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24|『蠅の王・サンタキエロ』

 長く伸びた影が、机と床に淡く溶け込み、

 静寂が支配する空間に、ただ一つの音だけが響いていた。

 

 フルートの旋律――「タイヨウシング・エラ」。


 キロシュタインの指が、銀色のキーを正確に押さえ、

 息とともに音を解き放つ。


 細く、しなやかな指先がキーを押さえ、

 わずかな息遣いが音を紡ぐ。

 

 音色は、優しくも切ない。

 

 澄んだフルートの音が、まるで過去と未来をつなぐかのように響き渡る 

 窓の外に広がるオレンジの空に溶けるように、旋律は流れ、教室の空気を震わせる。


 彼女の瞳が、かすかに揺れた。


(裏側……そこへ行く方法……どこかにヒントは……)


 心の中で、答えのない問いを巡らせる。


(街は表と裏で構成されている? それとも別の次元……?)


 楽譜に記された音符は、まるで隠された暗号のように思えた。

 心の中で思考を巡らせながらも、演奏は止まらない。

 何度も吹いた旋律が、指先と肺に染み付いている。


 ふと、視界の片隅で、窓際のシロユリが揺れる。


 ガラスの花瓶に活けられた切り花の白いユリ。  

 夕日を受けて、その花弁は淡く輝いていた。


 だが。

 

 フルートの音がかすかに揺らいだ瞬間。

 シロユリの花弁が、じわりと黒く滲み始める。

 

 白から灰色へ。  


 そして、ゆっくりと――

 クロユリに変わっていく。

 

 まるで闇が染み込むように。


 息の流れがふと重く感じられた。

 管の中に何か詰まったような、僅かな違和感。

 次の音を吹こうとした瞬間――。

 

 キィィィ……ッ!


 フルートの音が、突如として不協和音を奏でる。

 キロシュタインの指がわずかに震え、音が乱れた。


 彼女は、異変に気づく。

 

 フルートをゆっくりと口から外し、目を細めた。

 視線の先には、黒く染まったクロユリ。


 花弁の上に、一匹のハエが降り立つ。

 黒い花の中心に、小さな影。

 だが、それはただのハエではなかった。


 キロシュタインの視線に合わせるように、ハエがゆっくりと顔を上げる。

 不自然に大きな複眼。

 その赤黒い瞳が、じっとキロシュタインを見つめている。


 ただの昆虫の目ではない。

 そこには、何かを訴えかけるような意思が宿っていた。

 

 ハエの複眼に、キロシュタイン自身の姿が映る。


 教室が、妙に静かになった。


 キロシュタインの呼吸音が強調され、周囲の音がどこか遠くなっていく。

 まるで「何か」が、現実を侵食しているような感覚。


 ハエが、ゆっくりとクロユリの花弁から飛び立つ。

 だが――。

 その影が、異様に大きい。


 黒いシルエットが、床に広がる。

 それは、まるで「悪魔の影」そのものだった。


 キロシュタインは、動揺を抑えながら、ゆっくりと立ち上がる。

 フルートを机の上にそっと置き、窓際のクロユリを見つめた。

 黒く染まった花弁、その上を這っていくハエの影。

 

 ――この光景を、どこかで見たことがある。


「……クロユリ……ハエ……?」


 キロシュタインの心の奥底に、何かが引っかかる。


「確か……神話の中に……」


 彼女の脳裏に、古い伝承がよぎる。


 ――クロユリ。

 ――ハエの王。

 

 その瞬間、心臓が跳ねた。

 確かめなければ。


 キロシュタインは、思い立ったように教室を飛び出した。

 夕焼けに染まった長い廊下。

 窓から差し込む光が、壁に長く影を落とし、靴音だけが静かな学園内に響く。


 目指すは――学校の展示室。

 そこには、神話をモチーフにした壁画が飾られている。


 展示室の扉を押し開くと、室内は静まり返っていた。

 ほんの僅かな夕日の残光が、展示室の奥にひっそりと飾られた壁画を照らしている。


 キロシュタインは、少し息を切らしながら、その前に立った。


 巨大な漆黒の影。

 クロユリの花々に囲まれ、ハエの群れを纏う悪魔。


 額に刻まれた文字が、彼女の目に焼き付く。

 

『四大悪魔:サンタキエロ――蠅の王』


 その瞬間、額縁の中の影が、微かに蠢いた。

 ――絵が、動いた?

 キロシュタインの背筋が冷たくなる。


 彼女は、目を見開く。

 

 確信した――。


 「裏側」は、ただの都市の影ではない。

 そこには――。


「悪魔の王が……いる」



   24.『蠅の王・サンタキエロ』



 ゼロシキ商会の二階に、ある少女の声が響いていた。


「――だからっ!! 怪しい者ではないです!!」

「執政官のアニハ=サンタカージュに繋いでください!!」


 キロシュタインが魔法起動式電話の端末を耳に当てながら、必死に叫ぶ。

 だが、電話口の相手は困惑した様子で――


「いやぁ、しかし……」


 言葉を詰まらせる。


 その様子を見ていたアサンが、

 キロシュタインから端末をスッと受け取った。


 そして、代わりに男と話し始める。


 急に端末からアサンの甘い声が聞こえたことで、

 電話の向こうの男が驚いたように問いかけた。


「だ、誰ですか?」


「誰、かぁ~。さっきの子の関係者? ではあるのかなー」


 相手は、アサンの掴みどころのない口調に、

 ますます困惑した様子で返す。


「はぁ……? それで、執政官に会いたいという話でしたが……」


「そうなのー。アポ、取っておいてくれるかな?」

「えーっと、じゃあ時間は明後日の午前七時でお願いねー」

「ノイトぺセルさんにもよろしくって言っといて」


 アサンは、すらすらと勝手に予定を立てていく。


 電話越しに伝わる男の焦る気配。


「いや、そんな。急に――」


「アサン・クロイヴから、って言ってくれれば問題ないと思うよ。じゃねー」


 そう言って一方的に電話を切る。


 キロシュタインは、唖然としながら、

 アサンから端末を受け取った。


「え? 今ので決まったの?」


「そうだよー。明後日の午前七時。忘れないようにねぇー」


「イヤ、オマエナニモノダヨッ!!」


 一部始終を見ていたポリプが、

 鋭くツッコミを入れる。


 アサンは、とぼけたような笑みを浮かべるだけだった。


 ポリプ――ノアの使い魔。


 瘴気の影響で水の外に出られず、

 まるで作者に忘れ去られた脇役のような状態だったが、

 ノアの研究が成功したことで、

 こうして、また元気に空を飛び回っていた。


 それに加えて――、

 どうやら、空を飛ぶホウキも復活したらしい。


「アニハさんに会いに行くってことは、」

「キロちゃん、テイルソニアに行くんだよね?」


 ノアがジト目で、

 腰を低くしながらキロシュタインの周りを回る。


 彼女の言葉の裏には、


「最近、一緒にいる時間が減っているから……」


 という本音が隠れていた。


 キロシュタインはすこし戸惑いながらも首を縦に振る。


「そ、そんな目で見なくても、最初からそのつもりよ」

「ラテルベルはアルミナの依頼を受けるために人形師の修行中だし……」

「あと、わたし魔法使えないから、ノアがいると心強いよ」


 ノアは一瞬目を逸らし、


「なははー。それなら行くしかないなー。ないよなー」

 

 と、恥ずかしそうに笑う。


「ヒサシブリニメヲサマシタラ……ナンダ、コレハ」


 ポリプは触手で器用に、困惑を表現していた。


 と、そこへ。

 階段を上る音――。


 現れたのは、ツキナだ。


「すみません。こっそり話を聞かせていただきました」

「その旅。私もついていっていいですか?」


 静かな口調でそう言って、

 キロシュタインを見つめるツキナ。


 キロシュタインが訊き返す。 


「それは当然、いいけど。なにか理由でもあるの?」


 ツキナはゆっくりと頷く。  


「私は……私の目的は、プホラの魂を解放することです」

「プホラは、私にとって本当の父親ではありません」

「でも……私の心に眠るドロシーの記憶が、ざわざわとその……」


 ツキナは一瞬言葉を詰まらせ――。


「こしょばゆいんです」


 謎の呪文を言い放つ。


 キロシュタインとノアの頭上に、はてなが浮かぶ。

 そんな二人を見て。ツキナはすこし赤面しながら、言い直す。


「ではなく、くすぐったいのです」


「……とにかく」

「私も一緒に行きたい、ということです」


 そうして――。

 キロシュタイン、ノア、ツキナの三人は。

 テイルソニアへと旅立つことになった。


 その目的は――

 四大悪魔・サンタキエロについて知るため。


 

 …………、


 ……、



 ――昨晩のこと。


 学校での出来事を経て、

 キロシュタインはある一つの可能性にたどり着いた。


「諸悪の根源は、四大悪魔・サンタキエロなのではないか」


 ゼロシキ商会の屋根裏部屋。


 月明かりを頼りに、

 キロシュタインは静かに本を開く。


 『枝典神歌|エデンシンカ』――。


 この世界の、二大宗教が正典としている書物。


 一方は「旧約・枝典神歌」のみを信仰し、

 もう一方は「新約・枝典神歌」も加え、旧約と新約の両方を信仰している。


 その分厚い書物のページをめくりながら、

 キロシュタインは文字を追っていく。


 二段ベッドの下段。

 端に座り、枝典神歌を読むキロシュタイン。


 二階からは、時折ノアの寝言が聞こえる。


 ラテルベルは、すーすーと鼻息を立てていた。


「……二十二(ニジュウニ)星天(セイテン)


 キロシュタインは、あるページで読むのを止め、

 小さく呟いた。


 そこには――、

 『二十二星天』についての記述があった。


 二十二星天とは、

 神話に登場する主要な存在の総称。


 その数は「22」。


 それを構成する存在は、以下の三つ――。

 ・【十一枝徒(シト)】の11人。

 ・【七大天使】の7人。

 ・【四大悪魔】の4体。


 11+7+4=22。


 それが、二十二星天と呼ばれる存在たち。


 旧世界では、

 この二十二星天を象徴として――

 「タロットカードの22枚の大アルカナ」が創られた。


 キロシュタインは目を細め、

 その中でも「四大悪魔」について記された箇所を読む。


 四大悪魔の一体――、

 「狂気を司る悪魔の王・サンタキエロ」。


 その異名は――、

 「蠅の王」。


 サンタキエロは、

 かつては幼い子供を守る天使として崇められていた。


 しかし――。


 繰り返される戦争。

 無数に亡くなっていく子供たち。


 それを見続けた彼は、堕天した。


 そして――。


 「悪魔の王」と化した。


 だが、枝典神歌に記されているサンタキエロについての情報は、

 それほど多くはなかった。


 キロシュタインは、


「だったら……」


 と、呟きながら本を閉じる。


 だったら――。


「知る人に聞けばいい」


 そう。


「二十二星天、七大天使の一人――」

「秩序を司る天使・アニハエルなら」


 何か知っているかもしれない。


 キロシュタインは、

 本をそっと脇に置き、


 月明かりを見上げる。


「よし、会いに行ってみよう」

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