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第五話 得度式 三捨四帰依



 おでこがジンジンと痛み、目の中に細やかな星が飛んでいる。

 五体投地がこれで合っているのか、一郎にはよく分からない。

 

 ――変な格好してたらどうしよう

 

 際の際でも、一郎は没頭ができなかった。

 余計なことを考えていると、頭上でクリスの助け舟が聞こえた。


「ニヤーマ、マレビトの悪ふざけじゃない。話を聞いてやってよ」


 ニヤーマはしばし沈黙したようだが、地面を擦るように歩き、一郎の前あたりで止まった。


「顔をお上げください」


 一郎は体を起こして、そのまま正座のように座った。

 額からパラパラと砂が落ちるのを感じるが、視線はニヤーマから逸らさない。

 一郎なりに本気だった。

 

 ニヤーマは一郎の佇まいに誠意らしいものを感じたのか、愛嬌のある大きな瞳を半眼にして一郎を見つめた。

 彼女が小さく、深く、息を吐く。

 一郎は急に空気が張り詰めるのを感じた。

 この一瞬で、だだっ広いだけのこの場所が祭場に変わった。

 

「あなたの帰依をありがたく思います。ただマレビトの方の入信にあたっては、先に乗り越えねばならない試練がございます」


 はい、という声が喉に張り付いて出てこなかった。

 軽く体を揺すると初期装備のワイシャツが汗で張り付いていた。

 知らぬ間に体も緊張で固くなっている。

 だが、ここで日和ってはいけない。

 自分はこの為に仮想現実の世界に来たはずだ。

 意を決してもう一度声を出す。

 

「――はい、伺います」


 上擦った返事を聞いたニヤーマは一郎にもう一歩近づいた。

 片手で長衣の袖元を押さえて、もう片方の手の平を一郎の頭に置く。

 一郎は、うら若き女性だと思っていた彼女の手の平の硬さと厚みに身じろぎしそうになった。

 だが頭に載せられただけのその手は、一郎に動くことを許さなかった。

 

「全てまことの言葉にてお答えなさい。一つの嘘でもあれば入信は受け入れられません」

「はい」

「答え、そして、誓いなさい」


 ニヤーマの宣言と同時に、一郎の視界の真ん中に、UIの警告メッセージが現れた。


『この質問には慎重にお答えください。儀式終了後にリセットは出来ません。本文を持って最後の警告となります』


 一郎は速やかに『YES』を選択してメッセージウインドウを閉じた。


「お願いします」

 

 頷いたニヤーマは低くゆっくりと、歌うように問う。

 

「一つ、帰依したものは俗世で積み上げた財を失うだろう。如何に?」

「はい、捨てられます」

 

「二つ、帰依したものは俗世で積み上げた力を失うだろう。如何に?」

「はい、捨てられます」

 

「三つ、帰依したものは輪廻を捨て、ジョードの世界で生き続ける。如何に?」

「はい、捨てられます」


 一郎は全てに即答した。

 そして問いに答えるたびに、一郎の体がエフェクトで輝いた。

 また、ウインドウに新着メッセージが流れる。


『所有物の削除』

『レベルとスキルの初期化』

『再キャラメイクの権限の消失』

 全て承認されました。

 

 視界の隅でクリスが顔を引きつらせて腕をさすっているのが見える。

 それで初めて、一郎は自分が何か重大なことをやってしまったことに気づいた。

 今さら、胃が少しジクジクする。

 でも――それがなんだというのだろう。

 

 ――俺に失くして惜しいものなんてない

 ――次は何を差し出せばいいんだ?


 そんなやけっぱち男の頭から、手の圧力が消えた。

 ニヤーマは両手を合わせてマントラを唱えると、一郎にゆったりと語りかけた。

 

「三捨の儀、滞りなく為されました。四帰依の儀――得度式を行います」

「お願いします」


 一郎はなんだか拍子抜けした。


 ――今のが試練で良かったのか

 

 ぼんやりした男をよそに、得度式は続いていく。

 ニヤーマは左手で片手印を作り、右手を頭上に掲げ、天に向かって声を投げた。

 

 ――覚者に帰依せよ、戒に帰依せよ、僧に帰依せよ、大岩壁に帰依せよ

 

 夕陽はすっかり大岩壁の向こうに消えていた。

 紫色に変わった空、吹き下ろしの風に、一郎は身震いをした。

 ニヤーマが粛々と儀式を続けていく中、一郎の心は裏腹に、どんどん冷え込んでいく。

 

 一郎は正座した太ももの上、二つの握り拳を見つめて、ふと考えた。

 

『俗世のすべてを投げ出します』

 

 すべてってなんだ。

 感動屋のくせに、もう冷静になっている自分がいる。

 

 現実ではしがらみを捨てられない。

 だから体一つで飛び込んだこの世界。

 でも今更ながら思う。

 さっき作ったこのキャラクター。

 初期装備、所持金なし、Level1、ゲームを遊ぶ気なし。


 ――俺は何から出家したんだ?


 顔を上げれば、生成り色の長衣を風にゆらめかせながら、ニヤーマが祝詞を上げている。


 ――かっこいいなあ。この人

 

 ニヤーマは一郎が想像していたような指導者NPCではなかった。

 ゲームの設定だろうが何だろうが、尊敬できる歴史と人格が彼女にはある。

 だったら。

 

 ――ニセモノはどっちなんだ?

 

 この儀式に裸一貫で臨んだ根性が、自分の小狡さを証明している気がした。


 誰かの声が、木霊する。

 

『現実で頑張れば?』

 

 ――ちくしょう



「一郎さんの三捨、四帰依の得度式、確かに見届けました。ようこそジョード教団へ!」


 ――マレビトの修行僧ですか

 

 ニヤーマがマレビトたちを観察して、分かったことがある。

 自分がジョードに帰依するように、彼等は財産と能力を信仰している。

 この厳しい儀式を受ける者は住民だって少ない。

 ましてやマレビトがこの儀式をやり遂げるとは、大したものだ。

 目下の男は儀式を終えたというのに肩を落として俯いている。


 ――お疲れになったのでしょうか?


 ニヤーマが声をかけようとしたその時、

 

「う、嘘をつきましたあ!」

 

 目下の男が怒鳴るように叫んだ。


 ※

 

 弾けるように身を起こした一郎は、ニヤーマを睨みつけた。

 力の限りを振り絞るような怒りの眼光。

 はたで見ていたクリスは、突然の暴言に一瞬眉を顰めたが、向き直ったニヤーマを見て、立ち合い人に徹した。

 

 一郎の目はニヤーマの瞳、その中に映る、卑怯な中年男を睨みつけていた。

 

 妻にお経をあげてくれた菩提寺のお坊さんが法事の時に話してくれた。

 

『自分たちの仏教は自らを諦めた者たちの救いです』


 諦めるのが得意な一郎は、なんか親近感湧くなあ、とざっくり飲み込んだ。

 でも自分を諦めるなんて、本当に裸一貫で頑張ったやつしか出来ないんじゃないか。


 ――まだ裸じゃない

 ――俺にはまだ、捨てるものがあるぞ

 

「覚者ジョード!この一郎、財を持ち込んでおりました!」

 

 一郎は初期装備の上着を一切脱ぎ捨てて、再び五体を投地した。

 頭の上に伸ばされた両腕のその先、天に向けられた左の拳を開く。

 キャラメイクの時、厳しい修行の助けになればと、これだけは入れたのだ。

 

 力を入れすぎて真っ白になっていた手の平には、『南無阿弥陀仏』の刺青文字が掘り込まれていた。

 

 月が昇り始めている。

 まだ儀式は終わっていない。



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