第十二話 報酬
今、正午の鐘が鳴った気がする。
カショーがへばりついた瞼をゆっくり開けると、両手の指が編まれた自分の手が見えた。
頭はまだぼんやりとしている。
椅子に座ったまま寝てしまったようだった。
しわがれた指を解いて両手を膝につき、力を入れて立ち上がる。
負担をかけぬよう腕を回して体を捻ると、固まっていた体の節々が音を鳴らした。
少しの間眠るつもりだったが、客も来なかったようで、こんな時間まで眠ってしまった。
白湯でも飲もうと、痛む体でえっちらおっちら炊事場に向かう。
ふと作業場の方からうっすら金属音が聞こえた。
聞き慣れた、鉄鍋と撹拌棒が当たる音だ。
よく鼻を利かすと爽やかな薬湯の香りがした。
カショーはその中に青臭い草の香りを感じ取ると、口元を引き上げた。
――抽出が甘いからじゃ
見習いを卒業してもまだまだひよっこらしい。
一つ指導してやらねばならない。
作業場に舵を切った老人の足は軽かった。
※
「あんた一日に何回来るんですか?」
「ねえ、本当、お仕事をくれる薬師ギルドには頭が上がりません」
目の前のカーセネンは呆れ顔だ。
クマのある目で、同じ日に同じカップ麺を買いに来た客を見るように一郎を見ている。
一郎はせっせと中級ポーションを取り出すと、納品カウンターを埋め尽くすように並べていった。
カーセネンはフード越しに頭をかくと、瓶を手に取って鑑定を始める。
そして匂いを嗅ぐと、片眉をあげて唸った。
「パリグラハさん、これDランクじゃないの」
朝持ってきた中級ポーションはEランクだったが、今納品したものは、全てDランクに仕上がっていた。
「ええ、お師匠さんのおかげです」
一郎がそう返すと、カーセネンは盛大に顔を顰めた。
どうせあの老人が、若き日の彼をネチネチ指導したんだろう。
やはり他人とは思えないな。
一郎はにっこり口元を上げた。
「それにしても、よくこんなタダみたいな報酬で頑張るね」
カーセネンは嫌な記憶を振り払うように呟いた。
――タダってか
一郎はカーセネンの自虐に思わず吹き出した。
カーセネンのクエストは、報酬がボランティアのような金額に設定されている。
それは彼がタダ同然で仕事を受けているからだ。
カショーから薬師ギルドの社会奉仕ぶりを聞いている一郎には、カーセネンが松下幸之助に見える。
「他のマレビトみたいに露店で売った方が儲かりますよ」
「いえいえ、十分な報酬を頂いております。これも修行の一環ですので」
一郎が合掌礼を返すと、カーセネンは、ほう、とため息をついた。
「僧侶様ってのも本当なんだねえ」
店番中にもお客を礼で見送っているため、一郎の『ジョード教儀礼』のレベルは先日Level 20を超えた。
NPCが宗教的威圧を感じるには十分なスキルレベルだった。
「それにしてもちょっとくらい休んだら?マレビトらしく冒険行くとかさ」
一郎を心配してか、やけに休むように促してくれる。
だが一郎は聖人ぶって断った。
「なんでもいいのでお仕事をお願いします」
「……そうかい?まあぼちぼちやりなよ」
「はい、ほどほどにやります」
カーセネンはそっけなく目線を落とした。
心配事でもあるのか、しきりに手をさすっている。
一郎は焦っている。
一刻も早く師匠に認められて、僧に戻りたい。
そうでなければ、スキル上げが分泌を促す快楽物質の波に飲み込まれて、ただの凄腕ベテラン薬師になってしまう。
修行効率だけを考えれば、職業クエストを数多くこなして薬師レベルを上げていくことが、最も合理的なはずだ。
そこまで考えてから、一郎は立ち止まった。
――薬師を辞めるために薬師を頑張ってるな
今どういう状態なんだろう。
一郎は首を傾げた。
「…………はぁ」
ふと、目の前の男がため息をついていた。
しきりに帳簿をめくっては、頭を抱えている。
――ギルド長は大変そうだな
自分のことばっかり考えてはいけない。
これも慈悲行、ギルド長のためにも頑張るか。
一郎は気合いを入れ直した。
※
「これを見てごらんよ」
舌の根も乾かぬうちに百本近いCランクの中級ポーションを持ってきた一郎を、真っ白な顔のカーセネンは執務室に案内した。
そこには元の部屋の広さがわからないほどの、大量の瓶のケースが積み上げられていた。
そしてこっそり空っぽの金庫を見せてくれた。
「今ギルドには千本近い中級と初級のポーションが溜まっている。一月程度待って欲しい」
これを客先に納品して金に変えるまで、薬師ギルドは依頼を出せないとのこと。
カーセネンは唇を噛んでいた。
「すみません!すみません!」
――何を偉そうに慈悲行だバカヤロウ!
一郎は素直に平謝りした。
自分のことに頭がいっぱいで、良くしてくれる取引先の社長に情けない思いをさせてしまった。
与信管理が出来て初めて、一人前なのだ。
鬼上司の教えをVRMMOでは活かせなかった。
――なにか、何か詫びをしなければ
そうだ。
自分にできることは、『あれ』ぐらいしかない。
※
「あ゛ー、気持ちいい」
一郎は今、閉店後の薬師ギルドのホールにいる。
大きめのスツールを並べて作ったベッドには細身で長身の男性がうつ伏せで寝転がっている。
肩と腰と首が凝り固まっている、典型的なデスクワーカー、つまりカーセネンだ。
サラリーマンのセカンドキャリアはラーメン屋か整体師と決まっている。
中年の危機に晒された一郎はそのどちらにも心得があった。
一郎の素人整体がそれなり効果があることは、鬼上司の腰と師匠の膝関節で実感している。
それに加えて、一郎の施術には裏技があった。
一郎は背中を両手で摩りながら呟いた。
『サーマ』
寝転ぶカーセネンに緑色の光の粒が降りると、じんわりと体に溶けていく。
一郎が手に力を入れるたびに、カーセネンはえもいわれない表情を浮かべ、うう、と顔を突っ伏した。
サーマは『駆け出し沙門』Level 1で覚える基礎の補助魔法だ。
本来は精神系状態異常を確率で解除することがある、というゲーマーからしたらまるで信用できない補助回復魔法である。
だが副次的にリラックスを促す効果があるので、一郎は施術の時に積極的に使っている。
もう外は真っ暗だった。
静かなギルドに衣擦れの音だけが浮かびあがっていた。
現実の一郎ならこんな時間は、仕事を切り上げてコンビニでハイボールでも買って家で一杯やっている。
カーセネンの呼吸が寝息に変わりかけている。
働き盛りのカーセネンの体はどこを触っても冷たい。
座り仕事と気苦労で、冷え性が悪化しているのかもしれない。
一郎は自分を労るように彼の体を揉み続けた。
ふと、スツールにかけたタオル越し、くぐもった声でカーセネンが言った。
「すごいねえパリグラハさん。薬師も向いてるけどこっちでもいけるんじゃない?」
どきり、とするほど優しくて無防備な言葉だった。
家庭があると言っていたし、家ではこんな感じなんだろうか。
同年代の家庭を想像して、一郎はなんだか胸が痛く、愛おしくなった。
――由香に会いたいな
静かになった一郎に気づくことなく、カーセネンは、そうだ、と声を上げた。
「――パリグラハさん、そこの空いてるところでマッサージのサービスやらない?その、ギルドの仕事としてさ」
一郎は少し考えて、喜んで、と返事をした。
ギルドの仕事をこなせるならなんでもいい。
それに疲れた人が喜んでくれるなら、その報酬は最大限になるはずだ。
――なるよな?
次の朝、崖の上でカショーに報告をした。
俺、整体師もやります。
カショーはどういうことじゃ、と首を傾げた。
一郎だってわからない。
二人で並んでご来光を浴びていると、ニヤーマが祠堂から出てきた。
事情話すと彼女は、「その調子です」と微笑んだ。
一郎は師匠と目を合わせて首を傾げたが、ニヤーマのマントラに続いて二人とも目を瞑った。




