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13*|Episode Lazu[L // R]ite - 岐路 γ -

 フラトレス地下都市の奥深く、ファウスト博士のアトリエは相変わらず雑然としていた。


 部屋の棚には薬草の入ったガラス瓶が並び、魔導書が積み上げられ、壁には神声文字が無数に刻まれている。中央の大釜はゆっくりと泡立ち、時折、白い蒸気を吐き出していた。錬金術師の作業机には、元素周期表と古びた羊皮紙が散らばり、日記を記すためのインク瓶が静かに揺れている。


 ファウスト博士は、慣れた手つきでレコードプレーヤーの針を落とした。


 タイヨウシング・エラ――。


 いつもの旋律が流れる。

 彼はわずかに目を閉じ、音楽に耳を傾けると、静かにペンを走らせた。



『ファウスト博士の日記

 英雄歴 3066年4月14日――』


 計画開始から五年が経った。

 ジェミニ計画は、今のところ順調だ。

 子供たちは問題なく成長している。

 最初は警戒していたクロとアルも、今ではこの平和な生活を受け入れ、何の疑問も抱かずに日々を過ごしている。

 そして、今年、オパールの姉妹とラズライトの双子は計画の目標である12歳を迎える。

 私は錬金術師だから、カルディア:タイプ・ジェミニの技術的な詳細は理解していない。しかし、開発はすでに最終段階に入ったらしい。計画の目的に必要不可欠な「力」――その全貌が、ようやく完成しようとしている。

 そして、明日はいよいよOZとの会議だ。

 私もこの五年間、ずっとこの地下都市で暮らしてきた。

 あの男の顔を知るのは、正直、楽しみだ。

 計画は成功しつつある。

 私も、この成果をもって昇格できるだろうか。

 ……そんなことを考えながら、私は子供たちのことをまとめてみることにした。


:フラトレスの子供たち


 アメシストは最近、おしゃれにこだわるようになった。毎日違う服や髪形を試しては、誇らしげに私に見せてくる。私が適当に頷くだけでも、満足そうに笑うのが不思議だ。


 シトリンは相変わらず甘いものが大好きだ。それだけでは飽き足らず、自分でお菓子を作ることも覚えた。味見を強要されるのは困るが、あの誇らしげな顔を見ると、つい許してしまう。


 エメラルドは、ゲームばかりして自室にこもりがちだ。しかし、どうやら宇宙に興味を持っているらしい。ときどき、プラネタリウムの箱庭で星を見上げているのを見かける。


 アクアマリンは、何よりも体を動かすのが好きなようだ。毎日フラトレスのエスカレーターや箱庭を利用してランニングを続けている。見ていると、まるで鳥籠の中を走る鳥のようにも思える。


 クロは……どうやらアルのことが好きらしい。

 いつも一緒にいて、二人で読書をしている姿をよく見かける。クロのほうが少し大人びているのに、アルの言葉には妙に素直になるのが、何とも微笑ましい。


 シロは、村の箱庭でブリキ人形たちとごっこ遊びをしている。まるで本物の村のように農業をしたり、羊の世話をしたり……彼女にとって、あの箱庭はどこまでも「現実」なのだろうか。


 最後に、エル。

 彼女は子供たちの中で一番引っ込み思案で、いつも背中を丸めている。

 しかし、笑顔が素敵な子だ。

 もし外で生活していたなら、きっと友達がたくさんできていただろう。


 ……ああ、なんだ。


 いけないな。

 私は、彼らを閉じ込めている「悪者」なのに。

 それなのに、こうして彼らの日常を記録することに、どこか愛おしさのような感情が滲んでいる。

 これは、計画に不要な感情なのか?

 それとも……。

 いや、考えるのはよそう。

 明日の会議に備えなければならない。


 計画は、順調だ――。


 Dr.Faust 



 レコードの旋律が静かに流れる。

 ファウスト博士は、最後の一行を書き記すと、ペンを静かに置いた。



   13*.Episode Lazu[L // R]ite – 岐路 γ -



 テイルソニアの神殿――円形の巨大なホール。


 ホールには、世界各地から集まったコミュニオン(国や組織)の主席魔導師たちが列席していた。それぞれが自らのコミュニオンの威厳を背負い、異なる制服に身を包んでいる。


 その中心。円卓を挟むように、四つの影が向かい合っていた。


 一人は、アークステラの執政官、アニハ=サンタカージュ。

 静謐な威厳をまとい、背には光輪、天使の翼が揺れている。


 その隣には、半天使族の秘書、ノイトぺセル・メンカリナン。

 彼女の欠けた光輪と片翼が、静かに光を映していた。


 対面に立つのは、漆黒の鎧に身を包む男、オセ・ツァザルディオ。

 兜の右頬には「XCiX」の金文字が刻まれ、巨大な影が揺れている。


 最後に、一人の女性。

 カナリア色の螺旋状の髪をなびかせる、勇敢な戦士。

 ――鬼天儀(キテンギ)・ハンネエッタ。


 その場の空気を切り裂くように、彼女がオセに詰め寄る。


「お前、また裏で何か企んでいるな」


 オセは微動だにせず、低く答えた。


「妄想だ」


 ハンネの瞳が鋭く光る。


「それに、U13の主席魔導師であるあんたが拒否権を発動し続けるせいで、一向に奴隷貿易を禁止する条約が結べない。あんたたちが統べるビアンポルト地方だけだぞ?  他の地方はすでに奴隷を解放し、正当な権利を与え始めている。時代遅れなんだよ、あんたの思想は」


 ホールの空気が張り詰めた。


 U13――それは、この世界で最も影響力を持つ13の主要コミュニオンの集まり。

 その中で、オセが主導する勢力だけが、奴隷貿易の禁止に徹底して抵抗していた。


 アニハが静かに言葉を挟む。


「まあ、そうじゃな。我らアークステラは公平な立場ゆえ、口出しはできんのじゃが……オセ、過去に囚われるな、とだけ言っておくぞ」


 オセの兜の奥で、わずかに口元が歪んだ。


「ふん。貴様たちと、わざわざ無駄な議論をしにきたのではない」


 彼は立ち上がり、重々しい鎧の軋む音が響く。


「……聖戦だ」


 ホールがざわついた。


 「聖戦」とは、この世界における戦争のこと。

 この星礼院会議で、その目的を宣言しなければならない。


 ノイトぺセルが冷静に問いかけた。


「聖戦を起こす理由は?」


 オセは一歩前へ進み、宣言する。


「貴様、ハンネエッタのコミュニオンが保護している『原初の天使』ユハを渡せ」


 ハンネの目が鋭く光る。


「……!?  意味が分かってるのか? そんなことをすれば、ユハを目覚めさせることになるぞ」

 

 オセの声は、確信に満ちていた。

 

「それが目的だよ」


 アニハの表情がわずかに曇る。


「正気か、オセ」


 オセは冷笑し、彼女を見下ろすように言った。


「口出しするつもりか、執政官?  貴様が定めた星の掟に則り、こうして宣戦布告してやっているのだ。傍観者のアークステラに、それを止める権利はない」


 アニハは、ゆっくりと目を閉じた。


「……そう……じゃな」


 ノイトぺセルが小さく息を吐く。


「アニハ様……」


 しかし、ハンネは真っ直ぐにオセを見据えた。


「いいだろう。受けて立とう。その代わり、あんたが負けたら、奴隷禁止条約に判を押してもらう。んで、あんたが裏で進めている計画のことも……すべて洗いざらい話していただこう」


 オセはわずかに首を傾げる。


「何のことだろうか」


 ハンネは息を詰めた。


「とぼけるなよ。――五年前、あんたが南ビアンポルト地方に建てた巨大な工場プラント。あそこで造っているものについてだよ。それに、星の掟で禁止されている対摂理魔法を使っているという噂もあるそうじゃないか」


 ノイトぺセルの目が鋭くなる。


「ハンネさん、それは本当ですか?」


 オセの声は淡々としていた。


「証拠がない……だろう?」


 ハンネは歯を食いしばる。

 オセは肩をすくめ、最後の条件を告げた。


「一つ、貴様らに有利な条件を与えてやる。一方的に蹂躙してもいいが、それではつまらんからな」


 彼はゆっくりと視線を上げる。


「戦場を、貴様ら『聖鉄ハンネ騎士団』の本拠地――アビスヘブンにする」


 ハンネが拳を握る。


「お前、兵士の命をなんだと思っているッ!  アビスヘブン地方はこのアスハイロストで最も瘴気が濃い場所だ。我々は慣れているが、あんたらの兵士は……」


 オセは冷ややかに言い放つ。


「構わん。どちらにせよ、勝てばいいだけの話だ」


 ハンネがオセを睨みつける。


「ツァザルディオぉッ!!」


 アニハが静かに言葉を発した。

 

「――では、聖戦の旗立式(キリツシキ)を行う」



 ◇ ◆ ◇ ◆ 



 神殿の裏、無数の旗とガス灯が立ち並ぶ庭園。

 夜風が吹き抜け、旗がざわめく。


 戦いの火蓋を切る儀式――旗立式が執り行われる。

 

 アニハ=サンタカージュが静かに前へ出た。

 

「それでは、旗立式を執り行う。両者前へ」


 オセとハンネが、それぞれの陣営を代表して進み出る。


 オセの手には、黒地に金の刺繍が施された旗。

 そこには、「XCiX」の文字と、蹄鉄を組み合わせた紋章が描かれていた。


 一方のハンネの旗は、白地に二人の剣士とライオンが象られた紋章が刻まれている。

 二人は静かに向かい合い、それぞれの旗を掲げる。


 アニハの声が、庭園に響いた。


「星の掟に従い、互いの命を尊重せよ。――己が正義に誓えるか」


 ハンネが力強く宣言する。


「誓う!!」


 オセもまた、静かに頷いた。

 

「……誓おう」


 二人は旗を掲げたまま、交差させるように突き合わせる。

 ノイトぺセルが進み出る。


「では、旗を突き刺してください」


 オセとハンネは、同時に地面へ旗を突き立てた。


 旗の布が風に揺れ、ガス灯の明かりに照らされる。

 その瞬間、静かだった庭園が、これから起こる戦争の予兆を感じさせるかのように張り詰めた。

 誰もがその場に立ち尽くし、ただ、揺れる旗を見つめていた。


 これが、聖戦『錆の戦争(ラスト・ウォー)』の始まりだった――。




 …………、



 ……、




 工場プラントの轟音が遠くで響く中、狭く質素な会議室の中は静寂に包まれていた。

 窓の外には、炎を吐く炉の影。鉄と蒸気の匂いが漂い、壁には錆の跡が刻まれている。


 その部屋の中央、粗末な金属製の机を挟んで、二人の男が向かい合っていた。


 ファウスト博士は、落ち着かない様子で眼鏡を押し上げる。


 一方、対面に座るオセ・ツァザルディオは、黒い鎧を纏い、漆黒のマントを静かにたなびかせていた。兜の隙間からは、計り知れない冷徹さが覗く。


 オセは無言のまま、一冊の報告書を机の上に置いた。


「順調なようだな」


 低く響く声。無駄な感情は一切ない。

 ファウスト博士はその言葉にわずかに安堵し、報告書に手を伸ばしながら、戸惑いを滲ませた。


「まさか……主席魔導師のツァザルディオ様だったとは……」


 彼は喉を鳴らしながら呟く。

 オセは微動だにせず、次の言葉を静かに告げた。


「計画は中止だ」


 ファウスト博士の手が止まる。


「な……何をおっしゃるのですか?  ここまで進めておいて、中止など……!」

 

「他のコミュニオンに気づかれ始めている」

 

 オセの声は冷たい。


「長くは隠し通せん。いずれ、この計画は世界に露見する」


 ファウスト博士は唇を震わせながら、言葉を探した。


「で、ですが……子供たちはどうするのですか?」

 

 オセはわずかに視線を落とし、そして短く答えた。


「オパールとラズライトは、引き続き最終段階へ進め。計画中止後も、最後までやり遂げろ」

 

 ファウスト博士の喉がごくりと鳴る。


「では……他の子たちは……?」

 

 胸に湧き上がる嫌な予感。

 オセの答えは、容赦なかった。


「適切に処分しろ」

 

 ファウスト博士の体が強張る。


「……処分、とは……」


 オセは微動だにせず、ただ静かに言い放った。


「言葉通りの意味だ」

 

 その瞬間、工場プラントの重い音が遠くで鳴り響く。

 金属が軋み、煙が立ち上る。

 ファウスト博士の眼鏡の奥の瞳が揺らぐ。

 この言葉の意味を理解しながら、しかし、受け入れたくはなかった。

 会議室の時計が無機質に時を刻む。

 今まで続いたこの計画が、何かの岐路に立たされたことを、彼は初めて実感した。

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