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PROLOGUE|前編 『灯台守の姉妹とアカシアの巫女』

 英雄歴2970年12月25日、英雄戦争アストラマキアは終結した。神と人類が八百年にわたり争った戦争は、人類の敗北に終わった。神は罰として地上に大洪水をもたらし、世界の悉くを水底に沈めた。そして、敗北以前の『旧世界』を生きていた旧人類/オルデノートは、地上と冥界の間にある狭間の世界、アスハイロストへと追放された。その終焉の日、『パラダイス・ロスト』から百年が経った――。


 英雄歴3070年8月。

 港町ソルトマグナの波止場に、一人の少女が立っていた。

 

 ペールオレンジの長い髪を、左右非対称のリボンで束ねたツーサイドアップスタイル。澄んだ碧の瞳が、朝日を受けて宝石のように輝く。


 彼女の名はキロシュタイン・ヴォルケ・ベッカー。

 旧世界の国・ドイツをルーツに持つ家系の娘で、その可憐な顔立ちは、疑いようもなく美少女といえる。……凪いだ海に射す朝日。星の粒子を散らしたように、きらきらと輝く水面。


 吹き去っていく潮風が、キロシュタインの前髪をさらう。

 ――彼女の左目は、青い蝶を模した眼帯で覆われていた。


 青空。二本のひこうき雲が、

 決して交わることなく。

 どこまでも、どこまで続いていた。



 …………。


 ……。



 鯨殻街(ゲイカクガイ)=ソルトマグナは、その名の通り、干潟に遺された巨大な鯨の亡骸の中に建てられた街だ。街の全長は約20キロメートルに及び、鯨の肋骨を基にした地盤の上に、白レンガを基調とした建物が並んでいる。街の東には、この世界最大の海洋『双星洋(ソウセイヨウ)』が広がり、ソルトマグナはその地理的優位性を活かして、海路交易の拠点となる港町へと発展した。

 

 南ビアンポルト地方の最東端。切り立った崖と双星洋に挟まれた水の都ソルトマグナ。メインストリートは活気にあふれ、世界中から集まった色彩豊かな果物や工芸品が、露店の店先に並べられている。歩道に沿って迷路のように延びる運河には、この街の移動手段であるゴンドラを漕ぐ人の姿があった。そして港には、街一番の名所、ソルトマグナの大灯台がそびえ立つ。

 

 その大灯台の足元に、一軒の小さな白い家が建っていた。青いドアには、ドライフラワーのリースが飾られており、丁寧に手入れされた庭には色とりどりの花が咲き誇っている。――この家には、二人の姉妹が住んでいた。姉のシアナス・ヴィント・ベッカーと、妹のキロシュタイン・ヴォルケ・ベッカー。二人は、テーブルに置かれた【魔法起動円盤/ディアノイア】に『式』を記していた。


 羽根ペンを置いて、キロシュタインが両手を真っすぐ上に、伸びをする。


「ふぁああ~~っ! 終わったぁあ~~!!」


「お疲れさま、キロッシュ。集中して喉かわいたでしょ。コーヒーでいい?」


「ミルクたっぷりで~~!」


 伸びながら返事をするキロシュタインに、シアナスは「はいはい、いつものね」と言って優しく微笑む。……姉妹二人の穏やかな日常が、流れる雲のようにゆっくりと過ぎ去っていく。



 ――ある日のこと。



 夜の帳が下り、ソルトマグナの街が眠り始める頃、キロシュタインは魔法起動円盤を片手に、大灯台の螺旋階段を登っていた。壁掛けランタンに灯る魔法の火が、ぼんやりと彼女の足元を照らしている。……タンっ、……タンっ。キロシュタインが歩くたびに、レザーブーツの音が静かに鳴り響く。



「――傷つけないように、っと」



 頂上の灯室に着いたキロシュタインは、持ってきた魔法起動円盤を、部屋の中央に設置された台座の上にそっと置く。魔法が使えない彼女の仕事はここで終わり、あとはシアナスを待つだけ。彼女たち姉妹は、ソルトマグナの大灯台を管理するこの『灯台守(トウダイモリ)』の仕事を、亡き両親から継いだ。大灯台が放つ浄化魔法の光が、街を瘴気(ショウキ)から守っている。大切な役目だと、両親は二人に語った。


 灯室のガラス窓から、月明かりに照らされて黄金色に輝く双星洋を眺める。姉のシアナスが月に一度の街の会議で遅れる日、キロシュタインはいつもこうして、海を見ながらぼんやりと考え事をしていた。


 今の生活に不満はない。ただ、時々、得も言われぬ不安や恐怖に胸が締めつけられることがある。波風の立たない平穏な暮らしは、あまりにも幸せ過ぎて、だからこそ想像してしまう。……いつか確実に訪れるだろう「終わり」を。……ずっと、ずっと、このままでいたいと願う気持ちと、街を出ていろいろなことに挑戦してみたいという欲望と、それらすべてを否定するような諦観が、キロシュタインの心の中で渦巻いている。ただ、今は何よりも、慣れた生活を終わらせることが怖かった。


 キロシュタインは、ガラス窓に反射する自分の顔をそっと撫でた。

 どこへ向かえばいいんだろう、と、自分自身に問いかけるように。






 ――あれ? こんなところに椅子なんてあったっけ?



 灯室の隅、ランタンの灯りすら届かない闇の中に、

 それはひっそりと置かれていた。


 まるでずっと昔からそこにあったかのように、埃一つない状態で。


 木製の椅子。


 四本の脚と座面、背もたれだけの、無骨なまでに簡素な造り。

 けれど、その表面にはかすかに装飾の痕跡が残り、

 ただの家具とは言い難い、不思議な雰囲気を漂わせていた。


「お姉ちゃんが持ち込んだのかな……?」


 ぼんやりとそう考えながら、

 キロシュタインは自然とその椅子へと歩み寄る。


 そして、吸い寄せられるように腰を下ろした――。



 ――その瞬間。



 パチン、と、世界のスイッチが切り替わる。


 テレビの電源が落ちるように。

 ロウソクの灯が風に吹き消されるように。


 音が消え、色が消え、重力が消えた。


 ふっと――足元の感覚が消えた。



 ――――、落ちる。



 ――、






 PROLOGUE|前編 

 『灯台守の姉妹とアカシアの巫女』






 ――、目が覚めた。



 見知らぬ世界にいた。


 そこは、青と青だけの世界だった。


 空と海の境界線が曖昧になり、すべてが溶け合っている。


 果てしなく広がる蒼穹の下、キロシュタインはただ、

 重力から解き放たれたように浮かんでいた。


 視界いっぱいに広がる青空と大海原。


 ――その狭間に沈む、高層ビル群。


 太陽の光が水面を貫き、

 コンクリートとガラスの残骸に無数の光の粒を散らしている。


 ここは――かつて人が生きていた都市。

 無数の人々が歩き、語り、争い、愛し合った場所――。

 だが今は、すべてが水底に沈んだ世界。



 水没した楽園――。



 海の青は、どこまでも深く、静かだった。

 風もなく、波もなく、ただこの空間を支配するのは、永遠の静寂。



「……わぁ……」



 思わず、感嘆の息が漏れる。

 まるで、夢の中にいるみたいだ――。


 ふと気づく。


「……わたし、動ける?」


 身体は、今もあの灯台の椅子に座ったままだというのに。

 意識だけが、この異世界に飛ばされている。


 キロシュタインは、

 ゆっくりと手を動かした――、つもりだった。


 だが、実際には動いていない。


 ただ、右目の視界と、前後左右への移動だけが可能だった。


 まるで、ゲームの中に入り込んだみたい。


 ふらふらと、この水没世界を彷徨いながら、

 キロシュタインは実感する。



 ここは現実なのか、それとも――。



 ふわり――と、

 世界の青に一閃の動きが走った。


 キロシュタインがふらふらと宙を漂う、

 そのすぐ隣を、何かが勢いよく通り過ぎていく。


 竹箒。


 いや、竹箒にまたがった、ひとりの少女――。


 その姿を認識する間もなく、

 少女は遠くへと飛び去り、しばらくして急旋回。


 滑らかな操縦で空を舞い、

 今度は一直線にこちらへ向かってきた。


 キロシュタインの周りを弧を描くように旋回し、

 好奇心に満ちた視線が向けられる。


 青みがかった銀髪が風に揺れる。

 灰色の瞳が、陽光を反射して淡く輝く。


 ふわりと広がるリネンのワンピース。

 首元には赤い宝石のネックレス。


 そして――頭には、

 オニイトマキエイ(マンタ)を模した奇妙なヘッドギア。


 これは……ファッション?


 それとも、何かの儀式用の装備?


 良く言えば独創的、悪く言えば謎すぎる。


 そんなことを考えている間に、少女が口を開いた。


「ねぇ、これって……人間?

 空飛んでるけど……。

 ……あ! もしかして幽霊??」


 予想外すぎる第一声に、

 キロシュタインは思わず瞬きをする。


 そして、その問いに答えたのは――。


 少女ではなく、

 彼女の竹箒の先端にちょこんと乗った小さなクラゲだった。


「ドッチデモナイダロ。ニンゲンモ、ユウレイモ、コノセカイニハイナイ」


 ……クラゲが喋った!?


 当然のように言葉を発する小さなクラゲ。

 何の違和感もなく会話を続ける少女。


 キロシュタインの思考が一瞬フリーズする。


 精霊術……? いや、守護精霊術か?

 それとも四大精霊術の応用……?


 頭の中で次々と魔法体系を分類しながらも、

 しかし今はそれどころではないと、好奇心を無理やり押し込める。


 まずは、状況を整理しなければ。


「あのー、わたし、人間! 幽霊じゃなくて、ただの人間」

「名前はキロシュタイン・ヴォルケ・ベッカー。

 長いから、キロとか、キロシュとか、キロッシュとか」

「ぜひ、好きな呼び方でどうぞ」


「……え? え、ええーーー!!!」


 目をまんまるにして、大げさに驚く少女。

 竹箒の上でバランスを崩しかけながら、キロシュタインを指さす。


「人間? ほんとに? うそ、本物??」


「ナワケナイダロ。」


 冷静に否定するクラゲ。


「でもでも、喋るよ? 

 意思疎通できちゃってるよ??

 ねぇポリプ、どういうこと!?」


「ワカラナイ。ワタシハ、ポリプ。クラゲダ」


 何の説明にもなっていないが、

 本人(本クラゲ?)はいたって真面目な様子。


 竹箒の上でわたわたと騒ぐ少女と、それを冷静に流すクラゲ。

 そのシュールな光景に、キロシュタインは思わず肩を震わせる。


「あはは……っ」


「な、なに笑ってるのぉー!」


「いや……だって、こんな状況で最初に出会ったのが……、」

「変な被り物の女の子と、喋るクラゲのコンビとか……」

「意味不明すぎるでしょ。ふっ……あはっ」


「変じゃないもん!! これはオニイトマキエイって言って、世界一美しい生き物なんだから!!」


「ソレハオマエノシュカンダロ」


 ぴしゃりとツッコむポリプ。


「もうっ! ポリプまで!」

「……って、そうだ! 私たちもキロちゃんに自己紹介しないとだね!」


 勝手に「キロちゃん」と呼び始めながら、少女は元気よく胸を張る。


「私はノア! フルネームで、フェイト・ノア=ユーリスニュア!」

「で、この生意気なクラゲはポリプ! よろしくね!!」


「……よろしく」


 ノアはニコニコと笑いながら、竹箒の上で身を乗り出す。


「それでそれで、キロちゃん! まずはぁ……、」

「君がここにいる理由、教えてほしいなっ!!」



 それから――。



 キロシュタインは、ノアに状況を説明した。


 ソルトマグナという街で、

 姉のシアナスと二人で灯台守をしていること。


 灯室に、見覚えのない椅子が置かれていたこと。

 そして、その椅子に座った瞬間、気づけばこの世界にいたこと――。


 簡潔に、要点をまとめて話すと、ノアは真剣な顔つきで頷いた。


「(かくかくしかじか)……で。気がついたら、この世界にいたんです」


「そっかぁ、それはそれは。不思議な椅子ですねぇー」


「オイ、ノア。ドウナッテルンダ!!」


 ポリプが、竹箒の先端でピョンピョン跳ねながら叫ぶ。


「……じゃあ、最後にひとつだけ聞かせて?」

「キロちゃんの世界はいま、何年?」


 いきなりの質問に、キロシュタインは一瞬考え込む。


「それは、えっと……。英雄歴3070年、のはずだけど」


「ほっほぉう? そっちの世界では、まだパラダイス・ロストから百年しか経ってない、と」


 ノアは、握った拳で箒の柄をコツンとたたく。

 その仕草は、何か重大な情報を確認したときの反応のようだった。



 英雄歴2970年。

 神と人類が戦った『英雄戦争アストラマキア』は、人類の敗北で幕を閉じた。

 

 神々が下した罰は二つ。


 ――ひとつは、地上世界を覆い尽くした「大洪水」。

 ――もうひとつは、旧人類/オルデノートを、地上世界と冥界の狭間に存在する【アスハイロスト】へと追放する「楽園追放」。


 この追放には、人類側についた天使、神族、使徒たちも含まれていた。


 そして、その二つの罰が執行された日を、

 人類は『パラダイス・ロスト』と呼んだ――。



 目の前に広がる、青と青の世界。

 美しくも残酷な、終わりのあとの光景。



「……ここは……」


 キロシュタインの脳裏に、今まで学んできた歴史がよぎる。


「キロちゃんも気がついたみたいだね」

「そう――ここは、遥か昔に90億人もの人類が生きていた地上の楽園」

「惑星の名は……地球」


 ノアの声は、どこか寂しげだった。


「神は人類への罰として『大洪水』を起こし、大地を沈めた。二度と地上世界に戻れないように、すべての人類をアスハイロストへと『追放』した」


「パラダイス・ロスト……」

「知識として知ってはいたけど……本当に起きたことなんだ……」


 キロシュタインは、

 楽園追放後のアスハイロストで生まれた新人類の一人。


 彼女のような新世代の人間は、

 旧人類と区別され、ネオノートと呼ばれていた。


「ん? ノア、さっきの"まだ百年しか"経ってないって、どういう意味?」


 ふと疑問が浮かび、キロシュタインが問いかける。


 しかし、ノアは答えずに、竹箒の後ろを親指で指し示す。


「とりあえず、乗って?」


 そう言うなり、どこから取り出したのか、

 ハコフグのヘッドギアをぽーんと投げ渡してきた。


「……なんでハコフグ……?」


「おぉう! いいじゃん、かわいいよ! キロちゃん似合ってるぅ~!」


「ニアッテルニアッテル。カワイイカワイイ」


 クラゲのポリプまで頷いてくるのを見て、

 キロシュタインは深いため息をついた。


 ハコフグのヘッドギアを被り、

 ノアのお腹に腕を回して、竹箒に乗車するキロシュタイン。


  彼女に降れた瞬間――、


 それまでふわふわとしていた身体に重力が戻り、

 感覚がリアルなものへと変化する。


「ではでは、行きましょう~~!!」


 斯くして。空の旅が始まるのであった――。




 ……、

 …………。




 竹箒の上で風を切りながら、

 ノアとキロシュタインは水没した世界の上空を滑るように飛んでいた。


 どこまでも広がる青の世界。


 透き通る海の底には、灰色の建造物が並び、

 かつての都市の姿をぼんやりと映し出している。


 そんな中、突然、ノアが満面の笑みで振り返った。


「問題ですっ!! じゃじゃん!」

「キロちゃん、この下の都市の名前は??」


「え?」


 不意打ちのクイズに、キロシュタインは目を瞬かせる。


「えぇ……なんだろ。大きな街だけど……」


 ノアは竹箒の上でぴょんと跳ねながら、指を一本立てる。


「制限時間は一分ですっ。お考え下さい!!」


(えっと、なにか……なにかヒントになるもの……)


 キロシュタインは、

 海の底に沈む大都市を上空からじっくりと見下ろす。


 崩れかけた高層ビル、


 広大な街路、


 ところどころに残る看板の跡――。


 旧世界の都市の写真を何度か見たことがある。

 どこかで見覚えのある風景。


 そして――目に入ったのは。


「あれ知ってる! 自由の女神だ!!」


「おぉっ?! じゃあキロちゃん、答えをどうぞっ?」


「ニューヨーク……? だよね?」


「せいかーい!! ぱちぱちぱち~!!」


 ノアが竹箒の上で嬉しそうに拍手をする。


 そんな彼女の姿を見て、キロシュタインは小さく笑った。



 こうして、ノアとキロシュタインの空の旅は続いていく――。



 *



 あれから一時間ほどが経っただろうか。



 竹箒にまたがり、どこまでも続く青の世界を飛び続ける。

 目の前には、かつて「大西洋」と呼ばれていた海洋が広がっていた。


 そんな中、二人の前に、宙に浮かぶ巨大な人工構造物が姿を現した。

 

 中央の球体が独立して回転し、

 左右対称の円錐が二つ、まるで砂時計のように配置されている。


「……でっか」


 さっき見たニューヨークの街を、丸ごと覆い隠せるほどの規模。

 その巨大さに、キロシュタインは思わず呆気に取られる。


「――あのね、キロちゃん」


 そこで、不意に話し始めるノア。


 その声は、どこか静かで、どこか寂しげだった。


「地上世界は今、英雄歴13000年の8月15日です」

「パラダイス・ロストから、およそ一万年の月日が過ぎました」


「キロちゃんのいる世界と、この世界の時間の流れは違うから」

「そっちでは百年。こっちでは一万年」


 キロシュタインの中で、何かが音を立てて崩れるような感覚がした。


「私はね、永遠にも思えるような日々を、一人で生きてきました」

「『アカシアの巫女』、それが私の役目」

「この世界が消失しないように、観測し続ける“観測者”として」

「いつか、人類が地上世界へ回帰できるように」

「……だから、ずっと、ずっと一人で生きてきました」


 竹箒の上で、ノアの銀髪が風に揺れる。


「『ノア』は、古代アーキ語で『希望』って意味なの」

「……人類最後の希望。それが、私の名前」


「私はね、人間のお父さんと、女神のお母さんから生まれた半神族なのですよ」

「だから老いることもないし、病気にもならない」


 ノアは、わざと明るく言うように微笑んでみせた。


 だが、その瞳の奥には、

 誰にも触れさせない孤独が、深く沈んでいた。


「……とっ、ここまでが、私の正体についてです。」


 そう言うと、ノアは箒の上でくるりと一回転。

 まるで強がる子供のように、るんるるん、と鼻歌を歌いながら。


 違う世界を生きる二人の少女の邂逅。



 ――運命の輪が、静かに廻り始める。



 *



「キロちゃん! こっちこっち!!」


 ひらひらとワンピースを揺らしながら、ノアが手招く。

 そこは、大西洋の上空に浮いていた、あの砂時計型のオブジェクトの中だった。ノア曰く、この巨大構造物の名は、『世界記憶天体/アカシア』。彼女が「アカシアの巫女」の異名で呼ばれる所以であり、ありとあらゆる世界の情報が、このアカシアには記録されているらしい。


 まるで宇宙船のような造りのアカシア内部には、自動で魔法を起動し続けるために必要な、魔法起動円盤/ディアノイアが内蔵された機械類が、四方の壁に隙間なく埋め込まれている。天井に張り巡らされたチューブは、おそらく魔力血液を流すためにあるのだろう。


 しかし。キロシュタインとシアナスが毎日、大灯台の魔法起動円盤をメンテナンスする必要があるように、これだけ大きな施設を維持するともなれば、その役目を担う人が数十人はいなければ。


 ……などと、魔法マニアの血が騒ぐキロシュタイン。


「ふふっ。キロちゃんは、魔法が大好きなんだね。なにか気になることでもあった?」


「あー、えっと。メンテナンスはどうしてるのかなって」


「ヒツヨウナイ。ナゼナラ、アカシアハソレヒトツデジリツシタイキモノダカラナ」


「あーもう、勝手に答えないでよポリプ! あんたの声、聞き取りづらいんだから」


 キロシュタインとの会話を横取りされたノアは、ポリプを捕まえようとぴょんぴょん飛び跳ねるが、数秒後には息を切らして膝をついていた。逃げ切ったクラゲはコミカルな踊りで煽っている。



 と、そんなこともありつつ。



「これを見たら、絶対に、ぜーーーーったいに! キロちゃんは驚くと思います」


「ほう。言い切ったね、すごい自信だ」


 アカシアの内部を進み、球体部分へと続く入り口の前で、ノアが胸を張っている。

 

 ここに来るまでの道中には、当然、人間は一人もおらず。小さな虫や植物でさえ、この世界には存在していないようだった。一部の壁や床には、ノアが描いたのだろうか。油絵具で本格的に描かれた都市の絵画や、クレヨンで描いた子供のような絵、魔法の式、楽譜や数式と、無機質な空間に、いろいろな落書きのあとが残されていた。キッチンや寝室、アーケードゲームの筐体が並べられた部屋、シアタールーム、学校の教室、教会、図書室、プール、浴室、トイレはエリアごとに、と。

 どうやら、このアカシアは、ノアが暮らす家でもあるらしい。


「ではでは、いきますね。準備はいいですか?? キロシュタインさん?」


「いいよ。この先に何があっても、ぜーーーーったいに驚かないので」



 ふふん、と自慢げに鼻を鳴らして。

 ノアはその扉を開いた――。



「……、…………え?」


 結果。キロシュタインは、部屋に入って二秒で驚くことになった。

 ぽかんと開いた口が、閉まらない。


「あ! ああっ!! キロちゃん驚いてるぅー!!」


「ケッサクダ! コリャ、ケッサクダ! キレイナニコマオチダ!」


 球体型のその部屋に広がる光景は、異世界の神殿を思わせるような異様な美しさを漂わせていた。壁面全体には、棺桶を思わせる長方形の箱が数千個、隙間なく整然と埋め込まれている。それらは360度にわたり、完璧な対称性で配置され、見る者を圧倒する光景を作り出していた。


 ――そして、そのすべての箱の中に「ノア」が眠っていた。


 白く濁った液体に満たされた箱の中で、無数のノアたちは静かに、安らかな表情を浮かべていた。その姿はどこか神秘的で、しかし同時に不気味さを拭えない。箱の中の液体が微かに揺れるたび、ぼんやりと光が反射し、まるで生命の気配を持つかのように錯覚させる。


「彼女たちも……ノア、なの?」


 キロシュタインは、乾ききってしまった喉の奥から、なんとか言葉を発する。


「そう! 魔法が大好きなキロちゃんなら知ってると思うけど、これは『造花体/ドール』だよ。みんな私で、みんなノア。私の脳が疲れて狂っちゃわないように、百二十年ごとに記憶をリセットして、別の造花体に魂を移し替えるの! そうやって、一万年生きてきたのだよ。ふふふ」


 ノアは非常に楽しそうだ。

 楽しいならいいか、とキロシュタインは納得する。


 造花体/ドールは、人形塑躰師(ソタイシ)という、専門の資格を持った魔法使いによって創られる。人間の魂が素材に用いられるが、肉体の生死は関係ない。生きている人の魂でも、亡くなった人の魂でも、素材としてつかうことができる。だが、ここまで精巧な創りとなると……。

 この造花体たちを創った魔法使いは、たぶん只者じゃない。


 キロシュタインの脳内に、もじゃもじゃの髭を生やした、いかにも凄そうな魔法使いの老人が浮かぶ。たぶん只者じゃない。そもそも、このアカシアという規格外の物体が造られている時点で、だ。

 

「すっごーい。すごーい、すごいなぁ~~」


 圧巻的な魔法パワーに魅せられ、キロシュタインの語彙力が溶ける。



 

 ――ドォオオオオオン……ッ!!




 瞬間――いきなり、アカシア全体が横に大きく揺れ、爆発音が鳴り響く。その場に倒れ、一瞬意識を失うキロシュタインとノア。気がつくと、部屋の天井には大きな穴が空いており、粉々に散った瓦礫が砂ぼこりのように、部屋中に舞っていた。球体の上部に設置されていた箱も破壊され、眠っていた造花体たちの四肢や、身体の一部が降り注ぐ。天井の穴から覗く青空には、雲一つなかった。


 そして。ソレは、影を伴って二人の前に現れる――。



「黒い……カルディア……??」


 

 ノアの小さな手を握りながら、キロシュタインが呟く。


 『魔法起動機兵/カルディア』――魔法起動式のヒト型ロボット。高さは20メートルから25メートルのものが一般的で、「聖鉄/セイテツ」と呼ばれる特殊な金属で造られた装甲を、幾千にも重ねた外骨格は、物理・魔法のどちらの攻撃に対しても強く。古くは、かの英雄戦争アストラマキアで、人類側の武器としても使われた。



 ――いま二人の前に、死神が降臨する。



 それは、漆黒の装甲をまとったカルディア。深く刻まれた戦傷が、その巨躯の至る所に刻まれている。右手に持ったロングソードの刃はボロボロで、もはや、切るよりも叩き壊すための鈍器と化していた。――赤い煌めきを纏う双眸。装甲に張り巡らされたチューブから、魔力血液の白い鮮血が噴き出し、まるで銀世界のように、周囲の床や壁を真っ白に染め上げていく。


「ナンヤ、ヨウワカランケド。ニゲタホウガイイゼ!!」


「そうね。キロちゃん、こっち!!」


 ノアが迷いなく走り出す。

 

 誰よりもアカシアの構造を熟知している彼女。

 彼女が行くなら、そこが唯一の脱出ルート。


 キロシュタインは、迷わずノアの背を追った。


 背後では、

 カルディアの鈍い咆哮。

 それに続く、連続する爆発音。

 熱と衝撃が背中を押す。


 右へ。

 左へ。


 どこを走っても、似たような廊下が続く。

 永遠に出口のない迷宮のように――。


「はぁ……はぁ……脳がバグりそうなんだけど!!」


 キロシュタインが息を切らせながら叫ぶ。


「ねぇ、この道で本当に合ってるノア?」


「……ふぅ……はふぅ………だいじょーぶ……私……を……しん……」




 ばたり。




 ノアが、仰向けに倒れた。


 湯気が立つ額。

 ピヨピヨと回る幻覚の星。

 ノアは、完全に限界。


「おーい!?」

 

 キロシュタインも立ち止まる。

 

 しかし、彼女も普通の女の子。

 体力に自信があるわけでもない。


 結果――。




 ばたり。




 キロシュタインも、隣で同じように倒れた。

 背中に伝わる、床の冷たさ。


「赤信号の横断歩道に寝転んでる気分……」


 今、この瞬間にも漆黒のカルディアが迫っているはず。

 

 なのに――、

 何故だろう。


「楽しい」


 変化のない日々の中で、

 「変わること」を恐れていたキロシュタイン。

 その心が、

 今、この極限状態の中で解放されていく。



「わたしの心の中にはね……天使と悪魔がいるの」



 キロシュタインは、突然、前触れもなく語り出す。

 ノアは息を整えながら、静かにそれを聞いていた。

 

「『お姉ちゃんと二人で平穏に過ごす、いまの生活とささやかな幸せが、この先もずっと続いていく』って、天使は囁くの」

「でも……悪魔はね、いつも大きな変化を求めてるの。『退屈だ』って言っては欲求不満をぶつけてきて、しまいには……『いっそ全部壊してしまえ』なんて、悪だくみを始めるの」

「いまの生活が大好きなのに……大切なのに……」

「わたしの心に住み着いた悪魔が、それを許してくれないの」

「毎晩、海を見つめながら、

 頭の中がよくない妄想でいっぱいになって……、

 そんな自分が――」




「だいっっ……嫌いッ!!」




 心の叫びが、静寂を切り裂く。


 天井の照明が、

 やけに明るく見えた。

 そして、背中に伝わる床の冷たさ。

 それが、なぜか心地よかった。


 キロシュタインは、

 天井を見つめたまま、ただぼんやりと息を吐く。


 その手に、別の温もり。

 ノアが、そっと手を重ねていた。


 遠くで、また一つ爆発音が響く。

 

 それでもこの世界は、

 水没した世界は、

 どこまでも静寂に包まれていた。



 

 ――、ねぇキロちゃん。




 ノアが、不意に口を開いた。


「人差し指と小指だけを立てて、鹿の角みたいなサイン作ってみて」


 キロシュタインは訝しげにノアを見る。

 が、素直に左手でハンドサインを作った。


「…………、こう?」


「そそっ」


 ノアはにっこりと笑う。


「でね? それをおでこに当てるの」


 言われた通りに、

 キロシュタインは、サインを額に当てた。


「オルデキスカっ!!」


 ノアが同じサインを作り、額に押し当てながら叫ぶ。


「オルデキスカ?」


 キロシュタインが眉をひそめる。


 ノアは少し得意げな顔をして、説明を始めた。


「うん。オルデキスカ、っていってね」

「古代アーキ語で、『魔女の祈り』って意味なんだけど」

「昔ね、あ。昔っていっても、すっごーーーーーーく昔のことなんだけど」

「その時代の人たちは、角を持つ生き物を神聖なものとして崇めていたの。

 シカとか、カブトムシとか?」


「で、僕たち人間も、角をもった特別な存在になれますようにーって、このハンドサインができたの。――それからなんやかんや、かくかくしかじかなどあったりして、『オルデキスカ』は、契りを結ぶためのサインになったとさ!」


 キロシュタインは小さく息をつく。


「なるほど……なんやかんやあったんだね」 


「すみませんねー、お客さん。話せば長いもので」

「それはそれは涙あり、笑いありの……と」


 ノアが芝居がかった口調で言う。


「冗談はさておいて、ですよ。キロちゃんさん」

「……約束しましょ?」



 二人は、向かい合う。



 キロシュタインとノアは、

 床に座り、額にオルデキスカのサインを当てた。


 ノアの横では――。

 ぺたんと座ったポリプも、

 器用に触手でサインを作る。


 時折、爆発音が鳴り響くアカシアの廊下で。

 それでも、この場所だけが、

 静かで、温かかった。


 ノアはまっすぐにキロシュタインを見つめ、言った。



「――私、フェイト・ノア=ユーリスニュアは約束します」


「――キロシュタイン・ヴォルケ・ベッカーの親友になることを約束します」


「――この先、彼女の人生になにが起ころうとも」


「――たとえ、彼女自身が変わってしまったとしても」


「――私、ノアは、キロシュタインの親友であり続けると」


「――約束します」



 言って、ノアは、恥ずかし気に笑う。

 彼女の真っすぐな言葉を受けて、頬が緩んで仕方がない様子のキロシュタイン。彼女の心を縛っていた不安や恐怖の糸が、するすると解けていく。不条理に満ちた世界の片隅にできた小さな歪み……姉シアナスとの平穏で、幸せな生活。その終わりを勝手に妄想して、一人で悩んで、苦しんで。


 キロシュタインは、仕返しをするように、ノアと向かい合う。



「――わたし、キロシュタイン・ヴォルケ・ベッカーは約束します」


「――フェイト・ノア=ユーリスニュアの親友になることを約束します」


「――わたしは、あなたが抱える孤独を」


「――あなたが背負っている、大きな運命を」


「――親友として、共有することを約束します」



 人差し指と小指を立て、

 その手を額に当てる。


 ただの言葉が、契約となり、

 互いの心を繋ぐ『魔法』となる。


 オルデキスカ――。

 

 古き魔女の祈りによって、親友になった二人。

 キロシュタインとノアは、

 互いの手を取って、立ち上がる。


 その瞬間。




 ――――ダズ ッ ァン!!


 


 轟音。

 

 静寂を切り裂く一太刀。

 

 漆黒のカルディアが、

 二人のいる廊下へと続く厚い金属扉を叩き切る。


 地獄で煮える血の池の如く、

 その赤き機械の眼が、

 キロシュタインとノアを見下ろしていた。


 狭い廊下の天井を見上げ、

 カルディアは侵入を諦めたように、一歩後退する。


 巨大なロングソードを床に突き刺し、

 その刃を手放しながら――。


 右腕を突き出し、

 左手でそれを支えるような構えを取る。


 そして……、



「――《 V:HN(ヴァ―ハナ)XIII(サーティーン) 》……、詠唱開始(アンカー)



 カルディアに搭乗しているパイロットが、

 呟くように言葉を放つ――。


 詠唱開始/アンカーは、魔法を発動するための合図、決まり文句のようなものだ。機兵カルディアを含む魔法起動式の機械は、ディアノイア(魔法起動円盤)に刻み込まれた魔法の式を呼び起こす仕組みとして、電源スイッチの代わりに、術者の言葉を用いる。


 パイロットの一言によって、カルディアの血管が白銀色に光り輝き、中に流れる魔力血液が、ぐつぐつと温度を上げていく。――肩先から、右手の指先まで幾重にも連なるように展開されていく、赫の魔法陣。その魔法陣に記されたすべての模様と文字が、ただ一つの「魔法」を構築する鍵となる。

 魔法陣の複雑さは、すなわち発動される魔法の威力を表し――。


「オイ、オマエラ!! ニゲネェトヤベェノガクルゾッ!!」


 ポリプが、小さな体を振り回しながら叫ぶ。


「あの魔法陣の数……」

 

 キロシュタインが、

 わずかに目を見開く。


「ねぇ!! キロちゃん、いくよ!!」


 ノアが手を伸ばす。

 しかし――。


「……ごめん。無理、だよ。ノア」


 キロシュタインは理解していた。

 ――逃げ場はない。


 魔法は使えないが、

 誰よりも魔法が大好きで、

 あらゆる魔法を知識として記憶する彼女にはわかる。


 目の前のカルディアが放とうとしている魔法の威力。

 鮮明なヴィジョンがキロシュタインの脳裏に浮かぶ――。



 ここで……、


 彼女たちの物語は……終わり……、








 ――、フラグシールド。展開ッッ!!








 ≫ ()()()()()()!! ≪


 突如として、空から降ってきた一旈の「旗」が、二人の少女とカルディアの間の床に突き刺さり、魔力で構成された巨大なシールドを創り出す。――刹那。空間を捻じ曲げるほどの魔法波が、漆黒のカルディアから放たれる。しかし、シールドが魔法波を防ぎ、衝撃を拡散させ、結果として、アカシアの外殻の上部を消滅させてしまうが、キロシュタインとノアには傷一つ付かなかったのである。


 二人は、何が起こったのか理解できず、その場に呆然とへたり込んでいた。


 吹きさらしになってしまったアカシアの廊下に吹き付ける爽やかな海風。晴れ晴れとした水没世界の空の下、大きな旗がはためいている。オレンジ色のその旗には、『Orde Qiska』という文字と鹿のモチーフを組み合わせた、組織の紋章のようなものが描かれていた。


 攻撃を防がれた漆黒のカルディアのパイロットは、

 「……チッ」と、小さく舌打ちをする。


 そして――。


 新たな影が、静かに舞い降りた。


 双肩に装着された、左右二対、天使の翼。

 その翼を羽ばたかせながら、

 キロシュタインとノアの目の前に降着する――。


 それは、エメラルドグリーンの装甲を纏った、

 新たな魔法起動機兵/カルディア、だった。


 漆黒のカルディアとの決定的な違いは――、

 その額に生えた、細長い「一角」。


 その角の長さは、

 機体全高の半分をゆうに超えていた。


 着地した一角のカルディアは、

 地面に突き刺さっていた旗を引き抜く。

 その旗を、まるで剣を納めるような所作で、

 背中の装甲に用意された専用のパーツへと嵌め込む。


 そして――。


 機体の背部。

 内蔵されたコックピットの扉が、ゆっくりと開く。

 

 そこから、軽やかな声が響いた。


 


「あ〜、外きもちぃー。にしても」

「操縦席に三人詰めるのは、さすがに無理があったかも」



「ふふっ、そうね」

「私も息が詰まって、危うく蒸しダコになるところだったわよ」




 そんな会話とともに、コックピットから現れたのは――。


 二人の女。


 一人は、ペールオレンジの長い髪をなびかせながら。

 一人は、青みがかった銀の髪をなびかせながら。


 開いたコックピットの扉が、エレベーターのように降下する。

 二人を乗せ、カルディアの背部からつま先まで、滑らかに降りていく。


 その光景はまるで――。


 スポットライトを浴びながら舞台に登場するアクトレス(舞台女優)のようだった。


 彼女たちのローブは、

 オレンジとホワイトのツートンカラー。

 広い袖口には、先ほどの旗と同じ紋章が刻まれている。


 その姿を見て、キロシュタインとノアは思わず息をのんだ。


 ………彼女たちのことを、誰よりも深く知っている。

 顔立ちが大人びていて、すこし背も伸びているが――。

 

 それ以外は、ほとんど変わらない。



「「えぇー!!」」



 キロシュタインとノアは、息ぴったり、声を揃えて驚く。

 成長した『未来の自分たち』が突然、目の前に現れたら、きっと誰だって同じリアクションをするだろう。まさに、鏡映し。本物と見紛うほどの虚像。


 いや、彼女たちもきっと「本物」なのだ。


 キロシュタイン(未来)は、目つきが鋭く、その目力だけで他人の心を支配してしまいそうな怖さがあった。その上、失ったはずの左目が何故か存在していて、プラチナ色の煌めきを帯びている。右の碧い瞳と対を成して、綺麗なオッドアイになっていた。一方ノア(未来)は、静謐なオーラをまとう一国の王女のような風格で。依然として、オニイトマキエイのヘッドギアを頭に被っている。


 コックピットの中にまだもう一人いるのだろうか?

 エメラルドグリーンのカルディアは、

 二人を降ろした後も威風堂々と立ち、

 対峙する漆黒のカルディアを牽制し続けていた。


 互いに隙を窺い、膠着状態が続く。


 そんな緊迫した状況の中――。

 未来のキロシュタインとノアが、こちらへ歩み寄る


「……ほんもの??」


 キロシュタインが疑わしげに呟く。


 未来のキロシュタインは。不敵に微笑み、

 堂々とした口調で答えた。


「もちろん、本物よ」

「――まぁ、自己紹介はいらないと思うけど、一応ね」

「わたしはキロシュタイン」

「で、こっちのお姉さんがフェイト・ノア」

「はじめまして? なのかな」

「可愛らしいノアちゃんと、十五のわたし」


 そう言って、未来のキロシュタインが、

 現在のキロシュタインに手を差し出す。

 

 恐る恐る、二人は成長した自分自身と握手を交わした。

 

 その手には、確かな熱。

 夢でも幻でもない。


 今、この場所に、彼女たちは「存在している」。


 まったく同じ色で、同じ形で、同じ輝きを放つ、二対の魂――。


 未来のノアが現在のノアの頭を撫でる。


「こんにちは、可愛いね」

「……って、これただの自画自賛じゃない?」 

「ふふっ、なんか変な感じ」


「……なに? この状況。よくわからないけど恥ずかしぃ~」


 ノア(未来)に頭を撫でられた、現在のノアが、照れくさそうに笑う。

 

 そのとなりで、

 二人のご主人様を前に、甚だ困惑した様子のポリプが跳ね回っていた。



 …………、



 記録:英雄歴13000年/8月15日。

 座標:35°01'21.6"N 49°14'55.7"W『世界記憶天体/アカシア』。



 ……、 



 上部の外殻が、魔法波で跡形もなく破壊された、宙に浮かぶ人工天体アカシア。雲一つない青空と、果てしなく広がるターコイズブルーの海。水底には、旧人類の文明が、その形を保ったまま眠っていた。そんな孤独な世界に遺された、地上世界最後の観測者にして、『アカシアの巫女』の異名をもつ、フェイト・ノア=ユーリスニュアという少女。彼女が背負う、人類の地上世界回帰という使命は、一万年の時が経っても果たされることはなかった。ただ、滔々と流れる川のように、底に穴が開いたバケツに水を注ぎ続けるだけの人生は、静かにノアの心を、寂しさという病で蝕んでいた。


 その寂しさを癒すように、突如として、

 異世界から現れた灯台守の少女、キロシュタイン。


 彼女は、姉シアナスとの平穏な日々に、いつか訪れるであろう「終わり」を想像して、得も言われぬ恐怖と不安に日々怯えて暮らしていた。――そんな二人が邂逅し、交わした、オルデキスカという約束。その約束によって、親友になった二人の前に現れたのは、未来の自分たちだった――。


 




「それじゃあ、時間もあまり残ってなさそうだし……。

 二人とも、これ。わかるでしょ?」


 未来のキロシュタインが、

 人差し指と小指を立てたハンドサインを額に当てる。

 

 魔女の祈り――オルデキスカ。


 現在のキロシュタインとノアも、

 迷うことなく同じサインを作り、額に当てた。

 

 すぐそばでは、

 二機のカルディアが、殺気を纏いながら睨み合っている。


 そんな緊迫した状況の中、

 未来のキロシュタインは、

 おもむろに言葉を紡ぎ始めた。


「……約束」

「十五歳のキロシュタイン・ヴォルケ・ベッカーへ」

「あなたが死ぬとめちゃくちゃ困るので、」

「この先何が起きても、必死に生き延びてください」

「せめて、今のわたしの年齢になるまでは」

「あと、しょうもないことで悩むのはやめてください」

「自分の意志を強くもってください」


「――以上」


 未来のキロシュタインが、

 強い眼差しで現在のキロシュタインを見つめる。


 その圧に押されるように、

 キロシュタインは思わず背筋を伸ばし、オルデキスカを結んだ。


「えっ? あっ、はい! ……約束します」


 その瞬間――。


 キロシュタインの胸の奥に、

 熱が生まれる錯覚を覚えた。

 彼女は、無意識に自分の心臓に手を当てる。


 ……ドク……ドク……。

 心臓が騒がしく脈打つ。



 次に前に出たのは、未来のノア。

 彼女もまた、オルデキスカのサインを額に当てながら言う。


「ではでは、約束っ!!」

「ノアちゃん」

「まずは、今日まで一万年間、よぉく頑張りました」

「未来の私より、感謝と敬意を送ります」


 未来のノアは微笑みながら続ける。


「造花体とバトンタッチしながらの一万年間」

「ロックンロールに生きた周期もあれば、」

「油絵を極めた周期、料理を極めた周期、」

「アカシアの内部地図を歩いて作成した周期」

「ポリプを海水から作った周期、」

「勇者と魔王とお姫様の一人三役でRPGごっこをした周期もありましたね」

「あの毎日は、今ではいい思い出と記憶しています」

「……いまの君は、いや地獄だよって感じてるかもだけどね」

「……で、本題」

「私からは一つだけ」

「これから生きる、未知に満ち満ちた毎日を、」

「心の底から楽しんで生きてください」

「とにかく、生きて、生きて、笑ってください」


「――以上です」


 未来のノアのあまりに明るい言葉に、

 現在のノアは少し驚きながらも、

 ゆっくりと頷く。


「……はい」

「まだ困惑してるし、理解も追いついてないけど」

「……未来の自分に言われたら、」

「約束しますって言うしかないよね」


「……、……約束します」


「でも。言われたから、じゃないんです」

「私のこの心に従って」

「これから私の身に何が起こるのか、わからないけど」

「わからないからこそ、すっごく楽しみなんです」

「……だから、」


「私、フェイト・ノアは、あなたと約束します」


 二人のオルデキスカが結ばれる。

 粉々に破壊されてしまったアカシアの上で、

 ノアは、その日初めて「本音」を口にした気がした。



 

 ――風が吹く。




 気がつけば――。

 キロシュタインとノアは宙に投げ出されていた。


 エメラルドグリーンのカルディアが、

 旗を大きく振り、風を起こして二人を吹き飛ばしたのだ。


 空中に浮かぶアカシアの残骸の上で、

 未来のキロシュタインとノアが、

 手を振っていた。


 まるで、


「行ってらっしゃい。」


 そう言うように。




 ――――、落ちる。



 ――、










 

 ……、

 意識が戻る。


 目の前には――。

 お互いの呆然とした顔。

 

 ここは――。

 大灯台の灯室。


 キロシュタインとノアは、

 向かい合う形で椅子に座っていた。


 ガラス窓の外には、

 月明かりに照らされ、黄金色に輝く双星洋。


 キロシュタインにとっては故郷。

 ノアにとっては未知の世界。


 まるで、

 異世界転移をしたような気分だった。

 

 訳も分からず、

 狐につままれたような顔で――、



「「でも、不思議と、ワクワクしていた」」



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