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第三話 誘い


 

「本当にありがとうございました」


 一郎は年下であろうクリスに、感謝を込めて頭を下げた。

 おじさんの真心を受け取ることになったクリスは、肩をすくめて、への字口で座っている。

 二人がついたテーブルの上には、一郎が使ったティッシュの山が出来ていた。


「もういいのかよ?」


 一郎は素直に頷いた。

 何も解決しなくても、聞いてもらうだけで救われることがある。

 意外にもクリスはインタビュー上手で、一郎はここに至るまでの経緯を洗いざらい白状することになった。

 一郎は本音を喋ると涙が出るタイプだ。

 彼女はポケットティッシュを渡し続けてくれた。

 

 こんなに自分のことを話せた相手は、今まで妻と生成AIしかいない。

 ましてや今日はビキニアーマーの女性が話を聞いてくれたのだ。

 それで充分じゃないか。

 もう一度頭を下げてゆっくり立ち上がった一郎は、ティッシュをインベントリにしまい、トボトボと三門に向かう。

 

『現実で頑張れば?』

 

 彼女のいう通りだ。

 本当に修行を頑張りたいなら、部下も会社も老いた両親も放り出して、心身ともに投げ出したらいい。

 だが一郎は昔から何かを捨てるのが苦手だった。

 俗世のお荷物がどうにも宝物に見えて、どうしたって手放せそうになかった。


 ――修行したかったな

 

「お、おい!」

「――はい」


 後ろからかけられた声。

 一郎は心配をかけてはならないと思い、精一杯目を細め、口端を思いっきり引き上げると、準備万端で振り返った。


「なんて顔してんだよ、気持ち悪りぃ」


 このまま帰したらまずいと思ったのか、彼女は顎に手をやって、おじさんから視線を切った。

 一郎は所在なく立って、大岩壁がオレンジ色に染まるのを見る。


 ――仮想世界でも、夕焼けは綺麗だな

 

 ぼーっとしていると咳払いが聞こえた。

 クリスは一郎に視線を戻し、指を立てながら言った。

 

「聞け、あたしに提案がある」

「はあ」

「お前ジョード教に入れ」


 

 クリスに手を引かれるまま、一郎は宗教街区を更に西に向かって進む。

 一郎には入信を勧める意図は分からないし、はっきり言って乗り気でもない。

 でもクリスが良いやつなのは分かる。

 だからとりあえず着いていくのだ。

 

「なあ一郎、修行して悟って、そんでどうなるんだ?」

「そりゃあお前、悟ったらなんでも分かるようになるんだよ」

 

 一郎は昔から、何事もそのままに飲み込めない天邪鬼な人間だった。

 一+一が二だと言われれば、数字とはなんだろうと考える。

 こんにちはがHelloだと言われれば、なぜ意味は同じなのに言葉が違うのかと考える。

 愛犬が死んだと言われれば、どこに行ったのかを考える。

 仕組みや公式を覚えたいんじゃない。

 現実が何故こうなっているかの理由を知りたかった。

 

「その為に戒と指導者が必要なのか?」

「そうさ」

「ジョード教には全部あるって言ったら?」

「――え?」


 このゲームの宗教はハリボテだと言っていたではないか。

 

 ――お前、嘘をついたのか?

 

 一郎が詰め寄ろうとすると、クリスは聞け、とばかりに手の力を強める。

 

「さっきのガワだけの宗教はそうさ。でもジョード教は違う。このゲームだけのオリジナルだ」

 

 戒も、指導者も、教義もある。

 そうだとしたら。

 

「そこで頑張ったらいいじゃんか」

「――でも、お前それは」

 

 行き先の分からないチロの墓。

 仏壇に飾られた笑顔の妻の写真。

 その奥にあるご本尊。

 木彫りのアルカイックスマイルを思い浮かべる。

 

「それはだめだろ」


 ――だめなのかな?

 

 もうクリスの手は離れている。

 だが、一郎の足は止まらなかった。



 クリスが案内してくれたのは、通り道にあった施設群の中ではなく、路地裏に入った先の、街の西端の岩壁であった。

 周りを見渡せば旅行代理店パンフレットで見た、一枚岩を削り下ろした、厳かでダイナミックな石窟寺院が並んでいる。

 だが彼女が足を止めたのはそちらではなかった。

 

 黙々とノミを叩く木槌の音が反響する。

 目の前には、大人が二人屈んで入れる程度の洞穴があり、地面には大小様々な石塊が転がっている。

 一心不乱に岩を削る背中が見えた。

 腕を動かすたびに豊かな銀髪が揺れている。

 生成り色の袖の短い長衣は、汗と土で汚れていた。

 肩にかけられた淡い紫色の大きな布が体型を隠しているが、どうやら女性であるらしい。

 二人の気配を感じたのか、手を止めた女性は振り返ってこちらを見た。

 

「よお、久しぶりだな。繁盛してるか?」

「見ての通りですよ。今日はお友達連れですか?ふふ、珍しいですねえ」

 

 立ち上がった女性は、クリスを下から覗き込むようにからかった。

 どうやらお茶目な人らしい。

 クリスはそんなんじゃねえよ、と頬を掻くと、女性に一郎を紹介してくれた。

 

「こいつはマレビトの一郎。まあ知り合いみたいなもんだよ」

「ああ、マレビトの方でしたか」

 

 マレビト――チュートリアルで聞いた気もするが、YESを連打した一郎にはよく分からない。


「申し遅れました。わたくしニヤーマと申します」


 ニヤーマは深々とお辞儀をした。

 少し色黒の肌に、真っ白い歯が映えている。

 可愛らしいお姉さんと言った印象だった。

 

「あ、これはどうもご丁寧に。わたくし、マレビトの一郎と申します」

 

 『マレビト』の意味は知らないが、一郎は流れで使った。

 俗世の生業で培ったテクニックである。

 

 ――紹介してもらった手前、世間話でもするべきか?

 

 と、一郎が考えた、その瞬間だった。

 ニヤーマは衣服の汚れをパンパンと両手で払うと、すぅっと息を吐き、背筋を伸ばした。

 琥珀色の瞳が一郎を捉えた。

 一郎の背筋が自然と伸びる。

 

 ――ただの信徒、じゃない

 

「ようこそいらっしゃいました」

 

 そう言うとニヤーマは手のひらを胸の前で合わせて、目を伏せながら、たおやかに頭を下げた。

 

「未熟ながら、ジョード教にて大僧正の位を叙せられております」

「――だいそうじょう?」

「ええ、座主として宗門をあずかっております」

 

 ニヤーマは、洞穴の入り口に立て掛けてあった杭つき看板を手に取ると、それをくるりと回し、ニッコリと笑った。

 

「以後お見知り置きを」

 

 看板には『ジョード教総本山 静戒洞』と書かれている。

 

 ゲーム時間は夕暮れを迎えて、ごちゃ混ぜな宗教世界がオレンジ色に染まっていた。

 

 

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