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8|『太陽の双子』

 7月1日、午前。

 ブルクサンガの街が穏やかな夏の空気に包まれる中、ヴァルテス城跡学園は「前期夏休み」に入っていた。朝の空は澄み渡り、雲はゆっくりと流れ、街を照らす陽光はすでに強くなりつつある。風は緩やかで、わずかに草の香りを運んでくる。


 旧市街の赤い屋根が遠ざかり、街の最西へと進めば、その先には静寂が支配する太陽の丘が姿を現す。7月の太陽はすでに高く昇り、地面に長く伸びた影が、その光の強さを際立たせていた。


 しかし、まだひまわりは咲いていない。


 太陽の名を冠するこの丘が本当に燃え立つような黄色に染まるのは、8月の初旬。それまでは、青々とした草原がなだらかな傾斜を描きながら広がり、その先には森が続いていた。丘の風は、どこか乾いた夏の匂いを含み、遠くからは小さな鳥のさえずりが聞こえてくる。


 そして、その丘を一望できる高台に――。

 ローゼンシルデ・サナトリウムが建っていた。


 サナトリウムは、赤い屋根と白い外壁を持ち、ブルクサンガの街並みに馴染みながらも、どこか違和感を伴う美しさを放っていた。クラシカルな建築の輪郭を保ちながらも、部分的にモダンな要素が取り入れられ、直線的なデザインと大きな窓が、重厚な装飾の施された石造りの壁と調和していた。


 三階建てのその建物は、まるで静かに空へと伸びる記念碑のようだった。建物を囲むように森の緑が広がり、太陽の丘と向かい合うようにそびえている。まるで、生と死の狭間に立つ境界線のように。


 一階は広々とした開放的な空間で、訪れる者たちを迎え入れる場所となっていた。一面のガラス窓が、太陽の丘を見渡す特等席となり、そこに座る者たちは、それぞれに異なる心情で、その広大な風景を眺めていた。窓の外には夏草の波が広がり、その向こうにはまだ花を持たぬ丘が、静かに横たわっていた。……ある者は深く絶望し、ある者は祈りを捧げ、ある者は過去を思い、ある者は別れを覚悟する。……我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか――。

 彼らの心には、もはや哲学でも崇高な教えでもない「憂い」の問いが反芻していた。


 二階以上は患者の部屋。

 病室の窓は大きく取られ、風がゆっくりと吹き込む設計になっていた。廊下には明るい陽光が降り注ぎ、光と影が揺らめきながら伸びる。白いシーツの上には、静かに横たわる者たちの呼吸が儚く響き、淡いカーテンが夏の風にそよいでいた。


 ここでは、生と死が奇妙に交差している。


 サナトリウムの外では、命が息づいている。草が揺れ、鳥が歌い、風が駆け抜ける。しかし、その中では、時間がゆっくりと薄れていく。静かに進行する病と向き合う者たちは、丘の先に広がる風景を見つめながら、いつか来る終わりを思う。


 命は燃えるように輝きながらも、どこか脆く、儚い。

 太陽の丘がいつか黄色く染まるように、ローゼンシルデ・サナトリウムの患者もまた、いつか別の色に染まるのかもしれない。彼らの死は、美しいリンネホープとして残響するのだから――。



 ◆ ◇

 ◇ ◆

 ◆ ◇ 



 一階のロビーの隅に置かれたテレビが、淡々とニュースを伝えていた。

 画面の中で、ニュースキャスターが整然とした口調で語る。


「今回の聖戦は――、――。戦線は――にまで拡大し、現在もなお衝突が続いています」


「確認された死者は、十八万三千七百九十四人……」


「新たに投入された部隊は、結界魔法と魔法光弾ライフルを組み合わせた戦術を展開。映像は、――のカルディアと反撃する部隊の交戦です。――の都市国家(キウィタス)まで戦火が……」


 テレビ画面には、炎と煙に包まれる街の映像が映し出されている。崩れ落ちた建物の間を駆ける兵士たち。爆発の閃光が空を裂き、巨大なカルディアが戦場を踏みしめながら、次々と魔法波を放つ。


 視点が切り替わる。


 リンネホープが混じりきらきらと輝く瓦礫の中、赤黒く血にまみれた人々。負傷した少女が泣き叫び、彼女を抱く女性が必死に呼びかけるが、その声は魔法波の轟音にかき消されていく。



 テレビはさらに映像を切り替え、

 避難する市民たちの姿を映し出す――。



 ニュースを無言で見つめるひとりの少年がいた。

 彼はロビーの窓際に置かれた車椅子に座り、静かに画面を見つめていた。赤みがかった短い茶髪が、陽の光に淡く照らされる。サファイア色の瞳は、映し出される惨状を淡々と映していた。


 彼の身を包むのは、淡いピンク色の患者衣。胸元には、このサナトリウムを運営するコミュニオン――『ローゼンシルデ』の薔薇と盾の紋章が刺繍されている。生地は柔らかく、前開きのパジャマのような作りだ。その患者衣に覆われた肌には、彼の病の証がはっきりと刻まれていた。


 黒く浮かび上がる【魔力血管/ヘデラ】。


 それはまるで螺旋を繰り返す蔦のような形を描きながら、皮膚の下を這うように広がっている。腕を覆い隠すために、彼は薄手の手袋をはめていた。しかし、隠しきれない部分もある。瘴気に侵された魔力血管は首元にまで侵食し、顎の近くにはわずかに黒い線が浮かび上がっていた。

 さらに、顔にも。

 左の頬に、黒い血管の筋が薄く浮き出ていた。それを隠すように、彼はハイネックのシャツを患者衣の下に重ね着している。


 ロビーは静かではなかった。サナトリウムの職員が行き交い、患者の家族が低く言葉を交わし、受付のそばでは見舞いの花束を抱えた女性が誰かを待っている。


「すみません、明日の検査ですが……」

「清掃が終わったら、部屋の除菌もお願いします」

「今朝、食事をちゃんと取った?」


 雑多な会話の中、少年は一人、テレビを見つめ続けた。

 画面の向こうでは、爆炎が巻き上がる。

 だが、彼の瞳には、何の感情も映っていなかった。



   08.『太陽の双子』 



「――タイヨウシング・エラ?」


「そう。プホラが書いた魔法譜をMM暗号で解いたら、その楽譜が現れたってわけ」


「MM暗号って人力で解けるものなんだ……まぁ、キロちゃんだもんね」


 ノアとキロシュタインの二人は、そんな話をしながら、一階のベンチで人を待っていた。

 キロシュタインは、修導院図書館で書いたノートを開き、ノアにそっと差し出す。


「ほんとだー。ふたつのなんちゃら~って、たしかそんな歌詞だったよね」


「双つの魂、赤き契りを結ばん――」


「そう、それっ! さすがキロちゃんはなんでも知ってるなぁー」


「興味のあることだけ、ね」


 二人が話していると、ラテルベルが車椅子を押しながら近づいてきた。

 その車椅子には、ラテルベルと瓜二つの少年が座っていた。違いといえば、ラテルベルの瞳がルビー色であるのに対し、少年の瞳はサファイア色をしていること。それを除けば、まるで答えのない間違い探しをしているようなものだった。――少年は、儚げな笑みを浮かべながら、キロシュタインとノアに静かに会釈する。アルミナ・ラズライト、それが彼の名前だ――。


 ラテルベルとアルミナ。二人は、双子の「きょうだい」だった。

 どちらが姉か、もしくは兄か。それはまだ決まっていないらしい。

 

「こんにちは、キロシュタインさん、ノアさん。わざわざボクなんかのために来ていただいて……なんだか申し訳ないですね。……って、ごめんなさい。今の、ちょっと嫌味に聞こえちゃいましたよね?」


 アルミナは、心から申し訳なさそうに小さく頭を下げた。


「もうっ、謝らないでください!」ノアは勢いよく声を上げる。

「私もキロちゃんも、アルミナくんに会いたくて来たんですっ!」


 彼女の裏表のない言葉が、まっすぐにアルミナへと届く。

 その言葉に応えるように、双子のきょうだいはそっくりな笑みを浮かべた。


「ははっ……本当にまっすぐな人だ、ノアさんは」とアルミナが微笑む。

「いい友達ができてよかったね、ラテルベル」

「お兄ちゃんヅラしないでってば! まだ決まってないんだから!」

 

 ラテルベルは頬をぷくっと膨らませ、むくれる。その姿は、学校でいつも腰を丸めておどおどとしている普段の彼女とはまるで別人だった。アルミナと話しているときの彼女は、どこか自然体で、自分らしさをそのまま表に出しているようだった。

 

 四人は他愛もない話をしながら、窓の前へと歩み寄った。

 ひまわりはまだ咲いていない。

 それでも、ここから眺める太陽の丘には、心を洗うような静けさがあった。


「ねぇ、ラテルベル。アンヘルさんとは、あれから会ってないの?」

 アルミナがふと問いかける。


「うっ――た、たまに……くらい。今は、アサン会長にお世話になってるから」


「そうなんだね……」アルミナは少し目を伏せて続けた。

「やっぱりボクのせいだよね。アンヘルさんとのこと」


「ちっ――それは違うっ!!」ラテルベルは強くかぶりを振った。

「わたしのせい……わたしの心が弱いから――」


 アルミナは、ラテルベルの言葉を遮るように「待って」と手をかざした。

 そして、ゆっくりと車椅子のタイヤを回し、三人のほうへ向き直る。

 彼の背後には、夏草が揺れる太陽の丘が、一面のガラス窓に広がっていた。



 ――ありがとう、ラテルベル。でも……もう悩まないで。



 アルミナは静かに微笑みながら言った。


「ボクのわがままな依頼が、君を悩ませているなら――」


 ラテルベルは不安げに眉を寄せた。


「待って、アルミナ。どうしたの?  様子が――」


 アルミナは少しだけ窓の外を見つめ、それから静かに言った。



「……八月までなんだ。

 ボクの命。予想以上に、瘴気の進行が早いみたいでさ」



 まるで世界のすべてが停止してしまったかのように。

 その場にいた誰もが、アルミナの告白に何か返そうとした。

 しかし、思いつく言葉はどれも喉の奥でつかえて出てこない。


 最初に口を開いたのは、キロシュタインだった。

 彼女は持ってきたノートを取り出し、アルミナにそっと差し出す。


「書いて。そこにぜんぶ書いて。アルミナがしたいこと。夢とか野望とか、嫌いなやつがいるならそいつへの復讐だっていい。ここにいるわたしたちが、それぜんぶ叶えてあげるから!」


 両親も、祖父も、アルミナと同じ血瘴病だった。

 彼らはすでにこの世を去り、もう戻らない。

 一見ぶっきらぼうに聞こえるキロシュタインの言葉。

 しかし、その内には確かに愛情があった。

 そして、もう。

 お姉ちゃん――シアナスのような悲劇は、生まない。

 自分でも気づいていないのかもしれない。

 

 だが――。

 キロシュタインは、静かに、泣いていた。


「約束っ!! ノアも一緒に叶えてあげる!! ほらほら、ラテちゃんも!」


 ノアが勢いよく言い、ラテルベルの手を取る。


「え――えっ、こう?」


 ノアに教えてもらいながら、ラテルベルはオルデキスカのサインを組む。

 それを額に当て、あらためて、ラテルベルはアルミナと向き合った。


「……約束。――アルミナ、わたしやるよ。アルミナの依頼、受けるよ!!」


「ラテルベル……でも……」


「受ける!! それで、アンヘルさんにももう一度認めてもらう!! これがわたしの約束!」


 きょうだいの決意を聞いて、アルミナは太陽のように笑う。

 彼とラテルベルの頬には、涙の跡があった。

 生と死を繰り返す世界の輪の中で、太陽の双子は誓いを立てた――。


 その言葉が風に溶けるように、静かな時間が流れる。太陽の丘は変わらずそこにあり、草原を撫でる風も、遠くでさえずる鳥の声も、今は穏やかで、変わらない日常が続いていくかのようだった。


 だが、その穏やかさは、長くは続かなかった。


 窓際に置かれた植木鉢――、

 観葉植物に、一羽のハエがとまった。




 

 …………、

 


 ……、




 ――静寂が、引き裂かれた。


 悲鳴、怒号、そして、何かが砕ける音。

 

 階段の上から、不吉な気配が押し寄せる。

 靴音ではない、

 肉が地を叩くような、湿った足音。


 駆け下りてきたのは、異形の者たちだった。

 

 屍人――。

 

 死後、適切に浄化されることなく、呪われた形で蘇った存在。

 彼らが纏う患者衣には、かつて人であった名残が刻まれている。


 半ば朽ちた顔、眼窩の奥に宿る、理性を捨て去った闇の輝き。


 影をまとうように、彼らの手に漆黒の剣が形作られる。


 その瞬間――。

 サナトリウムは、阿鼻叫喚の地獄へと変わった。


「逃げろ――!!」


 誰かの叫びとともに、見舞い客や職員たちが応戦を始める。

 

 炎の弾が屍人へと向かって放たれる。

 雷の閃光が床を焦がす。


 ある者は精霊を召喚し、守護の陣を張った。

 だが、屍人たちは怯まない。


 倒れても、黒い霧のような瘴気がゆらめきながら、何度でも立ち上がる。


「くそっ、止まらない……!」


 抵抗も虚しく、一人、また一人と屍人の剣に倒れていく。


 ――、そして。


 血に染まる床の上、静かに光が生まれた。


 倒れた者たちの胸から、心臓が宝石へと変わっていく。

 それは、死の証明。

 彼らの魂が形を変え、リンネホープとなる。

 

 無造作に転がるそれは、

 美しくも、残酷な光景だった。


 ラテルベルは、窓際でその光景を見ていた。

 

 震える手を胸に当てる。

 何かを言おうとしても、声が出ない。

 

 喉が強張り、足がすくむ。


「――そんな……」


 目の前で次々と砕かれていく命。

 光から闇へと染まるサナトリウム。

 

 その瞳に映るのは、

 終わりのない恐怖だった――。

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