PROLOGUE|後編 『宝石の海と訣別の一撃』
英雄歴3070年8月――。
南ビアンポルト地方の最東端に位置する港町、鯨殻街=ソルトマグナ。その日、街の市庁舎では、月一回の議会が開かれていた。……街を覆うクジラの骨格、その頭骨内部に造設された市庁舎の会議室に、二十名ほどの議員と、数名の来賓が集う。時刻は、ちょうど夜の十一時を越えた頃だった。
中央に鎮座する石造りの長いテーブルを囲うように、ずらりと椅子が並ぶ。
会議はいつも通りに進み、淀みなく終わりへと向かう。
やがて。上座に座っていた議長が手を叩き、閉会を告げようとしたところで、ある一人の男がおもむろに立ち上がる。――ワインレッドの長髪に、目元には悪魔のタトゥー。二角帽子。紫色の制服の上から、クリムゾンレッドの大きなマントを羽織った、すこぶる派手な壮年の男である。
天を抱くように両腕を広げた男は、大仰に一同の顔を見まわした。
そうして――。パンっ!! パンっ!! と、手を打ち鳴らしはじめる。
「さぁ……ッ。――さぁ! さぁッ! さぁッッ! さあッッッ!!!」
声が高らかに響き渡り、彼の手が鳴る度に空気が歪むかのようだった。
――――、サァ!!
――、舞踏会を始めようかッ!!
PROLOGUE|後編
『宝石の海と訣別の一撃』
ソルトマグナの大灯台。
螺旋階段を、二人の少女がぐるぐると下りていた。
不思議な出会いを果たし、親友になった、キロシュタインとノアの二人である。……こっちの世界では、キロシュタインが椅子に座ってから、おおよそ二分半の時が経っていた。時間の流れが違うというノアの話は本当のようで、二人の魂には確かに、向こうで過ごした数時間分の記憶が刻まれていた。キロシュタインのレザーブーツの音と、ノアのサンダルの音が、タン、テタン、と鳴り響く。
「ねえ、キロちゃん」
ノアが階段を降りながら、ふと口を開いた。
「シアナスさんは、どんな人なの?」
キロシュタインは、一瞬考え込むように視線を上げる。
「うぅん? そうだねぇ~。お母さんみたいな人、かな?」
「お姉ちゃんなのに?」
「そっ。わたしのお姉ちゃんであり、お母さん」
「普段は優しいけど、怒ると超こわい」
「キロちゃんは怒らせたことあるの?」
「一回だけ。――この左目を失くした時に、ね」
ノアの足が、一瞬止まる。
「……それって聞いても大丈夫なこと??」
キロシュタインは、ノアを見て、肩をすくめるように笑った。
「ぜんっっっぜん、大丈夫なことだよ。ただの事故」
彼女は軽い調子で話しながら、
階段を降りる足を止めることなく淡々と語り出す
「わたしが五歳の時にね、その時の家族全員で、
アルナゼリゼっていう街に観光に行ったの」
「その街には有名な図書館があって」
「好奇心に負けた五歳のわたしは、家族に内緒でその図書館に行った」
「――そこで、ある男の子と出会って」
「二人で禁書に書かれてた魔法を使って」
「で、その代償として、魔法が使えなくなって」
「左目も失っちゃった」
ノアは目を見開く。
「いや……いやいや」
「ちゃった、じゃないよ。大丈夫じゃないじゃん。
「大事件じゃん」
キロシュタインは、くすっと笑う。
「まぁね」
「魔法マニアとしては、左目よりも、」
「魔法が使えなくなったことのほうが大きいかも」
階段をおりながら、
その左目について話すキロシュタイン。
一時期、『ポーレット事件』という名前で話題になった、子供二人が起こした魔法災害――。アルナゼリゼという街の、歴史ある「ポーレット帝立図書館」で、当時五歳の女の子と、七歳の男の子が、地下書庫に封じられていた禁書を持ち出して、そこに記されていた、対摂理魔法/カタストロフィを発動。カタストロフィは、星の掟で使用を禁止されている魔法の一種で、代償に、術者の一部を奪うという特性がある。女の子は左目と、魔法を使用するのに必要な器官を失い、男の子は、右足と記憶を失った。事件後、数か月の間、ポーレット帝立図書館は立ち入り禁止となった。という顛末だ。
当時の記憶は薄れつつあるが……キロシュタインが今でも覚えているのは、対摂理魔法を使って、亡くなった家族を蘇らせたいと語った、少年の、義憤と憎悪に満ちたあの顔と。顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、姉のシアナスが言った、「生きててよかった」の言葉。
二人が出会い、そして魔法災害を起こすまで。すべては一日のうちに起きた事だ。
そして。「キロシュタインと少年は、あれ以来、お互いの行方を知らない」
…………、
……、
ソルトマグナ市庁舎は、混沌と化していた――。
「なーんかヤバそうだねぇ??」
「か、会長っ!! のんきに観察してる場合じゃないですよ!!」
「だね。じゃあ、にげよっか?」
「この様子じゃあ、僕の商品も売れ無さそうだし」
クジラの歯の物陰。
そこにひっそりと身を潜めていたのは、二十代前半の男と少女のコンビ。
彼らは、来賓ではなかった。
ただ偶然、その場所に居合わせただけ。
「ゼロシキ商会」の会長と、学生アルバイト。
どこか胡散臭い二人組だった。
そんな彼らは、
用意していたロープを使い、
クジラの頭骨から素早く街へと降りていく。
そんな二人組が、ひっそりと逃げ去ったあとも、
混沌は続いていた――。
「く、くそッ!! プホラ、貴様ッッ!!」
議長のダンコ・ポートマンが、男を睨め付ける。
プホラと呼ばれた派手な格好のその男は、手に持っていた杖の先で、議長ダンコの椅子を叩きながら哄笑する。会議室を吹き抜ける、双星洋の潮気をまとった夜風が、プホラの長い髪を揺らした。
数分前――。
「サァ!! 舞踏会を始めようかッ!!」
声高らかに宣言する、プホラ。
彼のその言葉を合図に、入り口の重い石扉が開き、紫色の制服で統一された数十名の兵士たちが会議室の中へと雪崩れ込んでくる。彼らの制服の胸元には、「SBTA」の文字が並んでいた。
南ビアンポルト交易協会――通称、SBTAは、理事長プホラ・フラスコによって立ち上げられた、その名の通り、南ビアンポルト地方を拠点とする組織である。衣料品や化粧品の売買をメインに行う新興の交易組織で、紫色の派手な制服が特徴的だ。理事長のプホラは、中でもよく目立っている。
そんな彼らには、黒い噂があった。
来賓として、会議にプホラを招いたのも、その噂が真実かどうか確かめるため。……ソルトマグナを統べる議長であり、プホラとともにこの街で育った同い年の幼なじみでもある、ダンコ・ポートマンは、この現状に唇を噛み締めていた。やはり、この男は……。
プホラは、兵士たちに、議員と来賓を拘束するように命ずる。
その中には、キロシュタインの姉、シアナスの姿もあった。
「なぁ……っ!! プホラ、私は今でも君を友達だと――」
――黙りなさい。
「ッお……ぐっ……ォエ………っ!!」
プホラに、杖で喉仏を強く打たれたダンコは、唾液を吐き出しながら息を詰まらせる。
「(こいつら……武器は持っていない。なら、魔法を使われる前に……)」
会議室の隅へとまとめられた議員の中、ある一人の若い青年が、SBTAの兵士を注意深く観察していた。青年は、このソルトマグナの街を護る警備隊の若き隊長で、まさにこのような状況を想定して、会議に参加していた。……兵士たちの視線から外れた一瞬を狙って、
警備隊長の青年が不意打ちで魔法を――。
「ダメだ絶対に動いてはいけないッ!!」
議長のダンコが叫ぶ。が、もう遅かった。
青年の身体は、勇敢にも立ち上がろうと、一歩踏み出したその恰好のまま、石像のように固定されていた。……青年の胸部には、綺麗な円形の風穴、そこにあるはずの心臓は無かった。
まだ体内に生者の熱が残る青年の像を見て、来賓の女が甲高い悲鳴をあげる。
「ああっ、残念だ。ここには君のような心の美しい青年がいたんだね」
深く、ため息をつきながら呟くプホラ・フラスコ。彼の手には、宝石化した青年の心臓が置かれていた。それは、黄色の煌めきをまとう、美しい卵型の宝石だった。――この世界を生きる者たちの魂には、「形」があった。概念としてではなく、物質として。それが、自然の摂理として。
名を、『遺志残響宝石/リンネホープ・ジェム』と云う。
リンネホープは、死体となった人間の心臓が宝石化したものである。宝石の核には、死者の生前の記憶や知識、感情、意志などが封じられている。リンネホープには様々な価値があり、造花体の作成素材として用いられることもあれば、誰かの命を救うため、再生医療に用いられることもある。
いつの時代からだったか。
いや、この世界を生きる人類は最初から。
神に造られた時から。
そういう仕掛けの生き物だったのだろうか。
「メフィスト。――ありがとう。この宝石を届けてくれて」
プホラは、優しく微笑みながら、目の前の「悪魔」の頭を撫でる。
身長は百三十センチほどと小さな、
四つ腕を有する異形の悪魔だ。
その小さな体は人間の子供のようなヒト型をしている。
しかし、頭部には一凛のクロユリが咲いていた。
「異形頭」と呼ばれる特徴のひとつである
彼は、プホラの魔法『契約精霊術』によって生み出された存在であり、メフィストという名を与えられていた。
悪魔、メフィストは、闇から闇へと高速で移動する。
議長のダンコは、その特質を知っていた。
――そして現在。
「く、くそッ!! プホラ、貴様ッッ!!」
議長のダンコ・ポートマンが、プホラを睨め付ける。
プホラは、手に持っていた杖の先で、議長ダンコの椅子を叩きながら哄笑する。彼のとなりには、悪魔メフィストが、闇を纏いながら立っていた。……会議室を吹き抜ける、双星洋の潮気をまとった夜風が、プホラの長い髪を揺らす。ソルトマグナ市庁舎は、混沌と化していた――。
恐怖に顔を歪ませる議員と来賓。
青年の最期を目の当たりにして、もはや誰も動こうとしない。
と、プホラは油断していた。
「響けッ!!」
凛とした声とともに放たれる魔法の波動が、プホラの肩を貫く。
「今のうちですっ!! みんな逃げてください!!!」
声の主は、シアナス・ヴィント・ベッカーだった。彼女の音を操る魔法によって、肩を負傷したプホラは、傷口を抑えながら膝で立っている。それを見て、一斉に、入り口から逃げていく議員と来賓たち。それを追いかけようとする兵士たちは、みなシアナスの魔法の餌食となっていた。
術者の負傷によって消えたメフィストを、再度生み出そうとするプホラ。
「させるかッ!!」
議長のダンコがすかさず、椅子を持ち上げ、プホラの頭へと振り下ろす。――だが。――その時、足元が大きく揺れる。体勢を崩したダンコの攻撃は、虚しく地面を叩いていた。
巨大な、影。
「はっ、はははははははははは!!」
プホラが笑う。
クジラの頭骨、口先の隙間から侵入してきたのは。
一機の魔法起動機兵/カルディアだった――。
―― 街 が 燃えてる。
大灯台を出た瞬間、
キロシュタインとノアの視界が地獄に染まった。
白レンガの美しい民家は、燃え盛る業火に包まれ、
火柱を上げながら泣き叫ぶように崩れていく。
ソルトマグナの市民とSBTAの兵士たちが、
魔法を奔らせ、命を喰い合う戦場。
彼女たちを待っていたのは、
故郷の喧騒でもなく、日常の続きでもなく――。
ただ、戦争だった。
そんな地獄が、二人の帰りを待っていた。
「ぅ……ちがう……ちがうッ!! 違う違う違う……ッ!!」
キロシュタインが叫ぶ。
「こんな終わりを誰が願った??」
「誰が想像した??」
わたしじゃない。
わたしじゃない。
わたしじゃない。
わたしじゃ――。
「キロちゃん!! キロちゃんっ!!」
頬に爪を立てるように掻きむしり、
荒い呼吸を繰り返すキロシュタイン。
その手を強く引いたのは、ノアだった。
「大丈夫、大丈夫……!」
ノアは何度も繰り返しながら、
キロシュタインの背中を優しく撫でる。
やがて、
キロシュタインはゆっくりと息を吸い、深く吐いた。
「……、ごめん。ごめん、ありがとう。大丈夫」
「キロちゃんのせいじゃないよ?」
「……、……うん」
キロシュタインは拳を握りしめ、
視線を前へ向ける。
そして二人は再び歩き出した。
戦場を避けるように、
大灯台の周りを回りながら進む。
少し歩けば――。
見えてくる、青いドア。
ドライフラワーのリースが飾られた、
シアナスとキロシュタインが暮らす小さな家。
あと数歩――。
「うォらああああッ!!!」
背後から、紫色の制服を身にまとったSBTAの兵士が飛びかかる。
「――こらぁ。女の子を襲っちゃダメじゃない」
力が抜けるような、甘い男の声。
同時に――。
7.62mmの魔法光弾が、兵士の頭部を撃ち抜いた。
完璧なヘッドショット。
脳天を貫かれた兵士は、
声をあげる間もなく崩れ落ちる。
そして、
近くの花壇からぬっと現れる影。
「ゼロシキ商会」の変なコンビだった。
長いプラチナブロンドの髪を、
高い位置でポニーテールにした垂れ目の男。
背負っていたマークスマン・ライフルを、
軽く持ち直しながら、気怠そうに歩いてくる。
危険な色気を帯びた、ミステリアス系のイケメンである。
「君たち、ケガない?」
「あ、わたしは……ありがとうございます」
キロシュタインは少し息を整えながら答える。
「ノアは?」
「私も大丈夫だよ!!」
ノアは笑顔で礼を言う。
「お兄さん、助けてくれてありがとうございます!!」
「いいのいいの」
男は軽く手を振る。
「僕の目の前で女の子が殺されたら気分悪いし、ねぇ?」
そのまま突然、ライフルを構える。
そして――。
背後の民家を、一瞥もせずに掃射した。
銃声。
まるで、あくびでもするような無造作な撃ち方。
だが――。
数秒後、
民家の屋根に隠れていたSBTAの兵士たちが、
死体となってバタバタと落ちてくる。
「……」
キロシュタインとノアは呆然とする。
何が起きたのかすら、理解できていなかった。
「会長っ!! 撃つなら先に言ってくださいよ!!」
少女が慌てて叫ぶ。
男はふっと微笑みながら、肩をすくめる。
「ん? じゃあ、撃ちました。これでいい?」
「うわーーーーーーっ!!!」
何も言い返せなくなった少女は、地団駄を踏みながら、とりあえず叫ぶ――。
//
青の空。二本のひこうき雲が、
決して交わることなく。
どこまでも、どこまで続いていた。
「ねぇ、キロッシュ。わたしね。ずっと後悔してるの。あの日の事を」
ソルトマグナの大灯台。その頂上にある灯室で、一人の老婆が椅子に座りながら、静かに言葉を紡ぎ始める。窓ガラスの外に広がる海。遥かなる双星洋が、きらきらと輝いていた。
「奴らが街を襲ったあの日、あの夜……」
「もし。灯台で待つ貴方を真っ先に助けにいってたら」
「あんな終わりにはならなかったんじゃないかって」
老婆は、ハンカチで涙を拭いながら、言葉を続ける。
「あんな……最期には……」
「……ねえ。キロッシュ。わたしね」
人差し指と小指を立てて、額に当てる。
「わたしね、貴方に生きててほしかったの……」
「こんなお祈りなんて、なんの意味もないかもしれないけど」
――オルデキスカ。古き世界の魔女よ、どうか叶えてください。
「わたしの、可愛い妹。キロッシュが生き……て……」
老婆は最期にそう言い残し、穏やかに目をつむる。
咲いて、静かに散る花のように。
古ぼけた椅子の上に座ったまま――。
その手には。綺麗な、青の宝石が握られていた。
//
ドアを開けると、血のにおいがした。
キロシュタインとノアは、お互いの手を握りながら、家の中へと入っていく。外には、ゼロシキ商会の二人が、護衛として周囲を見張ってくれていた。なぜそこまで親切なのかはわからない。
「お姉ちゃん……帰ってるの?? わたし、何が起きてるのかさっぱりで」
キロシュタインが呼びかけても返事はない。
しかし、部屋に充満する生々しい血のにおいが、何者かの存在を嫌でも理解させる。
玄関の壁に飾られた家族写真。
キロシュタインとシアナス。父と母、そして祖父。
今はもう、姉妹二人だけになってしまった、ベッカー家の写真。
最初に父が、瘴気の影響で重い病気に罹り。
それからひと月の間に、祖父、母が同じ病気で亡くなった。
キロシュタインはその時から。
物事の終わりを、何よりも恐れるようになった。
「お姉ちゃん?? ねえ、お姉ちゃん??」
心臓が早鐘を撞く。
――おねえ、ちゃん??
いつも、姉妹二人で、魔法起動円盤に式を書いているリビングの机。
その机の椅子に、ヒト型の何かが座っていた。……ヒ ト 型 の ? な に が ? キロシュタインの脳は、一瞬、理解し難い現実を拒んで、その視界に幻を創り出そうとする。だが、どこまで逃げようとも、現実から目を逸らすことはできない。逃避は、許されない。
なにか大きな力で押し潰されたのか。
上半身が不自然にへこんだ、人間――姉のシアナスが、そこに座っていた。両眼の粘膜は、激しい光によってどろどろに溶け、美しい髪は、散り散りに焼け焦げてしまっている。胸部から腹部は、空き缶を潰したようにへこみ、魔力が流れる血管が皮膚の外に浮き出て、黒々と脈打っていた。
屍人/シビト、だ。
浄化魔法による「浄化」が行われずに放置された人間の死体が、瘴気に侵された魔力によって、まるで生きているかのように振る舞う状態。生者はそれを屍人と呼び、忌み嫌う。
「……キロ……ッシュ??」
屍人と化したシアナスが、見えていない筈の目で、キロシュタインを探す。
「キロちゃん?」
「……平気。でも、ノア。手は離さないで」
「うん。何があっても離さないよ」
再び、強くお互いの手を握り合う二人。
一つ深呼吸をしてから。キロシュタインは、笑みを浮かべる。
「ただいま、お姉ちゃん。もう帰ってたんだね」
「おか……えり……。キロッ、シュ……」
「あのね。わたし、新しい友達ができたんだ。紹介するね」
「……と……も……だち……?」
「は、はじめまして!! ノアっていいます。あの――」
ノアがシアナスと話している間に、キロシュタインは、近くのキャビネットの引き出しを、静かに引いていく。……中から取り出したのは、実弾が入った護身用のピストル。それは、魔法が使えないキロシュタインのために、シアナスが買ってくれたものだった。
今の時代。弾丸は、魔法で作り出した魔法光弾を使うのが普通で、コストがかかる実弾は、中々手に入るものではなかった。それなりのお金を出して、妹の護身用に用意してくれたのだろう。
リロードは必要ない。あとは、トリガーを引くだけ。
「ノア……ちょっと下がって。はじめてだからブレるかも」
「うんうん、キロちゃん。私も一緒に背負うから」
そう言って、ピストルを構えるキロシュタインの手を、ノアの手が支える。
「キロ……シュ。いい……ともだ……ち、が……できた――」
――ダ ァン ッ!!
玉響。一撃は、重く、長い。
ピストルから放たれた弾丸は、正確に、シアナスの心臓を撃ち抜いた――。
「あぁああああああああああああああ……っ!!」
とにかく、わたしは叫んでいた。
もはや自分が涙を流しているのかさえ分からず、ただ、生まれたての赤子のように叫び声をあげていた。そして叫んだあとは、狂人のように心の底から笑う。笑って、笑って、笑わないと。あまりにも脆いこの心臓が、今にも壊れてしまいそうだった。……熱い。全身が、茹だるように暑い。
シアナスの身体が灰となり、崩れていく。
撃ち抜かれた心臓は、綺麗な青の宝石と化していた。
遺志残響宝石/リンネホープ・ジェム。
あぁ、本当に、この世界はよく出来すぎている。
まるで創られた舞台の物語のように。
死とは本来、空虚で、空疎なものでなければならない。
あとに残るものは、肉と骨だけ。
ただ死という現象が繰り返されていく、無常。
そうでなければ……。
なぜ、リンネホープなど存在するのか。
その存在のせいで、この世界の死に物質的な価値が生まれてしまった。
「ぁ……おねぇちゃん。……おねえちゃん」
キロシュタインは、シアナスが遺したリンネホープを拾い上げ、優しく胸に抱く。青い、ひし形の宝石には、まだ姉の温もりが残っているような気がした。――物事には必ず終わりが存在する。
だが、終わりのあとにも世界が続いていくのが現実で。
ここで立ち止まることはできない。
立ち上がったキロシュタインの心には、新たな意志が宿っていた。
…………、
……、
「《 NERO THE DEVIL 》……、詠唱開始ッッ!!」
赤と紫の装甲板に覆われた、
魔法起動機兵/カルディア《NERO》が、白銀の魔力血液を迸らせる。
その巨体がコウモリのような漆黒の翼を広げ、
天高く、燃え盛るトーチを掲げた。
トーチから放たれた魔法火弾は、しだれ柳の花火さながら。
ソルトマグナの街へと降り注ぐ灼熱の雨と成る――、その光景は正に地獄。
その地獄の光景を、
鯨の脊椎骨の上から見下ろしながら、
プホラは優雅に踊っていた。
円舞曲を――。
彼の腕に抱かれているのは、ダンコ・ポートマン。
否、すでに「屍人」と化したダンコ。
プホラは、彼をパートナーにするかのように抱え、
足を滑らせるように、円を描いて舞う。
夜空には――。
燦然と輝く、一輪の満月。
その光を浴びながら、
カルディア《NERO》のコックピットが開く。
装甲から一人のパイロットが降り立った。
クリムゾンレッドのパイロットスーツ。
胸元には 「SBTA」のロゴ。
フルフェイスのヘルメットが、表情を隠している。
彼女は首元のスイッチを押し、
ヘルメットを外す。
――夜風に、黄金の髪が舞う。
彼女の真紅のルージュが、月光に妖しく光る。
冷たく、蔑むような視線が、プホラに向けられた。
「……相変わらず趣味が悪いわね、アンタ」
プホラは、
ワルツを踊りながら、
屍人ダンコに語りかける。
「なぁ、ダンコ。見ろ。下を見ろ」
プホラは笑みを浮かべながら、
ソルトマグナの街に広がる輝きを指し示す。
街のメインストリート――。
そこには七色の輝きが散りばめられていた。
――リンネホープの海。
「なんと愛おしき、宝石の海だろうか」
「この街を統べる議長であるお前が、何も守れなかったせいでこうなった」
「……なぁ、わかってるだろ?」
「今の俺を、今日の会議に呼ぶべきではなかった」
「お前は俺を拒絶したまま、そのままでよかったんだ」
プホラは、笑いながら踊り続ける。
ソルトマグナに散り乱れたリンネホープたち。
それは――。
市民たちの命の残骸。
SBTA兵士の滅びの結晶。
赤、青、紫、黄、緑、白、黒、茶、銀、金、オレンジ、ピンク、透明――。
その一つ一つに、
人間一人分の生きた証と遺志が記憶されている。
いつか。その遺志を継ぐ者が現れることを願って。
リンネホープは、永遠に輝きつづけるだろう。
『Orde Qiska//オルデキスカ』
PROLOGUE|前編・後編 ― 終 ―