第十話 商売
『ウィルポーション』
投げつけた相手に特殊な状態異常『意思』を与える、薬師カショーのみが調合可能なポーションである。
これをゴーレム系の無機物なモンスターにぶつけると、自我が芽生えて自壊するという凶悪なアイテムだ。
これを意思のある生き物に使用することは、倫理的にも、法的にも、固く禁止されている。
当時凡庸な薬師の一人であったカショーは、このポーションの開発を機に、街で一番の薬師に成り上がった。
このポーション製作のキモは、何はともあれ大岩壁で取れる聖薬草だった。
他の薬草では代用は効かない。
そして言わずと知れたあの偉大なる大岩壁は、ジョード教団の聖地だ。
何がなんでも聖薬草を手に入れたかった。
カショーの入信は言わば、現世利益の為であった。
カショーは拝金主義者ではあったが、ジョード男児よろしく義理堅いタチであった。
自分を一角の人物にしてくれたジョード教を、誰よりも熱心に拝んだ。
金にがめつい性も、年を経る毎に、あるいは十分な富を得たからか、落ち着いていった。
信仰も、季節が巡るたび深くなっていった。
近所からは好々爺として親しまれ、教団の若い修行僧にも聖薬草を小遣いに変えてくれる、在家の薬師として知られていた。
その修行僧の中にニヤーマも居た。
まだ十にも満たない女の子は、立派な兄弟子たちに囲まれて、彼女もまた立派な修行僧に成長していった。
その過程を、あの幸せな日々を、カショーも近所の人間も共に見守ってきた。
そしてあの『奇跡』が起きた。
最後に石窟寺院が消えてから、街からジョード教団の痕跡が消えた。
建物も僧侶もどこかに行ってしまった。
皆まことしやかに口にした。
――僧侶さま達は、自分たちだけ覚者ジョードの所へ、苦しみのない穏やかな涅槃に行ったのではないか。
カショーも他の信者たちと同じく、寄る辺のない虚しい日々を過ごした。
そんなある日である。
カショーの店に、扉を蹴破って女が飛び込んで来た。
最近やってきたマレビトの客で、クリスとか言ったか。
驚いてその姿を見ると、背中になにか枯れ木のような物を背負っている。
――これは
自分には分かる。
孫娘の様に可愛がってきた。
――ニヤーマだ
これは恐らくだが、とクリスが言った。
ニヤーマは大岩壁のウロの中で即身仏になろうとしていたらしい。
クリスはニヤーマを店の床に寝かせた。
眼窩は窪み、頬はこけ、肋は浮き、腿は骨に皮が張り付いているだけだ。
あの可愛いニヤーマが。
カショーは跪き、ニヤーマの手を握って涙を流した。
クリスはどこから黄金に光るポーションを取り出した。
薬師六十年で初めてみた。
あれはきっと『エリクシル』だ。
クリスは至高の霊薬を、惜しみなくニヤーマに振りかけた。
もう一本取り出すと、自ら口に含んで、意識のないニヤーマに与えた。
やがてニヤーマの肉体は、ゆっくりと張りを取り戻していった。
カショーは喜んで女を見たが、クリスはカショーをまっすぐに見つめた。
カショーはもう一度ニヤーマを見た。
虚ろなまんまるの暗闇が、中空を見つめていた。
あの琥珀色の美しい瞳が戻らない。
クリスはカショーを見ている。
いや、その後ろの――薬棚を見ている。
カショーは、体を震わせながら振り向いた。
自分の体が鉛に変わったように重い。
足を引き摺るように薬棚に向かい、ウィルポーションを手に取った。
そして、祈りながらニヤーマに振りかけた。
――この子をお助けください
あの時、自分が何に祈ったのか、カショーは覚えていない。
※
「ワシは覚者ジョードのことは好かん」
――今、何を言ったんだ?
一郎は顔を上げてカショーを見た。
カショーは、すみませんのぉ、と言ってニヤーマに頭を下げた。
「ワシは商売人じゃからのぉ、ジョード様とも商売してきた。祈った分、ご利益も頂いて、ええお客さんじゃった。ジョード様は坊主達にも優しかった。頑張った坊主達を自分の家に連れていった」
老人はニヤーマをチラリと見た。
優しげな好々爺の目をしている。
――じゃが
そう言って語り出した時には、老人の顔は憎しみで引き攣っていった。
「なんでこの子だけこんな目にあうのかのぉ、わしゃあの『奇跡』からずーっと気に入らんかった。ジョードなんぞクソ食らえじゃ」
カショーが毒づきながら、全財産が詰まった箱をバンバン叩いた。
一郎は理解した。
この老人は、ジョードに胸を張って文句を言うために、ジョードからもらった物を差し出したのだ。
一郎はカショーの全身全霊を見て思う。
あの得度式の時、自分もこんなだったのだろうか。
無様で、情けなくて、ただその身一つで祈願する。
あの時自分は本尊を投げ出した。
そして覚者ジョードはその覚悟を聞き届け、加護を賜った。
カショーも今、一郎に全てを投げ出している。
全てをかけて、ニヤーマを信仰している。
修行僧の身ではあるが、その前に教団の僧侶として、一郎は問われている。
信者の祈願に、自分はどうするべきなんだと。
黙り込む一郎にニヤーマが声をかけた。
「いかがいたします?」
信者の、覚者への憎しみの告白を受けても、ニヤーマはアルカイックスマイルを崩さなかった。
彼女は何も言わずに、じっと一郎を見ているだけだ。
だが、彼女に見られていると、自分の中の誰かが自分に問うてくる。
――お前はジョードの僧になりたいのか?
――それとも、ジョードの僧たる人間でありたいのか?
一郎は天井を仰ぎ、一点を見つめる。
そして前を向き、口元を引き、唾を飲み込むと、カショーに告げた。
「カショーさん、そのお金は受け取れません」
その答えにカショーは、怒りを込めて一郎を睨みつけた。
――根性なしめ!
そして悲しんだ。
こんなことでは、いつまで経ってもニヤーマが独りぼっちではないか。
クリスは唯一認める素晴らしいマレビトだが、ニヤーマにとってあくまで友人だ。
可哀想なニヤーマには、共に道を歩く、かつての兄弟子達のような、言わば同志が必要なのだ。
あの日、失ったニヤーマにポーションを振りかけたのは自分だ。
ワシはこの子の運命に、責任がある。
ワシが死ぬ前に、ワシが認める誰かに――。
呻くカショーに一郎は言った。
「ですが、我が師を見守ってきたあなたに認められるように、私の人生をかけます」
そしてニヤーマに合掌礼をした。
ただの礼ではない。
深く、深く、頭を下げた。
一時、師のお側を離れて申し訳ない、と言う謝罪であった。
一郎はカウンターの横からカショーの足元に向かい、五体を投地した。
カショーが狼狽える。
「な、なんのつもりじゃ」
「覚者ジョードと我が師ニヤーマ、そして薬師カショーに申し上げます。私一郎、見習い沙門の職を返上し、薬師カショーに弟子入りしたく存じます」
今、自分が何を言われたのか。
カショーは眉間を揉みながら一郎に聞いた。
「なんじゃと?」
「あなたに認められるまで、在家の信者として頑張ります」
「だからなんでそうなるんじゃ!」
「覚者ジョード、如何に!」
一郎の端的な叫びは、エフェクトとなって速やかに返ってきた。
「馬鹿な、ニ、ニヤーマ様もなんとか――!」
願い虚しく、目線の先では、弟子に手を翳してマントラを呟くニヤーマの姿があった。
一郎の体が薄く光った。
ニヤーマはカショーの縋るような目線を受けて、深々と頭を下げた。
だが顔を上げた彼女の、琥珀色の瞳は悪戯げに揺れている。
カショーはその目を見て何も言えなくなった。
『ラードリー』の、甘えん坊の、可愛い願いだ。
聞くしかないではないか。
「――弟子入りを認めるっ」
「ありがとうございます」
一郎に三つ目のエフェクトが付与された。
――職業『見習い沙門LV1』がロックされました
――職業『見習い薬師LV1』を獲得しました
申し渡すカショーも、ひれ伏す一郎も、何でこんなことになったのか、二人ともわからなかった。
店の扉が開き、クリスが入ってくる。
二人の様子を見て首を傾げたが、ニンマリと笑いニヤーマに駆け寄っていった。




