9|『守らなきゃ。』
屍人の群れが蠢く中――。
その一体がキロシュタインたちに気づいた。
暗い眼窩の奥で、影のような瘴気がうごめく。
刹那。
屍人は唸るような音を立て、一気に跳びかかった。
「――詠唱開始!!」
ノアが叫ぶ。
同時に、腕につけた特殊な羅針盤を屍人へと向けた。
瞬間、床がN極となる。
屍人の体にも、同じくN極の力が与えられる。
磁力の反発が起こった。
屍人は弾かれるように吹き飛び、壁へと叩きつけられた。
強烈な反発力。
呻きながら、屍人は地に落ちる。
キィズ=マキナ領域:第Ⅴ契、魔法電磁気学。
ノアがこの世界で新たに修得した磁力を操る魔法だ。
しかし――。
別の屍人が、車椅子のアルミナに狙いを定めた。
突進する。
「……っ!!」
ラテルベルの瞳が見開かれる。
不意に、何かが頭の奥で弾けた。
悲鳴。血の匂い、無数の足音。
過去の記憶が――。
フラッシュバックする。
「守らなきゃ、守らなきゃ、守らなきゃ……」
頭を抱える。
震えながら、しゃがみ込む。
世界がぼやけ、耳鳴りが響く。
その隙を突き、屍人がアルミナへと迫る――!!
「ノア!」
キロシュタインの声が響く。
ノアはすかさず羅針盤をかざした。
「もっちろん。……覚悟してよね、屍人さん。
――詠唱開始!!」
――バキィッッ!!
屍人は窓ガラスに向かって弾かれるように飛ばされた。
ガラスにヒビが走る。
ノアが息を整える間もなく。
キロシュタインは腰のホルスターからピストルを抜いた。
「……ごめんね。さようなら」
静かに呟き、迷いなく引き金を引く。
――ッッ ッ ダァン!!!!
銃声が轟く。
弾丸が屍人の心臓を撃ち抜いた。
屍人は苦悶の声をあげることもなく、
砕けたガラスとともに、宙を舞い、外へと投げ出された。
太陽の丘の向こうへ――。
転がるように落ちていった。
それを見たラテルベルの体が、びくりと震えた。
「……守らなきゃ、守らなきゃ、守らなきゃ……」
知らぬ間に、彼女の唇がその言葉を繰り返していた。
視界が揺れる。
心臓が強く脈打つ。
何かが崩れる音がした気がした――。
胸の奥が、焼けるように熱い。
気づけば――。
近くの壁に掛かっていた消火器を、握っていた。
「ッ――守らなきゃ……!!」
思考が追いつかないまま。
ラテルベルは、キロシュタインへ向かって――。
消火器を振り下ろした。
「っ――!!」
咄嗟に左腕を掲げるキロシュタイン。
――ゴンッ!
鈍い音が響く。
彼女の体が揺らぐ。
「……っ、が……」
衝撃に耐えきれず、その場に崩れ落ちる。
視界の端で、ノアとアルミナの叫び声が聞こえた。
だが、ラテルベルには何も届かなかった。
キロシュタインが倒れ込む姿を見つめながら、
彼女の手から、消火器が滑り落ちる。
「……ァ……ァア……?」
何をした?
何を……。
何をしてしまったの……?
ラテルベルの瞳から、涙が一筋こぼれ落ちる。
しかし、その手は震えたまま、動かなかった。
09.『守らなきゃ。』
サナトリウムの床には真っ赤な絨毯が敷かれ、
色鮮やかな宝石が辺りに散乱していた。
あのあと、ブルクサンガの治安部隊が突入し、突然の惨劇はようやく収束へと向かっていた。遺体の浄化をするために、黒装束を身にまとった『獄卒』たちが現場に入る。彼らは、黒いベールで顔を隠して、さながらカラスのような姿をしていた。
彼らのその行動には、遺体を放置して屍人化させないという意義がある。……この世界は死者の世界と密接な位置にあるため、死は常に傍にあった。
三階のとある病室――。
アルミナとキロシュタインが、向かい合っていた。
「……キロシュタインさん、ごめんね。ラテルベルが――」
「大丈夫よ、これくらい。ただの骨折だから。まぁ、めっちゃ痛いけどね」
キロシュタインは冗談めかしながら、包帯で固定された左腕を軽く振ってみせた。
無理に明るく振る舞っているのが、アルミナにもわかった。
「それよりさ、君に聞きたいことがあるんだけど」
キロシュタインが話を切り替えると、アルミナは何か思い当たる節があるのか、自分から口を開いた。
「……ボクたちのこと、だよね」
「そ。いい機会だし、友達と――そのきょうだいのことも。もっと知っておきたいなって思って。だから、嫌じゃなければ話してよ。君たち二人のこと。ゆっくりでいいからさ」
アルミナは静かに微笑み、窓の外に目をやった。
太陽の丘は、何も変わらず静かに凪いでいた。
「……うん、わかった。キロシュタイン、君は本当に、…………」
――長くなるけど、いいかな?
「長い話はむしろ大好きよ」
キロシュタインはそう言って、得意げに笑った。
◇ ◆
◆◇ ◆
一方、サナトリウムの一階。
隅のベンチでは、ノアがラテルベルの背中を優しく撫でていた。ラテルベルはあれからずっと、こうして小さく震えていた。恐怖に囚われたまま、何も言えずに。何かに怯えていた。
「守らなきゃ……守らなきゃ……守らなきゃ……」
壊れた機械のように、ラテルベルはただ同じ言葉を繰り返し続けていた――。