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7|『タイヨウシング・エラ』

 キロシュタインはノートを抱え、

 静かにヴァルテス修導院図書館を後にした。

 

 走ることなく、確かな足取りで進む。向かう先は、修導院の敷地の片隅にひっそりと佇む、古びた礼拝堂。かつては多くの信徒が集ったのだろうが、今は訪れる者も少なく、外壁は草に覆われ、長い年月の静寂をまとっていた。


 彼女は重厚な扉に手をかけ、そっと押し開く。


 礼拝堂の内部も、外観と同じく寂れていた。壁の装飾は色褪せ、朽ちかけた木製の長椅子が静かに並んでいる。窓から差し込む陽光は、埃の粒を淡く照らし、静謐な空気を際立たせていた。


 そして、堂の奥にそびえる白亜のパイプオルガン。


 荘厳な佇まいを見せながらも、どこかひっそりと時間に取り残されたかのように、礼拝堂の沈黙を守っていた。その構造は見事なもので、長短無数のパイプが重なり、複雑な仕組みを孕みながらも調和をなしている。鍵盤の上にはかすかな指の痕跡が残り、かつての奏者の記憶が刻まれているかのようだった。


 キロシュタインはそっとベンチに腰を下ろし、ノートを譜面台に置いた。

 ペールオレンジの髪をひとつに結び、深く息を吸う。



   07.『タイヨウシング・エラ』



 指が鍵盤に触れる。ほんの一瞬の沈黙の後、

 最初の音が礼拝堂に満ちていく。


 キロシュタインは、オーケストラ用に作られた交響詩の楽譜を、脳内で直感的にパイプオルガン用に再編成していく――。


 パイプオルガンの音は、まるで古の声が甦るかのように空間を満たす。彼女の足は自然にペダルを踏み込み、音を紡ぎ出していく。重厚なバス音が基盤を成し、高音の旋律が天井へと舞い上がる。



《 天翔ける炎の御子よ―― 》



 頭の中で、アーキ語の歌詞が流れる。

 彼女の手は迷いなく動き、音の波を重ねていく。指の先で歌が紡がれるたびに、礼拝堂の空間がわずかに震え、閉ざされた時が再び息を吹き返すようだった。



《 輝ける陽は空を舞い―― 》



 壮麗な音が響き渡る。

 鍵盤を押し込む指はしなやかに、しかし確固たる意志をもって動き続ける。

 ペダルを踏み込むたび、低音が波のように揺れ、旋律が重なり合う。



《 双つの魂、赤き契りを結ばん―― 》



 キロシュタインの脳裏に、あの魔法譜の告式が浮かぶ。音楽と魔法が交差する瞬間。彼女の演奏は、ただの旋律ではなく、秘められた意志そのものを奏でていた。



《 汝ら誓え、永遠の焔に―― 》



 両手が鍵盤の上を滑るように舞い、響きを織りなす。

 音の奔流が礼拝堂を満たし、オルガンの巨大なパイプが堂の天井へと響きを解き放つ。まるで、神の詠唱が降り注ぐかのように。



《 燃ゆる血潮を捧げ―― 》



 壮大なクライマックスが迫る。

 低音のペダルを踏み込み、厚みのある響きが堂内を震わせる。



《 星々の炎冠を守り継がん―― 》



 全身を使って音を紡ぐ。

 音楽はただの音ではなく、意志そのものとなる。



《 天照らせ、火よ滅ぶことなかれ―― 》



 指の動きが最高潮に達する。



《 燃え盛る意志は消えず―― 》



 最後の音が、堂の奥へと消えていく。



《 双子よ、太陽の祝福とともにあれ―― 》



 余韻が静寂の中に溶け込んでいく。


 キロシュタインは、そっと息を吐いた。

 わずかに震えていた指先を、自分で確かめるように握りしめる。

 

 礼拝堂は、まるで神の気配を宿したかのような静寂に包まれていた。

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