第一話 ゲームの現実
中央広場の噴水の前に転送された一郎は、一つ深呼吸をして、おお、と感嘆した。
噴水から勢いよく跳ね上がった水滴が中空に溶ける、その瑞々しさが鼻腔を満たし、彼の五感を刺激したのだ。
ゲームに初めてログインした人のありふれたリアクションであった。
広場にいたベテランプレイヤーたちは微笑ましく思ったが彼の顔を見て面を食らった。
短く刈り上げた白髪混じりの黒髪、重そうなまぶた、ほんのりと描かれたほうれい線、これまた白髪混じりの無精髭。
まごうことなきおじさんであった。
VRMMO黎明期、各ゲーム制作会社同士である注意事項が共有された。
五感の再現性に対して、キャラメイクした肉体と現実の肉体との乖離が大きくなった場合、多くのプレイヤーが体調不良を起こすことが分かったのだ。
その事例を参考に、現在のVRMMOではキャラクリエイトの調整のスタートは本人の肉体を参照にする。
つまりキャラメイクをYESの連打で早々に終わらせた一郎の姿は、現実の一郎、ほぼそのものであった。
――すごく見られている
周りを見るとそれぞれ元の人間味はあるものの、アニメや漫画のキラキラの主人公フェイスばかり。
居心地が悪くなった一郎は、たどたどしくマップで宗教街区の位置を確認し、そそくさと逃げるようにこの場を離れた。
※
『JODO ONLINE』はVRMMO黎明期から続く老舗のゲームだ。
ファンタジーの世界観、ゲームシステムの明瞭さ、キャラクタークリエイトのバリエーション、ソロでもマルチでも楽しめる。
各ゲーム会社がそれぞれの特色を出して差別化を図る中、JODOは老舗らしく各要素をバランスよく備えていたが、一郎がこのゲームを選んだのはその完成度が理由ではなかった。
単純に五感の再現性が一番優れていたためである。
仲間と協力してレイドボスを倒すとか、レベルを上げて敵を倒すとか、スキルを組み合わせて自分好みのキャラを作り上げるとか。
一郎はRPGをしにきたのではない。
出家をしにきたのだ。
修行して悟りにきたのだ。
『不殺生』殺してはいけない
『不偸盗』盗んではいけない
『不飲酒』酒を飲んではいけない
『不邪淫』エロいことをしてはいけない
『不妄語』嘘をついてはいけない
仏教の五戒である。
一郎の目的は五戒の完璧な実践であった。
俗世での一郎は飯を食わなければ死ぬので、他の生き物の命を頂かざるを得ない。
俗世での一郎は営業主任であり、目標という名のノルマ達成のため、同業他社を出し抜くために客先のキーマンの机の上の他社見積もりを、チラッと盗み見することがある。
俗世での一郎は仕事の付き合いで行ったおっぱいパブで、酔っ払ってお姉さんのお胸に顔をうずめながら、俺は社長だぞ!と叫んだことがある。
一郎は典型的な弱い人間であり、同時に減点主義者でもあった。
戒を守ろうとすればするほど出来ない自分が浮き彫りになり自己嫌悪に落ち込む日々。
そんな時にJODOのCMが目に入った。
――飯を食べなくていいので命を奪わずにすむ
――欲しいものもないので盗む必要もない
――全年齢対応ゲームなので酒もエロいサービスもない
――守るものもない世界なら嘘をつかなくても良い
ここなら出来る!出来るんだ!
気がつけばスマホからVR機器とゲームを注文していた。
それが一週間前のことであった。
※
中央広場を出た一郎は、西に向けてしばらく歩く。
プレイヤーの人通りは減り、もう露店も出ていない。
すれ違うのも住民NPCばかりになってきた。
おそらく宗教街区の端には入っている。
遠くに目をやると、巨大なモスクや教会、仏塔やらが見える。
おそらくあれが各宗教の本山であろう。
JODOには勿論、現実での特定の宗教は存在しない。
サービス開始初期、ゲーム内ではジョード教というオリジナルの宗教のみが存在していた。
しかし聖職者ジョブにつきたい人たちの中には一定数の熱心な信者がいる。
彼ら彼女らの「ゲームとはいえ訳のわからない神様に祈りたくない」という嘆願があり、それが積もった結果、現実の宗教を下敷きにした仮想宗教が追加されたのだった。
チュートリアルによれば聖職者ジョブにつくだけであれば、本山ではなく末端の宗教施設でも可能だ。
というかまず信者にならなければ本山には入れないとのこと。
一郎は最初に目についた仏教系の寺院を観察した。
入り口には質素ながら立派な三門がある。
――いいじゃないの
ここをくぐるということは、俗世の執着、認識、作為の三つを捨てて、悟りと向き合うということである。
どの宗教が回復量に補正があるとか、MPやINTの成長に補正があるとかどうでもいい。
五戒の実践や憧れの坐禅を、静かな場所で厳格な師匠の指導のもとでやりたいのだ。
兎にも角にも一刻も早く修行をしたい!
「ごめんください!」
そう言って門に飛び込んだ一郎は、目の前の光景に呆然とした。
参道を挟むようにフードスタンドが並び、ミニ海鮮丼に牛串豚串、鉄板の上では羊肉がジュウジュウ焼かれ、濃厚なタレの匂いが、あの、命が焼ける香ばしい匂いが、境内に満ちている。
特設ステージでは、道産小麦パンでブランド豚のソーセージを挟んだホットドッグの大食い大会が催されている。
知っている。
妻に何度もゆめタウンの一階に連れて行かれたのだ。
これは、
――北海道フェアだ!
一郎は膝から崩れ落ちた。
「おい、大丈夫かよおっさん?」
「あ、ありがとう――――うわああああああ!」
上から降ってきた心配そうな声で持ち直した一郎は、立ち上がって、また腰を抜かした。
戦士職のプレイヤーの女。
色白西洋顔の背の高い筋肉質なキャラクター。
ガッチリしたショルダーアーマーにマント、分厚いガントレットと脛当て、その他ビキニのみ。
――ビキニアーマーだ!
一郎の好きなコスチュームだった。
でもなんで?
一郎が女の見事な腹斜筋と少し浮いたアバラを見てドキドキしていると、女が「ははーん」と察して教えてくれた。
JODOは元々18歳以上対象のゲームであるが、VRMMOの普及に伴って全年齢に対象を拡大した。
全年齢で遊ぶ際は、五感の再現度とキャラクターモデルやクエストの性的な要素にフィルターがかかる。
一郎は五感の再現度を最大まで拡張しているため、性的なフィルターも同時にかからないようになっていたのだ。
「なるほど」
「なるほど――って、おっさんそのリアルさ見るに大人だろ?なんでわざわざ全年齢で遊ぶんだよ」
「遊びじゃない!」
「うわっ!?そんな怒らなくても良いじゃん!」
女は目の前のおじさんの剣幕にギョッとしたものの、その哀れな半泣き顔に逆に興味が湧いてきた。
「何があったんだよ?」
傷心の一郎は女に相談した。
自分がこのゲームに期待していたこと。
そして裏切られたこと。
自分は修行がしたいこと。
仏道を極めて悟りを得たいこと。
指導者に会いたいこと。
女は呆れながら言った。
「現実で頑張れば?」
一郎は泣き出した。




