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第七話 見習い沙門



 『パリグラハ』一郎の一日は崖登りから始まる。

 

 大岩壁の頂上で来光を拝む、ジョード教の登攀行である。

 切り立った大岩壁に張り付き、岩の僅かな引っ掛かりを見つけ、少しずつ、少しずつ登っていく。

 達人のニヤーマが登っている壁とは違う、駆け出しのための登りやすい崖である。

 とは言ってもド素人の中年からすると、大した違いはない。

 指先、二の腕、肩、ふくらはぎ――全身が余すことなく軋みを上げる。

 止まっても、進んでも、どこかの筋肉には負荷がかかり続ける。

 

「よいしょお!」

 

 つま先の引っ掛かりを利用して、全力で体を上に押し上げる。

 『ピコン』と音が鳴り、伸ばした右指が岩場に引っ掛かった。

 一郎は、その僅かな支点を頼りに左手も岩場を掴み、岩棚に体を乗り上げさせた。

 体のあちこちが痛い。

 下を見下ろす。

 地面は幾分遠くなったが、上を見上げれば頂上はもっと遠い。

 

 一郎が這いつくばって岩棚を隈なく探すと、『ピコン』と音が鳴り、目当ての薬草が見つかった。

 周りの土から掘り起こし、丁寧に薬草を摘むと、『ピコン』と音が鳴り、根っこを傷つけずに採取ができた。

 

 月が見える頃に出発したが、来光までに頂上には着きそうもない。

 情けないがここで拝もうか。

 

 一郎は狭い岩棚の中央に陣取り、胡座をかいて座り込んだ。

 大きく息を吐き切ると、自然に息が入ってくる。

 合掌し目を閉じると、体の重心を整えてから瞑想状態に入る。

 呼吸をするたび湿り気のない石の匂いがする。

 風が岩肌を舐めて低い音を出し、ずっと下の方から鳥の囀りが聞こえる。


 ――これがやりたかったんだよな


 憧れの修行の日々。

 これがやりたくてボーナスをVRベッドに変えた。

 なのに自分は何をやっているんだろう。

 

 ――もう、ダメだ

 ――あの音が離れねえ

 

 瞑想どころではない。

 胡座を解いて起き上がると、UIを操作して自分のステータスを確認する。


 スキルレベルが上がりました!

 ――スキル『登攀』Level 3→4

 ――スキル『鑑定』Level 2→3

 ――スキル『採取』Level 2→3

 ――スキル『瞑想』Level 1→2


「ピコピコうるせえんだよぉ!」


 一郎はそもそもゲームが好きだった。

 修行ってこんなに面白くていいのかよ。


 悶々としながら岩棚で瞑想していると、上から滑るような音がする。

 ニヤーマだった。

 彼女は岩壁を手で撫でながら直滑降のように降りてきて、一郎の岩棚に飛び移ってきた。

 

「調子はいかがですか?」

 

 得度式の日からこの人に嘘はつかないと決めている。

 一郎は何の装飾もせずに実感を伝えた。

 

「分かりません」

 

 ニヤーマは鷹揚に頷いた。

 

「素晴らしい。その調子です」

 

 ――何がだよ?

 

 頭に浮かんだ言葉を飲み込んだ。

 教えて君になってはいけないのだ。


 一郎がへの字口で立っていると、ニヤーマは思い出したように手を合わせた。

 

「カショーさんは今日は店にいらっしゃるようですよ」

「ありがとうございます、この後伺います」

「あら、精進されておりますね」

 

 一郎のなかなかスムーズな合掌礼に、ニヤーマはまた頷いた。

 音がしたのでステータスを確認する。

 

 スキルレベルが上がりました!

 ――スキル『ジョード教儀礼』Level 1→2


 一郎は、自らの手癖のようになってしまったUI操作に、大きくため息をついた。

 ニヤーマはそれを見てクスリと笑うと、岩棚から飛び降りていった。



 一郎はおっかなびっくり地上まで降りると、総本山『静戒洞』にて、汗でグチャグチャになった身体を軽く清めた。

 来ていた初期装備のTシャツと長ズボンをインベントリに収納し、代わりに布の切れ端のパッチワークで作った長衣を取り出して身に纏う。

 動きやすいが品もある、ゆったりとした修行着である。

 ニヤーマが得度式の翌日、一郎に授けてくれたものだ。

 もったいないので一郎はよそ行きに使うようにしている。

 

 静戒洞から宗教街区の大通りに出て、そこから街の中心部近くのカショーの店に向かう。

 一郎は前から幾人かの住民が来るのに気づいて、ゆっくり足を止めた。

 そのまま道の横にずれて頭を下げ、向かって来る人に道を譲る。

 ニヤーマもやっていたし、これだって慈悲行に違いない。

 NPCが頭を下げて通っていく中、一郎の頭の上から声をかけられた。

 

「よう『パリグラハ』さん。カショーの店か?」

 

 あの日からフレンドになってくれたクリスであった。

 

「クリスさん、どうもこんにちは」

「やめろよ、気持ちわりぃな」

 

 すまし顔で合掌礼をすると、クリスは顔を顰めて舌を出した。

 クリスは、今日はチューブトップと腰布を巻いて、狼の剥製を被っただけの蛮族スタイルだ。

 修行僧の敵みたいなやつだな、と一郎は思った。

 

「一緒に行こうぜ」

 

 おう、と一郎は彼女について行った。


 大通りから住宅街に入ると、めっきりプレイヤーの姿は見えなくなった。

 薬師カショーの薬は極一部プレイヤーからコアな人気がある。

 クリスもそれ目当てだろう。

 狭い石畳の道を進む。

 すれ違うNPCたちが一郎を見つけると、ニコニコと挨拶してくる。

 ジョード教団はほぼ消滅したと聞いていたが、一般の信徒はそれなりにいるようだった。

 

「大人気じゃないかよ」

「そんないいモンじゃないよ」

 

 クリスの茶化しに、一郎はゾッとしない顔で答えた。

 修行初日の一郎がここに現れた時の、歓迎ぶり、脅しぶりは強烈だった。

 

 ――ニヤーマを悲しませたら許さない

 

 あの力強い握手は忘れられない。

 クリスがおどけて肩をすくめる。

 聖地も僧侶も失った彼らからしたら、ニヤーマはたった一人この世界に残ってくれた聖人なのだ。

 

 少し歩くと石造の民家の並びの中に、古びた木造の建物を見つけた。

 ドアを開けると、吊るされた薬草やスパイスの入った瓶やらが、視界いっぱいに広がっている。

 カウンターの奥の椅子で、腰の曲がった老人がゆっくり船を漕いでいる。

 薬師カショーだ。

 一郎が何度か声を掛けるとカショーは目を覚まして、えっちらおっちら、カウンターまで出てきてくれた。

 

「こんにちはカショーさん。ご依頼の薬草です」

「おお、ありがとうパリグラハさん」

 

 そう言ってカショーは金貨を五枚、一郎に差し出した。

 

「うわっ」

 

 クリスが声を上げた。

 一郎はクリスの間抜け声に頷いた。

 この量の聖薬草の相場は大体銀貨五枚だ。

 

「カショーさん、銀貨でお願いします」

「おお、すまないねえ、歳を食ったらだめだねえ」

 

 なるほどな、とクリスが虹色の液体が入ったフラスコをカウンターに置く。

 

「じゃあこれも銀貨で頼むぜ」

「ウィルポーションAランク、白金貨五枚じゃクリス」

「なんだよボケてねえじゃねーか」

 

 クリスとカショーは二人してゲラゲラ笑った。

 

 ――え、ボケてないの?

 

 一郎は首を捻った。

 薬草を納めるたびに、ぼんやりしたカショーは違う金額を払ってくる。

 多すぎたら気の毒なので、価格調査して銀貨五枚。

 昨日の納品で『適正取引』がレベルアップしているのだから、間違いないはずだ。

 

 修行初日にニヤーマから授けられた職業クエスト『薬師への納品』は、納品10回目の今日も、失敗に終わった。

 一郎はスキルレベルが軒並み上がっていく中、Level 1のままの『見習い沙門』を見つめる。

 二人の笑い声の中、立派な道服の見習い沙門は、ひっそりと肩を落とした。


 


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