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第十二話 報酬



 今、正午の鐘が鳴った気がする。

 へばりついた瞼をゆっくり開けると、両手の指が編まれた自分の手が見えた。

 頭はまだぼんやりとしている。

 椅子に座ったまま寝てしまったようだった。

 

 しわがれた指を解いて両手を膝につき、力を入れて立ち上がる。

 負担をかけぬよう腕を回して体を捻ると、固まっていた体の節々が音を鳴らした。

 少しの間眠るつもりだったが、客も来なかったようで、こんな時間まで眠ってしまった。

 白湯でも飲もうと、痛む体でえっちらおっちら炊事場に向かう。

 ふと作業場の方からうっすら金属音が聞こえた。

 聞き慣れた、鉄鍋と撹拌棒が当たる音だ。

 よく鼻を利かすと爽やかな薬湯の香りがした。

 カショーはその中に青臭い草の香りを感じ取ると、口元を引き上げた。


 ――抽出が甘いからじゃ


 見習いを卒業してもまだまだひよっこらしい。

 一つ指導してやらねばならない。

 作業場に舵を切った老人の足は軽かった。


 

「あんた一日に何回来るんですか?」

「ねえ、本当、お仕事をくれる薬師ギルドには頭が上がりません」


 納品カウンターを埋め尽くすように並べられた中級ポーションに、カーセネンはフードを脱いで頭をかいた。

 軽く検品して、思わず唸る。

 朝持ってきた中級ポーションはEだったが、今この瓶に詰まっている分には、Dランクの品質があった。

 あの老人が若造をネチネチ指導したんだろう。

 若い頃自分が鼻っ柱を折られた時を思い出し、カーセネンは苦い顔をした。


「それにさても、よくこんなボランティアみたいな報酬で頑張るね」


 一郎はカーセネンの自虐に思わず吹き出した。

 カーセネンのクエストはボランティアのような金額に設定されている。

 それは彼がボランティア同然で仕事を受けているからだ。

 カショーから薬師ギルドの社会奉仕ぶりを聞いている一郎には、カーセネンが松下幸之助に見える。


「他のマレビトみたいに露店で売った方が儲かりますよ」

「いえいえ、十分な報酬を頂いております。これも修行の一環ですので」


 カーセネンもカーセネンで、合掌礼を返してくる一郎にほほう、とため息をつく。

 店番中にも一々お客を礼で見送っているため、一郎の『ジョード教儀礼』のレベルは先日Level 10を超えた。

 NPCが宗教的威圧を感じるには十分なスキルレベルだった。

 二人はお互いを過大評価していた。


「それにしてもちょっとくらい休んだら?マレビトらしく冒険行くとかさ」


 一郎を心配してか、休むように促してくれる。

 だが一郎はやりたいことをやっているだけだった。

 慈悲行の実践として、相手が喜ぶことこそが報酬であった。


「なんでもいいのでお願いします」


 一郎は三時間前と同じ回答をした。

 一刻も早く師匠に認められて、僧に戻りたい。

 そうでなければ、スキル上げが促す快楽物質の波に飲み込まれて、ただのベテラン薬師になってしまう。

 修行効率だけを考えれば、ボランティアをして薬師レベルを上げていくことが合理的なはずだ。

 そこまで考えてから、一郎は立ち止まった。

 

 ――薬師を辞めるために薬師を頑張ってるな


 今どういう状態なんだろう。

 一郎は首を傾げた。


「…………はぁ」


 そして頭がいっぱいの一郎は、目の前の男が金庫を見ながらため息をついたことに、気がつかなかった。

 


「あ゛ー、気持ちいい」


 一郎は今、閉店後の薬師ギルドのホールにいる。

 大きめのスツールを並べて作ったベッドには細身で長身の男性がうつ伏せで寝転がっている。

 肩と腰と首が凝り固まっている、典型的なデスクワーカー、つまりカーセネンだ。


 さきほど日暮前、舌の根も乾かぬうちに百本近いCランクの中級ポーションを持ってきた一郎に、カーセネンは肩を振るわせながら空っぽの金庫を見せた。

 今ギルドには千本近い中級と初級のポーションが溜まっている。

 一週間程度待って欲しい。

 これを客先に納品して金に変えるまで、薬師ギルドは依頼を出せないとのこと。

 

 一郎は素直に平謝りした。

 自分のことに頭がいっぱいで、良くしてくれる取引先の社長に情けない思いをさせてしまった。

 与信管理が出来て初めて、一人前なのだ。

 鬼上司の教えをVRMMOでは活かせなかった。

 

 ――お詫びと言ってはなんですが、ギルド長の心労を労わせて下さい。


 サラリーマンのセカンドキャリアはラーメン屋か整体師、中年の危機に晒された一郎はそのどちらにも心得があった。

 そして今に至るのであった。

 

 一郎の素人整体がそれなり効果があることは、鬼上司の腰と師匠の膝関節で証明されている。

 それに加えて、一郎は背中を両手で摩りながら呟いた。


 『サーマ』

 

 寝転ぶカーセネンに緑色の光の粒が降りると、じんわりと体に溶けていく。

 一郎が手に力を入れるたびに、カーセネンはえもいわれない表情を浮かべ、うう、と顔を突っ伏した。

 『サーマ』は駆け出し沙門Level 1で覚える基礎の補助魔法だ。

 本来は精神系状態異常を確率で解除することがある、というゲーマーからしたらまるで信用できない補助回復魔法である。

 だが副次的にリラックスを促す効果があるので、一郎は施術の時に積極的に使っている。


 スツールにかけたタオル越し、くぐもった声でカーセネンが言った。

 

「パリグラハさんすごいよ、薬師も向いてるけどこっちでもいけるんじゃない?」


 どきり、とするほど優しくて無防備な言葉だった。

 家庭があると言っていたし、家ではこんな感じなんだろうか。

 同年代の家庭を想像して、一郎はなんだか胸が痛く、愛おしくなった。


 ――由香に会いたいな

 

 静かになった一郎に気づくことなく、カーセネンは、そうだ、と声を上げた。


「――パリグラハさん、そこの空いてるところでマッサージのサービスやらない?その、ギルドの仕事としてさ」


 一郎は少し考えて、喜んで、と返事をした。

 ギルドの仕事をこなせるならなんでもいい。

 それに疲れた人が喜んでくれるなら、その報酬は最大限になるはずだ。


 ――そうですよね、師匠


 次の朝、崖の上でカショーに報告をした。

 カショーはどういうことじゃ、と首を傾げた。

 二人で並んでご来光を浴びていると、ニヤーマが祠堂から出てきた。

 事情を聞いた彼女は、「その調子です」と微笑んだ。

 一郎は師匠と目を合わせて首を傾げたが、ニヤーマのマントラに続いて二人とも目を瞑った。

 

 

 

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