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第十六話 涙



 バットステータス『重症』は回復魔法でも薬でも治らない。

 体力は回復しても重傷箇所の痛みと状態はそのままだ。

 討伐から帰ってきた自警団と一郎は、治療師ギルドに直行した。


 まずは最も傷の深いウーパーリと、次に全身の骨に小さなヒビが入っていた団員二人が運ばれていく。

 今回は一郎がサーマをかけながら騙し騙しここまで辿り着けた。

 こんなのたまたま助かっただけだ。


 ――自分が来なければどうなっていたんだろう


 あり得たかもしれない現在を思うと、頭がくらりとした。

 自警団はいつも、こんな危険と隣り合わせで業務を遂行していたのだ。

 一郎は処置室に向かって頭を下げた。


 扉が開く音に一郎が頭を上げると、処置室から白衣の女性が出てくるところだった。

 イダーケだ。

 彼女は一郎の顔面の傷を見るなり処置室に案内すると、ベッドに座るように促した。

 言葉に甘えてベッドに腰掛けた瞬間、ドッと体が重くなった。

 知らぬ間に疲れていたらしい。

 一郎が深く息を吐くと、イダーケはおもむろに頭を下げた。

 

「この度は、本当にお疲れ様でした」

「いえ、彼らの奮闘のおかげです」

「それでも――街の住民として、ありがとうございますわ」


 挨拶もそこそこに、口をへの字にした彼女は一郎の顔の傷の消毒を開始した。

 彼女にはあまり好かれていないが、処置は流石プロといった感じだ。

 彼ら同様、一郎も重症者だった。

 

 イダーケは施薬院の設立の際に、部下の治療師の飯のタネを守るため、住民原理主義者の大男と戦った勇敢な女性だ。

 逃げ出した手前負い目がある一郎は、施薬院の開業に際して、まず彼女の足元にひれ伏して宣言した。


 ――施薬院では、治療師ギルドの紹介を受けた人しか施術いたしません


 地元の消防団員だった一郎は知っている。

 初期消火が最も優先されるのだ。

 あの怒りに燃える目を、一郎は忘れていない。

 商機には疎いが危険には敏感。

 それが鬼上司の一郎の評価だった。


 治療の手を止めたイダーケが、一郎の顔の前で指を立てた。

 細長い人差し指に、オレンジ色のネイルがかっこいい。


「見えますか?」


 訊ねる彼女に、一郎は素直に答えた。


「左が見えません」

「そうね、左眼球が損傷してます」


 イダーケは視線を切りながら頷いた。

 手元のボードに何かを書き込んでいる。


「ひどい傷ですわ。明日も来てください」

「はい、ありがとうございます」


 お礼を言って処置室を出ると、先に処置を終えたウーパーリたちが、並んで土下座していた。

 彼らは遠征の帰り道でも事あるごとに謝罪してきた。

 いい加減嫌になって頭をかいた一郎は、カショーの教えを交えながら、わざと僧侶ぶって彼らに伝えてみた。

 

 ――命を儲けたのならそのまま受け取りなさい

 ――私の慈悲行を邪魔しないでくれ


 要は照れ隠しのつもりだったが、彼らは間に受けて瞳を潤ませていた。

 一郎はなんだか気持ち悪くなって施薬院に逃げ帰った。

 自分は僧侶を尊敬している。

 だから僧侶の真似事をしてしまって身の毛がよだった。

 そこまで考えて、一郎はまた立ち止まった。


 ――俺は修行僧になりたいんだよな?


 一郎は訳がわからなくなったが、わからないのにも最近慣れてきたので、その日はログアウトをして眠った。

 

 ※


「大丈夫かいパリグラハ!」

 

 薬師ギルドのカウンター、カーセネンは一郎の姿を見つけた途端、自分のところまで駆け寄ってきた。

 勢いそのまま一郎の両肩を掴むと、顔面の左に大きく走る傷跡を見て、痛ましそうに目を伏せた。

 母ちゃんみたいだな、と一郎はほっこりした。


「これなら大したことないですよ。イダーケさんが主治医です」


 わざと戯けて親指を立てみせると、カーセネンは口元を震わせたが、眼鏡を整えて席についた。

 ウーパーリなら土下座をしているところだろう。

 やはりカーセネンはまともなやつだと思った。

 

「依頼達成です。街のためにありがとう」


 カーセネンがスタンプを押した瞬間、クエスト完了のシステム音が鳴った。

 

 ――防衛クエスト『鶏蛇獣の駆除』完了しました


 家に帰るまでがクエストなのだ。

 元々の依頼者は自警団長さまだが、彼は今入院している。


「それで、これが報酬だ」


 カーセネンはカウンターに三つの報酬を順番に置いた。

 一つは珍しく金貨袋。

 自警団が奮発したのだろうか。

 もう一つは緑色の布。

 最後に表彰状とセットのアクセサリーだった。


「緑色の布は自警団からだよ。もう君に討伐協力の依頼は出さないらしいけど、感謝の印だってさ」

「ありがたいです」


 緑色の布は自警団の証だ。

 現場の人からの信頼は何事にも変えられない。

 鬼上司の信念を一郎も共有していた。


「そしてこれは、街の住民から。名誉住民認定証と指輪です」

「うわあ!ありがとうございます!」


 おずおずと差し出された報酬に、一郎は声をあげて喜んだ。

 はしゃぐ一郎を見て、カーセネンもはにかんでいた。

 会社がくれた十五年勤続の感謝状以来の賞状だ。

 指輪は記念品だろう。

 表に特に装飾はないが、裏にはびっしり何かが書き込まれている。


 ――なんだこれ


「内側の文字は街に伝わる碑文がモチーフだよ。覚者ジョードが住民たちに残したんだって」

 

 右目の前に持ってきて目を凝らすと、そこには小さな0と1がギュウギュウに書き込まれていた。


 まあ貰えるものはなんでも貰うのが信者の務めだ。

 ありがたく頂いた一郎は、カーセネンに頭を下げて席を立った。

 立ち去ろうとして、大事なことを思い出した。

 これだけは言っておかなければならない。


「自警団の方々が私に遠慮して無茶をしそうなら、必ず教えて下さい」

「それは――いやだね」


 お願いした瞬間、朗らかな空気が霧散した。

 カーセネンは一郎を見ながらはっきりと断った。

 初めて会った時のように冷たい目で一郎を見ている。

 一郎は見えない左目、顔の傷に視線を感じた。


「コカトリスの件も、君に紹介するんじゃなかったと思ってる」


 カーセネンは一郎の手の方に視線を移した。

 一郎が何をやったか、恐らく自警団から聞いたのだろう。


 ――いい人だなあ

 ――だけどごめんなさい


 一郎は貰ったばかりの金貨袋をカウンターに置いた。

 そしてカーセネンに依頼を出した。

 

「商売ですカーセネンさん。友達がある日突然帰って来なかったら、私は夜も寝られない」


 『友達』を強調して言った。

 カーセネンは顔を顰めると、俯いてしまった。

 人は、ある日突然帰って来なくなるものなのだ。

 嫌なことを頼んで申し訳ない、そんな思いを込めて、一郎は精一杯頭を下げた。

 

 カウンターの方から鼻を啜るような音がした。

 しばらくして顔を上げると、済ました顔のカーセネンは金貨袋を一郎に押し付けた。


「こんなものなくても、ちゃんと教えてあげるよ」


 友達なんだから。

 そう一言呟くと、彼はそそくさ執務室に引っ込んで行った。

 入れ代わるようにカウンターに来た若い女性の受付さんがこっそり教えてくれた。


「――僧侶様。ギルド長、友達少ないから仲良くしてあげてください」

「わかりました」

 

 私も友達少ないので!

 そう伝えると、彼女はケラケラと笑った。

 

 ※


 街に帰ってきて一週間ほど経った。

 施薬院は閑古鳥が鳴いている。

 一郎の治療は思ったほど進んでいない。

 治療師ギルドが施薬院への紹介を止めているのだろう。

 

 イダーケの治療を受けたら、施薬院に帰って作業スペースにこもって薬を煎じる、そんな日々が続いている。

 ある日、一郎が黙々とスキル上げをしていると、乱暴に扉が開かれて老人がズカズカ近づいてきた。

 老人、カショーは目を吊り上げて一郎の前に仁王立ちした。


「馬鹿モン!」


 カショーはしわがれた手で弟子の頭を叩いた。

 何度も何度も叩いた。

 頭を揺らされた一郎から、溢れないようにバランスを取っていた涙が、ポロポロ流れた。

 

「まだニヤーマさまに報告してないのか!この不出来モンが!」


 首根っこを掴んで連れ出される。

 一郎は街に帰ってから一度もニヤーマに会っていない。

 逃げていたのだ。

 静戒洞への道を老人に引きずられながら、一郎は顔を覆っていた。


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