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第十七話 約束



 自分の右足が前に出て、自分の左足が前に出る様子をぼーっと眺めていたら、あっという間に宗教街区に着いていた。

 一郎が顔を上げるともうすぐそこに大岩壁が迫っている。


 ――なんて言おう


 称号『破戒僧』を得た帰り道、コカトリスの命を奪ったこの手を眺めていた時に気づいた。

 ストレスで冷え切った左の手を開くと、手のひらに墨を真横に引いたような、一文字の刺青が入っている。


 ――バチ、当たってるじゃないか


 バットステータス『破戒』


 自警団の連中には見せられない。

 偉そうに言っといて世話がない。


 一郎は合わせた両手に顔を当て、歩きながら唸った。

 いいも悪いもわからない。

 後悔をしているわけでもない。

 あの時自分は、自分の責任で一突きした。

 ありのままでやり切ったつもりだが、その結果をニヤーマに見せるのが怖かった。

 ああ。

 自分はただ、怒られるのが怖いのか。

 一郎は鼻で笑った。


 ――ガキじゃねえんだぞ


 重い足を引きずるように歩いていると、前から声がした。

 

「――目は大丈夫かの?」


 そのどこか心配げな老人の声色に、一郎はハッとして謝罪をした。

 

「はい、イダーケさんによくして頂いてます――師匠も、ご挨拶できずにすみませんでした」


 カショーにも、街に帰還してから会ってはいない。

 師匠に対しても『あなたの弟子にバチが当たりました』などと、ただただ申し訳がなかった。

 

「まあ、ニヤーマ様は恐ろしいお方じゃからのお!ゲンコツくらい覚悟しておけよ」


 弟子があまりにしょぼくれているのか、カショーは明るく振る舞ってくれた。


「はい」


 声を出してから自分の鼻声に気付く。

 小学校の窓ガラスを割って怒られたことを思い出した。

 先生はガミガミ言った後はとても優しかった。


 ――俺はいつ大人になれるんだろう

 

 前を歩く老人の背中が大きく見える。

 四十歳の一郎は鼻を啜った。


 ※


 静戒洞の前まで辿り着いた。

 洞の中で、ニヤーマは背を向けて礼拝していた。

 硬い地面にそのまま正座して、少し体を前に傾けてマントラを唱えている。

 二人が邪魔をしないように後ろに控えると、ニヤーマはすぐに振り向いた。


「――っ!」


 一郎はニヤーマの目線を避けるように、口元を見ながら頭を下げた。

 この人は相手によって自在に変わる。

 今、不義理な弟子を前に一体どんな顔をしているのか、意気地のない自分には見つめる勇気はなかった。

 

「この一週間、あなたの無事を祈っておりました」

「はい、すみません」


 ニヤーマの声は固く冷たい。

 一郎も引っ張られるように身体が動かなくなる。

 もう一度、一郎を押し込めるような強さで彼女が言った。


「聞いておりますか、無事を祈っておりました」

「はい」


 ニヤーマの足音が近づいてくる。

 顔を上げれば自分の心が折れてしまうだろう。


 ――ここでも、上手くいかないのか


 心の中の一郎がリセットしたら?と言っている。

 どうせここは仮想現実なんだとうそぶいている。

 

「――パリグラハ」


 カショーが自分を呼んでいる。


「いのって――おりました」

「パリグラハ、顔をあげるんじゃ」


 息もうまくできない中、微かな違和感が一郎に酸素を送った。

 師匠がニヤーマの話を遮るなど、どういうことだろう。

 思わず一郎は、ぼけっと顔を上げた。

 

 ふいに、胸がぎゅっと掴まれた。

 チロが――愛犬が消えた時の姉の顔を思い出した。

 

 導師は――ニヤーマは、少女のように泣いていた。


「言い忘れておりましたね」

「は、はい」


 ニヤーマは裾で目元を擦りながらこちらを睨みつけている。

 

「このニヤーマの弟子たるもの、勝手にどこかに行ってはいけません」


 ――いいですか?


 そう言うと、拭いたばかりの目元から、また雫が溢れ出した。

 忘れていた。

 静戒洞は一人ぼっちになったニヤーマが、誰かを待ちながら掘った場所なんだ。

 こんな神聖な場所で、悲しい祈りをさせてしまった。

 一郎は右目を精一杯開き、ニヤーマを見つめて、はっきりと謝った。


「勝手に消えたり致しません」


 一郎がそう言うと、取り繕うとしていた導師の表情が解けていった。

 わんわんと泣きだしたニヤーマの背中を、老人が優しく撫でている。

 

 一郎が覚者だと思っていたニヤーマは、悲しい時に普通に泣く人だった。

 一郎はなんだか腑に落ちた。

 泣き虫のまま彼女はかっこいい。

 こんな導師がいたっていいんだ。

 なら俺が毎日こんなに悲しくても、それでいいんだ。

 

 いつ以来だろうか、肩が軽い気がする。

 一郎は、久しぶりにスッキリと笑えていた。


 ※


 尊敬する導師に隠し事はできない。

 心臓が暴れて、胸をドンドン叩いている。

 一郎はおずおずと左手を差し出して、ニヤーマに墨の引かれた手のひらを見せた。

 腫れた目のニヤーマは一郎の刺青を見ると、手を取り顔に近づけて確認した。

 そして彼女は指で破戒僧の墨を一撫でして、一郎に聞いた。

 

「命を殺めましたね」

「はい」

「奪わなければいけない命でしたか?」


 責めるような言葉選びに一郎は身がすくみそうになった。

 だがこの人が自分の導師なんだ。

 ありのままで、喋ろう。

 

「いえ、奪う必要はありませんでした」


 あの時コカトリスは死の際にあった。

 サーマによる鎮静で、あれ以上暴れることもなかっただろう。

 放っておけばあの怪物は勝手に死んだのだ。


「殺生は解脱を遠ざけますよ」


 ウーパーリの言葉が頭に浮かんだ。

 

『魔物に住民を殺させないことですな!そのためなら殺しますぞ!』


 血だらけの革鎧、ひび割れた大盾、処置室から聞こえてきた呻き声。

 街を守るために殺生をするあいつらは、解脱できないのだろうか。

 一郎は少し迷った。

 だが唾を飲み込んで、自分の思うところをそのまま報告した。

 

「いい殺生をする人もいました」

「これっ!」


 カショーが生意気な一郎を怒鳴った。

 怒られるだろうか。

 恐る恐る導師の顔を見ると、ニヤーマは悪戯げに笑っていた。


 ――あっ、これは

 

 一郎も力を抜いて笑った。

 これは世間話なんだ。


 ニヤーマは一郎の様子を見て、軽く頷く。

 そして、おもむろに両手の手のひらを一郎の前に突き出した。


「えっ」

「両足の裏、背中にもありますよ」


 彼女の手のひらには、どこかで見たようなマルと線――『0』と『1』の刺青が、子供の落書きのようにたくさん刻まれていた。

 自分の刺青は『1』だったのか。


 一郎が呆然としていると、ニヤーマが質問をしてきた。


「地獄は誰が行くところですか?」

「それは、悪いこと――殺生とかをした人です」

「自警団は地獄行きですね?」


 小鳥の根付けをもらって喜ぶ大男。

 うまそうにスープカレーを食べる若者たち。

 みんな同じ釜の飯を食ったのだ。

 一郎は胸を張って答えた。

 

「そうです。私も一緒に行きます」


 ニヤーマは、刺青だらけの両方の手のひらを、顔の横に持ってきて、歯を見せて笑った。

 

「私は大地獄ですね」

「お供いたします」


 ニヤーマは立ち上がり、静戒洞に入って再び礼拝を始めた。

 だがいつものマントラとは違う。

 洞の中で彼女の高い声が反響して、大岩壁の隙間から音が飛び出している。

 伸び上がるような声に、どこかリズムを感じる。

 これは歌なのか。


 覚者ジョード

 いとさみしきあなたのため

 街の兄弟が一人

 パリグラハが

 いま僧になりました

 あなたをひとりにいたしません

 空に溶けたあなたのもとへ

 皆もろともに

 まいります


 システム音が鳴っている。

 僧になるって、今更なんだ?

 得度式の時のようなエフェクトが、一郎の体を包んだ。


 職業『シュラーヴァカ』Level 15(ユニーク)が変化しました

 職業『ジョード僧(ゲンクー派)』Level 1(ユニーク)を獲得しました

 

 一郎が混乱していると、カショーが体が萎むようなほどの大きなため息をついた。

 振り返って見た老人の目は、驚くほどに穏やかだった。

 ニヤーマの兄弟弟子の話をする時、老人はこんな顔をする。

 節くれだった手が一郎の背中に当てられた。


「パリグラハ、今日で薬師は卒業じゃ。ニヤーマ様を頼むぞ」


 そう言うと、一郎をそっとニヤーマの方へ押し出した。

 洞から出てきたニヤーマは朗らかに笑っている。


「パリグラハ、ジョードの道は戒を破ってからが本番ですよ」


 これから忙しくなる、と腕をまくっている可愛らしい導師を見ながら、一郎は少し考えた。

 流れで僧になりそうだが、こっちの準備は整っていない。

 今の自分が僧になっていい人間とは思えない。

 だって長年やっている導師と違って、こっちは『破戒僧』の整理がついていないのだ。

 

 導師さまに嘘はつけない。

 初期消火だ。

 早めに謝ろう。


「ごめんなさい。このまま在家で頑張ります」


 悟ったら必ず助けに行くと、自分はあの化け物と約束をした。

 俺とあいつは、この地獄でまた出会うんだ。

 皆もろともに、か。

 俺はあいつらと、みんな一緒に行きたいな。

 わからないけど、多分そういうことだろ?


「うん、きっとそうだ」


 一郎は一人で勝手に頷いた。

 

 またシステム音が鳴った。

 再びエフェクトが体を包む中、一郎は少し恥ずかしかった。

 変身ヒーローでもこんなスパンでキラキラしない。


 職業『ジョード僧(ゲンクー派)』Level 1(ユニーク)が変化しました

 職業『半俗半僧ジョード教徒(ゲンクー派)』Level 1(ユニーク)を獲得しました


 一郎はホッとため息をついた。

 

 ――ジョードは融通が効くなあ


 弟子のちゃぶ台返しにカショーは震えた。

 恐る恐るニヤーマの顔を伺って、ストンと腰を抜かしたように座り込む。

 ニヤーマが顔を伏せたまま、ズンズン近づいてくる。

 彼女は一郎の前で立ち止まった。

 

『まあ、ニヤーマ様は恐ろしいお方じゃからのお!ゲンコツくらい覚悟しておけよ』


 赤く染まった頬、釣り上がった眉に、琥珀色の瞳が爛々と輝いている。

 彼女の手が、鋭く振り上げられた。

 避けてはいけない。


 ――すみませんっ!

 

 目を瞑って衝撃に備えていると、コン、と何かが頭に当たった。

 目を開けるとニヤーマの手がチョップの形をしていた。


「その調子です」


 ニヤーマはあの日の体育教師のように笑っている。

 俺の導師は、やっぱりかっこいいなあ。

 四十歳の一郎は小学生のような元気な声で、はい!と答えた。

 

 

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