10|『過労天使☆アニハ』
世界の中心と呼ばれる都市国家、星礼街=テイルソニア。
この街には、時代を超えた神秘が宿っていた。
建築物のすべてが壮麗でありながら、どこか人智を超えた意志に導かれたかのように、完璧な調和を持って組み上げられている。荘厳なゴシック建築の尖塔が雲間にそびえ、バロック様式の彫刻が神々の息吹を感じさせるように街角を飾る。一方で、幾何学的なアーチを描く回廊が広がり、鋼とガラスの美しさを極限まで追求した近代的な建築が、不思議とこの古の都市に馴染んでいる。
街は縦横無尽に交差し、歩道橋や石造りの階段、宙に浮かぶ小さな広場が絡み合い、まるで異世界の迷宮のようだ。幾重にも入り組んだ路地裏では、聖なる光を湛えたステンドグラスが夜でも輝きを放ち、浮遊する灯籠が道を照らしている。浮遊地区では、街の一部が空中にせり出し、そこへと伸びる鉄道や車道が、まるで蜘蛛の糸のように都市の隅々を結んでいる。
テイルソニアは、ただ歩くだけで胸が高鳴る、そんな場所だった。
都市の中心には、計算され尽くした幾何学的な設計の中央庭園が広がる。
草木はすべて緻密に配置され、石畳の小道はまるでひとつの巨大な紋章を描くかのように交錯している。噴水の水は絶え間なく湧き出し、夜には街の光を映しながら、柔らかな音を奏でる。庭園の周囲には高い柱が立ち並び、それぞれが神話的な意匠を持つ彫刻で飾られていた。
そして、その庭園の中心に位置するのが、神殿――『星礼院』。
都市の壮麗な建築に比べ、ひどく質素に見えるその建物。しかし、それは単なる錯覚だった。外観は簡素でありながら、よく見ればその造形は人智を超えた調和を持ち、寸分の狂いもなく完璧な対称性を成している。神殿の白い壁面は、光の角度によって微妙に色を変え、まるで呼吸しているかのように見えた。
内部へ足を踏み入れると、そこには円形の巨大なホールが広がっている。
何段にも重なる長椅子が壁沿いに配置され、中心にはたった一つの円卓が鎮座する。その天井には神秘的な紋章が描かれ、まるで見えざる者たちの声を受け止める器のように広がっていた。壁には名もなき歴史が刻まれたレリーフが浮かび、無言のうちに人々へ何かを語りかけている。
神殿の裏へと進むと、そこには他にはない奇妙な光景が広がっていた。
無数の旗とガス灯が、整然と突き刺さった広場。
風が吹くたびに旗が揺れ、それぞれが異なる紋章を掲げている。
都市の記憶、英雄たちの遺した証、それらすべてがこの場所に集約されているかのようだった。
旗とセットのように設置されたガス灯は、どれも異なるデザインを持ち、その炎は決して消えないとされている。日中でも、そこに揺れる青白い炎は不変の誓いを示しているかのようだった。
この広場では時間の流れが歪む。
風の音さえ遠のき、人々はただ旗を仰ぎ見る。
ここは、テイルソニアという都市が抱える、最も神秘的な場所のひとつだった。
10.『過労天使☆アニハ』
神殿の回廊は静寂に包まれていた。
大理石の柱が幾重にも並び、天井へと続くアーチが幾何学的な模様を描いている。壁面には荘厳なレリーフが彫られ、神話の断片を伝えているかのようだった。窓はなく、柔らかな光が天井の光輪装置から降り注いでいる。その光は神聖な輝きを帯び、歩を進めるたびに足元の紋様が淡く輝きを放った。
その静寂の中、一人の女性がゆっくりと歩いていた。
アニハ=サンタカージュ。
この世界の秩序を統べる星掟統制機関:アークステラの創始者にして、執政官。
彼女は、千年以上の時を生きる天使族の一人である。そして――。
英雄戦争アストラマキアで「人類側」の味方をし、楽園を追放された一人でもある。
金緑色の髪は、まるで陽光と森が交じり合ったかのような神秘的な輝きを放っている。長く流れるその髪は、丁寧に編み込まれ、装飾された細銀の髪飾りが繊細に煌めく。頭上と背には二重の光輪が浮かび、揺らめくように黄金色の輝きを放っていた。
その御姿を包むのは、アークステラの制服。
静謐でありながらも威厳を持つその装いは、白銀と深碧のコントラストが美しい長衣。胸元には天秤を持つ天使を象ったアークステラの紋章が繊細な刺繍で刻まれている。袖口には細かく織り込まれた神声文字が走り、右の肩章には執政官の証が刻まれていた。
袖を覆う手袋は純白の光沢を帯び、指先に至るまで緻密な銀の装飾が施されている。足元には、光を反射するような白金の靴。踏みしめるたびに音もなく進むその歩みは、彼女がこの世界の秩序そのものであるかのような威厳を持っている――。
その後ろを、一人の女性が歩いていた。
ノイトぺセル・メンカリナン。
アニハの秘書であり、彼女に仕える半天使族の女性。
銀の髪は短く整えられ、天使と人との狭間にある彼女の存在を象徴するように片翼だけを持つ。頭上には、完全ではない光輪――片方が欠けたように光る半円が浮かんでいた。
彼女の瞳は、紫と金の光が混ざる独特の色を持ち、見る者に神秘的な印象を与える。
アークステラの制服を纏った彼女は、アニハと同じ装いでありながら、動きやすいように少しだけ短めの裾を揺らしていた。細身のシルエットが際立つデザインで、袖には同じ天秤を持つ天使の紋章が施されている。
二人はゆっくりと歩みを進めながら、神殿の回廊を進んでいく。
神々の静寂の中で、二人の足音だけが、静かに響いていた――。
◇◆
◆◇
淡く輝く光輪の下で、アニハ=サンタカージュは厳かに歩みを進めていた。その隣を、ノイトぺセル・メンカリナンが慎重な足取りで追う。銀色の髪が揺れ、彼女は静かに口を開いた。
「アニハ様。プホラ・フラスコという男の件についてですが、いかが致しますか」
ノイトぺセルの声は淡々としていたが、その奥には微かな警戒心が滲んでいた。
アニハは足を止め、長い金緑色の髪を軽く指で梳く。
深碧の制服の袖口を整えながら、彼女は小さくため息をついた。
「構わんでいい。あのようなコバエ、湧いて湧いてきりがないじゃろう」
無関心とも取れる口調だった。
しかし、ノイトぺセルはそれに納得していないようだった。
片翼を揺らしながら、少し間を置いて言葉を続ける。
「承知しました。しかし、あの男は『世界の根源』に辿り着く可能性が――」
「まあ、放っておけ。やつに命を奪われた者はかわいそうじゃが。あの程度の雑魚も対処できないような人類では、はなから未来などないというものじゃ」
その言葉には、一切の情がない。
いや、むしろ、人類というものに対する諦観に近いものすら感じられた。
ノイトぺセルは一瞬考え込み、次の話題に切り替える。
「ええ、そうですね。では、フェイト・ノアという少女について。彼女は本物のアカシアの巫女だと思いますか」
アニハは答えず、視線を回廊の奥へと向けた。
天井の高いこの場所では、誰もが遠い過去を見つめてしまう。
「どうじゃろうな。いずれわかるじゃ――」
しかし、その言葉の途中で異変が起こった。
アニハの身体が、ぐらりと傾ぐ。
「アニハ様ぁー!! 誰か、誰かっ!!」
ノイトぺセルの叫びが、回廊に響く。
その直後、アークステラの制服を纏った職員たちが駆け寄った。
「またですか!?」「執政官! お支えします!」
アニハは意識が遠のく中で、微かに眉を寄せた。
「……寝る時間が、惜しくてな……」
「惜しんだ結果がこれです!!」
ノイトぺセルは盛大にため息をつく。
「病気にならない天使族だからって働きすぎですよ……」
周囲の職員たちが手際よくアニハを担ぎ上げる。
「執政官、安静になさってください!」「とにかく、寝室へ!」
そうしてアニハは、静かに神殿の奥へと運ばれていくのだった――。