「ノア……ごめんな……寂しかっただろう……」
そう言いながら、
涙を浮かべたままノアの頭を撫でた。
ノアは、困惑したままアニハを見つめる。
まるで、この感情の意味を問うかのように――。
そんなノアを見つめながら、
アニハはラピスへと話しかけた。
「ラピス。それで、世界樹に何か変化はあったのか?」
ラピスはようやくノアから離れ、
ボロボロのローブの袖で涙をぬぐった。
そして――、
静かに、しかし重々しく答えた。
「……あぁ。ついに回り始めた……」
「――この世界を停滞させていた『運命の輪』が回り始めたのだ……」
その言葉に、
アニハは一拍置いてから、呟いた。
「衝突は避けられんということか……」
その声には、
どこか冷静な響きがあった。
アニハはゆっくりと息を吐き、
何かを憂うように言う。
「やはり、運命の引力は恐ろしく強いのじゃ……」
…………、
……、
世界樹は、
この世界の『根源』を知る者のように、
静かにそびえ立っていた――。




