22|『DOGEZA』
サナトリウムの三階――。
アルミナの病室にて。
「――まっことに!! もうしわけ!! ございませんでした!!!」
ラテルベルの声が、病室に響き渡った。
病室の静寂を突き破り、
ラテルベルがおでこを床にめり込ませるように頭を下げる。
彼女の背後には、苦笑いのノア。
そして、困惑の極みに達したキロシュタイン。
「……これ、何?」
キロシュタインは、
まるで異世界の儀式を見たような顔で、ぽつりと呟く。
「ド・ゲ・ザです!!」
「旧世界の日本という国の謝罪でございます!!」
キロシュタインの声に、
わずかに諦めの色が混じる。
「はぁ……なるほど」
だが、ラテルベルは止まらない。
「あのぉっ! 消火器で……その――申し訳ございませんでした!!」
ラテルベルのおでこは、
地核に到達するのではと思うほど、勢いよく床に押し付けられていた。
そんな彼女の肩を、ノアがそっと叩く。
「とりあえず、顔、上げな?」
ラテルベルはゆっくりと額を床から離す。
その額は真っ赤。
どう見ても痛そう。
それを見ていたキロシュタインの口元が、
ぴくりと動く。
「……ふっ、はは!! バカじゃないの?」
思わず吹き出すキロシュタイン。
彼女の笑いには、怒りも恨みもない。
むしろ、肩を震わせるほど面白がっていた。
「うッ――で、では。最終手段として、セップクを……!!」
「ラテルベル、落ち着いて」
ベッドの上から、
アルミナがやれやれという顔で口を開く。
「キロシュタインさんは許してくれてるんだ。だから、大丈夫。」
ラテルベルは、
まだ納得のいかない顔をしながらも、
そっと正座のまま、頭を下げた。
22.『DOGEZA』
カーテンが揺れる。
ラズライトの双子の話を聞いているうちに、日はすっかり暮れ、
窓の外に広がる太陽の丘は、深いオレンジ色に染まっていた。
キロシュタインが大きく伸びをしながら、ぼやくように言う。
「んーー! ――ンでも、まさかアンタたち双子も、プホラと関係があったなんてね」
「それは、こっちのセリフですよ……」
アルミナは、一度言葉を詰まらせてから、静かに続ける。
「その……去年のソルトマグナの件。話には聞いていましたけど……」
フラトレスでの戦闘で、プホラ・フラスコは、悪魔・メフィストに魂を持ち去られた。――その後、彼は南ビアンポルト交易協会を創設し、理事長を務めていた。一体、その間に何があったのだろうか。キロシュタインの物語と、ラズライトの双子の物語が、奇妙に交差していく。
そんな中、ラテルベルは慣れない正座で足が痺れたのか、床の上でもがいていた。
「いっ――だだだ」
「ラテちゃん、大丈夫そ?」
ノアはそんな彼女の太ももを優しくさすりながら、苦笑する。
その時――。
病室の外から、一つの影が近づいてきた。
「……クィンランカ。失礼します」
アーキ語の挨拶とともに、病室に入ってきたのは、
黒装束に鬼の面を被った少女――月涙|ツキナ。
彼女は、左手の小指を右手で握り、
「獄卒」式の挨拶を交えながら、恭しく頭を下げる。
そして――。
鬼の面を外し、それを首にかけた。
切り揃えられた緑の黒髪。スミレ色の瞳。
右目の下にある、ひとつの泣きぼくろ。
左耳には、シロユリを象ったピアスが儚げに煌めく。
静寂を纏い、夜の月のように佇む楚々とした少女だ。
「お久しぶりです。ラテルベルさん、アルミナさん。これは……新しい修行ですか?」
ツキナは、床の上で転がるようにもがくラテルベルを指差しながら、真顔で問いかけた。
「そうだよ。これはね、神聖な修行、その名も――ドッゲザー」
真剣な顔で説明するノア。
ツキナは感心したように手を叩き、「なるほど」と頷いた。
「いや、違うよ」
冷静にツッコんだのはキロシュタインだった。
「まぁまぁ、気にしないで。どうぞ」
アルミナがツキナを手招きし、病室の中へと促す。
ツキナはもう一度、恭しく頭を下げ、静かに足を踏み入れた。
「それで、どうしたの?」
アルミナが訊ねる。
ツキナは一つ息を置き、極めて落ち着いた声で告げた。
「……プホラ・フラスコの居場所がわかりました」
その一言に、空気が張り詰めた。
まるで時間が一瞬止まったかのようだった。
「――それ、本当?」
キロシュタインが反射的に立ち上がり、食い入るように訊く。
「本当です」
「そして――悪魔・メフィストの居場所もわかりました」
ツキナの真剣な眼差しが、部屋の温度を一気に変える。
その瞬間、静止していた運命の輪が再び音を立て、ゆっくりと回り始めた――。
◇
ここは、世界の裏側。
重力の概念すら曖昧な、宇宙の虚無に街が浮かんでいた。
赤レンガの屋根を持つ建物が宙に漂い、尖塔の影が闇に沈んでいる。
崩れかけたトラムの車両が、線路のない空間をゆっくりと横切り、
大観覧車――ブルクサンガ・アイは、
回ることなく静止したまま、黒い無の中に浮いていた。
しかし、それらすべては反転していた。
見上げれば、表側のブルクサンガの街並みが、天空に逆さに映し出されている。
まるで時空の裂け目から覗いた鏡のように、
現実世界の光景が異様な角度で広がり、そこには確かに人々の生活が続いていた。
だが、この裏側の世界には、生命のざわめきはなかった。
ただ、一面のシロユリが咲き乱れる丘がある。
その丘の上で――
頭のない子供たちが、無邪気に踊っていた。
手を取り合い、リズムもなく回り続ける彼ら。
その姿は、生の残滓が戯れに形をとった幻影のようだった。
丘の中央。
その異形の影は、静かに彼らを見下ろしていた。
――悪魔の王。
広げた黒い羽根は、空間そのものを歪ませ、
巨大な漆黒の角は、まるでこの世界を貫く杭のように聳えていた。
下半身は存在しない。
代わりに、植物の根のような触手が絡み合い、丘全体を這っている。
――否。
それは触手などではなく、
この世界そのものが、悪魔の王の「体」だった。
丘に咲くシロユリは、根の先端にすぎない。
花弁の裏には、歯があった。
闇に沈む大観覧車の骨組みは、彼の背骨に連なっていた。
トラムの車両は、まるで彼の血管を流れる赤黒い塊のように、静かに脈動している。
この世界こそが、悪魔の王の一部。
そして、無数の瞳が開いた。
不定形の肉塊に、次々と浮かび上がる眼球。
大小さまざまな瞳が瞬きを繰り返し、
その赤い光が、宇宙空間に浮かぶ歪な街並みを照らす。
照らされた光は、闇を生む。
それは太陽ではなく、ただの影の源泉だった。
悪魔の王は、動かない。
ただ、そこに在る。
この世界の理を壊すように、
この世界の理そのものであるかのように。
その足元では――、
一人の男が跪いていた。
ワインレッドの長髪が、無重力の中でゆらゆらと揺れる。
目元には、悪魔の紋様を刻んだタトゥー。
二角帽子の下に浮かぶ瞳は虚ろで、何も映していない。
紫の制服に覆われた身体の上には、
クリムゾンレッドの大きなマントが羽織られていた。
プホラ・フラスコ。
彼は、丘の上で踊る子供たちを眺めながら、
静かに祈りを捧げていた。
無秩序に舞い踊る、頭のない子供たち。
彼らは何者なのか。
生の残滓か。
死の影か。
あるいは、
彼が失ったものの、幻影なのか。
プホラはゆっくりと歩きながら、呟いた。
「……サァ。ラストダンスを始メようか――」
その背後――。
クロユリの花を象った頭部。
四本の腕を持つ、小柄な影。
メフィストが、沈黙のまま立っていた。
その瞳には、すべてを見通すような狂気と憂いが同居していた。
メフィストは、何も語らない。
ただ、沈黙のうちに、プホラの背後に佇んでいた。




