表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
飛べない天使  作者: 紫月音湖(旧HN・月音)
第2章 夢のかけら
20/83

闇の従者 3

「ロ、ヴァル。私……落し子なんかじゃ、なかったわ」


 見開いた瞳からぽろぽろと涙を零して呟くセレスティアに、ロヴァルが思わず足を踏み出した。そのロヴァルの肩を掴んで、カインが力任せに引き戻す。


「あれはもうお前の知ってるセレスティアじゃない。行けば殺されるぞ」

「ロヴァル? どうしていつものように、抱きしめてくれないの? 私がっ、私が嘘をついたからっ」


 両手で頭を抱えて蹲ったセレスティアの中から、不気味な鼓動音が鳴り響いた。水に濡れたようにねっとりとした音は不安定にセレスティアの中を駆け巡り、彼女の体をがくがくと激しく震わせていく。


「セレスティア!」

「……こ、こは……暗くて……とても寒い」


 唇から零れる音は低くしゃがれた声となり、頭を抱えていた両手には真っ黒な爪が伸び始める。その手がめきめきっと音を立てて、一気に巨大化した。浮き上がった血管は早く短く不安定に脈打ち、今にも弾けそうに血の色を透かしている。


「誰もいない。あ……あ……私はまた……ひとりで、朽ち果てていくの?」


 頭を抱え俯いていたセレスティアがゆっくりと顔を上げて、涙に濡れた瞳をロヴァルへ向けた。


「……ロヴァル。ロヴァル、助けて……。私にはもう、あなたしかいないの」


 縋るように呟いて手を伸ばしたセレスティアを、ロヴァルは見捨てる事が出来なかった。その命をかけてまで彼女との人生を掴み取ろうとしたのだから。その愛に、偽りなどありはしないのだから。


「セレスティア!」


 愛しい名を呼んで、ロヴァルがセレスティアへと駆け出した。救いを求めて伸ばされた手を握り、震える体を抱きしめて乙女の名を何度も何度も繰り返し呼ぶ。そのロヴァルの腕の中で、涙を流していたセレスティアの瞳がぐるんと回転して真紅に染まった。


「セレスティア。俺はずっとそばにいる」

「――――うれしい」


 しゃがれた声で呟いて、セレスティアがロヴァルの背中へ手をまわした。その巨大な手に生えた黒い爪がロヴァルの背中めがけて勢いよく振り下ろされた瞬間。


「この馬鹿がっ!」


 真後ろに聞こえたカインの声にロヴァルが顔を上げるより早く、腕の中のセレスティアが耳を突くほど鋭い声で絶叫した。


「ぎゃあああっ!」


 身も凍るような悲鳴を上げてロヴァルの腕の中から飛び出したセレスティアが、失った右腕を抑えながらカインをぎろりと睨みつた。ついさっきカインの剣によって切り落とされた腕からはぼたぼたと黒い塊が零れ落ち、それは地面に落ちる前に黒い死者の影となり空に浮遊していく。


「おのれっ!」


 血色の目を向けてカインを見据えるセレスティアの腕からは延々と死者が溢れ出し、辺りは一気に暗黒の影に埋め尽くされる。


「セレ、ス……」

「ロヴァル! いい加減に目を覚ませ!」

「……セレスティアが望むのなら、死んでもよかった」 


 俯いた視界に映る、セレスティアの右手。膨れ上がり、血管を浮き上がらせたそれは、誰が見ても人の手ではない。まだ生温いその手に触れて、ロヴァルが悲しそうに目を伏せる。その背後では、苛立ちを押さえきれないカインが、耐え切れずに怒鳴り声を上げた。


「いい加減にしろ! あれがお前のセレスティアだと思うのかっ!」



 ――――ロヴァル。



 遠くにセレスティアの声を聞いたような気がして、ロヴァルが項垂れていた頭をぱっと上げた。絶望を垣間見たような力ない瞳に映るのは、切れた右腕から死者の影を垂らし続けるセレスティアの姿。

 ――――否。

 そこにいるのはセレスティアの姿をした魔物だった。


「……セ、セレス」

「ヴ……ア……アアアッ!」


 ロヴァルがその名を口にする前に、セレスティアの絶叫が空を埋め尽くす死者の影を大きく震わせた。影はそれぞれ口を大きく開けて恨めしい声で泣き叫び、じわりじわりと隣の影に溶け合い始める。融合し、膨張し、泣き叫びながらひとつの巨大な影に姿を変えていく。


「ウオオオオッ……――――!」


 瞳もなく穴を開けただけの眼窩から血の涙を流し、泣き叫ぶ大きな口から真っ黒な瘴気を垂れ流す巨大な死者の影。

 霧のように広がりながら辺りを包んだ瘴気は、そこに植えられた木々や教会の残骸さえも一瞬にして風化させていく。みるみるうちに干からびて崩れていく木々に目を見開いたカインが、嫌悪感をあらわにして空に伸びた死者の影を見上げた。


「最悪だな」


 死者の影はセレスティアの叫びに合わせて所構わず瘴気を噴出し、その度に木々や家が粉々になり風に崩れ去っていく。死者の影を操るセレスティアは正気を失い、完全な魔物と化している。このままではカザールが風化し、消えてなくなるのも時間の問題だ。


「おい、ロヴァル」


 隣で呆然とセレスティアを見つめていたロヴァルは、その声にやっと目を覚まして数回強く頭を振った。


「俺があの影を抑えているうちに、お前はセレスティアを……倒せ」


 強く言って自分の剣をロヴァルへ押し付けたカインは、ロヴァルの返事も待たずに背中の翼を大きく広げて上昇した。


「シェリル、お前はどっか遠くに離れてろ」

「え……ちょっと待って、カイン!」

「ついて来るな。足手まといだ!」


 カインの後を追おうとしていたシェリルの足が、一歩踏み出しただけでぴたりと止まる。何も言う事が出来ずにただ上を見上げたシェリルの前で、カインはふいっと後ろを向いてそのまま死者の影の方へ飛んで行った。

 誰かを守りながらでは戦えない。ついて行った所で、足手まといになるのは目に見えていた。足手まといだとはっきり言われ、分かりきっていた事なのにシェリルの胸がずきんと痛む。


「……そんな事、分かってるわよ」





『ロヴァル』


 手に握りしめた剣の重みを感じながら、ロヴァルは目の前で蠢くセレスティアを真っ直ぐに見つめていた。

 カインに切り落とされた腕からは今も黒い影が溢れ出し、白い肌は赤い血管に埋め尽くされ、そこにセレスティアの面影は少しもなかった。口から飛び出した鋭い牙と血のように赤い瞳。


「……セレスティア」


 呼んでも、あの声は戻って来ない。響くのは狂ってしまったセレスティアの心の声だけ。


「ヴアアアアアッ!」

『イヤッ! 死ヌノハ嫌ダッ! ヒトリデ逝クノハ』


 轟音を上げて死者の影が更に大きく膨張した。それはまるでセレスティアの悲しみと恐怖を糧として成長しているようにも見える。


 空の高い所まで上昇したカインは足元で蠢く影の暴走を食い止める為、両手を向けて呪文を唱え始めた。それに合わせて具現した光の粉は、カインの手のひらから真下の死者へ雨のように降り注ぎ、そこに薄く透き通った光の結界を張り巡らせた。

 結界によってそれ以上広がる事を止められた影がその中にどんどん凝縮され、結界の中はあっという間に黒くなる。カインが結界を制御しているとは言っても、更に溢れ出てくる影が結界を突き破るのは時間の問題だ。影を消滅させるには、セレスティアを倒す以外に、もう手段はない。


『皆……離レテ行ク。誰モ戻ッテハ来ナイ。私ハ、落シ子デハナカッタノダカラッ。既ニ、コノ世ノ者デハ、ナカッタノダカラッ!』


 ぴしっと音を立てて、結界に亀裂が走った。それを慌てて止めたカインの額から汗が流れ落ちる。いくら天界戦士最強の腕を持つカインでも、たったひとりで死者の影とセレスティアを倒す事は出来ない。

 結界を解けばそれこそカザールなど一瞬で崩れ去ってしまう。かと言って、このまま影を抑え続ける事も出来ない。


「くそっ。ロヴァル、何してる! 早くやれっ!」


 真下でセレスティアと向かい合ったまま、剣を握るだけで動こうとしないロヴァルに痺れを切らしたカインが怒鳴り声を上げた。


『私ヲ……殺スノ……?』


 低い呻き声に隠れてかすかに届いたセレスティアの声に、ロヴァルが緩く首を振る。


「……ない。……出来るわけがない。俺はっ……――――お前を愛している俺が、お前を殺せるわけないだろっ!」


 見開いた瞳からぼろぼろと涙を零しながらカインの剣を放り投げたロヴァルが、そのままセレスティアの体を強く抱きしめた。


「この馬鹿! 早く剣を取れ!」

「……悪い、カイン。でも、こいつはセレスティアだ。……俺の愛した女なんだ」


 激しく震えるセレスティアの体をきつく抱きしめて呟いたロヴァルに、死者の影が獲物を見つけた獣のように群がり始める。足も腕も影に掴まれ凍るような感覚に包まれながら、それでもロヴァルはセレスティアを離そうとはしなかった。


「ずっと一緒だと……約束したから」

『コンナ私ノ……側ニ居テクレルト、言ウノ? ……アナタガ』

「当たり前だ。お前が何者でも構わないと言った事を忘れたのか? セレスティア」


 腕の中でただ震えるばかりのセレスティアに頬を寄せ、優しく髪をなでながら、ロヴァルは静かに目を閉じる。


『せ、れす……てぃあ? ソレガ、私ノ……名前?』

「そうだ。お前は魔物でも死者でもない、ただのセレスティアだ。そして、俺の女なんだよ」

『アナタハ……トテモ温カイ。一緒ニ居ルト、満タサレル。……ズット、一緒ニ居テクレルノデショウ?』


 背中にセレスティアの長く伸びた爪を感じながら、ロヴァルが強く頷いた。その爪が振り下ろされても、決してセレスティアを離したりしないように、ロヴァルは乙女の体を壊れそうなほど強く腕の中に抱きしめて閉じ込める。


「藍晶石に誓う。何があっても、絶対にお前をひとりにはさせない」

『藍晶石……?』

「――――誰よりも愛している。セレスティア」





『セレスティア。俺、行って来る。聖地に行って、藍晶石を持ち帰って来るよ』

『そんな、危険だわ』

『俺はお前とずっと一緒にいたい。藍晶石は俺たちを導く幸せの石だろ? 大丈夫だよ』





(藍晶石? ……藍晶石、誰かの瞳と同じ……綺麗な色。真っ直ぐで、嘘のない強い瞳。それは私たちの、愛の証だったのではないの?)


『セレスティア』


 遠く、近くで声がした。

 その声にはっと目を開いたセレスティアの前で、黒く長い爪がロヴァルの背中めがけて勢いよく振り下ろされた。



 ――――ずっとずっと一緒に、いてくれるんでしょう?


『こいつはセレスティアだ。俺の愛した女なんだ』


 ――――藍晶石は幸せの。


『君は形だけの落し子』


 ――――私をひとりにしないで。





「や……やめて――っ!」


 結界の中に閉じ込められていた死者の影が、セレスティアの絶叫と共にぶわっと大きく膨らみ、そして弾かれるように爆発した。




 ――――ずっと一緒だと 約束しただろ?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ