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第一話 ゲームの現実



 中央広場の噴水の前に転送された一郎は、ひとつ深呼吸をして、思わず目を輝かせた。

 噴水から勢いよく跳ね上がった水滴が中空に溶け、瑞々しさが鼻腔を満たす。

 軽く跳ねてみると、石畳のぼこぼこした感触が足の裏に伝わってくる。


 ――これが仮想現実ってやつか!


 年甲斐もなくぴょんぴょんしていると、誰かのつぶやきが耳に入った。


「――おじさんすぎるだろ」


 自意識の強い一郎はすぐに自分のことだと思った。

 恐る恐る周りを見ると、それぞれ元の人間味は残っているものの、アニメや漫画のキラキラの主人公フェイスが並んでいる。

 噴水の周り、子供が遊ぶ水場まで歩き寄り、自分の顔を見る。

 短く刈り上げた白髪混じりの黒髪、重そうなまぶた、ほんのりと描かれたほうれい線、これまた白髪混じりの無精髭。

 イケおじではなく、中年おじさんのリアルが映し出されている。


 ――キャラメイク、ちゃんとやっておけばよかったかな

 

 居心地が悪くなった一郎は、たどたどしくマップを開いた。

 宗教街区の位置をざっくり調べると、そそくさと逃げるようにこの場を離れた。



 一旦路地裏に駆け込んだ一郎は、頬を両手で叩いて気合を入れた。

 仲間と協力してレイドボスを倒すとか、レベルを上げて敵を倒すとか。

 自分はそういうRPGをしにきたのではない。

 見た目だってどうでもいい。

 出家をしにきたのだ。

 修行して悟りにきたのだ。

 『JODO ONLINE』は五感の再現性が一番優れていると比較サイトで見た。

 ここなら素晴らしい修行ができるだろう。


 傷心の一郎には夢があった。

 お坊さんになる夢だ。

 

 『不殺生』

 『不偸盗』

 『不飲酒』

 『不邪淫』

 『不妄語』

 

 一郎の目的は五戒の完璧な実践だ。

 だが一郎は典型的な弱い人間であり、同時に減点主義者だった。

 

 飯を食わなければ死ぬ以上、他の生き物の命を頂かざるを得ない。

 目標という名のノルマに追われて、客先のキーマンの机の上の他社見積もりを、ついチラ見してしまったこともある。

 仕事の付き合いで、おっぱいパブにも行く。

 酔っ払ってお姉さんのお胸に顔をうずめながら、俺は社長だぞ!と嘘をついたこともある。

 

 戒を守ろうとすればするほどできない自分が浮き彫りになり、自己嫌悪に落ち込む日々。

 そんな時にJODOのCMが目に入った。

 

 ――ここなら全部できるんじゃないか?

 

 気がつけばスマホからVR機器とゲームを注文していた。

 それが一週間前のことだ。



 中央広場を出て少し進むと、街の外壁西側を囲む雄大な大岩壁が見えた。

 あのあたりが宗教街区らしい。

 プレイヤーの人通りは減り、もう露店も出ていない。

 人通りのない夕焼けの道がまっすぐに続いている。

 出足をくじかれたのも忘れて、一郎は足取りも軽やかに進んだ。

 

 すれ違うのも住民NPCばかりになってきた。

 少し先には巨大なモスクや教会、仏塔やらが見える。

 もちろん現実の宗教そのものではないが、それでも本物みたいで、一郎は胸が少し浮き立った。

 一郎なりに大事なのはただ一つ。

 ちゃんと『お寺』があるかないかだった。

 

 一郎は最初に目についた仏教系の寺院を観察した。

 仮想だろうとなんだろうと、お寺はお寺に違いない。

 入り口には質素ながら立派な三門がある。

 

 ――いいじゃないの

 

 ここをくぐるということは、俗世の執着、認識、作為の三つを捨てて、悟りと向き合うということである。

 どの宗教が回復量に補正があるとか、MPやINTの成長に補正があるとかどうでもいい。

 五戒の実践や憧れの坐禅を、静かな場所で厳格な師匠の指導のもとでやりたいのだ。

 兎にも角にも一刻も早く修行をしたい!

 

「ごめんください!」

 

 そう言って門に飛び込んだ一郎は、目の前の光景に呆然とした。

 参道を挟むようにフードスタンドが並び、ミニ海鮮丼に牛串と豚串が売られている。

 鉄板鍋の上では羊肉がジュウジュウ焼かれ、濃厚なタレの匂いが、あの命が焼ける香ばしい匂いが、境内に満ちている。

 特設ステージでは、道産小麦パンでブランド豚のソーセージを挟んだホットドッグの大食い大会が催されている。

 一郎は知っている。

 妻に何度もゆめタウンの一階に連れて行かれたのだ。

 これは、

 

 ――北海道フェアだ!

 

 一郎は膝から崩れ落ちた。

 

「おい、大丈夫かよおっさん?」

「あ、ありがとう――うわああああああ!」

 

 上から降ってきた心配そうな声で持ち直した一郎は、立ち上がって、また腰を抜かした。

 戦士職のプレイヤーの女。

 色白西洋顔の、背の高い筋肉質なキャラクター。

 ガッチリしたショルダーアーマーにマント、分厚いガントレットと脛当て、その他はビキニのみ。

 

 ――ビキニアーマーだ!

 

 一郎の好きなコスチュームだった。

 でもなんで?

 一郎が女の見事な腹斜筋と少し浮いたアバラを見てドキドキしていると、女が「ははーん」と察して教えてくれた。


「このゲームは普通にエロいぞ」


 一郎は女の挑発的な装備から視線を剥がし、目をしっかり合わせて話を聞いた。

 

「全年齢じゃないのかよ?」

「元々18歳以上だよ。五感の再現度が高いとフィルターが外れるの」

「そんなぁ」

「そんなぁ――って、おっさんそのリアルさ見るに大人だろ?なんでわざわざ全年齢で遊ぶんだよ」


 今なんて言ったんだ!

 肩を落として膝に手をついていた一郎が顔を跳ね上げた。

 

「遊びじゃない!」

「うわっ!?そんな怒らなくても良いじゃん!」

 

 女は目の前のおじさんの剣幕に初めは及び腰だった。

 だがウジウジ言っている一郎に業を煮やして聞いてきた。

 

「何があったんだよ?」

 

 傷心の一郎は女に相談した。

 自分がこのゲームに期待していたこと。

 そして裏切られたこと。

 自分は修行がしたいこと。

 仏道を極めて悟りを得たいこと。

 指導者に会いたいこと。

 

 女は呆れながら言った。

 

「現実で頑張れば?」

「えっ?」


 ――なんでゲーマーがゲーマーにそういうことを言うんだろう?

 

 一郎はまっすぐな瞳で女を見つめた。

 女はなんだか居心地が悪くなって一郎に謝った。


 

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