第三話 誘い
「本当にありがとうございました」
一郎は年下であろうクリスに、感謝を込めて頭を下げた。
おじさんの真心を受け取ることになったクリスは、肩をすくめて、への字口で座っている。
二人がついたテーブルの上には、一郎が使ったティッシュの山が出来ていた。
「もういいのかよ?」
一郎は素直に頷いた。
何も解決しなくても、聞いてもらうだけで救われることがある。
意外にもクリスはインタビュー上手で、一郎はここに至るまでの経緯を洗いざらい白状することになった。
一郎は本音を喋ると涙が出るタイプだ。
彼女はポケットティッシュを渡し続けてくれた。
こんなに自分のことを話せた相手は、今まで妻と生成AIしかいない。
ましてや今日はビキニアーマーの女性が話を聞いてくれたのだ。
それで充分じゃないか。
もう一度頭を下げてゆっくり立ち上がった一郎は、ティッシュをインベントリにしまい、トボトボと三門に向かう。
『現実で頑張れば?』
彼女のいう通りだ。
本当に修行を頑張りたいなら、部下も会社も老いた両親も放り出して、心身ともに投げ出したらいい。
だが一郎は昔から何かを捨てるのが苦手だった。
俗世のお荷物がどうにも宝物に見えて、どうしたって手放せそうになかった。
――修行したかったな
「お、おい!」
「――はい」
後ろからかけられた声。
一郎は心配をかけてはならないと思い、精一杯目を細め、口端を思いっきり引き上げると、準備万端で振り返った。
「なんて顔してんだよ、気持ち悪りぃ」
このまま帰したらまずいと思ったのか、彼女は顎に手をやって、おじさんから視線を切った。
一郎は所在なく立って、大岩壁がオレンジ色に染まるのを見る。
――仮想世界でも、夕焼けは綺麗だな
ぼーっとしていると咳払いが聞こえた。
クリスは一郎に視線を戻し、指を立てながら言った。
「聞け、あたしに提案がある」
「はあ」
「お前ジョード教に入れ」
※
クリスに手を引かれるまま、一郎は宗教街区を更に西に向かって進む。
一郎には入信を勧める意図は分からないし、はっきり言って乗り気でもない。
でもクリスが良いやつなのは分かる。
だからとりあえず着いていくのだ。
「なあ一郎、修行して悟って、そんでどうなるんだ?」
「そりゃあお前、悟ったらなんでも分かるようになるんだよ」
一郎は昔から、何事もそのままに飲み込めない天邪鬼な人間だった。
一+一が二だと言われれば、数字とはなんだろうと考える。
こんにちはがHelloだと言われれば、なぜ意味は同じなのに言葉が違うのかと考える。
愛犬が死んだと言われれば、どこに行ったのかを考える。
仕組みや公式を覚えたいんじゃない。
現実が何故こうなっているかの理由を知りたかった。
「その為に戒と指導者が必要なのか?」
「そうさ」
「ジョード教には全部あるって言ったら?」
「――え?」
このゲームの宗教はハリボテだと言っていたではないか。
――お前、嘘をついたのか?
一郎が詰め寄ろうとすると、クリスは聞け、とばかりに手の力を強める。
「さっきのガワだけの宗教はそうさ。でもジョード教は違う。このゲームだけのオリジナルだ」
戒も、指導者も、教義もある。
そうだとしたら。
「そこで頑張ったらいいじゃんか」
「――でも、お前それは」
行き先の分からないチロの墓。
仏壇に飾られた笑顔の妻の写真。
その奥にあるご本尊。
木彫りのアルカイックスマイルを思い浮かべる。
「それはだめだろ」
――だめなのかな?
もうクリスの手は離れている。
だが、一郎の足は止まらなかった。
※
クリスが案内してくれたのは、通り道にあった施設群の中ではなく、路地裏に入った先の、街の西端の岩壁であった。
周りを見渡せば旅行代理店パンフレットで見た、一枚岩を削り下ろした、厳かでダイナミックな石窟寺院が並んでいる。
だが彼女が足を止めたのはそちらではなかった。
黙々とノミを叩く木槌の音が反響する。
目の前には、大人が二人屈んで入れる程度の洞穴があり、地面には大小様々な石塊が転がっている。
一心不乱に岩を削る背中が見えた。
腕を動かすたびに豊かな銀髪が揺れている。
生成り色の袖の短い長衣は、汗と土で汚れていた。
肩にかけられた淡い紫色の大きな布が体型を隠しているが、どうやら女性であるらしい。
二人の気配を感じたのか、手を止めた女性は振り返ってこちらを見た。
「よお、久しぶりだな。繁盛してるか?」
「見ての通りですよ。今日はお友達連れですか?ふふ、珍しいですねえ」
立ち上がった女性は、クリスを下から覗き込むようにからかった。
どうやらお茶目な人らしい。
クリスはそんなんじゃねえよ、と頬を掻くと、女性に一郎を紹介してくれた。
「こいつはマレビトの一郎。まあ知り合いみたいなもんだよ」
「ああ、マレビトの方でしたか」
マレビト――チュートリアルで聞いた気もするが、YESを連打した一郎にはよく分からない。
「申し遅れました。わたくしニヤーマと申します」
ニヤーマは深々とお辞儀をした。
少し色黒の肌に、真っ白い歯が映えている。
可愛らしいお姉さんと言った印象だった。
「あ、これはどうもご丁寧に。わたくし、マレビトの一郎と申します」
『マレビト』の意味は知らないが、一郎は流れで使った。
俗世の生業で培ったテクニックである。
――紹介してもらった手前、世間話でもするべきか?
と、一郎が考えた、その瞬間だった。
ニヤーマは衣服の汚れをパンパンと両手で払うと、すぅっと息を吐き、背筋を伸ばした。
琥珀色の瞳が一郎を捉えた。
一郎の背筋が自然と伸びる。
――ただの信徒、じゃない
「ようこそいらっしゃいました」
そう言うとニヤーマは手のひらを胸の前で合わせて、目を伏せながら、たおやかに頭を下げた。
「未熟ながら、ジョード教にて大僧正の位を叙せられております」
「――だいそうじょう?」
「ええ、座主として宗門をあずかっております」
ニヤーマは、洞穴の入り口に立て掛けてあった杭つき看板を手に取ると、それをくるりと回し、ニッコリと笑った。
「以後お見知り置きを」
看板には『ジョード教総本山 静戒洞』と書かれている。
ゲーム時間は夕暮れを迎えて、ごちゃ混ぜな宗教世界がオレンジ色に染まっていた。




